特集 2016年3月16日

埼玉、栃木、群馬の三県境が観光地化している?

「柳生の三県境」が確定したというので見に行った
「柳生の三県境」が確定したというので見に行った
県境の端っこがすきだ。

端っこを見に行って、この県境の端っこから県が広がっているのだと想像して恍惚とする。申し訳ないけれど、これも県境の面白さの一つと言っていい。

そんな端っこが、三つ集まった場所。それが「三県境」だ。

三つの県の端っこが交わる「三県境」は日本に48箇所存在しているといわれているが、そのどれもが高い山の上か、川や海の上で容易には近づけず、ふざけて遊びにいけるような場所にあるものではない。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

前の記事:マグロの胸ビレに萌える ~「これよくできてんなー」その3

> 個人サイト 新ニホンケミカル TwitterID:tokyo26

にわかに活気づく「三県境」

しかしながら、我々のような一般人が気軽に訪れることができる唯一の三県境が、埼玉、栃木、群馬の交わってるところに存在している。

県境マニアの間では一般に「柳生の三県境」と呼ばれている場所だ。
先日、この三県境をわざわざ訪れる人が増えたことを受け、栃木県、群馬県、埼玉県の行政が協力して測量調査を行い、境界をはっきりさせ、観光に役立てようと考えている。というニュースが話題になった。

新聞の報道によると、群馬県板倉町は「集客の拠点として観光客の周遊を促したい」とか、埼玉県加須市は「道の駅きたかわべとつないだ観光資源としての活用を検討」そして、栃木県栃木市は「茨城も含め4県を短距離でまたぐ県道9号と合わせたパワースポットとして売り出したい」考えらしい。
パワースポット?
パワースポット?
県境の観光地化というのはまだわかるとしても、言うに事欠いてパワースポットって、栃木市は三県境をセーブポイントかなにかと勘違いしている可能性がある。

何はともあれ、県境がにわかに盛り上がっていると聞くと、居ても立ってもいられない。

ただ、実はこの三県境、デイリーポータルZではすでになんどか取り上げている。前回は元編集部の工藤さんが訪れて2009年に記事にしている。→「田んぼの中の三県境

そんなわけなので、今回は工藤さんにも来ていただき、7年前と何が変わったのか見てもらいながら三県境を確認しに行きたい。
前回、三県境を取材した工藤さんと一緒に行く
前回、三県境を取材した工藤さんと一緒に行く
東京から1時間ほどかけて東武鉄道柳生駅にやってきた。

この柳生駅は埼玉県加須市に位置し、ここから北に向かってしばらくあるけば三県境である。

工藤さんの以前の記事を見ると、駅前に不思議な名前のタクシーがあったはずなのだが……。
「うおり」タクシー。
「うおり」タクシー。
タクシーの看板はなくなっていた。
タクシーの看板はなくなっていた。
無くなっている。
「うおり」っていう奇妙な名前のタクシー。なくなってますね。当時、魚屋っぽい名前だなって思ったんですけど。「魚利」みたいな。
うめき声みたいですよね。個人タクシーだったのかな。なくなってるのはなんか寂しいですね……。
タクシーが無くなった代わりに、コミュニティバスのバス停ができていた。7年の歳月を感じ入ってしまう。

ドロボーの看板は生き残っていた

三県境への道すがら見つけたこの看板。
なにもないから目立つ
なにもないから目立つ
このあたり、農地の中に民家が点在するのみで、本当になにもない。

したがって、こういうちょっと味わいのある看板があるとそれだけで非常に目立つ。この防犯の看板も前回、工藤さんは写真にとって記事に載せていた。
これ、このまえ来たときも気になったんですけど、これおまわりさんの腕ないですよね?
どういう意図でこういう表現をしたのか謎だな……。怖い絵ですねこれ……。
放送が止まった時によく使われる「しばらくお待ちください」画面の怖さに通じる怖さがある気がする。

すでに先客が居た三県境

柳生駅から三県境までは徒歩でも10分ほど。すぐである。ちょうど三県境とおぼしきところに人が何人か集まっている。いったいなんだろう?
トラクター周辺に人が集まっている
トラクター周辺に人が集まっている
三県境の臨時駐車場ができてた
三県境の臨時駐車場ができてた
懇切丁寧に三県境を案内している
懇切丁寧に三県境を案内している
工藤さんの話によると、三県境の臨時駐車場も、三県境への案内看板も、当時はそんなものなかったという。

我々のようなもの好きがテレビやインターネットで見てフラフラやってくるので、地権者の人がわざわざ案内を作ってくれているのだ。

畑のあぜ道を辿って三県境に近づく。
三県境にだれかいるぞ
三県境にだれかいるぞ
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丁寧な説明の看板が出ていた

1ページひっぱるほどの引きがある絵かどうかよくわからないけれど、三県境に到着した。

ここかー。三県境。
ここですね三県境
ここですね三県境
看板の後ろのY字型の側溝がちょうど境目になっている。この、Y字からさきに、埼玉と栃木と群馬がそれぞれ広がっている……。
前回きた時は、こんな看板もなかったし、あぜ道も草ぼうぼうでよくわからなかったけれど……境目が分かりやすくなってますよこれ。
この標識杭は新しい……このまえ測量しなおした時に変えたっぽいですね。
七年前は草ぼうぼうで看板もなかった
七年前は草ぼうぼうで看板もなかった
7年前にはなかった看板が!
7年前にはなかった看板が!
看板には
「日本には40ヶ所以上の3県境がありますが、平地にあるここは大変貴重な存在と言われています。道の駅きたかわべ徒歩4分 手打ちそば新鮮野菜が人気です」
とある。
なぜか急に、道の駅の手打ちそばや野菜をPRしてくるあたり、まだ「ほんとに県境だけで観光客が満足するかしら?」と疑っているのがわかる。

たしかに三県境といっても、側溝がY字になっているだけなので、これ以上どうしようもないというのは否めない。

どう観光地化したらいいのか持て余している感は、そこはかとなく伝わってくるものの、前回は案内板や看板が一切なかったことを考えるとずいぶん進歩したというか、確実に観光地化はしている。
三県境の境界標が真新しい
三県境の境界標が真新しい
三県境の看板付近にはすでに先客の観光客もいた。
ツーリングが趣味のおじさんがいた
ツーリングが趣味のおじさんがいた
このおじさんは、バイクで日本各地の端っこをツーリングし、トドヶ崎(本州最東端の岬)や、宗谷岬などをバイクでめぐるのが趣味で、三県境の新聞記事をみてここにやってきたという。

三県境を見物に来ている観光客が複数人いる。という状況は7年前には考えられなかったことだ。
Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

なんでも境界にみえてくる

さて、三県境がじんわりと観光地化していることはわかったので、周辺の県境も散策してみたい。
古い群馬県の境界標
古い群馬県の境界標
堤防に向かって伸びる県境
堤防に向かって伸びる県境
スマホの地図で県境を確認しながら周辺を歩く。全く何の目印もないのだが、カーブミラーや交通標識の管理者が違ってるのをみつけては「おぉ」と感心する。
手前のカーブミラーは栃木県藤岡町。後ろのカントリーサインは群馬県板倉町、間に県境がある
手前のカーブミラーは栃木県藤岡町。後ろのカントリーサインは群馬県板倉町、間に県境がある
堤防の草の生え方も県境のラインを境に違っているようなきもしないでもないが、たぶんそれは気のせいである。

県境フィルターを通して見ると、なんでもかんでも県境のような気がしてくるが、そこまでいくとメンタルが弱ってきているかもしれないので、心療内科の先生と相談。ということになる。

看板を設置したひとに話をきこう

ところで、この三県境。なぜこんな形になったのか? 気になるところではある。

ざっくりと、もともと川に引かれていた県境が、そのまま引き継がれてこうなった……というところまではぼんやりとわかっているつもりではあるけれど、詳しい経緯はよくわからない。

そこで、あの県境の看板を建てた地権者の方に話をききに行った。事前に役所の人に連絡し、取材をお願いしておいたのだ。
三県境のすぐ裏にお住まいだ
三県境のすぐ裏にお住まいだ
かなり古い民家の中はちょっとした博物館のようになっていた
かなり古い民家の中はちょっとした博物館のようになっていた
お話を聞かせていただいたのは、三県境のすぐ裏にお住まいの古澤さんだ。

あの看板の設置者でもある。
古地図を広げる古澤さん
古地図を広げる古澤さん
--あの看板なんですが……まずはいつごろから設置されてるんですか?
「あれね、20年ぐらい前から設置してる」

--えぇ! そんな昔からですか……たしか、7年ぐらい前にきた時はなかったはずなんですが……。
「あの看板、今ので3代目なんです。むかしは写真を撮ってビニールに入れて建てたりしてたけど、すぐ壊れちゃうから、今はちゃんと木に書いて、壊れにくく作ってある。7年前はちょうど入れ替えで建てて無かった時期かも知れんな」

20年前から看板自体は建てていたらしいのだが、工藤さんが7年前に訪れたときは折り悪く、看板の建て替え時期だったのだろうか?
3年ぐらい前の看板。写真を貼り付けてあるだけだ
3年ぐらい前の看板。写真を貼り付けてあるだけだ
--しかし、なぜ看板を建てるようになったんですか?
「そうですね、県境は昔からあったわけですけども、近年ですかね、いわゆる県境マニアの方がいらっしゃるようになって」

--すみません、ぼくらのような人たちですね……。
「そうですか(笑)で、近所の方が質問されるんですけども、よくわからないから、そういう古いことは古澤の家にいって聞いてくれってなって、私もできるかぎり対応するんですけども、たまに居ないこともあるから、看板を建てて、それを見てもらって、わからないことがあればもう一回聞きに来てくださいと、そういうわけです」

ふつうのひとなら嫌がる「マニアの珍しがり」を、古澤さんは自腹で看板まで作って対応している。
ただ親切なだけではできないサービス精神の発露だ。神対応とはこのことだと肝に銘じておきたい。

--やはり、県境を見に来るひとは増えましたか?
「増えてますね、このまえなんかは4、50名ぐらいの団体で見に来てましたよ、ツアーかな」

--近頃は『ブラタモリ』みたいに、地理をテーマに街歩きをするのがはやってますからね……市は観光スポットにしたいと言ってますが、古澤さんの方になにか話は行ってますか?
「いやー、まったくないね、勝手になんかやってるみたいだけど。まあ、市役所が動けばね、私はお役御免ですよ」

役所がどこまで本気で観光地化するつもりなのかは不明だが、少なくとも看板の影響はけっこう大きい。
予算をかけるのはいいけれど、古澤さんお手製の看板はこのままであって欲しいところだ。
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谷中湖を掘って嵩上げした

--この三県境はもともと川だったんですよね
「そうです、むかしは渡良瀬川にそってあった県境ですけども、明治の終わりごろから大正にかけて渡良瀬遊水地を作るときに川をせき止めて川の流れを変えたんで、こう県境が入り組んだ形になったわけです」
昔の川跡がそのまま現在の県境になっている。矢印が三県境(1/50000「古河」明治40年測図・明治42年12月28日発行)
昔の川跡がそのまま現在の県境になっている。矢印が三県境(1/50000「古河」明治40年測図・明治42年12月28日発行)
「川の跡ですから土地が低くて湿地だったんです。そこで、昭和の40年から50年ごろ、谷中湖を掘るにあたって、出た土を当時の建設省が半径九キロまでは無料で運んでくれるっていうんで、これはいい機会だって川の跡を埋めました、当時の写真見てください」
栃木県側の土地が、手前の田んぼより高い
栃木県側の土地が、手前の田んぼより高い
「それまで、川の部分は低くて、栃木県川のもともと川岸だったところは高くなってるでしょう?」

--あ、ほんとだ。こんなに高低差あったんですね……
「ですから今でも栃木県側の土地は若干高くなってるんです」

後で確認してみたところ、確かに川岸だった栃木県側の土地は農地より若干高く、農地は低くなっていた。
だからなんだという話ですけども
だからなんだという話ですけども
「土はただでもらえたんですけど、整地の費用は土地改良組合ってのを作って、農水省の農業近代化資金っていうのから30年賦で借りて、6年くらい前かな、やっと払い終わったんです」

年賦が払い終わったと同時に、なぜか県境を見物にくるひとがどんどん増えたらしい。

全体を通してだからなんなんだ感は否めないけれど、川の痕跡が土地の高低に残っているというのは「オホ!」となってしまう。

家を曳いた

--古澤さんのこのお宅ってのはずいぶん古いようですが、いつ頃の建物なんでしょう?
「明治12年ですね」
古澤さんのお宅の棟札に「(明治)十二稔(年)」と書いてあった
古澤さんのお宅の棟札に「(明治)十二稔(年)」と書いてあった
「この家はもともと谷中湖の中にあったんですけど、ひっぱってきたんです」

--ひっぱって? それってもしかして曳家(建物ごと持ちあげて移動させること)ですか?
「そうです、これがその時の写真ですね」
たしかに家を引っ張ってる!
たしかに家を引っ張ってる!
明治12年、現在の谷中湖があるあたりに建てられた古澤さんのお宅は、明治39年に谷中村が廃村されるとき、450メートルほど曳家で家をひっぱって現在の位置に移動させた。

「うちは養蚕をやってて、こっちの方にも土地を持ってたから、家を移動させたんですね、そのころはこういう種紙(蚕卵紙)を売ったりしてたんです」
カイコガに、番号の書いてある枠ひとつひとつに卵を産ませてくっつけたものを養蚕農家に売っていた
カイコガに、番号の書いてある枠ひとつひとつに卵を産ませてくっつけたものを養蚕農家に売っていた
この辺りは富岡製糸場も近く、昔から養蚕が盛んだった。たしかに先ほどの明治の地図を見なおしてみるとYの字の桑畑(蚕の餌になる)だらけだ。

谷中村の廃村に関して、足尾銅山の鉱毒に苦しめられた住民が、田中正造とともに国や足尾銅山と戦ったというのは社会科で習ったが、古澤さんのお宅もその廃村で村を追われたお宅のひとつだった。

養蚕、曳家、富岡製糸場、足尾銅山、田中正造、渡良瀬遊水地、三県境……断片的な知識が頭のなかでひとつの流れとして組み上がっていく。

ぼくも、工藤さんも、終始古澤さんの話にうなずきっぱなしだった。

三県知事の三県境サミット開催希望

柳生の三県境。話を聞いてみると、いがいと奥が深い。中学生の郷土史研究ぐらいの内容にはなってしまった。

三県境の観光地化も、可能性があるようなないような微妙な感じなので、三県境で三県知事に集まってもらって三県境サミットをして欲しい。と、工藤さんが言ってました。
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