特集 2017年6月1日

福島県の秘境「檜枝岐村」で江戸時代から続く歌舞伎を見てきた

山に閉ざされた檜枝岐村で、村人が見様見真似で始めた歌舞伎を見てきました
山に閉ざされた檜枝岐村で、村人が見様見真似で始めた歌舞伎を見てきました
福島県の南西端に檜枝岐(ひのえまた)という村が存在する。広大な湿原で有名な尾瀬の入口に位置しており、村域のほとんどは山林によって占められている。人口はわずか600人足らず、日本で最も人口密度の低い自治体だ。

寒冷な土地ゆえに稲作ができず、人々は蕎麦を栽培したり山菜を採って生きてきた。限られた食材の中でも特にユニークなのがサンショウウオで、以前に当サイトライターの伊藤さんがその漁の様子を記事にされている(参考記事「 山人(やもーど)と行く、檜枝岐のサンショウウオ漁」)。

そんなまさに秘境というべき檜枝岐村では、神社の舞台で歌舞伎が演じられている。なんでも江戸時代に村人がお伊勢参りの際、江戸で見学した歌舞伎を見様見真似で演じたのが始まりらしく、それが今もなお続けられているのである。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

前の記事:花見散歩で愛でるご近所桜

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意外と行きやすい檜枝岐村

檜枝岐村へは電車とバスを乗り継いで行く。最寄り駅は野岩鉄道および会津鉄道の「会津高原尾瀬口駅」だ。

秘境というと、どうしてもアクセスに難儀するイメージがあるが、今年の4月から運行が始まった東武鉄道の特急「リバティ会津」ならば浅草や北千住から直通で行くことができる。奥会津も随分と身近になったものである。
というワケで、北千住駅から9時過ぎ発の「リヴァティ会津」に乗る
というワケで、北千住駅から9時過ぎ発の「リヴァティ会津」に乗る
うとうとすること約3時間。正午過ぎに会津高原尾瀬口駅へ到着した
うとうとすること約3時間。正午過ぎに会津高原尾瀬口駅へ到着した
檜枝岐歌舞伎の公演が始まるのは夜の19時。まだかなり早い時間なのにも関わらず、30人ほどの乗客がこの駅で下車した。恐らく全員が檜枝岐村に向かうのだろう。

私は以前にもこの駅に来たことがあるのだが、その時に下りた乗客は私だけであった。それだけに、この混み具合はかなり驚きだ。

鉄道会社的にも只事ではないらしく、車掌さんが駅員さんに「もう尾瀬オープンしたの?」と問いかけていた。駅員さんは檜枝岐歌舞伎のことを把握してはいないようで、頭にハテナマークを浮かべたような表情で「さぁ? ちょっと分からない」と答えていた。

檜枝岐村の歌舞伎はイベントとして周知されておらず、知る人ぞ知るローカルな行事という感じなのだろう。そういうところも、実にソソられるというものである。
40分程待っていると、ようやく檜枝岐村へのバスがやってきた
40分程待っていると、ようやく檜枝岐村へのバスがやってきた
一番前の席に鉄の箱と鎖が無造作に置かれていて驚く。何に使うのだろうか
一番前の席に鉄の箱と鎖が無造作に置かれていて驚く。何に使うのだろうか
料金箱の両替機には五百円札の表記が! 随分と長らく使用されているようだ
料金箱の両替機には五百円札の表記が! 随分と長らく使用されているようだ
バスは少し待機したのちに出発し、険しい山中をのんびりと進んでいく
バスは少し待機したのちに出発し、険しい山中をのんびりと進んでいく
バスはこのまま檜枝岐村に向かうのだが、その前にひとつ寄っておきたい場所がある。ちょうど中間点を過ぎた辺りに位置する「前沢」という集落だ。

山の裾野に広がる小さな集落ではあるものの、「中門造(ちゅうもんづくり)」と呼ばれるこの地方特有の伝統家屋が密集しており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

先ほど会津高原尾瀬口駅に以前も来たことがあるのと述べたのは、ズバリこの前沢集落を訪れる為であった。といってももう6年も前のことなので、現在の様子を確かめておきたかったのである。
対岸の展望台から見る前沢集落。コンパクトな集落ながら茅葺民家の現存度が凄い
対岸の展望台から見る前沢集落。コンパクトな集落ながら茅葺民家の現存度が凄い
関東の桜はとっくに散っているが、標高の高いここではまだ咲いていた
関東の桜はとっくに散っているが、標高の高いここではまだ咲いていた
主家に馬屋を接続した「中門造」の家屋。牛や馬と一つ屋根の下で暮らす、豪雪地帯ならではの様式である
主家に馬屋を接続した「中門造」の家屋。牛や馬と一つ屋根の下で暮らす、豪雪地帯ならではの様式である
路地を進むごとに景色に変化があり、散策が楽しい集落だ
路地を進むごとに景色に変化があり、散策が楽しい集落だ
うーむ、改めて見てもやはり見事な集落である。福島県の茅葺集落といえば下郷町の「大内宿」が有名であるが、個人的には前沢もそれに匹敵するレベルだと思う。

大内宿は完成された町並みながら完全に観光地と化している対し、前沢は住人の方々の素朴な生活が維持されている点が素晴らしい。観光客に見せるための整備と、住民の生活の為の整備が、程よく調和している印象だ。
水の力を利用してアワやヒエを杵を突く「バッタリ小屋」が再現されている
水の力を利用してアワやヒエを杵を突く「バッタリ小屋」が再現されている
集落の一角にあった無人販売所では、なんとミツバチの巣箱が売られていた
集落の一角にあった無人販売所では、なんとミツバチの巣箱が売られていた
自家製のハチミツと共に売られていたこの巣箱。お持ち帰り限定、史上最安価格で7000円とのことだが、いやはや、お買い得なのかどうなのか。「桐材99%使用(残り1%は釘や金具ってこと?)」「カンタン持ち運び」「買うなら今!!」などと過剰なまでに宣伝文句が打たれているが、うーん、本気なのかネタなのか分からない不思議なノリである。

……いや、そもそも巣箱からハチミツを抽出する手間などを考えると、ふらっと遊びに来た訪問客が手を出すには敷居が高すぎる商品だろう。やはり遊び心と考えるのが妥当だろうが、このくらいの価格ならちょっと欲しいと思ってしまった自分もいる。

さてはて、時間はとうにお昼を過ぎている。前沢集落の前には蕎麦屋があったので、昼食はそこで済ませることにした。
古民家を改装した、良い雰囲気のお店である
古民家を改装した、良い雰囲気のお店である
ツルツルとのど越しの良い蕎麦に加え、「はっとう」と「ばんでい餅」を頂いた
ツルツルとのど越しの良い蕎麦に加え、「はっとう」と「ばんでい餅」を頂いた
なんだか聞き慣れない料理名が並んでいるが、これらはいずれも南会津に伝わる郷土料理である。

このうち「はっとう」は蕎麦粉と餅粉を練って伸ばしたものを菱形に切って茹でたもので、ジュウネン(エゴマ)をまぶして食べる。もっちりとした食感にエゴマの香ばしい風味が際立つ逸品だ。なんでもこれを食べた役人があまりのうまさに「贅沢だからハレの日以外には食べてはならない」と法度(はっと)を出したことからその名が付いたそうだ。

また「ばんでい餅」はエゴマの甘味噌で頂く大きめの団子で、パリッとした張りのある外観の割にもちもちやわやわとした食感で実にうまい。なんでも山仕事に入る際に山の神に供えていたといい、即席でこしらえた盤台と杵でこねたことから盤台(ばんでえ)餅と呼ばれるようになったという。いずれも素朴というか、素直で実直なうまさである。

前沢集落を満喫したところで、そろそろ檜枝岐村に向かうことにしよう。歌舞伎の公演時間が近付いていることもあり、バスは昼の便よりも午後の便の方が混みそうな感じである。最悪、椅子に座れないかもしれないなぁと思っていたのだが……。
意外と混んではおらず、余裕で座ることができた
意外と混んではおらず、余裕で座ることができた
乗客は昼の便の半分ほど。どうやら余裕を持って檜枝岐入りする人の方が多いらしい。檜枝岐村には温泉もあるらしいし、早めにチェックインして観光や温泉を済ませ、それからメインとして歌舞伎を楽しむというのが主流のようだ。

バスが若干遅れたこともあり、私が檜枝岐村に着いたのは16時過ぎ。とりあえずお世話になる宿にチェックインし、荷物を置いて村内を軽く散策した。
山間に赤い屋根が連なる檜枝岐村。この見える範囲に村のほぼ全てが集結している
山間に赤い屋根が連なる檜枝岐村。この見える範囲に村のほぼ全てが集結している
17時に宿に戻って早めの夕食を頂いた後、歌舞伎の会場である村の神社に向かう。宿からは少し離れた位置にあるようなので、ご主人の車で送って頂いた。

開場時間は18時。もう少し時間があるので、まださほどの人出ではないだろう。そうタカを括っていたのだが……。
神社の参道には、既に長い行列ができていた
神社の参道には、既に長い行列ができていた
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茅葺の舞台と石積の客席に圧倒される

行列の最後尾に並んで待っていると、やがて会場時間の18時を回ったようで、行列の先が少しずつ参道の奥へと飲み込まれていった。
ノボリが林立する参道をゆっくり進む
ノボリが林立する参道をゆっくり進む
会場は赤緑黒の幕によって覆われていた。おぉ、歌舞伎揚げで見たカラーリングだ
会場は赤緑黒の幕によって覆われていた。おぉ、歌舞伎揚げで見たカラーリングだ
鳥居を潜ったところでウレタンマットを配っていた。これを敷いて座るようである
鳥居を潜ったところでウレタンマットを配っていた。これを敷いて座るようである
促されるままマットを手に取り、そのまま前の人に続いて会場内へと足を踏み入れる。定式幕によって遮られていた視界が開けた途端、目の前に広がった光景に思わず息を飲んだ。

神社の社殿に面して構えられた堂々たる舞台、そしてそれを取り囲む客席を含めた境内の全体が、想像以上に素晴らしいものだったのだ。
屋根がまるでカブトのような形の茅葺舞台。これも凄いが、それ以上に――
屋根がまるでカブトのような形の茅葺舞台。これも凄いが、それ以上に――
ひな壇状に築かれた石積の客席が素晴らしいのだ
ひな壇状に築かれた石積の客席が素晴らしいのだ
人のいない翌日の客席はこんな感じ
人のいない翌日の客席はこんな感じ
右上部の一番高い位置にあるのが村の鎮守社だ
右上部の一番高い位置にあるのが村の鎮守社だ
客席の所々から大木が聳え、なんとも独特な風情である
客席の所々から大木が聳え、なんとも独特な風情である
山の麓に建つ舞台を取り込むように、すり鉢状の斜面に築かれた石積の客席。平地よりも数多くの観客を動員でき(最大収容人数は約1000人と、村の人口よりも遥かに多い)、また半円状の斜面は音が反射して音響効果も高められる。まさに自然の地形を巧みに利用した舞台なのである。

ちなみに当初の舞台は江戸時代に築かれたものの、明治26年(1893年)の大火によって焼失したため、現存する舞台はその数年後に再建されたものだ。地方における農村舞台を代表する貴重な現存例として、舞台と客席を含めた敷地全体が国の重要有形民俗文化財に指定されている。
日暮れが近付き、石段の客席も人で埋まり始めてきた
日暮れが近付き、石段の客席も人で埋まり始めてきた
私もまた石段の片隅に腰を下ろし、公演の時間をわくわくしながら待っていると、何やら舞台の袖で村の青年団らしき男性が半紙を掲げているのが見えた。

墨汁で書かれたその内容を見るに、どうやら寄付した人の名前を貼り出しているようである。いわゆる“花掛け”というやつなのだろう(お祭りや舞台などにおいて祝儀を送る際、かつては花の咲いた枝を添えて渡していたことから、寄付のことを「花を掛ける」と表現するらしい)。
舞台の花道に、“花掛け”をした人々の名前がズラリと並ぶ
舞台の花道に、“花掛け”をした人々の名前がズラリと並ぶ
大部分は村内の人々によるもののようだが、中には福島県外の名前もちらほら見える。金額は1万円や5000円が主流のようだが、中には2000円の人もいた。ふむ、それくらいならば私も出せそうではないか。

檜枝岐歌舞伎の観覧は無料だが、役者の衣装はすべて自前で用意していると聞いた。公演を続けていくには決して少なくない費用が掛かることであろう。というワケで、私もまた寄付をさせて頂くことにした。なぁに、東京で見る歌舞伎のチケット代に比べれれば安いものだ。
せっかくのことでもあるし、微力ながら花を掛けさせて頂いた
せっかくのことでもあるし、微力ながら花を掛けさせて頂いた
本来ならば熨斗袋にでも包んで渡すべきなのだろうが(他の人は皆そうしていた)、花掛けというシステムを知らなかった私は当然ながら用意してはいない。係の女の子に「裸の現金で申し訳ないのですが」と伝えると「全然大丈夫ですよ」と笑顔で受け付けてくれた。

また花掛けをした人には日本酒もしくは手ぬぐい(だったと思うが、違う品物だったかもしれない。なんせ日本酒にしか目がいってなかったもので)のどちらかを選んで貰えるとのことだったので、私はもちろん日本酒を頂戴した。
これが非常に美味なお酒でした
これが非常に美味なお酒でした
稲作ができない檜枝岐村には酒蔵が存在しない。どうやらお隣の南会津町で造ったお酒のようだが、ラベルは檜枝岐のオリジナルだ。すっきりとした味わいながらも甘みを含んだ芳香が鼻の中にふんわりと広がり、これが実にうまい酒であった。

標高1000mの檜枝岐は5月半ばとはいえ日が落ちるとグッと冷え込む。だいぶ寒くなってきたところだったので、体を温めるのにちょうど良い燃料であった。
客席が観客で埋まり、いよいよ檜枝岐歌舞伎の始まりだ
客席が観客で埋まり、いよいよ檜枝岐歌舞伎の始まりだ
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舞台を清める「寿式三番叟」

すっかり日が暮れて19時となり、ついに舞台の幕が開けた。まず最初に演じられるのは「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」という演目である。これは歌舞伎を奉納する前に舞台を清め、公演の無事を祈願する為のもので、どちらかと神事に近い演目なのだそうだ。

ちなみに檜枝岐歌舞伎は写真撮影はOKだが、動画の撮影はNGである。なので公演の様子はすべて写真で紹介させて頂く。
舞台裏から先の尖った烏帽子(剣先烏帽子というらしい)を被った演者が現れた
舞台裏から先の尖った烏帽子(剣先烏帽子というらしい)を被った演者が現れた
祭壇のお神酒を手に、舞台の左右を清める
祭壇のお神酒を手に、舞台の左右を清める
祭壇に向かって深々と礼をし――
祭壇に向かって深々と礼をし――
そして客席に向かって礼をする
そして客席に向かって礼をする
実に男前な青年あるが、後に聞いた話によると演じていたのはなんと中学生なのだという。幼さや拙さをまったく感じさせない、実に堂々とした立ち振る舞いなだけに驚きだ。

演者は下げた頭を起こした思いきや、上半身だけを左右にカクカクと動かす。それはまるでロボットダンスのような不思議な所作であった。

続いて立ち上がると、今度は舞台を左右に歩きながら、声高々に「オオサイアリヤ オオサイ、ヨロコビアリヤ ヨロコビアリ、ワガオモウ コノトコロノヨロコビハ ホカヘハヤラジト オモウ」と唱える。

独特の抑揚で発せられた文言に最初はなんのこっちゃと思ったが、文字に起こしてみると、「大幸ありや大幸、喜びありや喜びあり、我思う、この所の喜びは、他へはやらじと思う」と、なんとなく意味が分かってくる。土地の繁栄を称え、豊穣の永続を願うための祝詞なのだ。

この言葉を皮切りに合いの手とお囃子が始まり、三番叟はさらにリズミカルな舞へと変じていった。演者は舞台を練り歩き、曲に合わせて足を踏み鳴らし、合いの手に合わせてポーズを決める。それを何度も繰り返すのだ。
幾度となく、合いの手と共にポーズを取る
幾度となく、合いの手と共にポーズを取る
クライマックスは祭壇に向かって高く飛び跳ねる「烏跳び」だ
クライマックスは祭壇に向かって高く飛び跳ねる「烏跳び」だ
最後に決めポーズ! 見得を切って三番叟が終わった
最後に決めポーズ! 見得を切って三番叟が終わった
大量の拍手と共に幕が閉じ、舞台を清める三番叟が終了した。さぁ、いよいよ本日の主要演目……と思いきや、その前に偉い方々の祝辞やノボリの贈与式が執り行われた。
まずは檜枝岐村副村長のご挨拶
まずは檜枝岐村副村長のご挨拶
続いて複数の新聞社などから座長にノボリが奉納された
続いて複数の新聞社などから座長にノボリが奉納された
淡々と式が続くそのさなか、ふと誰かがこちらを見ているような視線を感じた。その奇妙な感覚を辿って視界の隅に目をやったその刹那、私は思わず声を上げそうになった。
暗闇に白い顔が浮かんでいるように見えたのだ
暗闇に白い顔が浮かんでいるように見えたのだ
きちんと見ると何のことはない、その正体は女形の歌舞伎役者を描いた書き割りなのだが、しかし首から下の部分がちょうど陰になっていたこともあり、ぱっと見では宙に浮かんだ白い顔がこちらを覗き込んでいるようであった。いやはや、ホント、産毛が逆立つほどに驚いた。

一人でビビっているうちにいつの間にか式典は終わり、舞台には再び幕が下ろされた。その裏側では大急ぎで演目の準備が進められているのだろう、数多くの人々がせわしなく動いている気配がした。
太夫座(三味線の弾き語りをする「義太夫」が詰める部屋)の格子窓から、準備をする人々の姿が垣間見える
太夫座(三味線の弾き語りをする「義太夫」が詰める部屋)の格子窓から、準備をする人々の姿が垣間見える
もう少しで始まりそうだ
もう少しで始まりそうだ
ところで、檜枝岐村は海から遠く離れた山間に位置するのに関わらず、なぜ幕に描かれているのは海辺の松と鶴なのだろう。少々疑問に思ったのだが、その答えは演目が始まるとやがて明らかとなった。
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主要演目「奥州安達ヶ原 文治館の段」

さぁ、いよいよ本日のメインイベント。演じられるのは「奥州安達ヶ原(おうしゅうあだちがはら)文治館(ぶんじやかた)の段」である。

これは平安時代後期に奥州で勃発した「前九年の役」において源義家(みなもとのよしいえ)によって滅ぼされた安倍氏を題材とする物語で、安倍頼時(あべのよりとき)の息子である「貞任(さだとう)」と「宗任(むねとう)」の兄弟が再挙を図るという内容である。

今回はそのうち「善知鳥(うとう)文治」という猟師の家で起きた一幕で、檜枝岐歌舞伎の十八番とのことだ。さぁ、さぁ、始まり、始まりィ。
開幕早々、飄々としたおじいさんが花道に登場した。どうやら庄屋らしい
開幕早々、飄々としたおじいさんが花道に登場した。どうやら庄屋らしい
文治の家に入るや否や、喉が渇いたと急須の茶を飲むが苦くて顔をしかめる。衝立の裏から登場した文治の妻「お谷」が言うに、病弱な子供に与える為の人参(薬)らしい
文治の家に入るや否や、喉が渇いたと急須の茶を飲むが苦くて顔をしかめる。衝立の裏から登場した文治の妻「お谷」が言うに、病弱な子供に与える為の人参(薬)らしい
改めて、庄屋は懐から手紙を取り出すが――
改めて、庄屋は懐から手紙を取り出すが――
お谷は文字が読めないので庄屋に代読を頼むものの、庄屋は手紙を裏返しのまま読もうとしたり、上下さかさまで読もうとしたりとなかなか内容を話そうとしない。実は庄屋もまた文字が読めず、それをなんとかごまかそうとしていたのだ。連続して繰り出される庄屋のボケに、観客から笑い声が漏れる。

伝統芸能というと堅苦しいイメージがあるが、これはまるでコントのようだ。思っていたよりも軽いノリの始まりに会場が沸き、私もまた舞台にぐいぐいと引き込まれていく。

結局のところ、手紙の内容は新しく出たお触れについてであった。なんでも源義家が金札を付けた鶴を放したとのことで、これを殺してはならないというものであった。
庄屋が帰った後、お谷は子供の「千代」に人参を与えようとするが、苦い人参を飲みたくない千代は嫌じゃ嫌じゃと泣き喚く(この子役がとにかくかわいい)
庄屋が帰った後、お谷は子供の「千代」に人参を与えようとするが、苦い人参を飲みたくない千代は嫌じゃ嫌じゃと泣き喚く(この子役がとにかくかわいい)
そこに、いかにも悪そうな風貌の男たちがやってきた。バクチ打ちの「南兵衛(なんべえ)」(右)とその子分だ。文治に貸した金を取り立てにきたのである
そこに、いかにも悪そうな風貌の男たちがやってきた。バクチ打ちの「南兵衛(なんべえ)」(右)とその子分だ。文治に貸した金を取り立てにきたのである
病弱な千代に与えている人参は非常に高価な代物であり、貧しい文治にとって簡単に手に入れられるものではない。人参の購入費用が底を尽いてしまい、ついには借金に手を出してしまったのである。
金が返せないならお前を売ると、お谷を連れ去ろうとしたところに文治が返ってくる
金が返せないならお前を売ると、お谷を連れ去ろうとしたところに文治が返ってくる
文治は借金のカタとして、持っていた金札を南兵衛に渡す
文治は借金のカタとして、持っていた金札を南兵衛に渡す
文治が差し出した金札はたいそうな値打ちモノではあるものの、借金の全額分にはまだ足りない。残りの金もアテがあるので夕方まで待ってくれと文治が頼み込むと、南兵衛は金ができたら起こせと奥の部屋で寝てしまった。

「残りの返済はどうするんだい?」と尋ねるお谷に、文治は「自分は源義家が放った鶴を殺した人間を知っているから、代官にそれを報告して謝礼を貰う」という。
文治がしたためた訴状を持って、お谷は代官所へと向かう
文治がしたためた訴状を持って、お谷は代官所へと向かう
仏間にて祈る文治。千代に「自分がいなくなっても泣くでないぞ」と言い聞かせる
仏間にて祈る文治。千代に「自分がいなくなっても泣くでないぞ」と言い聞かせる
そう、義家が放った鶴を殺したのは、何を隠そう文治自身だったのだ。千代の人参代を工面すべく、ご禁制の鶴を殺して金札を取ったのである。

その時だ。突然、奥の部屋の襖が開いた。そこにいたのは寝ていたはずの南兵衛であるが、その姿はなんと――。
先ほどまでのバクチ打ちではなく、立派な武士に変じていた
先ほどまでのバクチ打ちではなく、立派な武士に変じていた
なんということだろう、南兵衛の正体は安倍貞任だったのだ
なんということだろう、南兵衛の正体は安倍貞任だったのだ
文治は今でこそしがない猟師に身をやつしているものの、かつては安倍頼時に仕える侍であった。そして軽薄なバクチ打ちだと思われていた南兵衛は、その主君の嫡男だったのである。

驚いた文治は平伏すると、実は千代は自分の子ではなく、貞任の弟である宗任から預かった子であると貞任に告白する。

どう見ても悪役であった南兵衛が、実はこの物語「奥州安達ヶ原」の主人公であった。そして千代はそのもう一人の主人公、宗任の子であった。この二つのどんでん返しこそが、「文治館の段」における最大の見どころである。
間もなく何も知らないお谷が帰宅。程なくして役人がやってきた
間もなく何も知らないお谷が帰宅。程なくして役人がやってきた
役人たちはお谷が持参した訴状に従い、文治を鶴殺しの犯人として引っ立てようとする。お谷はそこでようやく訴状に書かれていた犯人は文治本人であったことに気付くのだ。
文字の読めないお谷は、自らの手で夫を告発したことを知り嘆き悲しむ
文字の読めないお谷は、自らの手で夫を告発したことを知り嘆き悲しむ
文治に縄が掛けられると、その光景を見た千代はショックで死んでしまった
文治に縄が掛けられると、その光景を見た千代はショックで死んでしまった
なんとここで千代が突然の死。あまりにあんまりな展開であるが、まぁ、それだけ文治を父親として慕っていたということなのだろう。

それにしても報われないのは文治である。千代の為に借金をして人参を買い、その返済に充てるためご禁制の鶴を殺し、挙句の果てには役人に自分の首を差し出したというのに、肝心の千代は捕縛される自分の姿を見て死んでしまった。努力が水泡に帰すというレベルではない、結果的に家族全員を不幸にしてしまった有様だ。
しかし文治が罪を犯したことには変わらない、役人に連行されるその時だ
しかし文治が罪を犯したことには変わらない、役人に連行されるその時だ
奥の部屋から南兵衛が現れ、鶴を殺したのは自分だと名乗り出た。金札を持ってるのがその証拠である――と
奥の部屋から南兵衛が現れ、鶴を殺したのは自分だと名乗り出た。金札を持ってるのがその証拠である――と
役人は文治と南兵衛の態度に疑問を覚えつつも、結局は確固たる証拠である金札を持っていた南兵衛に縄を掛け変える
役人は文治と南兵衛の態度に疑問を覚えつつも、結局は確固たる証拠である金札を持っていた南兵衛に縄を掛け変える
文治は自害しようとするものの、南兵衛が諭してそれを止めた
文治は自害しようとするものの、南兵衛が諭してそれを止めた
君主の息子である貞任を罪人としてしまい、また宗任から預かっていた千代を死なせてしまったこともあり、文治はその責任を取るべく刀を抜こうとする。

しかし南兵衛はそれを止め、これは宿敵である源義家の元へ向かう為にあえて罪人として連行されるのだという旨を伝える。
南兵衛の意図を悟った文治は、悲願達成を願いつつ南兵衛の懐に短刀を忍ばせる
南兵衛の意図を悟った文治は、悲願達成を願いつつ南兵衛の懐に短刀を忍ばせる
そして手の使えない南兵衛に文治が草履を履かせる。交わらない二人の視線が印象的だ
そして手の使えない南兵衛に文治が草履を履かせる。交わらない二人の視線が印象的だ
最後に大見栄を切って幕引きである
最後に大見栄を切って幕引きである
いやはや、開幕から閉幕まであっという間の75分であった。庄屋とお谷のコミカルな会話から始まり、借金取りとしての南兵衛との緊迫化のあるやり取り。それに続く貞任とのシリアスな展開。言葉遣いは昔のものであるものの、内容は十分に理解ができる。お笑いあり、涙あり、どんでん返しあり。現代の物語にも通じる、これぞ大衆演劇という内容で非常に魅せられた。

ちなみに演じていたのは村人によって構成される伝承団体「千葉之家花駒座」。座員は専業の役者ではなく普段は他の仕事をしており(例えば南兵衛役の方は村役場に勤めているらしい)、公演の前になると集まって練習するそうだ。それにしても実に完成度の高い、見事な歌舞伎であった。

何より素晴らしいのは役者の目線と表情だ。まるで葛飾北斎が描いた役者絵のような男前ながら、どこか哀愁の漂う表情の文治。バクチ打ちの南兵衛が醸し出す悪役としての迫力が、貞任モードでは頼もしい武士の貫録へと変容している。役人は表情を全く変えず、冷徹な役柄が良く出ている。そして圧巻はお谷が手ぬぐいを噛んで泣く姿だ。それまでのお谷は朗らかに笑う明るいキャラなだっただけに、何とも感極まるものがあった。
最後にはカーテンコールの挨拶も。中央の袴姿の男性は義太夫である
最後にはカーテンコールの挨拶も。中央の袴姿の男性は義太夫である
またこれも後で知ったことではあるが、千代役の子役はわずか5歳。文治を演じたのはその実の父親であり、お谷はおばあさんにあたるという。実に三代にも渡る役者さんたちの熱演であった。

地方の伝統芸能はどこも継承者不足が問題になるようだが、檜枝岐歌舞伎はどこ吹く風だ。三番叟を演じた中学生や、千代を演じた子役を始め、着実に若い世代に継承されていることが良く分かる。檜枝岐村は奥まった土地にありながらも若い平均年齢は低いようであるし、そのような若い力が檜枝岐歌舞伎を、そして村を支えていくのでしょうな。

江戸時代から変わらぬ檜枝岐歌舞伎

檜枝岐歌舞伎の特徴は、昔から変わっていないところにあるという。一般的な歌舞伎は時代の変遷や役者の個性によって新しい要素が採り入れられるのに対し、檜枝岐では古典をそのままに口伝し継承してきたという。江戸時代の演じられていたそのままの、最も純粋な歌舞伎と言えるだろう。

娯楽が極めて少ない秘境の村において、見よう見まねで始められた檜枝岐歌舞伎。村人の、村人による、村人の為の娯楽として長らく演じられてきたが、近年は私のような村外からの見学者も増えてきているようだ。農村歌舞伎はかつて日本中のあちらこちらで演じられてきたが、現在も昔ながらの演目を、昔ながらの舞台と客席で見ることができるのは檜枝岐村くらいであろう。

ちなみに檜枝岐歌舞伎の公演は年三回、私が見学した5月12日「愛宕神祭礼奉納歌舞伎」の他、8月18日「鎮守神祭礼奉納歌舞伎」、そして9月の第1土曜日「歌舞伎の夕べ」である。このうち9月の「歌舞伎の夕べ」は神事ではない公演なので三番叟は演じられず、また拝観料が必要とのことである。
公演が終わると即行で撤収が始まった。設営班も実に手慣れたものである
公演が終わると即行で撤収が始まった。設営班も実に手慣れたものである
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