特集 2017年6月18日

土曜午後の半ドンランチ~祖母の洋食は健気の塊~

土曜の半ドンランチに革命を起こした味覇(ウェイパー)さん。
土曜の半ドンランチに革命を起こした味覇(ウェイパー)さん。
午前授業で午後休み、いわゆる半ドン時代を過ごした少年少女だったみなさま!当時のランチっていつもより手抜きだったり特別だったりしませんでしたか?今回は第三弾、そして最終回です。

なんでしょうねぇ、半ドンランチ。驚くほどみんなメニューが似ているのですよ。共通の原風景って、流行した家電やゲーム、街の風景などがあると思うのですが、「土曜のランチ」というドメスティックな場所にまで及ぶものなんですね。最後ということで今回はなるべく多くの投稿を紹介したいので、コメントは控えめでいこうと思います。

※投稿は一部編集しております。ご了承ください!
1984年大阪生まれ。2011~2019年までベトナムでダチョウに乗ったりドリアンを装備してました。今は沖永良部島という島にひきこもってます。(動画インタビュー

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どちらかというとエビ食べたいんとちゃうかな

カップヌードルをおじいちゃんとよく食べていました。

おじいちゃんは黄色の卵が苦手なようで、お湯を入れる前に私の方へ入れてくれたのですが、その代わりに私のエビを取っていき、子どもながらになんかバランスが悪いなあと思っていました(蓋をあけると一面黄色の卵だらけだったので)。
みずうみ
「入れやがった」ではなく「入れてくれた」と書いてあるあたり、おじいちゃんへの愛情を感じます。

地元でないと食べられない半ドンランチ

石巻焼きそばです。

いわゆるご当地焼きそばというものですが、小さい頃、地元のスーパーにはこのあらかじめ茶色い麺の焼きそばしか売っておらず、都会には白い麺で粉のソースをまぶして食べる焼きそば(マルちゃんの焼きそば?)があると知り、憧れていました。

母はこの石巻焼きそばが好きで、土曜日というと、ほぼ必ずこれが出てきました。私は「都会の焼きそばを食べてみたい」と、あまり好んでは食べていませんでした。都会に憧れていた子どもは、石巻焼きそばの美味しさを知る大人になりましたが、食べる度に、土曜日のお昼の味がする…と思います。
あとがけソース
インターネットがなかった時代だからこそ、「都会は~らしい」という状況が成立するんですよね(最近だったらすみません!)。まぶして食べる焼きそばが好きではなかった私は、むしろ石巻焼きそばが気になります。

分かっちゃいるけど字面がすごい

土曜の昼は出前。祖父は冷やし中華(年中)、祖母と叔母がラーメン、母はやきそば、自分はチャーハンを飼い犬と分け合って食べました。

飼い犬の分は白飯を混ぜて味を薄めるのが家の決まりで、冷や飯とチャーハンがなかなか混ざらず待ちきれない犬がお皿をひっくり返すなんてよくありました。

チャーハンの後はヤクルトのソフールヨーグルトをやはり飼い犬と半分こするのですが、犬の喜ぶ姿を見たくて丸ごとあげて、よく怒られました。
さちこ
私が一瞬想像した風景とは絶対に違うのでしょうが、「自分はチャーハンを飼い犬と分け合って食べました」のパンチ力がすごいです。言葉のボディブローいただきました。

その食べ方はこち亀で見た

実家は商店をしていたので忙しく、たいてい朝御飯の残りのみそ汁と近所のお肉やさんのコロッケかメンチでした。

祖父がいつもソースを豪快すぎるほど豪快にかけるので祖母に叱られていたのを思い出します。
パチリパンダ
祖父祖母かわいいな。

あの夏に帰りたい

土曜日は吉本新喜劇に間に合うべく田んぼ(シーズンオフのみ)の中を駆け抜け家までの道をショートカットしていました。 ちなみに東海地方です。

土曜お昼の定番といえば、日清焼そばです。我が家の日清焼そばは、フライパンに水を沸かし麺をほぐし粉ソースをかけ絡めるまでは同じですが、そこに溶き卵を入れ麺にぐわーっと絡めます。すると、ぼったぼたの塊みたいな焼そばが出来上がるのですが、これが美味しいんです。

料理が不得意な祖母が考案し、受け継がれているレシピです。
はな
夏に恋焦がれる情景描写ですな~! ユーミンか井上陽水に歌詞を書いてほしいです。「料理が不得意な祖母が考案」という、矛盾しているようで矛盾していない表現が素敵です。これぞまさしくきたなうまい自炊ですね。

21世紀の半ドンランチ

2000年生まれですが、私立の中学だったので土曜も授業がありました。

昼ごはんは基本家にひとりで(父が弟の習い事、母がパートだった)よく白ご飯の上に納豆2パック、生卵を乗せてマヨネーズをかけて食べてました。

ひとりで作ってゆっくり食べるのがやたら嬉しかったのを覚えてます。
百瀬
ひとりで食べることが嬉しい、なんとなく分かります。近くのスーパーへ行って好きな惣菜を(お金以外の)制限なく選び倒せるあのよろこび!…それも高校くらいまでで、実家を出てかつ日本にいない今となっては、帰省中はなるべく母につくってほしいし、母もつくりたがってくれますが。そして、なにげに17歳の方でも半ドンランチを経験したということ、これは半ドンランチ界においては吉報ですね。あるのかそれ。

わたしたちのロビンソン

91年度生まれです。土曜のお昼はチャーハンかサッポロ一番味噌ラーメンでした。

食べ終わって時間があれば、ロビンソン百貨店というデパートに家族で出かけたり。土曜授業と同じ頃にロビンソンもなくなり、どちらも懐かしく思います。
デパ地下楽しい
ロビンソンと聞くと私にとってはスピッツの曲名ですが、人にはそれぞれまるで意味の違う言葉になるってありますよね。何よりその単語の概念が懐かしい。

にしてもサッポロ一番の人気がすごい

サッポロ一番◯◯ラーメン。母親の気分によって味は変わるが、具はたまご(溶いたやつ)オンリー。

友達(お金持ち)の家でもお昼はインスタントラーメンと聞き『金持ちも食べるんだなー』と親しみを覚えたのに、トッピングが木梨憲武さんのコマーシャルレベルで途端に冷めた。
みーたん
金持ちでも見栄は張りますよ!分かりません、分かりません。金持ちと言えば、そんな友達の家に行ったときにサソリの剥製が置いてあって、「やっぱり剥製置いてあるんだなー」と妙に納得したことがあります。

ちゃんとした生活

半ドンの日はいつも朝食の残りものを再利用したものでした。

うちは父が主夫なので、父が残った味噌汁とガス釜で炊いたご飯を温めて、冷凍庫にある干物を焼いて出してくれました。今思うととても豊かな昼飯でした。

テレビは付けず、父との会話を楽しみつつ食べてました。
すなだ
ただただ、いい。

家の日当たりは大事だと思った

土曜のお昼はいつも「じゃこ天」とごはんだけでした。じゃこ天は魚のすり身を揚げたものです。さつま揚げのようなものですが甘みはありません。それを焼いて醤油をかけて食べます。

子供ながらに寂しい食事だなぁと思ってました。当時小学1年。母がお店をやっていたのでじゃこ天は売り物から取ってきます。お昼の明るい光の中で姉とちゃぶ台に向かい合って食べてた景色が今でも思い出されます。
きみどり
これも、いい。

ウェイパー・レボリューション

半ドンの手抜きランチ。関西だったので焼き飯が定番でした。昔の我が家の焼き飯は塩味でネギと卵とポールウィンナーの輪切りが入っているシンプルなものだったのですが、ウェイパー(調味料)が登場してからはお店のチャーハンのような味の焼き飯が出てくるようになりました。まれに、祖母が焼き飯を作ってくれることがあり、それはなぜかお金持ち風の味がするので、なぜだろうと母に聞いたら「バターで炒めてるからやろ」と言ってました。明治生まれの祖母は「バター=栄養食」と思っており、炒め物のときは必ずバターを使っていたようです。
ラムネの玉やん
お、同志!ウェイパーってほんと半ドンランチ界におけるの英雄ですよね!祖母世代の「バター=栄養食」説、なんとなく理解はできます。上に世代になるほど「これはええもんや」という思いがすごい強いんですよね。今は情報が溢れすぎて良し悪しがコロコロと変わるので、迷わないという意味では良い時代を過ごしたのかもしれません。

土曜の午後には怠惰らしさがある

半ドンは「冷凍チャーハンと牛乳」か「ケンミンの焼きビーフンと牛乳」を食べながら、テレビチャンピオンを観るのが恒例でした。

学校から家が近かったため走って帰ると番組の最初の方から観れるので、頑張ってダッシュした記憶があります。たまにカップ麺が出されるとテンション上がりました。

そのままテレビを見続けてダラダラと次の土曜ワイド劇場までみてしまうこともあって、気付くとあっという間に夕方になってたなぁ。半ドンの午後はちょっと背徳感があって、楽しかったですね。
みみみ
ランチのときのテレビ、TVチャンピオンもあったなぁ~。私はランチ後、ひたすらゲームをやっていました。それは背徳感を覚えなかったけど、夕食を食べたあとにこっそり続けるゲームは境地に至ってましたね。今考えてみると、要は見つかったら怒られるかどうか次第ってことだと思います。

ひと思いにやったげて!

チャーハンです。エビチャーハン。エビフライの衣を外して、中のエビを刻んで炒めたチャーハンです。

実家が寺で、法事のお斎(お昼ご飯)で余ったエビフライを再利用してました。いま思うと贅沢なご飯でした。
モト
贅沢です!エビフライを揚げている弁当屋も、まさか付けた衣が再び剥がされて炒められるとは思うまい。

そうして人は失敗と成長を繰り返す

土曜の午後というと500円が置いてあって近所のサンチェーン(現ローソン)にお昼ご飯を買いに行っていた思い出があります。

いつもは適当に買ってお釣りをおこずかいとして貯めていたのですが、ある日肉まんのセールをやっていたので「肉まんを思いっきり食べてみたい!」と五個ほど買って食べて気持ち悪くなってから、数年コンビニの肉まんが食べられなくなってしまいました。
こんぶり
当たり前です!

自分の手でつくらせましょう。そう、具なし焼きそばを。

半ドンの日のお昼は、焼きそばです。

給食の焼きそばの水っぽさにイライラし、土曜のお昼に自分で作りました。いかに無駄な水分を無くすかということを考え、具なしが一番美味いという結果になりました。親はキャベツをしきりに勧めてきましたが無視。

息子が今、休日のお昼に具なし焼きそばをリクエストしてきます。キャベツを入れたいです。
フク
「親の心子知らず」のお手本的な用例です。

校区の親としては楽でラッキーか

半ドンの時代、土曜は簡易給食が出ていました。基本は給食センターで火を使わない食べ物。パック入りのおにぎり+プチトマト+オレンジ+サンマのホイル焼き+牛乳、食パン+ハム+チーズ+レタス+ぶどう+牛乳などといった献立でした。

通常の給食とは違うメニューを楽しみにしていましたが、第二土曜が休みになると同時に廃止。家に帰って母の作った野菜たっぷりでスープの薄い袋麺を弟と二人で食べていました。
ケメ子
へー!簡易給食なんてあったのか!後者のメニューがベトナム航空の朝の機内食にちょっと似てる。

バイキングっぽい

我が家の半ドンランチの定番は、じゃがいもを丸のまんま塩ゆでしたものを大鍋でそのまま食卓にドーン!+塩鯖の焼魚でした。

北海道(道南)なもので、じゃがいもは大きい紙袋入りのモノをどーんと買ってある保存食なのです。じゃがいもには各々好きなトッピングを乗せて食べます。バターとか塩辛とか。余ったら潰して片栗粉をいれて”いもだんご”にして冷凍庫行き。こんがり焼いて食べたり、味噌汁の具になったりします。
チェレスタ
じゃがいもが保存食とは、さすがの北海道…!私からするとどう見ても酒飲みのつまみです。

白濁したラーメンを思い浮かべる

!
母がパートでヤクルトおばさんしてたので、土曜はかなりの高確率でヤクルトラーメンでした。

知ってる人が少なくて、この話になると必ずヤクルトラーメンとは、というところから始めなければならないのでここにも画像を貼りつつ簡単に説明すると、クロレラ入りなので麺が緑なんです。我が家では卵と長ネギ入りがデフォルトでした。
とものおと
ラーメンにヤクルト!!?と思ったら、ヤクルト社のラーメンと。乳製品や健康食品が主力の中でなぜにラーメン。段々と気になってきました。

幸せって、こう。

母子家庭で貧乏だった上に、ガスを使うことは禁じられていたので、お腹が空いたお昼には醤油ご飯を食べていました。妹は塩ご飯の方が好きでしたね。空腹が満たされていくと自然に「おいしいね。」と笑顔になったものです。

たまに、冷蔵庫にカニカマなどという高級品を見つけると、1本を2人で半分こして食べることも。

その後は、それぞれの友達と遊んでから夜の6時頃にはパートから帰ってくる母を兄妹2人でバス停まで迎えに行っていました。ちなみに当然、お菓子類などもあるわけがないので、甘いものが食べたくなった時は、砂糖水か肝油ドロップを少しずつ舐めていました。
まーぼー
「おいしいね」という言葉にグッときました、大切なエピソードをありがとうございます。

ステーキが食べたい子どもは今すぐナイフとフォークを

土曜のお昼といえばねぎ焼きでした!

そんな予定なんてないのに、いつか高級レストランでステーキを食べる日のために練習しておこうとナイフとフォークで毎週吉本新喜劇を見ながら食べていました。

ところが、後日神戸のオリエンタルホテルで本当のステーキを食べる機会に恵まれました!練習の成果を出すことができ、すっかり気を良くしてその後も毎週ナイフとフォークで食べ、鍛錬に励んでいましたがステーキは大人になるまで食べれませんでした。懐かしい~。
ないてぃー
なんだそれかわいいな。経緯は分からないけど、親としては奮発してもステーキを食べさせたくもなりますよね。

目にも留まらぬラップはずし

だいたいラーメンでした。両親が共働きなので自宅の隣にある祖父母の家に帰り、二軒隣のラーメン屋から出前をとっていました。

どんぶりに輪ゴムでとめてあるラップを、素早く汁も飛ばさず完璧にとっていた祖母の姿を覚えています。でもそのラーメン屋は味がよく変わるので、うまい日もあればまずい日もありました。
ラーメン消費量日本一の県民
祖母が凄腕のアサシンっぽくっておもしろいと思いました。

贅沢って大人にならないと分かりづらい

土曜の昼といえば、うなぎでした。

母の出身地で鰻の養殖が盛んなため、何かにつけ鰻が送られてきていたように思います。白焼きの鰻をタレで煮るという、邪道な調理法で出されてました。うまかったです。

大学入学で上京してはじめて、鰻の価値を知りました。それまでは、土曜の雑なご飯という印象しかなかったよ、ごめん。大人になった今、お店で食べるうな重はもちろん好きですが、たまにあの雑なうな煮が食べたくなります。
伽藍ハイツ
親の出身によってはそんなことあるんだ!すごいなー。でも確かに父の実家が米農家だったので、まるで種類の違うタイ米とのブレンドが出回ったほどの米不足のときもまともに米は食べられていたなと。

いろんな育て方があるんだなって

実家が半ばボランティアに近い託児所をしていました。『7歳までは神のうち』(子供は7歳までは天から預かった生き物なので人語を解さない、よって全てにおいて自由。その代わり、7歳過ぎて「人間」になってからのしつけの厳しさたるやハンパない)という独自過ぎる教育方針を展開。

土曜の昼、学校から帰ると、我が家の食卓では天からの預かりものが仁王立ちで素麺を手掴みで食し、その周りに正座で見事に箸を扱う7歳以上の子供達、という異様な光景がデフォルトでした。
八木山第二動物園
独自…過ぎますね!みんな、7歳の誕生日がトラウマになりませんか!?

全力で子どもと遊ぶお父さんってほんと素敵

公務員で土日は確実に休みだった父による焼きそばです。

3人家族ですが、麺は2玉。理由は具がものすごく多かったからです。キャベツ、玉ねぎ、人参、もやし、しいたけ、ピーマン、豚バラなど。具と麺の割合が1:1くらいでした。当然それだと添付の粉末ソースでは味が薄いので醤油を足していました。

月に一度は昼食後に父が買ってきてくれている当時購読していた少女コミックの最新号が家のどこかに隠しているのを探す時間がありました。凝り性の父がワープロで作った迷路やパズルなどに暗号が隠されていたりして、とても楽しかったです。
田中
愛されてるなぁ………。うちは両親共働きだったので、似たようなことを兄妹三人でずっとやってました。

ものを入れた方が煙は出る気もするが

小学生の頃は両親が共働きでしたので、土曜の昼はよく兄とインスタントラーメンなどを作っていました。

ある土曜にラーメンを作ろうとしたものの、時計がなく、時間が計れません。折しも母が電子レンジを購入したばかりでしたので、これをタイマー代わりにしようと、何もいれずに3分間にセットしてスタート。

数分後……何も入れなかったせいでしょうか、レンジが煙を吹き始めたので、慌ててタイマーを止めました。そのレンジは現在でも現役で活躍していますが、そろそろ時効でしょうから、この夏の盆休みに帰省したとき、母に真相を打ち明けようかと考えています。
ぽめやそ
電気代掛かるタイマーだな…!でも煙を吹きはじめたって、何かの欠片が残っていたんではないでしょうか。そうでなければその電子レンジ、危なすぎるだろ。私も中学の頃、深夜に受験勉強をしているときにビーフジャーキーをライターで炙って食べていたんですが(煙草は吸ってません)、一瞬ボッと燃えてかなり焦ったことがあります。火や熱関係はほんと気をつけよう!死ぬからね。

コンビニおにぎりがない時代もあったのです

今考えるとさっぱり理解できないのですが、当時の自分の昼飯ヒエラルキーは下から、そば、うどん、焼きそば、袋ラーメン、スパゲッティという順でした(スパゲッティはナポリタンかミートソースかです)。

そんなところにうちの町に初・コンビニができて、作る暇がないからと母が買ってきたコンビニおにぎりをはじめて食べたときの衝撃。お昼がコンビニおにぎり。今だとわりとわびしい感が漂うのですが当時の自分には文明だった。
文太郎
そこまで明確に順位付けしている背景が気になります。コンビニおにぎり革命はとっても分かる。私もはじめて口にしたときは「なんですかこれは!」って思ったなぁ。

落語の小噺でありそうだ

学校からの帰り道、ラーメン屋さんの良いにおいを嗅ぎながら帰って、焼き豚チャーハンを食べてました。
匿名希望
贅沢じゃないのに贅沢に聴こえる。

親と子の「味をしめる」は全然違う

我が家は子供が一度でもおいしいと言った手抜きメニューがあれば、ひたすらそれのみが毎週(夏休みなら毎日)出てくる家でした。

小学校低学年の頃、手作りのピザトーストを「おいしい」と言ったばかりに、その後まずいレトルトのピザトーストが出され続け、そのまま夏休みに突入したのは今でも忘れられない思い出です。それから4,5年はピザすら大っ嫌いでした。
膝(ひじ)
うちの母親も私たち兄妹がおいしいと言うと、なるべくそのメニューで攻めてきてくれました。ベシャメルソースからつくってくれるホワイトシチューが好きだったんですが、いつからか市販のルーを使うようになり、「メニューは好きなんだけど、今さらこれは違うとも言いづらい…」と思いながら食べていたことを思い出しました。

何があったら「壁の穴」って名前が付くんだろ

半ドンランチ。土曜の昼は、父親が「壁の穴いくぞ」と誘ってくれます。当時たらこスパゲティのランチ500円。父と娘の会話は少なく、それでも「たらこスパ」の誘惑にまけて父についていったものです。
うくれれーの
ネズミの親子っぽい会話。>壁の穴いくぞ

母の味が弁当として継がれていくっていいですね

中学のころ野球部だったので土曜日は授業終わりで教室でお弁当をたべてから夕方まで練習でした。

母が作ってくれるお弁当はいつも、おにぎり5個(米2合分)、から揚げ、フライドポテト、ニンジンのグラッセ、エビチリが定番で入っていて、ほぼ毎週同じラインナップ。でもお弁当は週一回なのであんまり飽きずに、毎週食べてました。

今会社に自分で作ったお弁当を持っていきますが、何も考えてないと上記のラインナップで作ってしまいます。自分が作っていたわけでもないのに…。
iwayoh
弁当のラインナップが次世代に継がれてるって、いいですね!日本のお弁当って、和洋中混じってるところがいいんだよなぁ。あれだけおかずが色とりどりなのは、日本のお弁当ならではです。

友達の母の失敗はアンタッチャブル

幼馴染の家でご馳走になった半ドンランチがラーメンだったのですが、幼馴染のお母さんに「るぅちゃんご飯もいる?水加減失敗してお粥になっちゃったんだけど」と訊かれてどうにも断りきれずラーメンとお粥を食べたのが記憶に残っています。炊飯器でどうやったら水加減を間違えるのか未だに不思議です。
るぅ
ラーメンとご飯の組み合わせは炭水化物的な背徳感がすごいながらも食感が違うから成立すると思うのですが、それが似てしまった日には何が何だかよく分からないですね。でも、「お前の母ちゃんデベソ」や「ファッ●ン・マザー」という言葉が存在するあたり、友達の親の失敗は見なかったことにしておいた方がこの世は平和な気がします。

祖母の洋食は健気の塊

祖母が作ったサンドイッチ。小さく切ってあり具は卵かツナ。

具が水っぽく薄味で、食パンはパサパサでまずかった。それを牛乳で流し込んでいた。なぜオイル漬けのツナが水っぽかったのだろうか。ゆすいででもいたのか?

たまに食べたくなるが、祖母が亡くなった今、私では再現できない。祖母の、洋食の食体験の少なさが作らせたサンドイッチだったのだろう。
宿無し
ここまで来て気付きましたが、祖母の洋食は健気の塊です。

数は減ったかもしれないものの…半ドンランチは永遠です!

ここまで全部読まれた方、すごいです。ありがとうございます。半ドンランチ、メニューは似たもの(おもにチャーハンや麺類などの炭水化物)に偏っていくのですが、エピソードは本当にいろいろとあって、笑えるものから泣けるものまで堪能させていただきました。学校の週休二日制が当たり前になった現代、半ドンランチは懐かしむものだと思っていましたが、21世紀でも半ドンランチは存在することに希望(?)の灯りを付けてもらったなと思います。

さぁ、次の土曜は懐かしい半ドンランチをつくってみようではありませんか!
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