特集 2017年8月30日

教科書でみたあの『輪中』へ行く

輪中について
輪中について
おりにふれて輪中のことをおもいだす。

輪中とは、愛知、岐阜、三重の県境が交わり、木曽川、長良川、揖斐川の合流地点にある集落のことだ。

このたび、ついに念願かなって輪中を見に行くことができた。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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記憶の彼方にある輪中のこと

輪中のことをおぼえているひとはどれぐらいいるだろうか。

小学校の社会科、たしか4年か5年のころだと思う。

輪中は、周りを堤防で囲まれた川の中州で、周りの水位より地面の高さが低く、むかしから水害への対策がとられてきた集落の見本ということで授業に出てきた。

輪中では、水害に備えて家を石垣で高くし、軒下には浸水した時のための小舟を吊るし、水浸しになって孤立してもしばらくはしのげるように食料を貯蔵する蔵が作られている……というふうに習った記憶がある。

当時、水位より地面のほうが低いということが信じられず、いったいどういうことなのか、ものすごく印象に残ったまま、月日はすぎた。

長島駅にやってきた
長島駅にやってきた
名古屋から電車に乗って、三重県桑名市長島町の長島駅にやってきた。

この長島町には「輪中の郷」という輪中をテーマにした資料館があるということなので、そこに行くことにした。
長島駅は、JRと近鉄にそれぞれ駅があり、ごく至近距離にある。こちらはJRの長島駅。JRの方が駅が粗末
長島駅は、JRと近鉄にそれぞれ駅があり、ごく至近距離にある。こちらはJRの長島駅。JRの方が駅が粗末
めちゃめちゃ暑い日でした
めちゃめちゃ暑い日でした
見渡す限りの田園風景。

ここは辺り一面、川の水面よりも地面が低い。
海抜マイナス1メートル
海抜マイナス1メートル
きっちり区画された田んぼをトボトボと歩く。

点在する民家を見てみると、たしかに石垣で1メートルから2メートル程度は高い場所に家屋が建てられている。
石垣だ
石垣だ
これだ、たしかに教科書でみた輪中の民家はこんなだった。教科書の中でしかみたことなかった輪中がいまここにある。これはもはや観光といって差し支えない。

次は、軒下に吊り下げられた小舟がみたい。
軒下を探すが……
軒下を探すが……
うーん。これは違うな……
うーん。これは違うな……
軒下に吊り下げられた小舟は……見つけられなかった。

長島町には、教科書通りの石垣を備えた家も多いが、新しめの住宅は、郵便受けの名字がローマ字みたいな家が多く、石垣も無い。ましてや、舟なんかない。
新しめの家は石垣とかはない
新しめの家は石垣とかはない
あれほど水害対策に余念のなかった輪中なのに、大丈夫なのだろうか?

堤防などの治水が進み、水害の頻度が低くなったため、石垣のような水害対策をしなくても大丈夫。ということであれば、杞憂でいいのだけれど。

そんなことを考えつつ、炎天下を40分ほどかけて輪中の郷へ到着した。
輪中の郷についた
輪中の郷についた

輪中でひとつの自治体

長島町は現在、桑名市の一部となっているものの、合併前はひとつの輪中でひとつの町を形成する地方自治体だった。

ぼくは、他と切り離されて存在する自治体というものになんともいえないロマンを感じてしまう。

昨年は、ひとつの飛地でひとつの自治体を形成する和歌山県の北山村に行ったが、今年は長島町である。
といっても、長島町はすでに地方自治体ではないのだけれど。

輪中の郷ではそんな長島町と輪中についてのおさらいができる場所であった。
濃尾平野のほとんどが海だった
濃尾平野のほとんどが海だった
大昔の濃尾平野は、ほとんどが海で、大垣や岐阜のすぐ南まで海がせまっていたらしい。

長島の名前は平安時代の頃には文献に登場するが、そのころは、川の中に幾つもの輪中が浮かんでいたらしい。
室町時代の長島周辺
室町時代の長島周辺
さしずめ、ドバイの海に浮かぶ「ザ・ワールド」のようでもある。

ただ、むこうは金持ちが道楽で島に住んでるだけかもしれないけれど、こっちはマジだ。水害対策を怠ると、死ぬ。だから、マジである。

時代は進み、幾つもあった輪中は次第に合体して大きくなってきた。室町時代の古地図を見比べてみると、その様子がよくわかる。
輪中の中に点在する凸と卍マークが気になる
輪中の中に点在する凸と卍マークが気になる
揖斐川、木曽川、長良川の3つの川が合流するこのあたりは、古来より東西交通の要衝であり、軍事的にもかなり重要な場所だった。
その長島に、室町時代末期に一向宗が願証寺という寺を建て、門徒をふやし、地元の有力者を取り込み、完全にこの地域を支配するに至った。
地図に、城のマーク(凸)や、卍の寺のマークが書かれているのはそのせいだ。
当時の一向宗は、武装していたため、織田信長に何度も攻められ、最終的に、織田信長によって女子供含むたくさんの人達が虐殺された……。

というところまでが事前知識としての長島一向一揆の話だ。

この「長島一向一揆」については、遠い昔の戦の話……程度にしか思っていなかったのだが、資料館では意外と長島一向一揆に関する資料が多く、さらに、学習ビデオまで準備されている念の入れよう。
スイッチを押すと「一向一揆」がはじまる
スイッチを押すと「一向一揆」がはじまる
ズジャーン! 織田信長の長島攻め! 長島が受け、信長が攻め。ということになるようだ
ズジャーン! 織田信長の長島攻め! 長島が受け、信長が攻め。ということになるようだ
さらに、館内には長島町が制作した、市原悦子主演の長島一向一揆オリジナル映画まであった。

この熱の入れようはいったいなんなのか。

長島町は、いまだに信長を許していないようだ。

ほんものの水屋をみたい

この資料館は、長島町の歴史のみならず、輪中のできかた、輪中特有の暮らしなどを体験できるようになっている。
輪中の暮らしぶり
輪中の暮らしぶり
堀田と呼ばれる形式の田んぼ。現在は圃場整備がすすみ、このような田んぼはなくなった
堀田と呼ばれる形式の田んぼ。現在は圃場整備がすすみ、このような田んぼはなくなった
教科書に載っていた、水害対策用の蔵である「水屋」も、もちろん展示してあった。
これがあの水屋……分解されとるな
これがあの水屋……分解されとるな
展示されている水屋は、実際に長島町に建てられていたものを移築したものだが、一部が取り外され、中が透けて見えるようにされた状態だった。まるでウルトラ怪獣図鑑である。

これも、たしかに水屋だけれど、やはりどうしても展示されている感はある。

実際に使われているとまではいわなくても、まるごとそのまま保存されているようなものは無いものだろうか?

資料館の人に話を聞いてみたところ、木曽三川公園には、輪中の民家がそのまま残されており、水屋もそのまま保存されているという。さらに、軒下の舟もあるという。

それならそうとはやく言ってほしい(下調べしない自分がわるい)。

木曽三川公園へ行く

木曽三川公園にやってきた
木曽三川公園にやってきた
木曽三川公園は、ちょうど岐阜、愛知、三重の三県境にある国営の公園だ。特に、岐阜県にとっては、県でいちばん南にある場所といってもよい。
岐阜県は、海に接していない内陸県ではあるけれど、ここから海までは10キロほどしか離れていない。
向こう側が海
向こう側が海
せっかくなので、まずは展望台に登って、川をながめてみる。岐阜、愛知、三重の三県境は、ちょうど川の上で行くこともままならない。

川の真ん中に伸びる緑の道は江戸時代に作られた堤防で、この堤防を作るにあたり、鹿児島の薩摩藩が工事を請け負い、多数の犠牲者を出しながらも完成させたものだ。
犠牲者をまつる神社
犠牲者をまつる神社
これは、宝暦治水事件とよばれており、有名な話なのだけれど、今回は端折らせていただく。

本物の水屋だ~

輪中の民家をそのまま保存した場所は木曽三川公園の一角にある。
おぉ、これが夢にまでみた「輪中の民家」か
おぉ、これが夢にまでみた「輪中の民家」か
上げ舟
上げ舟
あったー。船だー
あったー。船だー
軒下の舟だ。これだ。これを見たかったのだ。

ちなみに、看板に描いてある「舟つなぎ柿」というのは、洪水の時に船をつなぐための柿の木のことで、農家では必ず植えていたという。

これは教科書には書いてなかった。

教科書で見たやつ、教科書には書いてなかったこと。それらが渾然一体となって情報として入ってくる。

まさに、観光のおもしろさである。

ちなみに、この民家は中も見学できるのだが、中に不釣り合いなほど立派な仏壇が突然置いてあった。
後ろのロープはなんなのか?
後ろのロープはなんなのか?
じつはこの仏壇、洪水のさいには浸水から守るため、滑車を使い、後ろに結わえ付けたロープで上にひっぱりあげるしくみになっているという。
仏壇のために、そんなサンダーバードみたいなことまでするか、という嘆息しかもれない。
これも実際に見に来なければわからなかった教科書に書いてないことだ。

水屋はちょっと住みたい

これがあの水屋
これがあの水屋
水屋は、母屋よりもさらに高い場所に設けられており、狭いながらも、一通りの生活ができるようになっている。
床の間まである居室
床の間まである居室
食料が貯蔵されている
食料が貯蔵されている
まるごとそのまま保存されている水屋は、おもいのほか広く、家族5人ぐらいだったら、暮らせるのでは? というきもする。

なんなら、ぼくが仕事場として借りたいぐらいである。借りないけど。

いままで言葉としてしか知らなかった「水屋」を、こうやって実際に目の当たりにしてみることにより、教科書ってホントのこと書いてあるんだな。というおもいが強くなった。

そもそも輪中ってみんな習ったのか?

さて、小学生の頃にならった輪中に行き、ぼくひとりが、ひとしきり感動したわけだけど、そもそも輪中ってみんな習ったことなのだろうか?

小学校で使う教科書はいくつも種類があり、学校ごとに使う教科書が違うのはごぞんじの通りだ。

そこで、曖昧な記憶を確かめるべく、江東区にある教科書図書館に出向き、ぼくが子供の頃の社会科の教科書をざっと調べてみた。

たしか、社会科は東京書籍だったはずだ。
見覚えがあるぞ(『新しい社会4下』東京書籍株式会社)
見覚えがあるぞ(『新しい社会4下』東京書籍株式会社)
そう、こんな表紙だったような気がする。
おぉ、水屋だ! (『新しい社会4下』東京書籍株式会社)
おぉ、水屋だ! (『新しい社会4下』東京書籍株式会社)
おぉ……記憶の片隅にあった水屋のイメージ。これだ。
おぉ「ほり田」はまだ現役だ (『新しい社会4下』東京書籍株式会社)
おぉ「ほり田」はまだ現役だ (『新しい社会4下』東京書籍株式会社)
たしかに、これだ。ぼくの輪中のイメージはまさにこの教科書だ。

この教科書があったからこそのぼくの輪中である。

さて、最近はどんなふうに輪中を習っているのだろうか?

表紙のパソコンが古い (『新しい社会4下』東京書籍)
表紙のパソコンが古い (『新しい社会4下』東京書籍)
あー、ドラえもんだー。(『新訂 新しい社会4下』東京書籍株式会社)
あー、ドラえもんだー。(『新訂 新しい社会4下』東京書籍株式会社)
まず、きになるのは、文章の向きだ。すべて横書きになっている。横書きになると一気にあか抜ける感じがする。

そして、ドラえもんだ。のび太、静香、ドラえもんが、輪中について教えてくれる。 うらやましすぎる……と思ったけれど、ぼくならドラえもんの頭に髪の毛を足したりして授業に集中しなかった可能性がある。

さらに、もっと最近の最新の社会科の教科書では、すでに輪中のことはあまり取り上げなくなっており、東京書籍のものだと、平成13年ごろの教科書から、輪中については習わなくなっているようだった。

ほかの教科書はどうか?

東京書籍では輪中についてがっつり学習していたけれども、ほかの教科書はどうだろうか?

北海道でシェアの高い教育出版。
教育出版の「社会」(『社会 4下』 教育出版)
教育出版の「社会」(『社会 4下』 教育出版)
福岡県筑後地方だ(『社会 4下』 教育出版)
福岡県筑後地方だ(『社会 4下』 教育出版)
「低い土地のくらし」という単元では輪中ではなく、福岡県の柳川市周辺のことを勉強している。

続いては、現在は社会科の教科書は作っていない学校図書
学校図書の教科書。これを使ってたひとはかなりレアなケースかもしれない(『小学校社会4下』学校図書株式会社)
学校図書の教科書。これを使ってたひとはかなりレアなケースかもしれない(『小学校社会4下』学校図書株式会社)
江東区だ!(『小学校社会4下』学校図書株式会社)
江東区だ!(『小学校社会4下』学校図書株式会社)
学校図書の社会科では、東京都江戸川区の海抜0メートル地帯をとりあげている。

江戸川区らしく、金魚の養殖や、小松菜の栽培など「低地のくらし」っぽい話のポイントは抑えているのが面白い。
江戸川区! 確かに土地が低い!(『小学校社会4下』学校図書株式会社)
江戸川区! 確かに土地が低い!(『小学校社会4下』学校図書株式会社)
以上、主な教科書をざっと見てみたところ、昭和末期から平成なかごろにかけて、輪中はけっこう教科書に取り上げられていたけれど、最近は、習わないことも多い、ということがわかった。

教科書観光たのしい

知っていることや、本やテレビで何回もみたことがあるものを実際に見に行くというのはけっこうたのしい。

輪中だけでなく、歴史で習った金印や、古墳などを、おとなになってから見に行くのは、社会科の授業が役に立つ瞬間である。

社会科をまじめに勉強すると、旅行が楽しくなる。
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