特集 2018年2月13日

50年前に2万人の移住で九州文化が大流入! 千葉県君津市はまだ少し九州だった

50年前の姿の北九州ラーメンを食べるなら、九州より君津へ
50年前の姿の北九州ラーメンを食べるなら、九州より君津へ
僕は千葉県出身なのだが、そんな地元民の間でも地味な扱いの「君津市」。しかし、この君津は全国まれに見る大移住があった。

1960年代後半に八幡製鉄(のちの新日鉄)が君津に大規模な新工場を完成、工員やその家族などおよそ2万人もの北九州人がやってきた、日本史上にも残る「民族大移動」。

君津ではもっぱら北九州の方言が使われ、九州料理が出すお店がたくさん登場し、九州カルチャーが街を占拠した。当時、君津は九州だったのだ。

しかし、今は移住が本格化したときから50年も経った。そんな「リトル福岡」の今はどうなっているのかをこの目で確かめたい。

僕はバスタ新宿から1470円の高速バスで、アクアラインから房総半島を目指した。
ライター、番組リサーチャー。打率210 本塁打0 打点3ぐらいの人生ですが、いつかはホームランを打ちたい。好きな即席麺はサッポロ一番みそラーメン。そのほか卓球、競馬、ローカルフードが好き。

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お年寄りの姿が目立つ駅

通路が非常に長い君津駅
通路が非常に長い君津駅
とうとうやってきた君津。高齢化社会が浸透した2018年における地方らしく、駅とそのまわりを行き交う通行人はお年寄りが目立つ。

ただ、駅の傍らには2013年に日本選手権で優勝した野球チーム「新日鐵住金かずさマジック」のポスターがあり、「ここは新日鉄の街だ」と思わせる。
街の期待を一身に集める強豪チーム・かずさマジック
街の期待を一身に集める強豪チーム・かずさマジック

大和田団地でセンチメンタルになる

巨大な団地群がドカンと現れる
巨大な団地群がドカンと現れる
駅からバスでやってきたのはまず大和田団地。立ち並ぶ迫力の11階建て高層アパートは、建築当時「超モダン」と評されていたシロモノだ。

駅からここまでの道で、色々な人に声をかけた。みな北九州出身の方だ。「北九州文化の残り香を嗅ぎに来た」と言うと、少し九州なまりの言葉で当時をなつかしそうに語ってくれる。

しかし同時に「(九州を感じるものは)無くなってきたなぁ……」という声が多かった。さらに新日鉄が昔ほど元気が無く、さらに木更津の方に人を取られて、君津はやや閑散としているそうだ。

蕎麦や寿司の味も、九州人仕様になっていた

この大和田団地は、かつて伸びゆく君津を象徴していた。
当時としては超高層の11階高層アパート(朝日新聞1970年2月23日号)
当時としては超高層の11階高層アパート(朝日新聞1970年2月23日号)
当時のそば屋では、味は九州人にあうように薄口にし、寿司屋はシャリを少し甘くし、北九州産の地酒を用意したという。その店で聞く言葉は九州弁だらけ。そう、何十年もの間ここは明らかな「リトル福岡」だったのだ。

九州弁と君津弁が合わさって謎の「ミックス弁」も生まれる

「転校生の方がずっと多い」という逆転現象(朝日新聞1970年2月23日号)
「転校生の方がずっと多い」という逆転現象(朝日新聞1970年2月23日号)
小学校などは、多いところでは「クラスメートが40人いたら38人が九州人」だった。子どもたちの間でも九州弁が公用語。

「こうちゃり」(買って下さい)「いやろ」(いいでしょう)などの九州弁のほか、「いっしょんべ」(一緒に出すよ)など、君津弁を九州風に短縮したミックス方言も生まれたという。

「ジャンケンポン」は「ジャンケンシー」になった

特に八重原小学校は1974年に1432人となり、県下一のマンモス校となった。小学校で1400だよ1400。運動するはずの校庭が所狭しとプレハブだらけになる有様だったという。

「ジャンケンポン」のかけ声までが「ジャンケンシー」に変わり、地元の子が「ジャンケンポン」と言うと大勢の九州人のクラスメートから笑われ、泣いて帰った。その親が「ジャンケンシーってなんだよ!」と小学校に怒鳴り込んだこともあるとか。

だがそれから時が経ったいまは、コテコテの北九州弁を話す方も減っている。ただ、かすかに残るイントネーションの違いに当時の面影を感じられた。

50年前のままの北九州ラーメンを食べる

「君津豚骨」を代表する店
「君津豚骨」を代表する店
新日鉄とともにやってきたのは人だけでは無く、店もだった。大量移住者のためのラーメン屋が多く出来、今ではその味が君津の味になっている。

ラーメンマニアの間では「君津豚骨」とジャンル化されるほど、1960年代当時の豚骨ラーメンの味がそのまま残された店が多い。

「古くからの豚骨ラーメンが食べたければ、九州よりむしろ君津に行った方が良い」とまで言われるゆえんだ。

その代表格の店といえば日吉(大和田店)。現在の店主である奥村善幸さんの父親である先代が北九州・戸畑にあったお店を移転したのだ。
昔、こういう雰囲気のお店あったなぁ……と懐かしさを感じる店内
昔、こういう雰囲気のお店あったなぁ……と懐かしさを感じる店内

まさかのラーメン270円

この安さ!
この安さ!
ラーメンが270円。酒(日本酒)が250円。何か大いなる値段のつけ間違いをしているような安さである。これは50年間ほぼ変わっていないそう。

オレンジジュースがなつかしの「HI-C(130円)」であるのも興味深い。
月見ラーメン(320円)
月見ラーメン(320円)
その中で僕が注文したのは、月見ラーメン(320円)。福岡あたりだといくつかの店で提供しているメニューだ。
麺は細い
麺は細い
油も一切浮いていないあっさりしたスープだが、その中に独特の香りとコクがあるから薄さは感じない。

麺はかなり細く、スルスルッと何の抵抗なく口に吸い込まれていく。

もう一つの名物、北九州式おでん

福岡式の醤油で煮込んだおでん
福岡式の醤油で煮込んだおでん
昔ながらの北九州スタイルの店で、おでんと一緒に食べられるのが特徴。ちなみに左にあるのが福岡風の醤油。塩辛いのが特徴で、特注仕様だという。
おでん、合計260円
おでん、合計260円

九州のおでんダネの王様・餃子巻き

ラーメンのおともにこちらもいただく。3点で260円という安さ。福岡特有の餃子巻きにパクつくと、ホントに中には餃子が入っている。
中にはゴロンと餃子
中にはゴロンと餃子
牛すじも、西日本で良く見かけるおでんダネだ。餅巾着にも、中には餅だけで無くキャベツも一緒に入っている。ひと噛みごとに異文化を噛みしめられる嬉しさ。

すばらしい食後感

昔ながらの味だから「食後感」が良い
昔ながらの味だから「食後感」が良い
次々と口に運び、静かで柔らかなおいしさを感じながらまたたくまに完食した。

最近の濃いラーメンを食べた後に行う、「最後に水で口の中を中和する」儀式を行わなくても、食後感がとても良いのが嬉しい。
店主の奥村さんと。
店主の奥村さんと。
独特の細麺は自家製で作る
独特の細麺は自家製で作る
当時の北九州の麺を忠実に再現し、コストを抑えるため、麺は自家製。

今ではこの機械を製造していた会社は無くなっており、今となっては貴重な機械を駆使して独特の細麺を作り上げている。

新日鉄の街

海側を見ると、勢い良く煙を吐き出す煙突が見える。ここが新日鉄の城下町であることを実感できる光景だ。
新日鉄の運動場から見える、臨海地域の工場群
新日鉄の運動場から見える、臨海地域の工場群

世界記録を持つ製鉄所だった

この新日鉄住金君津製鉄所は、世界に冠たる製鉄所だ。

1965年に創業し、1968年の第一高炉火入れとともに銑鋼一貫生産体制を確立。新日鉄の中でも最新鋭の技術・設備を導入して日本の鉄鋼業をリードしてきた。

一日の粗鋼生産量はかつて6,200tと世界最大を誇り、特に第4高炉の内容積は5,555㎡で世界最大級だ。

1976年の11月には10110回という炉寿命の世界記録を達成し、メイドインジャパンの技術力の高さを世界に知らしめた。
喜びとともに迎えられた「第1高炉完成」(新日鉄君津物語 房総の夜明け/杉浦 明/うらべ書房)
喜びとともに迎えられた「第1高炉完成」(新日鉄君津物語 房総の夜明け/杉浦 明/うらべ書房)
世界記録を達成してバンザイ! 今も君津製鉄所の技術は世界トップ級だそう(新日鉄君津物語 房総の夜明け/杉浦 明/うらべ書房)
世界記録を達成してバンザイ! 今も君津製鉄所の技術は世界トップ級だそう(新日鉄君津物語 房総の夜明け/杉浦 明/うらべ書房)

トウ小平「これと同じ工場を作ってくれ!」

ヘルメット姿だとかわいいが、事実上の中国・最高権力者だった(読売新聞1997年2月21日号)
ヘルメット姿だとかわいいが、事実上の中国・最高権力者だった(読売新聞1997年2月21日号)
1978年10月、とっちゃん坊や顔の中国副首相・トウ小平が君津を訪れ、工場としての高い完成度を目のあたりにし「これと同じものを造ってくれ!」と語った。

そして中国への技術協力がはじまり、現在の中国宝武鋼鉄集団の宝山製鉄所(上海市)が完成。これは山崎豊子の小説「大地の子」のモデルにもなったエピソードだ。

その工場は君津と錯覚するほどに似ており、使っている機械まで全く一緒だったという。その中国宝武鋼鉄集団はいま粗鋼生産量で世界2位の鉄鋼メーカーにまで成長した。

ちなみに新日鉄は現在住友金属工業と合併して「新日鉄住金」となり、いまも世界4位の粗鋼生産量だ。抜かれた。

閉店している店が多い

「八幡風やきとり」で人気を博したけんちゃんも閉店
「八幡風やきとり」で人気を博したけんちゃんも閉店
あの氣志團の団長であり君津出身の、綾小路翔も好きだったという、八幡風やきとりの「けんちゃん」は閉店してしまった。

「九州の味が食べたい」というと、地元民の方からお店を紹介してもらえるが、ことごとく閉店している。「リトル福岡」が元気だった時代は遠くなりにけり。
今もやっているのかすらわからない居酒屋たち
今もやっているのかすらわからない居酒屋たち

九州っ子をあっためた肉まん

そんな中、当時の名残を残す貴重な一軒が「肉まん点心 八重原店」。一種の風格を感じる佇まいの店を、奥さんが一人で切り盛りしていた。
経年と風格を感じる店構え
経年と風格を感じる店構え
見慣れぬ「高菜まん」なるものが用意されている
見慣れぬ「高菜まん」なるものが用意されている
ご主人として切り盛りしていた旦那さんが九州の方で、そのエッセンスも詰まった肉まんだ。

1979年に最初木更津でオープンしたが、1982年に君津へ移転。以前は店の前に「八重原団地」が広がっており、地元に「豚まん文化」が根付いていた北九州の出身者たちに親しまれたという。

北九州の方が言う「豚まん」という表記では無く、「肉まん」としたのは、「豚」という所から来る野生的な表記を嫌ったとか。

九州人がひそかに愛した「高菜まん」

高菜まん150円。穴から高菜が顔をのぞかせる
高菜まん150円。穴から高菜が顔をのぞかせる
頼んだのは高菜まん。特に九州の方に人気があった一品だという。

中華まんじゅうの中から、野菜系の味が香ってくるのが極めて新鮮。思った以上に未知との遭遇だが「これはこれで味わい深い」とおいしく噛み締めた。

一介の旅人にお茶を用意して、昔の話を色々としてくれた女将さん。荒んだこの世に天使が居るとしたらこの人……というほどの手厚いもてなしに礼を言い、次を目指した。

あの「やっさいもっさい踊り」は九州人と地元民の友情が生んだ

新日鉄移転の影響は君津だけで無く、お隣の木更津にも色濃く残っている。夜の街にはクラブやバー、スナックが大量に生まれ、芸者遊びも大いに盛んだった。

さらには「アイアン(鉄)」や「アンカー」などという、製鉄所由来の名前のクラブやスナックまであったという。
やっさいもっさい踊りの例(新日鉄住金HPより)
やっさいもっさい踊りの例(新日鉄住金HPより)
さらに木更津キャッツアイのおかげで有名になった「やっさいもっさい踊り」。実はコレ、九州からの移住民と地元民の融和をはかろうと1974年にはじまったもの。

「やっさいもっさい」は木更津甚句のはやしことばで、掛け声の「おっさ」は木更津方言で「おお、そうだよ」の意味。歌詞の「みんなの故郷だから」「みんながお隣同士だから」に掛け声でこたえる形式の、友情の歌と踊りなのだ。

九州人が泣いて喜んだ、浄土真宗寺院の誘致

もともと君津にもお寺はあったが、日蓮宗や禅宗の寺院が多く、九州出身者の大部分の宗派とは違った。そのため「法要も出来ない」と不満が強かった。

法事になると九州に里帰りする人も多いほどだったが、彼らの強い願いもあり、浄土真宗である築地本願寺の君津出張所、「光明寺」ができた。

1973年に建立され、待ち望んでいた人はそのお経を聞いているうちに、涙をこぼして喜んだという。
あの築地本願寺の出張所「光明寺」(読売新聞1973年9月23日号より)
あの築地本願寺の出張所「光明寺」(読売新聞1973年9月23日号より)
多くの北九州出身が遠い君津の地で眠っている
多くの北九州出身が遠い君津の地で眠っている

スーパーに九州アイテムはあるか

当時は団地の周りにたくさんのスーパーがあり、そこには九州人の愛する食材が多く「九州人コーナー」のような一角まで生まれていた。

スーパーは関東で一般的ではない正月の丸餅をそろえ、しょうゆ棚には大分産「フジジン」が並んでいたという。

しかし現在は団地周辺のスーパーは軒並み姿を消し、少し離れた大型のスーパーがいくつか立ち並んでいる。当時より九州色は薄れているだろうか。色々と行った。
色んなスーパーに行った
色んなスーパーに行った

九州っぽい食品が少し多いかも

やはり当時の面影はなかなか発見できず、それほど変わった品物は置いていない。しかし、マルタイラーメンらの九州の即席麺などが目立つ所においてあるように感じた。
ラーメンコーナーの左上の目立つところに並べられた九州棒ラーメン
ラーメンコーナーの左上の目立つところに並べられた九州棒ラーメン
捕鯨の拠点である下関港が近くにあるため、福岡県民が愛する「くじらベーコン」
捕鯨の拠点である下関港が近くにあるため、福岡県民が愛する「くじらベーコン」
たらこと明太子のワゴンセール
たらこと明太子のワゴンセール
正直、「心なしか九州アイテムが多いかなぁ……」くらいなので、本当にこのあたりに未だ多く住む九州出身者をどれだけ意識しているかはわからない。

ただ、これらの九州食材たちが、今も昔も君津に生きる九州人たちをひそかに癒やしているのは事実だ。

元・新日鉄野球部の下柳剛、うまかっちゃんで救われる

九州人の熱愛ヌードル「うまかっちゃん」もあった
九州人の熱愛ヌードル「うまかっちゃん」もあった
ちなみにかつて新日鉄君津に所属していた長崎出身の元プロ野球選手・下柳剛投手は、一般社員と同じ食事量だったが足りず、夕食後に食べたこの「うまかっちゃん」で乗り切ったという。

その後下柳はプロに進み、福岡ダイエーホークス、日本ハムファイターズ、阪神タイガース時代も変わらず「うまかっちゃん」で自らを元気づけていたとか。

「リトル福岡」が、屋台ラーメンを関東に上陸させた

さらに、この君津と深い関係があるラーメンがある。それが……
マルタイの屋台ラーメン
マルタイの屋台ラーメン
味のマルタイが1969年に発売し、業界初の豚骨スープを実現した「屋台ラーメン」だ。もともと九州限定発売だったが、この君津に大挙してやってきた九州出身者の需要から、関東にも出荷されるようになったという。

旅のゴールは「玄界灘」だった

さらに九州を感じる料理店を求めて歩き回る。しかし、そういった店は年月が経ち続々と閉店してしまったそう。お店に「九州料理置いてますか?」と聞いて回るも、とんと見ない。

しかも月曜日を選んでしまったのが選択ミスだった。月曜日は個人商店の定休日が多く、候補に上がる店の多くが「定休日」で行けない。
嗚呼、日が暮れる
嗚呼、日が暮れる
その夕日が団地に反射。50年変わらない君津の夕暮れ
その夕日が団地に反射。50年変わらない君津の夕暮れ
いま都内ではほぼ絶滅した暴走族のバイクエンジン音が時折りこだまする中、君津の夜道を西へ東へ歩き回った。

そして、八重原団地跡の近くに今も残る当時からの居酒屋を見つけた。その名も「玄界灘」。世界有数の漁場として知られる、福岡の心の海を名前に持つこの店を、僕は旅のゴールに選んだ。
君津の栄枯盛衰を見守ってきた店構え
君津の栄枯盛衰を見守ってきた店構え

北九州出身者がはじめた歴史を感じる店

店内は木を基調にした落ち着ける雰囲気。鉄を相手に仕事してきた製鉄マンにとって、木の味わいが酒をまた美味しく感じさせるのか。

もともとは北九州出身の方が店を開いたが、30年以上前に君津へとやってきた柏市出身の女性がお店を継ぎ、今では一人で店を切り盛りしている。

せっかくなので九州のお酒が飲みたい。今宵は二階堂と黒霧島で酔うことにした。お通しのポテサラと枝豆をつまみながら、グラスを傾ける。
Qさま2時間スペシャルをちら見。後ろにはなぜか東北の商売の神・仙台四郎の張り紙が
Qさま2時間スペシャルをちら見。後ろにはなぜか東北の商売の神・仙台四郎の張り紙が

焼きうどんと九州の酒で疲れが溶ける

お通しは枝豆とポテサラという黄金コンビ
お通しは枝豆とポテサラという黄金コンビ
こちらには「九州ラーメン」などもあったが、そちらは食べているので「焼きうどん」を注文した。北九州といえば、“焼きうどん”の本場なのだ。
相当なボリュームある焼きうどん(550円)を作ってくれた
相当なボリュームある焼きうどん(550円)を作ってくれた
いま作っているのは北九州出身の先代では無いので、どれだけ北九州の味が反映されているのかはわからない。

しかし、居酒屋メニューとしては過剰なばかりな量の焼きうどんで満腹になり、楽しいトークとともに黒霧島を飲み干したとき、色んな疲れが少し溶けた気がした。

それとともに、蜃気楼の町を歩くような旅が幕を閉じた。

もう消えそうな「リトル福岡」の残り香

中野信子の本を思わず買ってしまうほど酔いながら帰宅
中野信子の本を思わず買ってしまうほど酔いながら帰宅
正直「言葉も食も文化も九州」という当時の面影は薄れていた。在りし日の「リトル福岡」を訪ねるには、少なくとも10年遅かった気は否めない。

しかしまだ北九州出身者は街の至る所に居るし、かつての名残もどうにか見つけられた。最後の灯火が消える前に見えたのがこの光景だ。

そして君津の街をゆっくり歩くご老人たちの背中は、丸まっていなかった。彼らがつくり上げた「世界に誇る製鉄所の歴史」に、今も胸を張っているのかも知れない。

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