特集 2018年5月1日

修学旅行の思い出の地を写ルンですを持って周るとエモい

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中学生の修学旅行以来の京都に行くことになった。修学旅行は10年以上も前のことなので、どこに行ったのか何を見たのかかなり忘れている。覚えているのは「夜に好きな子の話をした」とかありがちなことだけだ。もしかしたら大人になってから見たアニメや漫画の影響でそういう思い出が自分にもあると補正されているだけで、実際には僕の思い出ではないのかもしれない。時間が経つって怖い。

ただひとつだけ明確に覚えているのは、写真を撮るのに『写ルンです』を使っていたことだ。枚数を気にしながら写真を撮っていたのだけは異様に覚えている。

せっかくなので「写ルンですを持って思い出めぐりの旅」をしようと思って観光してみたのだけれど、最後に衝撃の事実が発覚した。

一つ覚えていてほしいのは「人間の記憶はいつも曖昧で不確かなものである」ということ。そういった不思議な話しはすぐそばにあるものです。ほら、あなたの後ろにも。
大学中退→ニート→ママチャリ日本一周→webプログラマという経歴で、趣味でブログをやっていたら「おもしろ記事大賞」で賞をいただき、デイリーポータルZで記事を書かせてもらえるようになりました。嫌いな食べ物はプラスチック。(動画インタビュー

前の記事:渋谷の駅前で看板を持っている人たちは何者なのか直接聞いてみた

> 個人サイト ジャーニーとモアイとめがね

仕事で京都に行く用事があったのだけど、修学旅行以来なので変な高揚感があった。そのテンションのせいなのか、京都に行く前日に普段はやらない家飲みをして、これまた普段やらないネット将棋をやっていた。行動の意図が自分でも読めない。それくらい京都に行くことに高ぶりを感じていたのだ。
普段は新幹線なんて撮らないのに、写ルンですを持つとシャッターを押したくなるから不思議だ
普段は新幹線なんて撮らないのに、写ルンですを持つとシャッターを押したくなるから不思議だ
よくよく考えたらいつもは一緒に旅行する誰かがいるので、一人で新幹線に乗るのも初めてだった。一人で大丈夫かな…と不安に思っていたら、案の定やらかしてしまった。予約していたチケットが京都ではなく名古屋行きだった。

東京駅の改札をくぐるときにギリギリで気づいて、汗が止まらなかった。絶望した。汗どころか、おしっこ漏らしていたかもしれない。時間に余裕はあったので急いで受付に行ったところ、名古屋行きをキャンセルして京都行きになんとか変更できた。前日に酒飲んで将棋なんてさしてんじゃねーよ、バカ野郎!!

駅のホームで新幹線を待っていると、中学生のときに「新幹線は体育館履きじゃないと乗れない」と嘘をつかれたのを思いだした。僕はそのときそれが嘘だと気づいたのだけれど、「ここで体育館ばきを持っていったらおもしろいな…!」と打算的な思いで、体育館ばきを持っていくことにした。そしたら確かに笑いはとれたのだけど、めちゃくちゃバカにされて「わざとボケで持ってきたんだよ!!」と僕がいくら言ってもみんな聞かなかった。泣きたくなった。

大人になってもチケットを間違えるし、中学生のときと同じで京都に行くのには何かしら難があるのかもしれない。どっちも自分のせいだけど。
この写真だけ説明用にスマホでカメラを撮った。他の写真はすべて写ルンですで撮影したものです。
この写真だけ説明用にスマホでカメラを撮った。他の写真はすべて写ルンですで撮影したものです。
【京都旅行のルール】

1. 写真はすべて「写ルンです」を使用する
2. スマホや一眼での写真撮影はしない
3. 中学生のときに修学旅行で周った場所に3ヶ所は行く
4. もちろん思い出の地以外も行ってOK
5. 写ルンですの枚数がなくなった時点で記事が終了
今回の旅行では写ルンですだけで写真を撮影する。写ルンですは撮れる枚数が決まってるいる上に、撮った写真はすぐに確認できないので、スマホに比べるとなにかと不便だ。

しかし中学生のときを思い返してみて、後日に写真が現像されたり、教室の壁に写真が張り出されてそれをみんなでワイワイしながら選んだりするような、ああいう感情を再び味わいたいと思った。なので今回は観光地ではスマホと一眼レフを禁止して、写ルンですだけで周ってみようと思う。

というか今の中学生って、壁に写真が貼ってあってそれを選ぶって文化ないよね…「好きな子が写っている写真を買うかどうかの葛藤」とか今考えるとストーカーの発想に近い。
写ルンですの、フィルムを巻いて、ファインダーを覗いて、あの安っぽいカシャっという音がする一連の流れが好きだ
写ルンですの、フィルムを巻いて、ファインダーを覗いて、あの安っぽいカシャっという音がする一連の流れが好きだ
旅行するときにこういうルールを設けるのが僕は大好きだ。人生で初めて海外(タイ)に行ったときにも「ビニール袋だけで行って現地で服装をそろえる」などとやったくらいだ。だから友達にはたいていめんどくさがられる。悲しい。

今回の京都での仕事はすぐに終わるものなので、ほぼ1日観光ができる。その観光する時間を写ルンですの39枚撮りという制限を考えて、上手く撮っていかなければならない。ムダな撮影はできない。気をつけよう。
「枚数制限に気をつけよう」と肝に銘じておきながら、京都駅の次に撮った写真がこれ。なんでこんな写真撮ったのか自分でも覚えていない。 ただ、これも現像したときの楽しみである。
「枚数制限に気をつけよう」と肝に銘じておきながら、京都駅の次に撮った写真がこれ。なんでこんな写真撮ったのか自分でも覚えていない。 ただ、これも現像したときの楽しみである。

修学旅行の定番「清水寺」で思い出が滝のように蘇ってくる

やっぱり京都はどこを写真で撮っても絵になる
やっぱり京都はどこを写真で撮っても絵になる
初めに行ったのは清水寺だ。何で清水寺にしたのかと言うと「やっぱり観光地は一番有名なところに行くべきでしょ」という、王道を貫くべきだというスピリットが中学生の頃から僕にはあるからだ。

「観光で王道に行かない」という選択肢は僕的にはありえないことだ。家族旅行に行ったときに母が「もうお腹すいたからガストでもいいよ」と言ったときは、そのあと1時間くらい「情緒がない」という説教をした。というか未だにそのときのことは母にグチグチと言っている。おそらく母が病院で最期のときにも「あのときの発言は情緒がなかったよ」と言うだろう。
和服を着ている人もけっこういて、「ああ、京都に来たんだな」と改めて感じられた
和服を着ている人もけっこういて、「ああ、京都に来たんだな」と改めて感じられた
清水寺までの道のりは、三年坂や二年坂、ちゃわん坂といくつかあるが、おそらく王道の清水坂は通っていたんじゃないかなと思う。歩いていると「あ、あそこのお店でお土産買った記憶があるな」とおぼろげながら蘇ってくる。ただ、どこのお店にも木刀がほとんど売ってないことにも驚いた。欲しかった…!
ひさしぶりに八つ橋食べると美味いんだ、これが…!!
ひさしぶりに八つ橋食べると美味いんだ、これが…!!
中学生のときに一緒に周っていた班の人と、ここで写真を撮った記憶がある。後年、そのとき一緒だったあまり仲良くない友達と2~3年前にひさしぶりに会って、定期的に飲みにいく仲になった。人生不思議である。
中学生のときに一緒に周っていた班の人と、ここで写真を撮った記憶がある。後年、そのとき一緒だったあまり仲良くない友達と2~3年前にひさしぶりに会って、定期的に飲みにいく仲になった。人生不思議である。
清水寺にはとにかく外国人の観光客が多かった。3/4くらいは外国人だったんじゃないかなっていうくらい。
清水寺にはとにかく外国人の観光客が多かった。3/4くらいは外国人だったんじゃないかなっていうくらい。
「写ルンですでしか写真を撮らない」と決めているから感じることかもしれないけれど、やっぱりみんな「風景を見に来てる」というよりかは、「いい場所で自分を撮る」みたいな人が多いんだなーと思った。

僕はルールがあるので「あと◯枚しか撮れないからこの場所はもう写真撮らなくていいや」という考えになるので、カメラから自然と解放される。そうするとゆっくり歩いている時間が必然と長くなる。お寺をじっと観察してみたり、紅葉を見て何も考えないでボーっとしたり、とのんびりと観光できることに気づいた。
暗闇の中を歩いて進む「胎内めぐり」
暗闇の中を歩いて進む「胎内めぐり」
清水寺には「胎内めぐり」という菩薩の胎内に見立てて、真っ暗闇を手探りで進んでいくという通路がある。

これは中学生のときにやったことがあるのをハッキリ覚えている。なぜなら当時は班行動で、暗闇を女の子と一緒に歩くという一大青春イベントだったからだ。後ろでキャーキャー言いながら、ワイシャツの裾を掴んでくる女の子の手に興奮したのを今でも覚えている。

それを思い出して、ひさしぶりに胎内めぐりに入ってみようと思った。暗闇に突入したら、僕の前も後ろもカップルだらけで、早く進むことも遅く進むこともできない地獄の鈍行列車だった。ああ、中学生のときに戻りたい。むしろこのまま胎児に戻って彼女ができるように人生やり直したい。
中学生のグループを見ているとおもしろい。男子女子3対3くらいのグループがあると、女子3人が先頭を歩いて、男子3人がその2歩後ろをついていくみたいなパターンが多いのだ。この絶妙な距離感が青春っぽくて甘酸っぱくて良い!! (28歳、彼女が5年以上もいない独身男性の意見より)
中学生のグループを見ているとおもしろい。男子女子3対3くらいのグループがあると、女子3人が先頭を歩いて、男子3人がその2歩後ろをついていくみたいなパターンが多いのだ。この絶妙な距離感が青春っぽくて甘酸っぱくて良い!! (28歳、彼女が5年以上もいない独身男性の意見より)
清水寺が改修工事をしていたのは残念だった
清水寺が改修工事をしていたのは残念だった
清水寺には音羽の滝というものがあり、飲むと延命長寿/恋愛成就/学業成就などご利益がある水が流れている
清水寺には音羽の滝というものがあり、飲むと延命長寿/恋愛成就/学業成就などご利益がある水が流れている
中学生のときは音羽の滝のようなものを見たら、全部飲んで「うめ~!!元気100倍!!!」とかやっていただろう。しかし大人になった今は水の衛生面が気になるし、水を汲むためのひしゃくをお客さんで使いまわしていることに引っかかる。健康を成就するための水で体調を崩すのも嫌だなぁ…と思ったので、少し飲んであとは口をゆすぐフリをしてすべて吐き出した。

それにしても清水寺だけで写真を撮りすぎた。もう10枚以上は撮っている…もうムダに使わないようにしなければ。
お腹がすいたので清水寺を少し出たところで、湯葉丼を食べることにした。当時もお昼に湯葉を食べていたと思う。
お腹がすいたので清水寺を少し出たところで、湯葉丼を食べることにした。当時もお昼に湯葉を食べていたと思う。
湯葉丼は美味しかったのだが、写真が上手く撮れておらず混沌とした世界で食べた闇料理みたいになってしまった。
湯葉丼は美味しかったのだが、写真が上手く撮れておらず混沌とした世界で食べた闇料理みたいになってしまった。

三十三間堂、銀閣寺、途中下車をして

三十三間堂という名前はお堂の中の柱間が33あるという建築的な特徴からきている。それから「三十三」という数字は、観音に縁があるともされているらしい。
三十三間堂という名前はお堂の中の柱間が33あるという建築的な特徴からきている。それから「三十三」という数字は、観音に縁があるともされているらしい。
清水寺から近いので次は三十三間堂に行くことにした。ここも中学生のときに来ていたはずだ。三十三間堂には1001体の観音像が中にあり、入るとその数に圧倒される。一つ一つに作者名や番号がついていて、それぞれに微妙に顔や作りが違って見ていて飽きない。
千体ある観音像の中に「会いたい人の顔がある」とも言われている。
千体ある観音像の中に「会いたい人の顔がある」とも言われている。
三十三間堂の中を歩いていると、お願い事を書く御札のようなものが置いてあったので、せっかくなので書こうと思った。

中学生の頃の自分はものすごい調子ノリだったので「爆笑王に俺はなる!!」みたいな、それ自体がスベったことを紙に書いていただろう。しかし、20代後半の今の僕が書くとなると「健康第一」とか「仕事が上手くいきますように」みたいな超現実的なことになってしまう。中学生の頃に思い描いた爆笑王からはかなり遠い存在になってしまった。

三十三間堂の廊下はものすごく長い靴下を歩くので、足元が冷たいし身体が冷えてしまった。「足が冷たいのみんな大丈夫なんだろうか?」と思っていると、帰る時ときに入り口にスリッパが置いてあることに気づいた。どうりで寒いはずだ。爆笑王にはなれなかったけど、バカ王には近づいているのかもしれない。
三十三間堂の次は銀閣寺に向かった
三十三間堂の次は銀閣寺に向かった
中学生のときだったら大声で「銀じゃねーじゃん!!」とか絶対言っている
中学生のときだったら大声で「銀じゃねーじゃん!!」とか絶対言っている
銀閣寺に大人になってから行ってみると庭園のキレイさやその雰囲気に感動する。前に盆栽を少し勉強したことがあったので、庭木の一本一本が数十年かけて育てられているんだろうな、ということも思って感慨深さもあった。庭木を見るとまだ枝木を矯正している枝もあったので、これらは途中段階で、まだまだもっと良くなっていくのだろうとも思った。
着物で歩いている美男美女のカップルがいて、ものすごく絵になっていた。いわゆる盗撮である。
着物で歩いている美男美女のカップルがいて、ものすごく絵になっていた。いわゆる盗撮である。
ただ歩いていて少し思い出してきたのだが、よくよく考えたら中学生のときは金閣寺を見に行っていて、銀閣寺には来ていないような気がしてきた。「中学生の頃が懐かしいなぁ…」とか言っておきながら、銀閣寺には大人になってから今日初めて来たのだ。自分の記憶の曖昧さに驚く。サイコパスかもしれない。

この時点で写ルンですの枚数もかなり少なくなっていた。残りすでに10枚ほどしかない。考えて撮らねば…!
銀閣寺を出てふらふら歩いているうちに、良い雰囲気の場所に着いた
銀閣寺を出てふらふら歩いているうちに、良い雰囲気の場所に着いた
京都は「歩けばすぐにお寺や神社が見つかる」ということで、適当に歩いてみることにした。有名なお寺や神社は人でごった返しているが、一つ隣に行けば都会の喧騒などまったくない荘厳な雰囲気を楽しめる。これこそ大人の旅という感じだ。この凛とした空気の誰もいない静かな雰囲気でカッコイイ旅をしている…!この情緒は中学生の僕では楽しめなかったはずだ…!!

と自分に酔って悦に入っていると、ゴリゴリのエンジン音を発してコスモ石油のトラックが境内に入ってきた。一瞬にして僕の世界は壊された。情緒もへったくれもあったものじゃない。
ジブリに出てきそうな不思議な雰囲気がしてよかった(感想が中学生から進化していない)
ジブリに出てきそうな不思議な雰囲気がしてよかった(感想が中学生から進化していない)
写ルンですも残り5~6枚になったので、そこから少し歩いてバスに乗って宿に向かおうと思っていた。しかしバスに乗ったときにアナウンスで「25mの巨大なお寺がある…」というのが流れたので、おもしろそうだったので途中下車することにした。「予定にない途中下車」、これも中学生の頃の自分にはできない大人の旅である。くぅ~カッコイイ!!
やってきたのは平安神宮
やってきたのは平安神宮
平安神宮に着くと、なにやら人だかりが出来ていた。近づいてみると「節分祭」をやっており、音楽に合わせて鬼が暴れて盛り上がっている。たまたま途中下車してよかった。節分の日にちょうど京都くるなんて出来ないので、なかなか見られる機会がない…!!

やっぱりこういう行き先を急に変えて当たりが出るのも一人旅の醍醐味である。京都のバスのアナウンスに大感謝だ。
鬼がでてきて大盛り上がりしていた
鬼がでてきて大盛り上がりしていた
境内に入るとさらにものすごい数の人が左右にいて、1000人以上はいたんじゃないかと思うくらい混雑していた。しばらく鬼が暴れていると、スピーカーから子供の声で「鬼は~そと~!福はうち~!」と延々と流れ、本堂からおじさんがゆっくり歩いてきて豆で鬼を退治するというシュールな展開が訪れた。

そのあとは地獄だった。「本堂から豆を投げます」とアナウンスが流れた瞬間に、左右から一斉に大勢の人が群がっていた。みんな本堂から投げられる豆を必死にキャッチしようと、鬼の形相だった。人間の中にこそ鬼は住んでいるんだと知った。普通に怖かった。
そんなこんなで宿に着いてゆっくりしているうちに、気づけば外は暗くなっていた。ラストに京都の夜の町並みのカッコイイ写真を撮ろうと思ったら、ちゃんと写っていなかった。なんとも締まらない写真である。
そんなこんなで宿に着いてゆっくりしているうちに、気づけば外は暗くなっていた。ラストに京都の夜の町並みのカッコイイ写真を撮ろうと思ったら、ちゃんと写っていなかった。なんとも締まらない写真である。
京都を写ルンですで周って見て思ったのは、今の時代は現実で切り取ったものをすぐにネットに流すから、ネットと現実がすごく曖昧と言うか、その辺の境界がないんだなって思った。スマホのカメラ使っていると無意識にTwitterにあげることとかを考えてしまう。

今回、写ルンですで周ってみて、こういったカメラから解放された旅行を楽しむのもありだなと思った。現像する楽しみがあるというのも良い。過去の自分を思い返して、思わず微笑んでしまう。

京都の旅が終わったあとに気づいた衝撃の事実なのだけれど、後ほどアルバムを見返してみたところ、僕は銀閣寺だけでなく、どうやら三十三間堂にも行ってなかったようだ。あと友人に聞いてみたところ、お昼ごはんは湯葉ではなくソバを食べていたらしい。

ということは「思い出の地を巡る」と言っておきながら、実際に中学生のときに行っていたのは清水寺だけだったといことだ。なにそれ怖い。今日のこれって「世にも奇妙な物語」の話しだっけ……?

タララララン タララララン タラララランラン タララララン(世にも奇妙な物語のあの音楽)
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