特集 2018年5月10日

芭蕉が俳句を詠んだのと同じ場所で2018年に詠み直したら、こうなった

「古池や~」も、いま同じ場所で読み直したらこうなる
「古池や~」も、いま同じ場所で読み直したらこうなる
松尾芭蕉(1644~1694)といえば、日本の各地へ赴きながら、いまも残る多くの名句を残した日本一有名な歌人だ。

しかし、当時とは現代は激しく様変わりした。句を詠んだ場所でも、まるで違うシチュエーションに変わり果てている。

ならば、数百年前に芭蕉が句を詠んだ場所へ行き、2018年のいま見える風景をそのまま俳句にしたら、句はどんな変貌を遂げるのか? やったらこうなった。

※句を詠んだとされる地に関しては諸説ありますが、ここでは有名な説を採用しています
ライター、番組リサーチャー。過去に秘密のケンミンSHOWを7年担当し、ローカルネタにそこそこくわしい。「幻の○○」など、夢の跡を調べて歩くことがライフワークのひとつ。ほか卓球、カップラーメン、競馬が好き。(動画インタビュー

前の記事:高田馬場の伝説、赤本だらけの古本屋「さとし書房」がすげえ!

> 個人サイト 文化放想ホームランライター

芭蕉が旅立った「矢立初めの地」からスタート

「奥の細道」はじまりの地だ
「奥の細道」はじまりの地だ
まずは「奥の細道」600里の旅の始まりの句を詠んだとされる「矢立初めの地」からスタートだ。

1689年(元禄2)年3月に弟子の曾良を伴って深川(江東区)から船で遡上して千住(足立区)に降り立ち、陸奥(東北の右側大部分の地)へと旅立った。

そこで詠んだのがこの句だ。「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」。
当時から千住大橋は名所で、浮世絵に幾度もとりあげられた。これは葛飾北斎の作品
当時から千住大橋は名所で、浮世絵に幾度もとりあげられた。これは葛飾北斎の作品
そばにある千住大橋は、隅田川にかけられた初めての大きな橋で、いまでは隅田川十六橋のうちもっとも上流にある橋。

千住の街は江戸四宿の一つとなり、東北の表玄関口として栄えた。この千住大橋を渡ることが、江戸から地方へ向かう旅人の第一歩だったのだ。
これが千住大橋。現在の橋は昭和2年に造られたもの
これが千住大橋。現在の橋は昭和2年に造られたもの
そんな街はいま、大きく様変わりした。さっそく芭蕉が旅立ったとされる地から、周りをぐるぐる見て句を詠んでみよう。
記念碑のすぐウラに街頭ビジョンが。足立区からのお知らせを矢継ぎ早に流している
記念碑のすぐウラに街頭ビジョンが。足立区からのお知らせを矢継ぎ早に流している
街頭ビジョンに登場しているキャラは「ビュー坊」といい、きれいで安全な街をめざす「ビューティフル・ウインドウズ運動」の推進キャラクター。

しかしFacebook公式ページのいいね数は55と、残念ながら不人気であるビュー坊。これはぜひ句にしてみたい。
300年の時を超え、その変貌ぶりを句にした
300年の時を超え、その変貌ぶりを句にした
さらに碑の前には地域の治安を守る交番がある。しかし近くの草むらには、競馬のマークシートが打ち捨てられていた。実に現代の足立区らしい風景のこれらも、句にしたためてみよう。
芭蕉の名句が、地方の警察標語みたいな句に変わる
芭蕉の名句が、地方の警察標語みたいな句に変わる
春は犯罪が多くなり、特に変質者が増えると言われているため、「パトカー」の出動回数も多いのではと、「季語」のようなものとして取り扱った。
春競馬でハズした博打打ちの気持ちになって句を作る
春競馬でハズした博打打ちの気持ちになって句を作る
ふう、どうにか詠めた。それでは次の場所へ。千住大橋を渡って橋の逆側へ行くと、ブリジストンの広告で、俳人姿になった(僕も大好きな)綾瀬はるかが居る。
こんな企画をやっているときに会うなんて、ちょっと奇遇
こんな企画をやっているときに会うなんて、ちょっと奇遇
ただちょっと「矢立初めの地」から距離が離れていたので、泣く泣く句を作るのをあきらめ、次を目指した。
南千住駅には芭蕉像が立つ。ちなみにすぐそばには日高屋が。
南千住駅には芭蕉像が立つ。ちなみにすぐそばには日高屋が。

古池や……の舞台へ

芭蕉の句の中で、もっとも有名なうちの一つが「古池や蛙飛びこむ水の音」だろう。これは芭蕉庵の池に飛び込んだカエルの音を表したものとされる(諸説あり)。

芭蕉庵の跡は、今は芭蕉稲荷神社になっている。
芭蕉がせっせと詩作に励んだ場所(大日本史略図絵より)
芭蕉がせっせと詩作に励んだ場所(大日本史略図絵より)
その跡での記念写真をご近所の方に撮っていただいた。無表情・直立不動。
その跡での記念写真をご近所の方に撮っていただいた。無表情・直立不動。
中はこんな感じ。記念碑とほこらがある
中はこんな感じ。記念碑とほこらがある
蛙飛び込む……のカエルも居る(ちなみに芭蕉が実際に持っていた蛙の石像は、近くの芭蕉記念館の方へ置かれている)。
蛙飛び込む……のカエルも居る(ちなみに芭蕉が実際に持っていた蛙の石像は、近くの芭蕉記念館の方へ置かれている)。
1686年に発表されたこの名作は2018年のいま、同じ場所で詠むとどう変わるか。それでは句を詠んでいこう。
アサヒビール 蛙飛び込む 音はなし
アサヒビール 蛙飛び込む 音はなし
そこにあったのは古池ではなく古いほこら。そしてアサヒビールのミニコップが鎮座していた。水(酒?)がお供えされている。水はあるが、そこに飛び込む蛙などはいない。静寂のときが流れる。
近くにおしゃれなコーヒーショップが2つある
近くにおしゃれなコーヒーショップが2つある
芭蕉庵のあったすぐ近くには、なぜか2店もオシャレなコーヒーショップがあった。店頭で耳を澄ませてみると、コーヒーにミルクが飛び込む音がしそうだ。
隅田川 泡が飛び散る モーターのおと
隅田川 泡が飛び散る モーターのおと
芭蕉庵跡は隅田川のすぐそば。川の方から、時おりモーターボートの音がする。カエルが水に飛び込む音など消えそうな、荒々しく勇ましい音である。
レッドブルを買えない貧乏人に、FIREの石田ゆり子が微笑みかける
レッドブルを買えない貧乏人に、FIREの石田ゆり子が微笑みかける
キリンの飲料自動販売機に、あのレッドブルがあった。ここは飲み干して翼を授けられたいところだが、貧乏人の僕には210円という価格設定がちょっと高いので残念ながら買えない。

そのためリュックに入っていた100円の水をゴクッと音を立てて飲み込んでしのいだ、という地味な顛末でまた一句したためた。

ここまですべて、芭蕉に殴られそうな句しか作れていない。

わざわざ川崎までやってきた

ところ変わって、ここは川崎市のJR・京急の八丁畷駅(はっちょうなわてえき)。この駅から徒歩1分の立地でも松尾芭蕉は句を詠んでおり、歌碑が立っている。
乗降客数は15年で1.5倍になった急成長中の駅
乗降客数は15年で1.5倍になった急成長中の駅
床屋さんのそばに歌碑がある
床屋さんのそばに歌碑がある
貴重な句を詠んだ地に建てられた碑
貴重な句を詠んだ地に建てられた碑
神奈川県内では 60基を超える数多くの芭蕉の句碑があるが、実際に句を詠んだ地に建てられた碑は少なく、大変貴重なものらしい。

ここから故郷伊賀に向かった松尾芭蕉は、見送りにきた弟子たちと川崎宿のはずれ近くの茶屋で別れを惜しみ詠んだ句がある。

「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」

ここにかつて茶屋があり、だんごを食べながら詠んだ詩だという。
近代になっての、八丁畷界隈の様子
近代になっての、八丁畷界隈の様子
さあこの句を、現代のシチュエーションに合うものに変えてみよう。まずはすぐ横にある激安カット店が題材だ。
カットのみなら1000円(税込)とお買い得の店を句にした
カットのみなら1000円(税込)とお買い得の店を句にした
当時そこら中に麦畑はあったがそれは一掃されており、いまでは高いマンションらが立ち並んでいる。
碑のすぐ後ろには京急線が
碑のすぐ後ろには京急線が
句碑のすぐ後ろは線路になっており、京急線がどんどん通過していく。さらに手前がバス停のため、せわしなく電車とバスが行き来する状況だ。芭蕉よ、ここはこんなに変わったよ。
すぐ近くにある100円自販機
すぐ近くにある100円自販機
道路を隔てて歌碑の向かい側にあるのが100円均一自販機。麦の茶、麦茶もたった3秒で手に入る世の中になったよ、芭蕉(実際にあるのは烏龍茶だけど)。
途中、“茶屋”でひと休みして次へ。
途中、“茶屋”でひと休みして次へ。

芭蕉が愛した「新大橋」で

昔の人は「橋」への愛着が強かったという。今のように頑丈な橋を造ることが難しかった当時は、渡し船でなく「橋」があることが、何より幸せだった。

こちらが1694年に完成した新大橋。芭蕉はこの橋ができたことが大変うれしかったようで、句にも記している。

「ありがたやいただいて踏(ふむ)橋の霜」
これが、江戸の町民が夢にまで見た新大橋。それをいまの光景で再び句に詠むとこうなる。
これが、江戸の町民が夢にまで見た新大橋。それをいまの光景で再び句に詠むとこうなる。
ビジョンでCOCO’SのCMを流していた。ちなみに当時は200mほど下流の所にかかっており、そのあたりから撮影。
ビジョンでCOCO’SのCMを流していた。ちなみに当時は200mほど下流の所にかかっており、そのあたりから撮影。
芭蕉が愛した橋からは324年経ったいま、大型ビジョンでCOCO‘SのCMを見ることができる。

そして勝手に「牛の肉」を季語扱いさせていただく。春は新歓の季節。先輩からのおごりで「ありがたや」といただいている後輩をイメージして詠んだ。

あの「名月や」を現代風に

最後は、夜の隅田川へ。ここで舟を浮かべながら開いた句会で、芭蕉は「名月や池をめぐりて夜もすがら」という名句を生んだ。
隅田川の舟で月見をしている人の様子(『四季心女遊 秋』歌川国芳 画より)
隅田川の舟で月見をしている人の様子(『四季心女遊 秋』歌川国芳 画より)
しばし夜を待ち、彼が300年以上前に居た隅田川へ。「名月」は正確には秋の季語だが、春も変わらずキレイということで、僭越ながら春に詠ませていただく。
おお、名月が出た
おお、名月が出た
この隅田川で目立つものといえば、広告ネオン。その中でもひときわ目立つ、1971年創業、芭蕉の時代の300年後に福岡で生まれた企業がいま、芭蕉の名句とのコラボを果たした。

変わらない名月と、変わり果てた周辺風景のコントラストが、新しい名句を生む格好の舞台となる。
夜の隅田川に輝く明太子かねふくが、芭蕉の句とコラボ
夜の隅田川に輝く明太子かねふくが、芭蕉の句とコラボ
バッチリ光る東横インの看板が、芭蕉の句に
バッチリ光る東横インの看板が、芭蕉の句に
さらにこの隅田川でもう一つ目立っているのが、「明治ブルガリアヨーグルト」の広告。芭蕉の時代からあった名月が、おなじみのブルーロゴを照らしている。
「ブルガリアヨーグルト」の下を、屋形船が通る
「ブルガリアヨーグルト」の下を、屋形船が通る
名月は今日もこの変わり果てた街を照らす
名月は今日もこの変わり果てた街を照らす
偶然「月がきれいだね」と言い合う親子の声を耳にした。芭蕉たちがうっとり見惚れた名月の輝きは、2018年でも変わらない。

当時とぜんぜん変わっていても、それが良い

親切にも、「いらすとや」素材でカギの持ち主探しをしていた民家があった
親切にも、「いらすとや」素材でカギの持ち主探しをしていた民家があった
季語をあまり入れられなかったが、最近の俳句は季語にこだわらないことが多く、実は芭蕉も季語のない俳句をいくつか作っている。というわけで許してほしい(土下座)。

当時といろいろと違っていることのギャップは楽しい。たとえそれがちょっとトホホな方向だとしても。この世の移り変わりはすべて必然だ。

そう思えばいまの街の光景は、ある種の機能美にあふれたシーンばかりだ。この雑多で自己主張強めの2018年の街をもっと好きになれた。
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