特集 2018年7月27日

イギリスのダムめぐりが控えめに言って最高すぎた

何度目だろう、ダムは大きさだけじゃない、と気づいたのは
何度目だろう、ダムは大きさだけじゃない、と気づいたのは
1週間イギリスに行ってきた。目的はダムめぐりである。

イギリスにダムのイメージはあまりないかも知れない。しかし行ってみると、世界中どこを探してもこれほどの場所はそうないだろう、と言える理想郷がそこにはあった。控えめに言って最高すぎた。

ガイドブックにはほとんど載っていないので、紹介します。
1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
(動画インタビュー)

前の記事:回転する船のリフト「ファルカーク・ホイール」に乗ってきた

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10年越しの約束の地

もう9年も前になるけれど、ダムを見てまわるために初めて1人で海外に行った。日本のダム好きとして、世界を肌で感じて来るのだと、野茂や中田と(たぶん)同じくらいの意気込みで向かった場所はスイス。なぜなら治安が良さそう、片言の英語だけでなんとかなりそう、観光立国なので海外初心者に優しそうなど、野茂や中田と比べるにはおこがましい消極的な理由もあったけれど、いちばんの決め手は「狭い地域に世界屈指の巨大ダムが密集している」ということだった。
日本最大の黒部ダムより60m以上高いスイスのMauvoisinダム
日本最大の黒部ダムより60m以上高いスイスのMauvoisinダム
九州と同じくらいの面積と言われるスイスには、険しいアルプス山脈の地形を生かし、そこに降る雪から融けた水を使うため、ヨーロッパを代表するダムがゴロゴロしているのだ。やはり若いうちに世界の頂点を見たいと思ったし、いまでもあのときスイスに行って良かったと思う。
当時世界最大のコンクリートダム、Grande Dixenceダム
当時世界最大のコンクリートダム、Grande Dixenceダム
ちなみにそのときの模様は以下の記事でどうぞ。

スイスのダムめぐり(前編)
世界一のコンクリートダムを見てきた
ジェームス・ボンドがバンジーしたダム


でも実は当時、初の海外ダムめぐりに行く場所を決めるときに、スイスと最後まで迷っていた場所があった。それが今回行ってきたイギリス、もっと詳しく言うとウェールズのエラン・バレーである。

エラン・バレーには、イギリス第2の都市バーミンガムに水を供給するため、数キロ四方ほどのエリア内に5ヶ所のダムがある。そのほとんどが19世紀末から20世紀初頭にかけて建設された。築100年以上という、コンクリートダムとしてはたいへんに歴史深い物件である。
おれのユナイテッドキングダムはここだ
ネットなどで調べる限り、ひたすら巨大なコンクリートダムが林立するスイスとは対照的に、エラン・バレーのダムは大きくはないものの、バッキンガム宮殿やビッグベンのような、大英帝国の歴史と伝統が刻まれた趣深い雰囲気が感じられた。海外に行くとき、華やかなリゾートを満喫するか、歴史ある旧市街をのんびり散策するか、誰だって迷うだろう。ダム好きも同じで、さんざん悩んだ挙句、「まずはでかい方から」という理由でスイスにしたのだけど、エラン・バレーもずっと心に残っていたのだ。

というわけで、およそ10年越しの願いを叶えてきたのである。相変わらず前置きが長い。

Caban Cochダム

今回のダムめぐりは、バーミンガム空港からレンタカーを借りてスタートした。エラン・バレーまでは車でおよそ2時間30分(ヒースロー空港からだと約4時間)。入国手続きとかレンタカー受け取りとか初めてのイギリスドライブなど、もろもろ苦戦しつつ、冷や汗びっしょりになりながら何とかエラン・バレーに到着。
この看板が出てきたときの胸の高鳴りと言ったらなかった
この看板が出てきたときの胸の高鳴りと言ったらなかった
エラン・バレーはダムだけでなく、果てしなく広がる美しい丘陵地帯の景色も見どころ。ハイキングやサイクリング目的の人も多く(というかダムだけが目的の人はいないと思う)、観光案内と土産物店、ダム建設の歴史の展示施設、そしてカフェがひとつになったようなビジターセンターが建っていた。そしてその奥にそびえるのは、エラン・バレーダム群のいちばん下流に位置するCaban Cochダムである(ちなみにダム名の正確な読み方が分からないので現地表記のままで書きます。たぶんここは「カバン・コッホダム」だと思うけど、このあともっと読めない名前のダムが出てくる)。
これが見えた瞬間、僕は勝利を確信
これが見えた瞬間、僕は勝利を確信
Caban Cochダムはこのあたりで最初に着工されたダムで、高さ37m、幅186mの重力式コンクリートダム。スペックだけ見れば、このためにわざわざ12時間も飛行機に乗って行ったのか、と思うであろう極小型のダムである。
これを目当てに日本から来ました
これを目当てに日本から来ました
モザイク模様のように石が積まれて生み出された、巨大な越流部。すごい、こんなダム見たことない。もっと近くで見たい。ずっと見ていたい。40歳過ぎてもこんなに胸が高鳴るのだと気づいた。
もっと近づいて見たい
もっと近づいて見たい
僕も同じビブス着てそこに行きたい
僕も同じビブス着てそこに行きたい
完全に一目惚れである。たぶん現地の人々には、瞳孔と口が開きっぱなしの東洋人が、脇目も振らずダムに吸い寄せられて行くように見えたのではないかと思う。
ほんとうに来て良かった
ほんとうに来て良かった
この堤体、全部が石積みのようだけど、中まですべてそうではなく、外枠として石を積み、中にコンクリートを流し込んだ粗石コンクリートダムという工法だ。

石積みダムの構造についてはこの記事をどうぞ。
ローマ時代のダムを造ってみた

しかし、目を引くのはその石の形や積み方だ。これまで見たことのある日本の粗石コンクリートダムはほとんどが同じ大きさ、同じ形に切り揃えられた石が積まれていた。
日本で最初の粗石コンクリートダム、布引五本松ダムも
日本で最初の粗石コンクリートダム、布引五本松ダムも
日本で2番目に造られた本河内低部ダムも
日本で2番目に造られた本河内低部ダムも
4番目に登場した立ヶ畑ダムも規則正しい石積み
4番目に登場した立ヶ畑ダムも規則正しい石積み
しかし、このダムの石の大きさはバラバラだ。いや、一見バラバラのように見えて、よく見ると横のラインは揃っているから、厚さは3種類くらいに揃えられているのかも知れない。でも幅はさまざまで表面の凹凸も大きい。詳しいことは分からないけれど、いわゆる英国式石積みの要素があるような気がする。

とにかくこんな複雑な模様の粗石コンクリートダムはこれまで見たことがなかった。
さまざまな大きさの石が積み上げられている
さまざまな大きさの石が積み上げられている
帰ってからダムの専門家の方に訊いたところ、あくまでも予想としながら、当時既に産業革命が起こっていたイギリスではダム建設にも蒸気機関が使えたため(同時代の日本はまだ人力)、大きい石を蒸気クレーンで設置し、その間に小さい石を人力で設置することで作業効率を上げていたのではないか、とのことだった。つまり100年前の最先端工法だ。

表面の凹凸は、流れ落ちる水の勢いを少しでも抑えるために、白波を立てる効果を狙っているという。日本の粗石コンクリートダムは表面を滑らかに仕上げ、その下に滝壺のような池を作って勢いを抑えることが多い。これはもう美的感覚や力学的な考え方の根本からの違い、と言えそうだ。
上の方に2列に並んでいる突起も白波を立てて勢いを抑えるためらしい
上の方に2列に並んでいる突起も白波を立てて勢いを抑えるためらしい
また、放流設備の縁取りや堤体上部の柱まわり、横の斜面と接する部分など、とにかく石を自由自在に使いこなして美しく並べている。石積みマスターのドヤ顔を感じる仕上がりだ。
放流設備の縁取りとか角度が変わる部分とかの見事な石使い
放流設備の縁取りとか角度が変わる部分とかの見事な石使い
堤体のすぐ下にはこんな橋が架かっている
堤体のすぐ下にはこんな橋が架かっている
その橋のたもとには発電所の建物が
その橋のたもとには発電所の建物が
Caban Cochダムのすぐ下流に架かっている橋を渡って遊歩道が伸びている。ダムの上まで続いているようなので行ってみることにした。
遊歩道の坂を上がってダムの上に来た。ここも石使いがすごい
遊歩道の坂を上がってダムの上に来た。ここも石使いがすごい
越流してるところも見たいけどその場合堤体が見えないというジレンマ
越流してるところも見たいけどその場合堤体が見えないというジレンマ
下流方向を見たところ。右奥の屋根のところがビジターセンター
下流方向を見たところ。右奥の屋根のところがビジターセンター
ダムの上に登ってくると、貯水池に沿って細い道が続いていた。ここを上流に向かって歩いてみる。
上流に向かって道が続いている
上流に向かって道が続いている
だんだん細くなってやや不安だけど進む
だんだん細くなってやや不安だけど進む
やがて道がなくなり焦るけどさらに上流へ
やがて道がなくなり焦るけどさらに上流へ
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Nant y Groダム

湖畔をしばらく進んで、Caban Cochダムの貯水池に流れ込む支流に沿って少し遡ると、こんな景色が現れる。
何かあるのが分かるだろうか
何かあるのが分かるだろうか
ここに何かありますね
ここに何かありますね
よく見ると、それは古いコンクリートの残骸だった。小さな川の左右に壁のように立っている。そして、真ん中の川底の部分はこうなっていた。
あきらかに人工物...!?
あきらかに人工物...!?
実はこのコンクリートの残骸、このエリアでいちばん最初に造られたNant y Groダムの跡なのだ。Nant y Groダムはエラン・バレーダム群の工事のために集まった人々の宿舎に水を供給するために造られたダムで、詳しい資料が見つからないので正確なことは分からないけれど、エラン・バレーのダム群が完成したときに役割を終えたのだと思う。

それにしてもなぜ真ん中が破壊されているのか。それは少し悲しい歴史がある。

エラン・バレーのダム工事が終了したのが1904年、同時にNant y Groダムが役目を終えたとして、それからおよそ40年間はそのままの姿で佇んでいたと思われる。その後、第二次世界大戦がはじまり、その中でイギリス軍はドイツのダムを攻撃して破壊する作戦を発案する。その際に考え出されたのが、爆撃機から貯水池に落とされた爆弾がいわゆる水切りの要領で水面を跳ね、ダムに当たって水中に沈んでから爆発する、という方法。

実は、Nant y Groダムはこの有名な作戦のテストで標的として使われ、実際に爆弾で破壊されたというのだ。

その後、イギリス空軍第617飛行中隊、通称「ダムバスターズ」がドイツのメーネダム、エーデルダムを攻撃して破壊、下流に大洪水が起きて多くの犠牲者が出たうえ、ドイツの工業生産に大きなダメージを与えた。
身を呈して軍事作戦を成功させた堤体はいま何を思う
身を呈して軍事作戦を成功させた堤体はいま何を思う
エラン・バレーに行ったらここにも立ち寄ってください
エラン・バレーに行ったらここにも立ち寄ってください

ダムバスターバーガー、プリーズ!

ふたたび歩いてCaban Cochダムに戻ってきた。時間はちょうどお昼、お腹も空いたのでビジターセンターのカフェで食事をすることにした。
思ったよりいろいろある
思ったよりいろいろある
カフェでは軽食やドリンクのほか、ケーキも数種類あってイギリスらしいと思った。

メニューの看板を眺めながら、手堅くホットドッグあたりかなー、などと思っていたら、視界の端にただならぬネーミングを見つけた。
これしかない!と即決
これしかない!と即決
なんとその名も「ダムバスターバーガー」なるメニューがあった。まさにいま見てきたNant y Groダムにちなんだネーミング。このカフェでいちばん高いメニューだったけど、これしかない、と迷わず注文。

疲れと気分の高揚と発見の嬉しさとが混ざって、ウェイトレスの女の子に言った「Dambuster Burger Please!」は自分史上最高にネイティブな発音だったと思う。
しかしどのあたりが「ダムバスター」なのかはよく分からず
しかしどのあたりが「ダムバスター」なのかはよく分からず
せっかくなので外でダムを見ながらいただきました
せっかくなので外でダムを見ながらいただきました
やってきた「ダムバスターバーガー」は巨大なベーコン入りチーズバーガーで、これといって主張する味もなく、添えられたフライドポテト用のケチャップとマスタードをつけながらなんとか押し込んだ。その後胃がもたれ、この日は夕食を食べないで済むほど僕のダムをバストさせた。
ちなみにビジターセンターの前にはいろいろな遊具もあるので小さい子供連れでも大丈夫です!
ちなみにビジターセンターの前にはいろいろな遊具もあるので小さい子供連れでも大丈夫です!

Garreg dduダム

ハンバーガーによってお腹のダムがサーチャージ水位(これ以上貯められない水位)になったところで、車に乗って上流にある次のダムに向かう。

と言っても大した距離ではなく、Caban Cochダムの貯水池に架かる橋のところで車を停める。
一見すると単なる貯水池に架かる橋に見えるが
一見すると単なる貯水池に架かる橋に見えるが
単なる石橋に見えるこれこそが、エラン・バレー2基目のダム、Garreg-dduダムだ。何と読むのかは分からない。心の中では「ギャレグ・ドドゥ」と呼んでいる。

橋にしか見えないのは、水を堰き止める部分がCaban Cochダム貯水池の中に水没しているからで、このダムはもしCaban Cochダムが渇水になって水位が下がっても、上流にある取水塔の水位をキープし、確実にバーミンガムまで水を送るための堰の役割をしているのだ。
確かに橋にしては橋脚が大げさな気もする
確かに橋にしては橋脚が大げさな気もする
よく見ると石積み模様がすごい
よく見ると石積み模様がすごい
バーミンガムに水を送るための取水塔と、右の砂利道はこれらのダムを造ったときの線路跡
バーミンガムに水を送るための取水塔と、右の砂利道はこれらのダムを造ったときの線路跡
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Pen y garregダム

さらに上流に車を走らせると、Pen y garregダムがある。ダムの少し手前に駐車場があって、車を停めるとその先は川沿いに遊歩道が伸びている。柵が閉まっているように見えるけれど、鍵がかかっていない小さな扉を通って先に進むことができる。
入れないのかと思ったら右の扉から出入り可能
入れないのかと思ったら右の扉から出入り可能
数分歩くと、木々の間からPen y garregダムが姿を現した。
登場のしかたがかっこいい!!
登場のしかたがかっこいい!!
堤体の真下にも行けるようになっていた
堤体の真下にも行けるようになっていた
Pen y garregダムは通称ミドルダムと呼ばれていて、下流のCaban Cochダムと同じように、バーミンガムの水道水を貯めておく役割だ。高さ37m、複雑な石積み模様、本体がほとんど越流部なところもCaban Cochダムと似ているけれど、堤体の中心に取水塔が建っているのがアクセントになっている。
真ん中の取水塔がポイント
真ん中の取水塔がポイント
この日はほぼ満水で、両端から少しだけ越流しているところが見えた。あと数センチ水位が高ければこの堤体全体から水が流れ落ちるのだろう。もしこの位置から全面越流している光景を見られたら、たぶん人目をはばからずむせび泣くと思う。
天端の端が少しだけ低く造られているのか、低くなっちゃったのか...
天端の端が少しだけ低く造られているのか、低くなっちゃったのか...
堤体の真下まで来た遊歩道は、そこから斜面を登って上の道路まで続いていた。僕もカメラを担いでえっちらおっちら登っていく。
遊歩道を登って天端へ
遊歩道を登って天端へ
どの季節に来たら越流してるとこ見られるんだろう
どの季節に来たら越流してるとこ見られるんだろう
堤体の真横に立って、豪快に越流している姿を想像して悦に入っていたら視界の端に何かを捉えた。
何かこの場所に似つかわしくない水色が...
何かこの場所に似つかわしくない水色が...
え?ここで!?
え?ここで!?
えーと、どうやら違う意味でエキサイトした人がいたらしい。

堤体脇を通る道路まで出て、真横からダムを眺めてみて驚いた。
堤体の上が柵もないのに通路になっている...!
堤体の上が柵もないのに通路になっている...!
堤体上が真ん中の取水塔に行くための通路になっていた。でも全面越流型なので柵もない。ここ、水が満水のときも、少ないときも歩くの怖そうだ。

Craig Gochダム

来た道を戻って車に乗り、さらに上流へ。この川に造られたダムでもっとも上流にあるCraig Gochダムを目指す。途中、Pen y garregダムの貯水池越しにCraig Gochダムが見えたのだけど、この光景がもはやおとぎ話の世界のようだった。
こんなダムの世界があるのかよ...
こんなダムの世界があるのかよ...
というわけで数分でCraig Gochダムに到着。ここもCaban Cochダム、Pen y garregダムと同じ堤高37mだけど、天端が道路になっていて印象がかなり違う。
いやーこれは美しい
いやーこれは美しい
石積みダムと羊でこれぞヨーロッパという感じ
石積みダムと羊でこれぞヨーロッパという感じ
美しい造形だけど、ここはこれまでのダムと比べて立入禁止の場所が多く、見どころが少ない印象。でもエラン・バレーでいちばん上流にある貯水池の光景は、新宿とかと比べてこれが同じ地球上か、と思うほど何もなくて長閑だった。
どうしてこんなに何もないんだろう
どうしてこんなに何もないんだろう
取水塔の種類や形はよく分からないんだけど撮ってしまう
取水塔の種類や形はよく分からないんだけど撮ってしまう
次は少し戻って、Garreg dduダムの上を通って別の川を遡り最後のダムに向かう。
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Dol y mynachダム

Caban Cochダムはちょど川の合流点に造られていて、Elan川にPen y garregダムとCraig Gochダムが造られている。もうひとつのClaerwen川に、これから向かうDol y mynachダムとClaerwenダムがあるのだ。

とは言っても、Dol y mynachダムは建設途中で中止になり放棄されたダム跡だ。その現場も、木々の切れ目からチラリと見えるだけだった。
自分でもよく気がついたなと思った
自分でもよく気がついたなと思った
真ん中に取水塔が立つPen y garregダム風の姿になる予定だったのではないか
真ん中に取水塔が立つPen y garregダム風の姿になる予定だったのではないか

Claerwenダム

いよいよ、エラン・バレーダムめぐりも最後の1つ、このエリアではいちばん新しいClaerwenダムだ。これまでのダム群が1896年から1906年にかけて建設されたのに対し、Claerwenダムは第二次世界大戦後に工事が始まり、1952年に完成した。
こんな静かな小川のほとりを進む
こんな静かな小川のほとりを進む
み、見えてきた!
み、見えてきた!
さらさらと小さな音を立てて流れる小川に似つかわしくない、黒ずんだ堤体が先の方に見えてきた。エラン・バレー最大の高さ56m、幅355mもある堤体はさすがに迫力が違う。
これはすごい
これはすごい
10年見たかったダムを12時間かけて見にきて「すごい」という言葉しか出ない
10年見たかったダムを12時間かけて見にきて「すごい」という言葉しか出ない
ものすごい勢いで放流していて、もうホントすごい
ものすごい勢いで放流していて、もうホントすごい
大きいけどデザインはエラン・バレーのダムそのもの
大きいけどデザインはエラン・バレーのダムそのもの
あまりの迫力に圧倒されたけれど、少し経って落ち着いたら不思議な感覚がしてきた。このダムは1940年代後半から工事が始まり、完成したのは1952年。日本でも粗石コンクリートダムは戦前には廃れて、石積みではなく型枠でコンクリートを固める時代に入っていた。「ダム先進国」であるイギリスで、なぜ戦後に粗石コンクリートダムが造られたのか。

これは帰ってきてから調べて分かった。Claerwenダムは、イギリスがエラン・バレー最後のダム、そして世界で最後の粗石コンクリートダムとして建設したのだそうだ。しかし、イギリス自慢の石工たちは戦争から復興する都市部で働いていたため、イタリアの石工を呼んで石積みしたのだという。さらに竣工の式典では、即位したばかりのエリザベス2世女王が最初の公式行事として訪れている。

そう考えるとため息しか出ない。周囲の光景との対比、ほかのダムとの統一感、時代背景とダム先進国としての意地。異なる国との技術の融合。迫力がすごすぎる。成り立ちが美しすぎる。

現地ではもちろんそんな裏話は知らなかったけれど、なんだか圧倒されて、しばらく草地に座ってぼーっと眺めていた。
石積みの精度も半世紀分進化していると思う
石積みの精度も半世紀分進化していると思う
最後の最後にちょっと動けなくなった
最後の最後にちょっと動けなくなった

火がついた

10年間温めていたエラン・バレーは本当に最高だった。ガイドブックに載ってるのを見たことがないけれど、もういちど行きたいし、何なら毎年行きたいとすら思っている。

そして個人的には海外のダムめぐりに火がついた。生きている間にどうしても見たいダムがイタリアとオーストリアとポルトガルにある。
ちなみに滞在中はエラン・バレーから5kmほどのRhayaderという街に泊まっていた。小さいけれどとても良いところでした。
ちなみに滞在中はエラン・バレーから5kmほどのRhayaderという街に泊まっていた。小さいけれどとても良いところでした。
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