特集 2011年8月20日

35年前のガイドブックに載っている店巡り

35年前のガイドブックに載っているお店に行ってみます!
35年前のガイドブックに載っているお店に行ってみます!
美味しい料理を出すお店が掲載されているガイドブック。今も昔も多くのガイドブックが出版され、今のガイドブックには今の、昔のガイドブックにはその当時のお店が紹介されている。

知らない土地に出かけた際は、特にこのガイドブックが重宝する。

ということで、今回は35年前に出版されたガイドブックを片手に名古屋を歩いてみようと思う。果たしてガイドブックに載っているお店は今も残っているのだろうか。
1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Web独り者 彼女がいる風の地主恵亮

残っていれば美味しいはず

ガイドブックには美味しい料理を出すお店が掲載されている。グルメ本と言われたりもする。本屋に行けばこの手の本がズラリと並んでいる。
ガイドブック「名古屋の味」に載っているお店を巡ります!
ガイドブック「名古屋の味」に載っているお店を巡ります!
今回は昭和51年に出版された「名古屋の味」というガイドブックに載っているお店を巡ってみようと思う。今から35年前のガイドブックだ。昭和51年といえば、VHSビデオテープレコーダが発売され、王貞治がベーブルースを抜く715号本塁打を打った年だ。
初版は昭和51年
初版は昭和51年
この本が出た当時に生まれた赤ん坊は現在は35歳。逆に赤ん坊を育てていても不思議はない。

もしそんな長い時を経ても、残っているお店があれば絶対に美味しいはずだ。不味いと潰れているだろうから。
ということで、名古屋にやって来ました
ということで、名古屋にやって来ました

焼肉 精香園

このガイドブックは「名古屋の味」というタイトルだけあって、名古屋のお店が紹介されている。僕は東京に住んでいるので、名古屋については名古屋駅に東急ハンズがある、くらいしか知識がない。名古屋についてはこのガイドブックだけが頼りだ。
最初は「精香園」に行ってみます
最初は「精香園」に行ってみます
名古屋駅の近くにお店はないかと探してみると「精香園」という焼肉のお店が載っていた。本によればこの道20年のお店らしい。今も残っていればこの道55年だ。全国に「精香園」という焼肉屋はたくさんあるが、最初に名乗ったのがこの店と本には書かれている。
ガイドブックの地図を見ながら進む
ガイドブックの地図を見ながら進む
焼肉料理の元祖と言ってもよい、と本にはある。OLにも人気がありランチタイムはOLでにぎわうそうだ。

焼肉料理の元祖で、OLに囲まれながら食べる焼肉。悪くない。むしろ良い。砂漠で遭難中にオアシスを見つけたかのように僕のテンションは上がった。
ガイドブックの地図が簡単すぎて困る
ガイドブックの地図が簡単すぎて困る
ガイドブックの地図を見ながら進むのだけれど地図が簡単すぎてよく分からない。そもそも僕に名古屋の土地勘がないので、スワヒリ語で経済学の授業を聞いているようなもう意味が分からない状態だ。とりあえず精香園の並びにある「都ホテル」を目指すことにした。
ということで、都ホテルに到着!
ということで、都ホテルに到着!
人に聞いたりしてどうにか都ホテルに辿り着いた。正しくは都ホテルだった場所に辿り着いた。現在は映画館などがある多目的ビルになっている。

都ホテルは2000年に閉館したそうだ。都ホテルといえば全国的に有名。それがないということは、精香園もないのではと一抹の不安を感じた。
都ホテルは間違いなく映画館になっていた
都ホテルは間違いなく映画館になっていた

OLと焼肉の夢は夢

都ホテルだった場所から地図を見ながら精香園を目指す。焼肉料理の元祖と書かれているくらいだから残っているはずだ、とドラえもんの映画でジャイアンがすごくいい奴になる確率くらいに信じ直し歩みを進めた。そして、ついに精香園に辿り着いた。
当時の精香園
当時の精香園
現在の精香園
現在の精香園
地図の場所に辿り着いたけれど、精香園は残っていなかった。パチンコ屋になっていた。向かい側には地図にあるように豊田ビルと毎日ビルがあるので間違いない。もっともコチラも今は建て替えたようで「豊田・毎日ビルディング(ミッドランドスクエア)」になっている。
ミッドランドスクエアというカッコいい名前になっていた
ミッドランドスクエアというカッコいい名前になっていた
本によれば、精香園はゆったりとしたスペースで清潔な店内だったそうだ。今はその面影が全くない。パチンコ屋だ。元祖だったのに。

OLに囲まれての焼肉ランチが夢に終わった。精香園はパチンコ屋へ、そして、当時の若いOLはマダムへと変わっていることだろう。残念だ。
何回見てもパチンコ屋だった
何回見てもパチンコ屋だった
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とんかつ 石川

次は新栄に移動して「石川」というとんかつ屋に行ってみようと思う。今回のお店のチョイスは本にお店の外観が載っていることを基準にしている。お店によっては料理の写真だったりするので、変化が分かりやすい外観が載っているお店をチョイスしているわけだ。
このお店に行きます!
このお店に行きます!
本には、美味しいハヤシライスを作る店として知られていたが、やがてとんかつの店として知られるようなった、と書かれている。

僕は名古屋については、栄駅の近くに東急ハンズがある、くらいしか知らない。そのため本には「知られている」と書かれているが、僕はこの本を読んで初めて知ることになった。
新栄駅にやって来ました
新栄駅にやって来ました
本の地図を見ると駅からそう遠くないようだ。ただ地図には他の目印となる建物が描かれていないので、高二の進路選択のように迷ってしまう。また本には玄関の構えはそんなに目立つ方ではない、とも書かれている。もう宝探しのような状態だ。
もっと詳しい地図を下さい!
もっと詳しい地図を下さい!

奇跡的に辿り着いた

駅から近いというのが良かったのか、キッチリ道を一本間違えただけで(無駄な10分でした)、どうにか辿り着くことができた。

そしてお店は残っていた。
しかも本に載っている写真の通りなのだ。同窓会なら「変わってないね~」という話題で持ちきりなるはずだ。
当時の石川
当時の石川
現在の石川(名古屋市中区新栄1-6-7)
現在の石川(名古屋市中区新栄1-6-7)
本には、店内は奥に深く、仕切った部屋が20室あってカップルごとに水入らずで食べられる、とある。それは今も変わりない。その結果、高級の二文字が、寝付きそうな時に耳元で飛ぶ蚊のように、しつこく僕にまとわり付いている。お金は足りるだろうか。
高級感が漂う店内
高級感が漂う店内
本に書かれた当時の値段を見てみると、一番高い「ひれかつS」が2100円で、その次が1350円となっている。と思っていたら、この値段は昭和57年のものだった。僕の持っているこのガイドブックは初版は昭和51年だけれど、昭和57年に重版されたもの。値段は重版された時に差し替えられているようだ。
昭和57年の値段
昭和57年の値段
現在の値段
現在の値段
名代ひれかつを頼んだ。昭和57年に1350円だったものがこれだと思う。約30年前の値段とそう変わりはない。お店の高級感を考えれば高くはないと思う。というか、今さらお店の高級感にびびっているけれど、本に載っている料理の写真を見て、高級感に気付いておくべきだった。
高級感あふれる写真
高級感あふれる写真

昇天しそう

とんかつにつけるタレは味噌とデミグラスソースの2つから選べる。写真のタレはデミグラスソース。ハヤシライスが有名なだけあって、デミグラスソースはさぞ美味しいだろう。またタレの選択肢に味噌があるのが、なんとも名古屋らしい。
やって来ました「名代ひれかつ」
やって来ました「名代ひれかつ」
とんかつだけれどカキフライのような形をしているのが、このお店のとんかつの特長。当時の料理の写真と変わっていないのが嬉しい。

デミグラスソースを付けて食べてみると、分厚い肉なのに柔らかく、ソースが肉の美味しさを引き出していて、とてつもなく美味だった。
昇天しそうだった
昇天しそうだった
その美味しさに今もお店が残っている理由が分かった気がした。これだけ美味しければ潰れない。

本にあるように、多くのカップルがこの個室で水入らずで、このとんかつに舌鼓を打ったのだろう。そのカップル達は今どうしているのだろうか。結婚していればマイホームを持っているかもしれない。そしてローンの終わりが見えて来ている頃だろう。とんかつを食べながら35年の時の長さとローンの大変さを感じた。
ちなみに入り口は二つあった、こっちは分かりやすい
ちなみに入り口は二つあった、こっちは分かりやすい

ふぐ料理 灘屋

この本に載っている写真の多くは、料理だったり、内観だったりするので、外観が載っているお店と限定するとあまりその数は多くない。

そのため次に行くのはふぐ料理屋だ。絶対に値段が高い。きっと僕には払えない金額だ。正直な話、ないといいな~と思いながら、名古屋の知人にお金を借りて「灘屋」に向かった。
このお店に行きます
このお店に行きます
栄にあるふぐ料理専門店「灘屋」。創業は昭和8年という老舗らしい。雑居ビルが立ち並ぶ繁華街にあるけれど、純日本風のたたずまいをしたお店だそうだ。絶対に高い。でも、フグは人生で2回しか食べたことがないので、知人に借りたお金だし食べてもいいかな~とも思っている。
丸善という目印があるので助かる
丸善という目印があるので助かる
栄駅から例のごとく本の地図を見て灘屋に向かう。地図に丸善と書いてあるので、曲がる場所は間違えないと思う。もっともその丸善がなくなっていれば話は変わるが、よく聞く名前だからきっとあるはずだ。
あった!
あった!
丸善があったので、この先の角を曲がった2ブロック目に灘屋はあるはずだ。本に書かれたお店の住所を見れば、旧住吉通と書かれていて、角を曲がれば「住吉町」と書かれたゲートもあった。順調。こりゃ、借りたお金でフグを食べることになるだろう。フグって1万円で足りるのだろうか。
気分よくゲートをくぐった
気分よくゲートをくぐった
地図だとこのあたりなのだけれど
地図だとこのあたりなのだけれど

歌ってしまいそう

地図の辺りに来てみると、本の通り雑居ビルが立ち並ぶ繁華街だった。こんなところに純日本風のたたずまいをした建物があれば、否応なしに目立つはずだ。しかし、ない。その場所は違う建物になっていた。
昔の灘屋
昔の灘屋
現在の灘屋
現在の灘屋
灘屋はシダックスになっていた。カラオケ屋だ。一万円を持って一人でシダックスに行けば、声が出なくなるほど歌えると思う。純日本風の建物とは逆を行くヨーロッパっぽい建物になっているのにも時代を感じた。
一万円は返した
一万円は返した
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餃子専門店 百老亭

次に向かうのは餃子専門店の「百老亭」。本によれば餃子以外には焼きそばと野菜炒め、玉子スープしかないのだそうだ。お店があるのは大須。東京でいうと秋葉原と浅草を足したような場所だと本には書いてある。
ここに行きます
ここに行きます
最初はこだわりのコーヒーしか出さなかった喫茶店が、やがてナポリタンをだし、カツ丼をだしとメニューが増えて行くことがある。

最後の方は喫茶店なのか定食屋なのか分からなくなったりするが、この餃子専門店「百老亭」はどうなのだろう。残っていたとしても、餃子一本で勝負しているのだろうか。
こんな簡単な地図で35年前の人は辿り着けたのだろうか
こんな簡単な地図で35年前の人は辿り着けたのだろうか
もしお店が残っていても、ナポリタンや小倉トーストがメインで、オマケに餃子が付くみたいな感じだったら、残っているといえるだろうか。

あるいはキットカット餃子みたいな、変な餃子を出していてもどうだろう。そんなことを考えながら百老亭を目指した。
大須観音までは迷わずに来れた
大須観音までは迷わずに来れた
大須観音からはアーケード街を歩くけれど、もう本の地図では全然分からない。高校時代の英語の授業が毎回こんな感じだった。大須には有名な演芸場「大須演芸場」があるから、それも地図に描いといてくれればいいのだけれど、描かれていない。もう迷子である。
人に道を聞いて大須演芸場を記念に見に来た
人に道を聞いて大須演芸場を記念に見に来た
その後、あるか否か分からない店を人に聞くわけにもいかず迷子
その後、あるか否か分からない店を人に聞くわけにもいかず迷子
地図があった
地図があった
アニメやゲーム関係のお店があったり、電子部品を売るお店があったりと秋葉原のようだ。ただ、それに見とれていると完全な迷子。そんな時、地図を見つけたのでそこに「百老亭」の文字があるか探すことにした。
あった!(あ~さっきこの近く通ったわ!)
あった!(あ~さっきこの近く通ったわ!)

今はさらに餃子専門店

貼ってあった地図を覚えて百老亭に向かった。大須演芸場から100メートルも行かないところに百老亭はあった。地図に大須演芸場が描かれていれば迷わなかったのにと思う。さっきの大須演芸場の写真をよく見ると百老亭が写っているではないか。
惜しかった
惜しかった
昔の百老亭
昔の百老亭
現在の百老亭(名古屋市中区大須2-13-13)
現在の百老亭(名古屋市中区大須2-13-13)
人間ならシュッとしているね、と言われるであろう外観は今も変わらない。上側にある提灯のような物がなくなり、代わりに電気を使った看板が置かれている。この辺に35年の時間の流れを感じる。
餃子が楽しみで笑顔!
餃子が楽しみで笑顔!
メニューは果たしてどうなっているのかと思い見てみると、本が出版された当時よりも、餃子で勝負していた。焼きそばも野菜炒めもないのだ。
飲み物は別にあります
飲み物は別にあります
ちなみに昭和57年の値段
ちなみに昭和57年の値段
値段は500円。昭和57年当時は350円だったので、少し値上がりしている。といっても決して高くはない。では味はどうなのだろうと思っていたら、120個の餃子をテイクアウトするお客さんが現れた。こりゃ、絶対に美味しいと確信した。
鍋貼(やき)餃子(500円)
鍋貼(やき)餃子(500円)
運ばれて来た餃子はなんともシンプル。食べてみると、モチっとした皮の食感にすでにほっぺが落ちそうになり、その後にやって来るストレートな具と相まって唸りたくなる。要するに美味しいのだ。モチっとした皮がポイントだ。餃子専門店なだけある。文句のつけようがない。
シンプル イズ ベストの最良の例だと思う
シンプル イズ ベストの最良の例だと思う
やはりここも今なお残っていることが頷けるお店だった。食べるごとに唸ってしまう。さすが餃子専門店だ。ガイドブック掲載時よりメニューが減り、より餃子への絶対的な自信を感じることができた。そして、その自信は正しい。
美味い!
美味い!

寿司 とも絵寿司

次に向かうのは「とも絵寿司」。お店の外観が昨日見た悪い夢のようでぜひ行ってみたいと思ったのだ。寿司だから多少お金がかかりそうだけれど、それでも行ってみたいと思わせる外観なのだ。
ここに行きます
ここに行きます
本によれば、ビルの上には千石船が乗っていて、お店の2階は民芸風の作りになっているそうだ。場所は千種区。ちょっとバブルの匂いがするけれど果たして今も残っているのだろうか。
ということで千種駅にやって来ました
ということで千種駅にやって来ました
本の地図を見ると駅からはそう遠くないように思えるが、地図が如何せん簡単なので、実は徒歩30分と言われても驚かない。そのくらいの覚悟をしていたが、本をよく読むと中央線千種駅の東から千石船が見えるとある。やっぱり近いようだ。
駅から見えるなら迷わないで行けそう!
駅から見えるなら迷わないで行けそう!
駅を出て周りを見渡したけれど千石船は見えなかった。しかし本の頃と比べれば、建て替え等で他の建物が高くなっているはずだから、見えないのかもしれない。もう口の中が寿司モードになっているのでぜひ食べたい。
暗くなりかけている千種を歩く!
暗くなりかけている千種を歩く!

地図が違う

地図を見ると大きな通りにつながる細い道の右側の角にとも絵寿司はあることになっている。しかし、本に載っている写真を見ると手前が大きな通りで奥へと細い道が走っている。地図通りだとこのような写真にはならないはずなのだ。
写真から考えると赤い点の場所がおそらく本当のとも絵寿司の場所
写真から考えると赤い点の場所がおそらく本当のとも絵寿司の場所
本の写真から考えると、とも絵寿司があるのは左側の角ということになる。なぜこのような考察をしているかというと、「とも絵寿司」がなかったからだ。あればどちらが正しいか分かるのだけれど、ないのだから仕方がない。
当時のとも絵寿司
当時のとも絵寿司
現在のとも絵寿司
現在のとも絵寿司
とも絵寿司は駐車場になっていた。駐車場の隣に建物があるけれど、当時の写真を見ると駐車場の場所がとも絵寿司になると思う。

千石船はどこに行ってしまったのだろうか。僕の口のお寿司モードはどうなるのだろうか。完全に駐車場でお寿司の「お」の字もない。35年という時間の流れを感じた。
昔はここでお寿司が握られていたのか…
昔はここでお寿司が握られていたのか…
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27年前のガイドブック

せっかくはるばる名古屋まで来たので、先のガイドブックとは異なるガイドブックでもう2軒ほどお店を巡ろうと思う。先ほどのガイドブックは35年前のもので、これから使うガイドブックは27年前のものだ。
名古屋味どころ(先のガイドブックと同じシリーズ)
名古屋味どころ(先のガイドブックと同じシリーズ)
昭和59年に出版された物
昭和59年に出版された物
27年前といえば、昭和59年で紙おむつ「メリーズ」が発売され、日本の平均寿命が男女共に世界一になった年だ。

先ほどの本より新しいので残っているお店も多いと思う。今回はせっかく名古屋に来ているので、名古屋名物である「きしめん」のお店に行くことにした。
この本にはきしめん屋は2件しか載ってない
この本にはきしめん屋は2件しか載ってない

きしめん 英傑茶屋

この本にきしめん屋は2件しか載っていないので、その両方に行ってみようと思う。せっかく名古屋に来たのだから、ぜひきしめんは食べておきたいのだ。
一軒目はこちら
一軒目はこちら
東区にある「英傑茶屋」。何種類もの小麦を配合した昔ながらのメンを味わうことができるお店だそうだ。ダシは本カツオとムロアジからとり、3日間熟成させると本にはある。読むだけで美味しそうだ。
新栄駅から歩く
新栄駅から歩く
35年前のガイドブックの取材が終わった後に、改めてこちらの取材を行っているように見えるが、実は2軒目の「石川」に行った後に向かっている。

とんかつを食べた直後だけれど、ぜひきしめんを食べておきたい。せっかく名古屋に来たのだから。
相変わらず簡単な地図
相変わらず簡単な地図

僕のきしめんは夢となる

地図は簡単だけれど大通り沿いにあるようなので迷うことはないだろう、と思っていたらやっぱり迷わなかった。そのかわり英傑茶屋もなくなっていた。
昔の英傑茶屋
昔の英傑茶屋
現在の英傑茶屋
現在の英傑茶屋
英傑茶屋はビルになっていた。僕のきしめんがビルになっていた。釜揚げきしめんが美味しいらしいが、ビルになっていた。

27年という時間の長さを改めて感じた。当時生まれた子供は、すでに人からお金を借りて、フグを食べようとする大人になっている時の長さなのだ(僕です!)。
ビルだな
ビルだな

手打ちきしめん 千草亭

最後に向かうのは千種にある「千草亭」。本によれば、きしめん専門店には珍しく営業時間は夕方から深夜2時までだそうだ。英傑茶屋はなくなっていたので、今度こそきしめんを食べたいと思っている。
このお店です
このお店です
このお店のきしめんは一般のきしめんよりも分厚く、ダシは昭和35年の開店以来、化学調味料を一切使っていないそうだ。またモチ入りちぐさ、とろきしめんなどメニューも豊富とのこと。期待も高まる。
千種駅の近くにある
千種駅の近くにある
5軒目に行ったとも絵寿司の後に今回の「千草亭」に向かっている。口の中がお寿司モードだったけれど、とも絵寿司はすでになく、その夢は叶わなかった。

今回の取材は時間的にこの「千草亭」が最後。ぜひ名古屋名物であるきしめんを食べて幸せに終わりたいと思う。
この並びにあるはず
この並びにあるはず

最後のお店へ

本に載っている住所が今も変わらず存在する。35年前のガイドブックだとそうもいかなかったけれど、27年前だと一緒。そのおかげで、お店は随分と探しやすくなる。しかし、お店が残っているかはまた別の問題だ。
昔の千草亭
昔の千草亭
現在の千草亭
現在の千草亭
現在の看板を見ると「千ぐさ」と書いてある。昔の看板は漢字で「千草亭」で、現在は「千ぐさ」。名前はほぼ一緒だ。象とインド象くらいの違いしかない。しかし、である。一番の問題は嫌でも目に入る「とんかつ」の文字だ。
間違いなく書いてある
間違いなく書いてある
本の通りならば「きしめん屋」のはずだ。しかし看板には「とんかつ」の文字。象とインドの像くらい違うものになっている。もう完全に別物だ。片や動物園のアイドルで、もう片方は民芸品。全然違う。僕のきしめんはどこに行ったのだろうか。
メニューを見てもきしめんはない
メニューを見てもきしめんはない
お店に入り聞いてみると、数年前にきしめん屋からとんかつ屋に変わったそうだ。名前は似ているけれど繋がりはなく全く別のお店とのこと。きしめん屋が潰れて、そこに似たような名前のとんかつ屋ができたわけだ。その結果、ついに僕はきしめんを食べることはできなかった。
しかも、その後雨に降られるという運の悪さ
しかも、その後雨に降られるという運の悪さ

昔のガイドブックは面白い!

今回は土地勘のない場所で昔のガイドブックを持ってお店を巡った。これが冒険のようで面白かった。またお店が残っていた場合、そのお店の料理はもれなく美味。今後も昔のガイドブックを片手に歩き回りたいと思う。ちなみに一時間半くらいは道に迷っていた。夏には向かない企画だ。
名古屋の道は広かった!
名古屋の道は広かった!
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