特集 2012年1月21日

結果だけを求めた瓦割りに挑戦する

結果だけを求めた瓦割りに挑戦します
結果だけを求めた瓦割りに挑戦します
「結果がすべて」という考え方がある。
確かにその通りでどんなに過程がよくても、結果が伴わなければ意味がない。いつだったかサッカーの日本代表監督も「結果がすべて」と言っていた気がする。結果が大切なのだ。

そこで、僕も常に結果だけを求めてみようと思う。過程を無視して結果だけを求めるのだ。
1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Web独り者 彼女がいる風の地主恵亮

結果だけを求めた瓦割り

「瓦割り」というものがある。空手家などが、その名の通り瓦を割るパフォーマンスの一種だ。当たり前だけれど瓦は驚くほど固く、そう簡単に割れるものではない。
トレーニングなどを一切せずに挑戦すると
トレーニングなどを一切せずに挑戦すると
当然割れない(そして手が痛い)
当然割れない(そして手が痛い)
何のトレーニングもしていない僕に瓦を割る力は当然なく、ただ手が痛いだけだった。瓦を割ることができる空手家は、瓦を割るという結果までに、たゆまない努力という過程を踏んでいるのだ。
空手家のたゆまない努力のイメージ(冬の海)
空手家のたゆまない努力のイメージ(冬の海)
僕はそういう過程を無視して結果だけを求めたいと思う。空手家が1をやって2をやって3という結果を出すとすれば、いきなり3だけを僕はやるのだ。ちなみにこの場合の3は「瓦が割れる」である。
とん!(金槌を使う)
とん!(金槌を使う)
結果だけを求めた瓦割りを行った。金槌で瓦を叩くだけ。とても楽だった。たゆまない努力もなしに瓦は真っ二つ。素手と金槌という違いはあるけれど、共に結果は「瓦が割れる」である。
結果がすべてに基づいた瓦割り
結果がすべてに基づいた瓦割り

結果だけを求めた板割り

瓦割りと同じように空手家などが行う「板割り」。もちろん板は固く、板を割るには、やはりたゆまない努力という過程が必要だ。
もちろん僕はできない(板を持ってくれる友達がいないので合成です)
もちろん僕はできない(板を持ってくれる友達がいないので合成です)
しかし努力という過程を踏まずに、ここでも結果だけを求めてみようと思う。板を真っ二つにするのが板割りのゴール。ということは結果として板が二つになればいいのだ。
ノコギリで切る
ノコギリで切る
真っ二つ!(切った板を持った)
真っ二つ!(切った板を持った)

結果だけを求めたスプーン曲げ

次は「スプーン曲げ」に挑戦しようと思う。マジシャンや超能力を持つ人が行う芸の一種で、スプーンが曲がれば成功だ。今回も結果だけを求める。
念じてみたがもちろん曲がらないので、
念じてみたがもちろん曲がらないので、
ペンチを使い
ペンチを使い
曲げる!
曲げる!
満員電車で座席に座るよりもずっと簡単にスプーンは曲がった。ほんの一瞬の出来事で、改めてラジオペンチって便利だな~と思った。「結果がすべて」という考えに基づけば、これでなんら問題はないはずだ。
次は大手町で結果を出します
次は大手町で結果を出します

結果だけを求めた箱根駅伝

日本のお正月の風物詩「箱根駅伝」。2日間にわたり行われ、1日目に東京・大手町を出発し箱根・芦ノ湖を目指し、2日目はその逆で芦ノ湖を出発し大手町へと帰ってくる。毎年テレビで放送される人気のイベントだ。
公式サイトを見たら、ゴールとスタートはビルを1つ挟むだけらしい
公式サイトを見たら、ゴールとスタートはビルを1つ挟むだけらしい
「大手町」がスタートで、「大手町」がゴール。これも考えてみれば大手町をスタートして、結果的にはまた大手町に戻ってくるのだ。ということは、もう大手町だけで完結させればいいのではないだろうか。
大手町をスタート
大手町をスタート
大手町でゴール(工事現場の向こうがスタート地点)
大手町でゴール(工事現場の向こうがスタート地点)
結果だけを見れば本当の箱根駅伝と同じである。3分で終わる箱根駅伝。そこにドラマは一つも生まれない。

この「結果がすべて」で行くと、遠足も変わってくる。「家に帰るまでが遠足」という名言があるように、結果として家に戻ってくるのだ。ということは、もうずっと家にいればいいのではないだろうか。
結果だけを求めた遠足の風景(ずっと家にいる)
結果だけを求めた遠足の風景(ずっと家にいる)

立ち上がる!

このように結果だけを求めた結果、感じたことは虚しい、そして悲しいだった。クラスのみんなでカラオケに行ったと翌日になって聞かされたような悲しさと虚しさを感じる。そこで今度こそキチンとした瓦割りに挑戦してみようと思う。
金槌は使いません!
金槌は使いません!
きっとこういう虚しさや悲しさを感じるだろうと、キチンとした瓦割りのために、僕は去年から努力という過程を始めていた。その努力はほかの記事でも見ることができる。努力を始めたら、自然とそういう記事が増えたのだ。
腕力をつけるトレーニング(箸より重いものを持たない生活)
腕力をつけるトレーニング(箸より重いものを持たない生活)
空手家のように冬の海にも入った(チクワをシュノーケルとして活用する)
空手家のように冬の海にも入った(チクワをシュノーケルとして活用する)
もちろん記事だけではない。握力を鍛えるべく、そういうマシンも購入した(100均だけど)。腕立てもした。瓦割りに何が重要か分からなかったので、とにかくいろいろな努力をしたのだ。
握力を鍛えたり、
握力を鍛えたり、
腕立て伏せをしたり
腕立て伏せをしたり
そういう過程を踏まえて再度「瓦割り」に挑戦する。これだけの努力をしたのだ。きっと瓦は金槌を使った時のように真っ二つに割れることだろう。努力という過程により、素晴らしい結果を生み出すのだ。過程があってこその結果なのだ。
行くぜ!
行くぜ!
ムリ!(すっごく痛い)
ムリ!(すっごく痛い)

結果がすべて

ということで、今回は結果だけを求めてみた。やり方はともかく最終的な形は同じだ。瓦は割れたし、板も割れた。スプーンも曲がれば、箱根駅伝をスタートして、ゴールまで一人で走りきった。しかし、そこにあるのはなんだか虚しい、そして悲しいという結末。今後は過程もある程度踏まえて結果を求めて行こうと思う。
瓦が余って困っている
瓦が余って困っている
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