ひらめきの月曜日 2012年3月5日
 

名前のないメニューを食べる一日

ここに写っているもの、それは名はない
ここに写っているもの、それは名はない
「人類最大の発明とは何か」という問いに対する答えは多々あるだろうが、候補の一つとして「ものに名前をつけるというシステム」があるのではないか。他の発明に必須である思考というものの根源になっていると思うからだ。

しかし、そんな偉大なシステムから逸脱するものもある。例えばあれだ、何と呼んでいいかわからないけど、適当に作ったのに妙にうまくできて気に入った料理というのが誰にでもあるだろう。

でかい風呂敷を広げたのに、話は一気に卑近になる。そういうものを食べる一日を作ってみた。
1973年東京生まれ。今は埼玉県暮らし。写真は勝手にキャベツ太郎になったときのもので、こういう髪型というわけではなく、脳がむき出しになってるわけでもありません。→「俺がキャベツ太郎だ!」
> 個人サイト テーマパーク4096 小さく息切れ

名前発生未満の食べ物たち

人類の偉大な発明、命名システムに達していない料理。うちの場合、餃子を作ったあとにそれは誕生した。
どうしてもピタッといかない
どうしてもピタッといかない
餃子を作るとき、具と皮の量が合わないことがある。皮が余った場合はチーズやハムなどを適当に包んで、洋風餃子的なものを作るのだが、問題は具が余ったときだ。

いろんな可能性のある場面だと思う。うちの場合は何度か模索した結果、方向性が定まっていった。今回は朝食として作ってみよう。
皮と同じ成分を投入
皮と同じ成分を投入
そして焼く
そして焼く
具に小麦粉を投入し、丸く整えてフライパンで焼く。もっと手間のかかることを試したこともあったのだが、これは非常に簡単という点も定着していった理由だと思う。

足りなくなった皮は小麦粉でできているもの。なので、それを追加するのは形を変えた餃子とも言えて、料理の理に適っている部分もある。
見た目が今ひとつなのが欠点
見た目が今ひとつなのが欠点
焼き上がったら完成だ。家では便宜的に「餃子の具のアレ」と呼んでいる。名前まで至らない、あいまいな存在。

しかし、通常は皮に包まれた具の味がダイレクトに伝わってきて実においしい。小麦粉を混ぜていることで、ほどよくもっちりした感じもある。
食べるシステムは餃子と同じ
食べるシステムは餃子と同じ
別物としてうまい
別物としてうまい
この方法に定着するまで、小麦粉を混ぜずに焼いていた頃もあった。具にボソボソ感があって、残ったものを単に処理している感じが強かったのだが、こうすることで定番料理となった。

今では妻に「餃子じゃなくて、餃子の具のアレの方で」と、リクエストすることもある。妻も「包む手間がなくて楽」とのこと。そう言えばそうだ。

お好み焼に近いとも言えるが、味が明らかに餃子なのでその名で呼ぶには違和感がある。ゆえに今日まで命名に至っていないのだ。

どこの家にもありそうなこうした料理。なんでもありとも言えるので、昼食はできたら自作ではなく飲食店で同様の料理を食べたい。
焼きそば屋さんにしては立派な店構え
焼きそば屋さんにしては立派な店構え
いつものスーパーでは見かけないソース
いつものスーパーでは見かけないソース
しかし、捜索は難航。やはり商品として料理を提供する飲食店の場合、命名システムを使わないと成り立たないのだろう。名前のない料理があったとしても、それはレギュラーメニューとは別の形で提供されるだろうから、表だっては出てこない。

なんとか見つけたのが群馬県にある焼きそば専門店「岩崎屋」。提供する品は焼きそばであって、そこについては確定しているのだが、命名に至らない品があるのだ。
一番左、おかしいだろ
一番左、おかしいだろ
いや、でも気になるし…
いや、でも気になるし…
焼きそばの量のバリエーションが豊富なこのお店。小・中・大・特大まではごく一般的だと思う。

そのあとに「ジャンボ」が来て混迷の予感が漂い始め、続いてが「ダブル」。なんか2倍なんだね、特大やジャンボではそこまでいってなかったんだね、とまあ納得できるとも思う。

ただ、そのあとが「名はない」。急に吹っ切れているのだ。
「名はない」と「小」
「名はない」と「小」
標高も高い
標高も高い
「名はない」という概念VS自分
「名はない」という概念VS自分
やってきたのは息をのむ量の焼きそば。ただ者ではない雰囲気を漂わせる「名はない」という言葉に負けない存在感だ。「小」でも女性だったらこれで十分な人もいそうな量なのだが、文字通り子供のように見える。

太麺、色の濃いソース、具はキャベツのみと、焼きそばそのものに個性を備えるこの店。実際に食べてみよう。……おおっ、これは好みの味だ。
色ほど味は濃すぎない
色ほど味は濃すぎない
これうまいなー!
これうまいなー!
味の決め手はやはりソースだろうが、一般的なソースの味の範囲内でありながら、家の冷蔵庫にあるナショナルブランドのソースとは違う味わい。

ソースというのはかなり味が強い調味料だと思うが、きつさがないのがビジュアルのイメージからすると意外。それゆえにどんどん食べ進められてしまう。麺が太くてもちっとした食感があるのも、居酒屋や屋台のものとは一線を画す専門店ならでは。

…すごい量だったが、とてもおいしく食べ尽くす。ただこの店の盛りのラインナップには、実はまだ続きがある。
さらなる展開による混迷
さらなる展開による混迷
本当は「名はない」で終わってなかったおしながき。1260円の「トリプル」で一旦意味を取り戻しておいて、1575円の「特に名はない」でまたも命名を逸脱。

お店の方に聞いたところ、いろいろな量の盛りを増やしていったうち、何と名付けたらよいかわからなくなってこうなったと教えてくれた。命名に対するあきらめが新しい。
気になる張り紙
気になる張り紙
新概念「の上」登場
新概念「の上」登場
卓上のメニューは「特に名はない」で終わっていたのだが、壁にはさらなる盛りがあった。2100円の「特に名はないの上」である。建物の屋上にまた建物を建てているビルがあるが、そういう感じだろうか。

会計時、店員さんが「小と名はないですねー」と言ってくれて、自分の食べたものが名はないなのだと改めて確認。「余裕で食べられました?またお願いしますー!」と、送り出してくれたのもうれしかった。

続いては夕食。誰の家にもある名も無きメニューに回帰するべく、実家に立ち寄った。
テーブルにあるのは自作のカップ蓋
テーブルにあるのは自作のカップ蓋
ザ・実家の工夫
ザ・実家の工夫
父が手にしていたマグカップには自分で作った蓋ができていた。上に容器が乗っているのを持ち上げると、蓋にくっついてるではないか。ここに薬を入れておくことで、飲み忘れを防ぐようになっているとのことだ。

こういうディティールに、「実家に帰ってきたなあ」と思わされる。食の面でもならではの無名料理があった。
材料は揚げ玉と刻んだミョウガ
材料は揚げ玉と刻んだミョウガ
ご飯に乗せて、めんつゆを少々かける
ご飯に乗せて、めんつゆを少々かける
白いご飯に揚げ玉とミョウガを混ぜ、めんつゆで味を付けたというもの。母が自宅でざるうどんを食べた際、揚げ玉と薬味のミョウガが余ったので、適当に混ぜて食べたらうまかったからと家族に作ったのが発祥だ。
呼称にぶれがある料理
呼称にぶれがある料理
最初は半信半疑で食べたが、これがおいしい。以後、時々食べる定番料理となったのだが、呼び方は「ほら、ご飯に揚げ玉と、あれよ、ミョウガ入れてさ」みたいな感じで、その都度定まらない。
これうまいんだよなー
これうまいんだよなー
シンクロして食べる父と母
シンクロして食べる父と母
揚げ玉は買ってきてもいいのだろうが、やはり自宅で作った方がおいしいだろう。今回もそうだが、これを作るために母はわざわざ揚げ玉を揚げることもあるくらいだ。「名前はよくわかんないけど、やっぱりうまいな」と、久しぶりに満足の味だった。

「この皿、うちにもある!」という喜び
「この皿、うちにもある!」という喜び
名も無きメニューを食べた一日。名前はなくても確実なうまさがある。きっと世の中にはこういう料理がたくさんあるんだろうなと思う。

写真は焼きそばの店で出てきたお皿。既視感があると思ったら、自宅にあるのと同じだった。外食なのに家っぽさ。今回のテーマとしては、なぜかうれしい偶然だった。
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