ロマンの木曜日 2012年3月22日
 

40年前の「外国料理」に衝撃を受ける

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40年前の本、『おそうざいふう外国料理』の内容がすごかった。どこがすごいのか、実際に作りながら追って体験していきたい。
1978年、東京都出身。漂泊の理科教員。名前の漢字は、正しい行いと書いて『正行』なのだが、「不正行為」という語にも名前が含まれてるのに気付いたので、次からそれで説明しようと思う。
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40年前の外国料理

昭和の香り漂うレシピ本
昭和の香り漂うレシピ本
「暮しの手帖」ってこの頃からあったのか。
「暮しの手帖」ってこの頃からあったのか。
昭和47年、つまり1972年に発行されたレシピ本だ。
まだアメリカ横断ウルトラクイズも始まる前で、海外を知る手段は「兼高かおる世界の旅」しか無かった頃だ。(おいてけぼりですいません、20代の皆様)
この頃の外国料理とは何だったのか。
さっそく本を開いてみよう。
「グリーンピース」という単語すら登場しない『豆ソース』。そして『箔むし』
「グリーンピース」という単語すら登場しない『豆ソース』。そして『箔むし』
野菜の盛り付けに感じる、言われようも無い「昭和」。
野菜の盛り付けに感じる、言われようも無い「昭和」。
写真から想像するのは「洋食屋」という単語だ。
今となっては珍しい、メンチカツやエビフライが定食になって出てくる店のイメージだ。
無理もない、父に聞くところによれば、まだ中学生のあこがれが「船乗り」だった時代である。
外国料理と言ってカルパッチョだのナシゴレンだのが出てくるのはもっと先の時代なのだ。

気になる「〜〜ふう」料理

さて、本を見ていて気になるのは「〜〜ふう」と地名の付いた料理である。
ポーランド。当時まだ共産圏だった。
ポーランド。当時まだ共産圏だった。
「ソ連ふう」じゃダメだったのかな
「ソ連ふう」じゃダメだったのかな
「ポーランドふう」、「ロシアふう」など、わりと好き勝手に出てくるのだが、そもそもその土地で何を食べてるのか分からないので、真偽が計りがたい。
共産圏からもうひとつ、ハンガリー
共産圏からもうひとつ、ハンガリー
「西」なのか「東」なのかは不明
「西」なのか「東」なのかは不明
というか、このレシピを書いた人も、その国に行ったこと無いような気がする。でもいいのだ。
海外に行くことがまれだった時代、真偽はともかく「ドイツふう」と添えるだけで、料理がごく魅力的に思えたのだろう。
「魚料理」というカテゴリの広さ。
「魚料理」というカテゴリの広さ。
なぜかフランスだけ平仮名。
なぜかフランスだけ平仮名。
まずはこの「外国ふう」シリーズから一品作りたい。

●●●ふう とりごはん

材料:鳥もも肉、玉ねぎ、マッシュルーム、固形スープ
材料:鳥もも肉、玉ねぎ、マッシュルーム、固形スープ
レシピによれば、これだけで外国ふうの料理ができるのだという。
さっそくやってみよう。
1.鳥肉・玉ねぎ・マッシュルームをバターでいため、
1.鳥肉・玉ねぎ・マッシュルームをバターでいため、
2.固形スープを湯で溶かし、
2.固形スープを湯で溶かし、
3.ご飯とともに加えて炒める。
3.ご飯とともに加えて炒める。
完成。「パリ―ふう とりごはん」
完成。「パリ―ふう とりごはん」
フランス料理。いわしの頭も信心から。
フランス料理。いわしの頭も信心から。
レシピ名は「パリ―ふう とりごはん」である。
なんとこれがパリの料理なのだ。
世界三大料理のひとつ、フランス料理の国の首都で食べられているごはんなのだ。
花の都に想いを馳せつつ食べてみよう。
「翼よ、これがパリの味だ」
「翼よ、これがパリの味だ」
調理実習……。冷凍ピラフ……。
さまざまな単語が頭がよぎる。
味は、中学生のころ、親がいなかった日の夕食に自分で作った料理の味に近い。
胸の心象風景はシャンゼリゼ通りのアパルトマンではなく、一人フライパンを振っていた実家の台所である。
エッフェル塔が遠い。
遥かなり、パリの都。
遥かなり、パリの都。
めげちゃだめだ。
次のページでも、引き続き外国料理に挑戦したい。

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