特集 2012年6月12日

名前だけ覚えている場所に行く・六波羅探題

六波羅探題、ロクハラタンダイと読む
六波羅探題、ロクハラタンダイと読む
六波羅探題ってなんだっけ。

日本史の時間に習った言葉だが、それがなんなのか憶えていない。墾田永年私財法が響きとともに内容もインパクトがあったことに比べると、六波羅探題は響きだけである。

でも頭から離れない言葉である。ロクハラタンダイ。意味は分からないけど記憶に残っている言葉があるなんてむかしの少年SFみたいだ。重大な秘密を知ってしまった昔の僕(きっとかっこいい)が記憶を消された痕跡かもしれない。ロックフェラーにも似ている。

しかし京都市内に六波羅探題はあったというのだ。六波羅探題に行って長年の折り合いをつけようじゃないか。
1971年東京生まれ。デイリーポータルZウェブマスター。主にインターネットと世田谷区で活動。
編著書は「死ぬかと思った」(アスペクト)など。イカの沖漬けが世界一うまい食べものだと思ってる。(動画インタビュー)

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グーグルマップで見つかる六波羅探題

なんとグーグルマップで六波羅探題で検索するとピンが立った。しかも6月2日にイベントを行った京都河原町(東京で言うと渋谷か新宿ぐらいの繁華街)の元・立誠小学校から歩いて20分ほどの距離である。
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河原町から歩きながら六波羅探題について調べると鎌倉幕府が京都の朝廷を監視するために設置した出先機関であることがわかった。僕の消された過去などといいながらすべてiPhoneで分かってしまった。

そして歩きながらラブホテルの写真を撮ったりしていた。
村上春樹のエッセイに登場したラブホテル「と、いうわけで。」 本物が見られて感激
村上春樹のエッセイに登場したラブホテル「と、いうわけで。」 本物が見られて感激
いい景色のなかに宅配便のトラックがあると広告っぽくなる
いい景色のなかに宅配便のトラックがあると広告っぽくなる

あったのはお寺

地図が指し示した場所にあったのは六波羅蜜寺。お寺である。
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回転させる石の車、自分の悪いところをなでる牛の像、お金を洗う弁天様などがあっておもしろい。参拝はいまだったらインスタレーションと言われそうなしかけ満載である。
お祈りしながらまわす
お祈りしながらまわす
痔持ちのふたりは迷わず尻をなでる
痔持ちのふたりは迷わず尻をなでる
いきなり登場したが今回はライターの西村さんが同行している。古いもの好きの西村氏は僕の六波羅探題訪問の案に賛同してくれたため、当日、六波羅探題前で待ち合わせたのだ。

六波羅探題前で待ち合わせなんて源氏と北条氏みたいである。

ここは六波羅探題ではない

六波羅蜜寺には教科書で見た空也上人や平清盛像もあったりして感激したのだが、お寺で仏像を見ておもしろかったという話ではいくらなんでもおじいさん趣味すぎる。なので割愛する。

お寺でふたたびWikipediaを読むと、この地域一帯が六波羅という地名で六波羅蜜寺が六波羅探題だったわけではないのだ。赤坂プリンスは赤坂御所ではない。

ネットで調べると近所に六波羅探題跡の石碑があるらしい。そこで記念写真を撮ろう。そして語感だけだったロクハラタンダイに知識を一致させるのだ。
街で見かけた貼り紙。どう見ても犬じゃない。
街で見かけた貼り紙。どう見ても犬じゃない。
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六波羅ハンティング

しかし近くの学校の脇に立っているという六波羅探題跡の石碑がみつからないのだ。あたりをうろうろするがあるのは惜しい六波羅ばかり。
アルカサールろくはら
アルカサールろくはら
ジョイフル六波羅
ジョイフル六波羅
アルカサールとはスペイン語で城のことだそうだ。たしかに六波羅探題は平家の屋敷を利用したというので城のようだったかもしれない。ただ、なぜスペイン語なのかは謎。

次に見つけた六波羅はこれ。
六波羅飯店。六波羅探題にかなり近い
六波羅飯店。六波羅探題にかなり近い
六波羅飯店。六波羅探題と「ろくはら○ん○○」まで同じである。もうここでいいんじゃないか。ここが六波羅探題だ。ただ心残りは「○ん○○」と伏せ字にしたら卑猥な印象になってしまったことである。

そして次の六波羅は…
ハッピーロクハラ
ハッピーロクハラ
ただ漢字で書くと六波羅ではなく六原である。
ただ漢字で書くと六波羅ではなく六原である。
六波羅は六原とも表記されるのだ。六波羅探題の魅力は「はら」を「波羅」と書く「夜露死苦」や「男闘呼組」のようなヤンキー漢字センスなので原だと物足りない。

中学校で聞いた

学校に入る前、うろうろしているところ
学校に入る前、うろうろしているところ
もういい加減わからないので近くにあった中学校に入って職員室で聞くと親切に教えてくれた。

学校を建て替えたときに六波羅蜜寺に石碑は移したとのことだった。跡地の石碑を移すとは意外である。場所が違ってもいいのだろうか。それを聞くと

「だいたいこのへんにあったということなので」

とのことだった。なるほど。
そしてそんなにまじめな学生でもなかった僕が学校の先生にこんなに熱心に質問する(しかもいきなり入り込んでだ)大人になることも意外である。

言われたとおり六波羅蜜寺に戻り、教えられた場所を探すと確かに石の棒が立っていた。
言われなければぜったい気づかない石碑。これが六波羅探題の跡
言われなければぜったい気づかない石碑。これが六波羅探題の跡
これが僕の記憶の一部をずっと占拠していた六波羅探題である。石碑には「此付近平氏六波羅第・六波羅探題府」と彫ってある。建立は大正4年11月。意外に古い。

石碑の横に棒が立っていて案内板がある。そこに六波羅探題についての説明があるのかと思って見あげると。
たばこ・たき火禁止でした
たばこ・たき火禁止でした
建立の下にも文字が書いてあるのだが、埋まってしまって読むことができない。移設するときに勢いよく刺してしまったのかもしれない。おれのしごとか。
六波羅探題跡 発見の記念写真
六波羅探題跡 発見の記念写真
シュリーマン気分の六波羅探題探しは完了である。見つかってよかった。六波羅探題って名前は知っているけどなんだっけ?ともう言わなくてよい。「鎌倉幕府が京都の動きを知るために設置した機関で、いまは石の棒1本」、それが六波羅探題だ。

ところで上にの写真を見た西村さんの感想は「おれの髪型が父親ににてきたなー」だった。

石の棒の横でピースする会

墾田永年私財法(「墾田永年私財法の聖地を訪ねる」)に続いてまたも地味な歴史の記事を書いてしまった。そういえば墾田永年私財法の聖地も石の棒1本だった。
左)六波羅探題 / 右)墾田永年私財法 歴史に興味ない人から見たら石の棒の横でピースする会ですね
左)六波羅探題 / 右)墾田永年私財法 歴史に興味ない人から見たら石の棒の横でピースする会ですね
「歴史上の有名な場所はたいてい棒1本」も検証してみたいテーマである。
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