はっけんの水曜日 2012年8月15日
 

ピレネー山脈を越えて西の果てへ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 後編)

72日かけて歩いた「サンティアゴ巡礼路」、今回はそのスペイン編です
72日かけて歩いた「サンティアゴ巡礼路」、今回はそのスペイン編です
スペイン北西部に位置する「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」。ローマ(バチカン)、エルサレムと共にキリスト教の三大聖地に数えられるサンティアゴは、中世よりヨーロッパ全土から巡礼者を集め、今もなお徒歩で彼の地を目指す人は数多い。

今年の4月から7月にかけて、そのサンティアゴ巡礼路を歩いてきた。フランス南東部の「ル・ピュイ・アン・ヴレ」から、フランスとスペインの国境にある「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」を経由してサンティアゴに至る、総距離約1600kmの長旅である。

先月にはそのうちの前半800km、フランス側のル・ピュイの道について「フランスの田舎を歩いた一ヶ月」という記事を書かせていただいた。今回はその後半部分、スペイン編である。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。

前の記事:「フランスの田舎を歩いた一ヶ月(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 前編)」
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今回はフランスとスペインの国境から

ル・ピュイからスタートした私のサンティアゴ巡礼は、「ル・ピュイの道」と呼ばれる巡礼路をひたすら歩き、32日目にしてようやくフランスとスペインの国境の町サン・ジャン・ピエ・ド・ポーに到着した。

サン・ジャンからは、ピレネー山脈を越えてスペイン北部の内陸を行く「フランス人の道」と呼ばれる巡礼路を歩く事になる。

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今回の記事で歩く「フランス人の道」ルート図
サン・ジャンは町自体も魅力的なのだ
サン・ジャンは町自体も魅力的なのだ
さて、これは前回の記事の復習になるが、サンティアゴ巡礼の必須アイテムとして巡礼手帳(クレデンシャル)がある。泊まった宿や経由した町などでスタンプを押してもらう事で、いつ、どこを歩いたかの証明になるものだ。

私はここサン・ジャンでちょうど一冊目が全部埋まったので、新しい巡礼手帳を手に入れる必要があった(実はこの町でコンプリートするように、こっそり計算していたのだが、それは内緒の話だ)。
スタンプで埋まった一冊目の巡礼手帳
スタンプで埋まった一冊目の巡礼手帳
巡礼手帳はサン・ジャンの街中にある巡礼事務所で買う事ができる。この町から巡礼を始める人も、まずはこの巡礼事務所に行き、巡礼手帳や巡礼路の情報などを入手するのだ。
ここからスタートする巡礼者がまず訪れる巡礼事務所
ここからスタートする巡礼者がまず訪れる巡礼事務所
新しい巡礼手帳はシンプルでマス目が無い
新しい巡礼手帳はシンプルでマス目が無い

いきなりヤマ場のピレネー越え

さて、準備が整った所で出発である。まずはサン・ジャンからピレネー山脈を越え、スペインに入らなければならない。……って、いきなりピレネー越えとはまた随分なものである。

特にサン・ジャンから歩き出す人にとっては、最初の城を出たらいきなりラスボス、くらいのインパクトだろう。天気が悪い時には遭難者が出たりもするそうで、私も気を引き締めなければ。
ナポレオンも通ったというスペイン門を抜ける
ナポレオンも通ったというスペイン門を抜ける
あの山々の向こう側へ行くのだ
あの山々の向こう側へ行くのだ
なお、これまで歩いてきた「ル・ピュイの道」では、巡礼路を示す道標は赤白マークであった。しかしここからの「フランス人の道」では、黄色い矢印が巡礼路の道標となる。
黄色い矢印をたどって行く
黄色い矢印をたどって行く
赤白マークが併記されている箇所も多い
赤白マークが併記されている箇所も多い
この矢印は、分かれ道など迷いそうな場所に問答無用で記されており、赤白マークより迷いにくくて安心感がある。

……が、木の幹、家の壁、地面のアスファルト等、場所を選ばず闇雲に殴り書きしたような印象があり、お上品さでは赤白マークの方が上だろうか。フランスとスペイン、両国のイメージをそのまま表しているようでもある。

サン・ジャンの町を出てからは、緩やかに上るアスファルトの車道をひたすら歩く。ピレネー山脈という語感から険しい山道を想像していたものの、意外とそうでもなかった。
自転車で行く人も多い
自転車で行く人も多い
しかし、本当に人が多い道である
しかし、本当に人が多い道である
また、歩く人の多さにも驚かされた。サン・ジャンから巡礼者が増える事は覚悟していたものの、まさかここまで人が多いとは。行き交う言葉はフランス語ではなく英語が主である。

「ル・ピュイの道」では、巡礼者のほとんどがフランス人、次いでフランス語を話せるカナダ人、その他の欧米人が少々といった割合であった。日本人は稀で、32日間の行程で私が会った日本人はわずか二人である。

ところが、このピレネー越えだけで既に三人の日本人を見かけている。わずか1日で32日分の日本人を凌駕してしまったというワケだ。
基本的になだらかだが、露出している岩がダイナミック
基本的になだらかだが、露出している岩がダイナミック
そしてついに、スペインのナバラ州に入った
そしてついに、スペインのナバラ州に入った
ピレネーの道は半分を過ぎたくらいからようやく未舗装路となる。そこからさらに少し登った所がスペインとの国境だ。

峠を越えてからは後は下り坂。木々が生い茂る山道を下りていくと、程無くしてピレネー越えの宿泊地であるロンセスバージェスが見えてきた。
峠を越えたら後は下るのみ
峠を越えたら後は下るのみ
木々の向こうに見えるのが、ロンセスバージェス
木々の向こうに見えるのが、ロンセスバージェス

スペインの巡礼宿事情

ロンセスバージェスは町なのかと思いきや、そうではなく巨大な修道院とその付属施設から成る場所だった。どうやら、昔からサンティアゴ巡礼者を受け入れてきた施設らしい。

ここには巨大な巡礼宿があるので、ピレネーを越えた巡礼者のほとんどはここに泊まる事となる。
山の麓にポツンと存在するロンセスバージェスの修道院
山の麓にポツンと存在するロンセスバージェスの修道院
なお、スペインの巡礼路ではアルベルゲという巡礼宿を利用する。

アルベルゲの利用料金は公営で4〜6ユーロ、私営で6〜10ユーロと、フランスで利用していたジットの半額以下と格安だ。

ただし、ジットにはまだ民宿といった雰囲気があったものの、アルベルゲはその点違っていて、まさに巡礼者を収容する為の施設といった様相である。
寝台列車のようなロンセスバージェスのアルベルゲ
寝台列車のようなロンセスバージェスのアルベルゲ
大部屋に二段ベッドが並べられているのが一般的(噂によると三段ベッドの宿もあるらしい)
大部屋に二段ベッドが並べられているのが一般的(噂によると三段ベッドの宿もあるらしい)
このように、アルベルゲは大部屋に二段ベッドが基本である。その二段ベッドもガタガタな場合が多く、特に上段は下段の人が寝返りをうっただけでギシギシ揺れ、そのあまりの揺れっぷりに地震の夢を見て起きる事も多々あった。いや冗談ではなくホントに。

毛布は用意されていない所がほとんどで寝袋が必須である。毛布がある所もあるにはあるのだが、南京虫が潜んでいる可能性があるので、やはり寝袋を使った方が良い。私は一度南京虫にやられて腕中がブツブツになり、二週間痕が消えなかった。

自炊の為のキッチンは大抵付いているが、調理器具や食器がまったく用意されてない事もあり、何の為のキッチンだよ!と嘆きたくなる。
こういうシャワー、中学校のプール以来だ
こういうシャワー、中学校のプール以来だ
シャワーもアルベルゲによっては個室の扉が無く尻が丸見え、あるいは仕切りすらなく隣のおじさんと肩を並べて体を洗った事もあった(欧米は日本の銭湯のような他人に裸体を晒す文化が無いので、おじさんはかなり恥ずかしそうだった)。

いずれにしろ、まぁ、アルベルゲの設備にはあまり期待しない方が良いという事だ。

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