特集 2012年10月9日

かっこいい「無意識レゴ」に癒される

レゴをただただなにも考えずに固めると…かっこいい!
レゴをただただなにも考えずに固めると…かっこいい!
レゴ。それだけで伝わるとは思うが、きちんといえばデンマーク発のプラスチック製組み立てブロック玩具の、アレだ。

単純なものから複雑なものまでいろいろな造形できて子どもから大人まで人気がある。マニアも多い。レゴというもの自体がすでに文化だという雰囲気すらある。

そんなレゴ、誰でも目の前にすると何かをかたち作ろうとするだろう。だって、そのためのものだ。

しかしそうではなく、ただ塊にするだけでもレゴはわくわくするということを発見した。
東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。Web制作をしたり小さなバーで主に生ビールを出したりしていたが、流れ流れてデイリーポータルZの編集部員に。趣味はEDMとFX。(動画インタビュー)

前の記事:あらゆる場所にWiFiが……

> 個人サイト まばたきをする体 Twitter @eatmorecakes

カッとなってやった

ことの起こりは、我が家の床に散らばった一面のレゴに私がカーッとなったことだった。

怒って“カーッと”なったのではなく、なんとなく「これを、塊にしたい!」という欲求がカーッとわきあがったのだ。
実際はもっと部屋中にちらばっていた
実際はもっと部屋中にちらばっていた
我が家には「赤いバケツ」というレゴブロックの幼児向け基本セットのような一式があり、その名のとおりバケツ型の入れ物に収納するようになっている。
左が「赤いバケツ」。右の白バイのような小物を買って増殖させるのもレゴの楽しみのひとつ
左が「赤いバケツ」。右の白バイのような小物を買って増殖させるのもレゴの楽しみのひとつ
普段は子どもたちと一緒にわき目もふらずにがっしゃがっしゃつかみ取りの勢いでつかんではバケツに片づけるのだが、この日はなんだかカーッとなったのだ。

片づける=バケツに入れる だけじゃなくて、片づける=塊にするというのをひらめいた、という感覚だった(ひらめいた! というほど大したことではなく恐縮です)。
そして気づけばわっせわっせとただブロックを塊にしていた
そして気づけばわっせわっせとただブロックを塊にしていた

なんか……良い!

今日お伝えしたいのは、この無心に組んだブロックの塊というものがかっこよかった、ということだ。そう、ただ、すごくかっこよかったのだ。

このことに気付いた際の塊は残念ながら写真が残っていないのだが、今回あらためて無心に作った塊をご紹介しよう。
かっこいい!
かっこいい!
臆せずでかい写真でキャプションも「かっこいい!」とさせていただいた。気持ちに素直に書いたまでだ。

実際、どうだろうか。
別角度から。 扉が空ききらないトマソン建築風情がしぶい
別角度から。 扉が空ききらないトマソン建築風情がしぶい

誰にでも「とんでもないもの」が作れる

私はこれにすごくぐっときてしまった。

もともとレゴのようなブロックあそびが苦手だ。立体をイメージして何かを作るということがほとんどうまくいかない。

レゴで遊ぶときはマニュアルを見てそれ通りに作る、プラモデル的な楽しみ方をするばかりでちょっと物足りなかった。

それが急になんだかとんでもないものが作れちゃったのである。

かっこいいかはさておき、なんか「とんでもない」ものであることはご賛同いただけると思って話を進めたい。
どこかアーバンな上からの眺め
どこかアーバンな上からの眺め

無意識レゴ、と名付けます

この、何も考えずに塊にしたレゴのことを「無意識レゴ」と名付けたい。とにかく何も考えずにレゴを組めばできる。

意識的に、無意識でレゴを組んでいくのだ。

何も考えるな、といえばブルース・リーのセリフ「Don't think.FEEL!」だが、無意識レゴは考えなくてもいい上に感じるのも不要である。まあまあ生きてるくらいでやればできる。
テレビ見ながらさらに作ります
テレビ見ながらさらに作ります

意味も個性も価値もない。ただかっこいい

できあがったものは、ただかっこいいだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。

できた以上は「作品」ではあるが、意味はない。かっこいい以上の価値もない。だって、適当に作ったレゴだからな。

私はいま30代。個性よ有れ! といわれて右往左往しながら斜めに育った世代である。無意識レゴはただ組むだけだから、誰が作っても一様にかっこいい。個性は一切関係ない。

名前だって付けない。作ったらすぐ壊す。また作ればいいから。しがらみもないのだ。心地よいではないか。
テレビ見ながらできました
テレビ見ながらできました
特別何かを作ったわけではないので、前後左右もない(顔の部分は組んだまま散らばっていた)
特別何かを作ったわけではないので、前後左右もない(顔の部分は組んだまま散らばっていた)
自立もぎりぎりである。やばいいかす
自立もぎりぎりである。やばいいかす

単純作業でストレスも軽減!

さて、そんな無頼な無意識レゴはなにしろできあがりの作品のかっこよさに終始する(本当はそれだけで良いと思っている)が、もうひとつ大きな利点もある。

ぼーっとできることだ。

無心の作業がストレス解消になることはよくあると思う。編み物だったりプラモデルもそうだろうか、単純作業に没頭するのは楽しい。

無意識レゴは、それが手軽にできてしまうのだ。癒しの効果があるといっても過言ではないだろう。毛糸も模型も不要、終わったら崩せば元通りだ。

刺激的な上に癒してくれてエコロジー。アイドルだったら最強だろうという要素がまさかレゴにあった。
ちなみにテレビ見ながら、電話しながら、の ながら無意識レゴは、床に散らかさずバケツからランダムにつかんで組むのがおすすめ
ちなみにテレビ見ながら、電話しながら、の ながら無意識レゴは、床に散らかさずバケツからランダムにつかんで組むのがおすすめ

みんな……わかってくれるかな

と、ここまで一気に無意識レゴについて魅力を叫んできたが、どこまで共感が得られるかについてはさすがに私ものんきではない。

ここから先は恐る恐るも、周囲にこの活動を広げてみよう。
人に作ってもらう前にビール飲みながらもう一つ
人に作ってもらう前にビール飲みながらもう一つ
ビール飲みながら「ゴシップガール」(海外ドラマです)観ながらかっこいいレゴができる。さ、最高だ…!
ビール飲みながら「ゴシップガール」(海外ドラマです)観ながらかっこいいレゴができる。さ、最高だ…!
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「あの係りの人」になにかさせてあげたい

突然だが、「お仕事、大変そうだなあ」とはたからみていてもしみじみ感心させられる方々がいる。

何であっても仕事は大変なのがふつうだとは思うが、せっかちでせこせこ作業をしていないと間がもたないたちの私にとって、時間をやりすごすのが大変な仕事に就く方には頭が下がる。

たとえば、美術館などの展示室の隅に静かに座っているあの仕事。
こういう感じの
こういう感じの
展示品になにかないように、会場が快適であるように見守っている係りの方である。

上の写真は現在渋谷ヒカリエで開催中(2012.10.14まで)の当サイトの展示会場。ここでの係りは来場の読者の方とお話することもあり通常の美術館のケースとはかなり状況が違うが、人の波がとぎれると時間を持て余すこともある。

そう、こういうときこそ無意識レゴ、なのである。
2重にしたジップロックに入れて持ってきた
2重にしたジップロックに入れて持ってきた
時間をもてあそぶとはいえ、会場を見守るという大切な仕事の最中である。意識を飛ばしてしまってはいけない。

無意識レゴならば、会場の様子に集中しながらも手を動かすことができるのだ。
この時間担当の編集部 安藤にさっそ作ってもらった
この時間担当の編集部 安藤にさっそ作ってもらった
「とにかく、なにも考えないでください。普通に展示会場にアテンドしているつもりでお願いします」

とだけ伝える。「レゴ好きなので、つい何か作ろうとしちゃいますねー」ということだったが、迷いなくサクサク組んでいっていた。

そして。
いいじゃないですか!
いいじゃないですか!

つい人型にしてしまう

そういう形になるものか、という独特の形の無意識レゴができあがった。

野暮なのでこれまでできあがったものにタイトルはつけないでこなかったのだが、「あえて付けるなら“小学生”ですかね」とのことである。意識しなくてもつい人型に人型にと思ってしまうということだった。

つい何かの形になってしまう。これは私にはなかったことだ。

しかしいま改めてみると、これ、人型か? と思わせる形であった。そんなところも無意識レゴの楽しみである。
反対側はこのように。ドアや窓を開けられない状態で組んだのは初めて、とのこと
反対側はこのように。ドアや窓を開けられない状態で組んだのは初めて、とのこと
しかし、小袋からブロックを出すようすにはスナック菓子食べてるっぽさしか感じられなかった
しかし、小袋からブロックを出すようすにはスナック菓子食べてるっぽさしか感じられなかった
当然、ちゃんとした美術館で係りの方がこんなことやっていたら、がちゃがちゃうるさいしポテチ食べてるみたいだしと大変なことになるはずだが、疑似的にでも「あの展示会の座っている人」に何かしてもらうことができて満足である。
上から見た輪をかけたわけのわからなさも無意識レゴの魅力
上から見た輪をかけたわけのわからなさも無意識レゴの魅力

いまこそゲーミフィケーションだ

さて、ここまでこの無意識レゴはできあがったもののかっこよさに加えその利点としてストレス解消やひまつぶしなどをあげてきた。

けれどやっぱりそれでは物足りない、生産性がほしいという声は、この無意識レゴが広まるについれおのずと上がってくるだろうとは思う。いや、声は上がってこなくても本企画記事としてこれでは展開に乏しすぎるのだ。

どうしよう、こういうときこそあれだ、ゲーミフィケーションだ。

無意識レゴを無理やりゲームにしてみよう。
ゲームで戦ってもらうために人も集めた
ゲームで戦ってもらうために人も集めた
さきほどの安藤に加え、編集部の石川と展示会場のある渋谷ヒカリエ8FのコワーキングスペースMOVのスタッフ、吉村さんにもご参加いただいた。

(このような説明しづらいことに笑顔で参加してくれる吉村さんをはじめ、MOVは本当にみなさんすてきな方ばかりですごいです。コワーキングスペースをお探しの方はMOVも見学に来るといいと思う!)
まずはすべてのレゴをテーブルにあける
まずはすべてのレゴをテーブルにあける

重さ対決

さて、ルールだ。無意識レゴの「無意識」の部分を損なわずにゲーム化するにはどうするか。考えた結果、重さ対決の形をとることにした。

スタートと同時に組み始め、場のレゴがなくなった時点で終了、重さを競うのだ。

スピードという要素が入ってくる上で造形について考える暇が一層なくなり、これまで以上に無意識によるとんでもなさが得られるのではないか。
スタート!
スタート!

……楽しそう!

競技時間はおおよそ5分ほどであったか。私は撮影係として3人の間をうろうろ回っていたのだが、うろうろ回りながら、楽しそうでうらやましくなっていた。

「わー、こわれた!」「みんな早いな~」「あ、でかいの取りましたねーっ?」

超わきあいあいなのだ。
なんだか3人が急に遠くにいってしまったような気さえ
なんだか3人が急に遠くにいってしまったような気さえ
ちなみにこのときとっていたメモを見たら

「あたらしい『海ごはん山ごはん』の形がみえた」

とあった(「海ごはん山ごはん」は20年ほど前にフジテレビで放送していたミニ番組。男女3人が楽しげにアウトドア料理を作る)。

「ここが中学校だったらこのうちの2人が付き合うんだろう」とも。

レゴ組んでるだけの人たちに対するコメントじゃない。でも、それだけ楽しそうだったのですよ!
すべてのレゴを組みつくし、終了。左から安藤、吉村、石川作品。どれも良い……
すべてのレゴを組みつくし、終了。左から安藤、吉村、石川作品。どれも良い……

方向性に差

つかんだレゴを塊にするという作業ではあるが、個性、いや、方向性に差が出た。
安藤作品は平たく左右上下に拡張したパターン
安藤作品は平たく左右上下に拡張したパターン
「急いで組むと結構壊れるんですよね。だから、途中でどうしても意識的に強度を上げるように組んじゃいました」とのこと。

そうか、ゲームにすることで勝つための戦略が作品に反映されてしまうのか。

さらになお「やっぱり人型にしちゃうんだよなあ」ともいっていた。いや、人型にはなってないよ。
吉村さん作品。主に上に上にと拡張するパターン
吉村さん作品。主に上に上にと拡張するパターン
吉村さんはスタート直後から度重なる破壊(組みながらバッキャーンと全体が壊れる)に悩まされていた。

「土台をしっかり作らなくちゃいけなかったんですよねえ」

とのことだが、何も意識してほしくないので、これでいいのだ。

つみあがった上に花のピースをつけたことでさらに上にはいけなくなる手詰まり感などが興味深い。
手詰まりになってる最上部。ブロック側のルールがあってこその無意識ブロックだ
手詰まりになってる最上部。ブロック側のルールがあってこその無意識ブロックだ
続いて石川作品は、まさに「塊」にしたタイプ。
外へ拡張する2作品と違い、立体的に内へ内へと重みを貯めるパターン
外へ拡張する2作品と違い、立体的に内へ内へと重心を貯めるパターン
無意識レゴには正解はないといったが、これは美しい。

そもそも散らかったレゴを塊にしたいというところから始まっているので、個人的には目指す形があるとすればこうだ。

外へ拡張する安藤、吉村作品がバレエ(上へ跳ぶ)だとすれば、石川作品は舞踏(下にもぐる)のようでもある。

おう、ただのレゴの塊にめんどうくさいことを言い始めてしまった。でもこういうことを言うだけ言って言い放って作ったレゴは壊すというのもまた楽しいではないですか。
うん、小さなまとまり感も良いなあ
うん、小さなまとまり感も良いなあ

ゲームなのだった

3人3様の出来上がりにすっかり興奮してしまったが、そうだ、これは勝負なのだった。

重さを量ってみると、石川:126g、吉村:113gに対し安藤:185gで圧勝。拡張性に富んだ作りが功を奏した。

しかしやっぱり、無意識レゴは勝負とかそういう魅力ではないのだという気持ちも新たにした。できあがった3作品のかっこよさよ。
そして私も十分楽しそうだ
そして私も十分楽しそうだ

もくもくとした作業が得意な人に無意識レゴを

無意識レゴは編み物やプラモデルのようなもくもくとした作業のお手軽版として位置付けたいが、元来そういった「もくもく作業」が得意な人というのがいる。

そんな人に無意識レゴを作ってもらったらどうなるだろう。
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無意識レゴを、無意識にやっていた

もくもくとした作業が得意。登場いただくのは当サイトのライター藤原さんだ。先日も記事「はじめよう木彫り」で突如一刀彫りに目覚め、その後サイトのイベントでもずっと木を彫り続けるという出し物を担当するなど手を動かす作業で妙に発揮するところがある。
この日も展示会場のUstreamブースからライブで木彫りの様子を放送していた
この日も展示会場のUstreamブースからライブで木彫りの様子を放送していた
木彫りをしている間はなにを考えているのかと聞くと、ずばり「無心です」とのこと。無意識レゴもばっちりはまるはずだ。

しかも、話を聞くと藤原さんは以前から無意識レゴを作っていたらしい。「レゴは子どもの頃好きでよくやってたんです。でも1つ何か作ると、集中がきれて2つ目はすごく適当に組んで作っちゃうんですよね」

それは私がいま大騒ぎしている無意識レゴのことではないですか。普段からレゴで遊ぶ人にとっては無意識レゴはふつうのたしなみなのか。
とにかく作ってもらう
とにかく作ってもらう
また良いのができちゃったよこれ
また良いのができちゃったよこれ
最初に平べったい緑色の土台を持ってきたところは完全に意識が入っているか、それともレゴを組みなれるとここは当然のことと無意識が働くのか。

なにしろ、すっきりしていながらごちゃっとしていてかっこいい。

緑の土台から始める方法は無意識レゴの種目の一つとして採用してもいいかもしれない。

無意識レゴ 自由形(なにもないところからはじめる)、無意識レゴ 土台形(緑の土台からはじめる)、のように。
かきわりのようになっている。こういう派手な舞台装置ありそうだな
かきわりのようになっている。こういう派手な舞台装置ありそうだな

子どもにも無意識レゴはできるのか

大人の無意識レゴを堪能してきたが、ブロック遊びに夢中な子どもにも無意識レゴはできるのか。

そもそも我が家のレゴは息子へのいただきものだ。

息子はやり込んでは飽きて、しばらくしてまたやり込んでは飽きてというのを繰り返しながら長いことこの「赤いバケツ」で遊んでいる。

そして今またやり込み期へ。朝から寝癖もじゃもじゃで取り組んでいた
そして今またやり込み期へ。朝から寝癖もじゃもじゃで取り組んでいた
無意識レゴに「無意識レゴ」という名前をつけた当初から、これは大人のあそびじゃ! と思っていた。子どもには、意識的に無意識にレゴを組む、というのはちょっと難しすぎるだろう。

息子も日々いかにかっこいい何かを作るかに執心している。何かを作る以外でレゴで遊ぶという、そう、これはほぼわびとさびの世界だ。そこへ入ってこられるとは思えない。
こういうのを日々大量に生産するのが子どもである
こういうのを日々大量に生産するのが子どもである

無意識レゴ? え?

しかし、もし子どもが無意識レゴの世界に介入してきたらどんなものを作るだろう。だめもとで聞いてみた。

「たまにはさ、なにも考えないでレゴ作ってみたら?」
「…え?」

この「え?」の深さがすごかった。疑問符の重さが大人の発する「え?」の比ではないように感じられた。

レゴを組むのに何も作らないなんて、そんなこと思いもしなかったのだろう。あなたのいっていることが全く理解できませんと、全体重をかけて放った「え?」であった。

私もそれ以上うまく説明できず「ご、ごめん、やっぱりいいや」などとそらせてしまった。

のだが、しばらくして息子のほうから「さっきいってた、なにも考えないで作るレゴって、なに?」と聞いてきたのだ。気になっているらしい。

「ちゃんとしたものを作るんじゃなくて、ぐちゃぐちゃに作るんだよ」

説明しながら、なんだかしょんぼりしてしまった。「無意識レゴ」といえばかっこいいが、まあいってみればぐちゃぐちゃに作るレゴである。

しばらくして息子から「ぐちゃぐちゃのレゴできたよー」と手があがった。
やるな……
やるな……

子どもらしさとか関係ない

怪しまれてはいけないと製作の様子は遠巻きに見ていただけだが、大人のつくる無意識レゴとほとんど同じようなものができあがってきた。

「ふーん、『無意識レゴ』ねー、こんな感じで作ればいいんでしょう」と見透かされたようで悔しいが、逆によくいう“子どもの自由でのびのびとしたの発想力”みたいなものは一切生かされておらずせいせいする。
目がかくれていて怖い。こういうところが無意識レゴの醍醐味だ
目がかくれていて怖い。こういうところが無意識レゴの醍醐味だ
「かっこいいじゃん!」と鼻息をあらげるが、息子はとくべつ興味もなさそうにまたすぐに何か戦闘機的なものを作りにかかっていた。
その晩帰宅した夫にも晩酌がてら作ってもらった。絶妙なバランスで自立。やはり無意識レゴは良い
その晩帰宅した夫にも晩酌がてら作ってもらった。絶妙なバランスで自立。やはり無意識レゴは良い

無意識レゴはぼんやりとした時間そのもの

無意識レゴはただのぼんやりした時間そのものなので、できたものはかっこいいだけで中身は何もないのがいいところだ。

個性も責任もしがらみもない、深層心理だってあってたまるか。ただ、かっこいいなんて最高じゃないか。

ただ、中身がなにもないかっこよさなだけに、出来上がったものは「かこいい!」意外とくべつ言うべきことがない(文中ではバレエみたいだとか舞踏みたいだとかいってはみたが、感じるのは空虚である)。

特に語るべきことがないことから、記事として書くことが特になくて困ったのでした!
ちゃんと作ったのもかっこいい
ちゃんと作ったのもかっこいい
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