特集 2012年11月7日

東京の中心にダムがあった!

都心にこんな立派なダムがあったとは...!
都心にこんな立派なダムがあったとは...!
「都心にダムがあったって知ってる?」

知り合いが興奮した口調で教えてくれた。もちろん知らなかった。

ダムと言えば山奥にあると思い込んでいたけど、調べてみたらなんと東京の中心にもあったのだ。青い鳥はすぐそばにいた、犯人はヤスだった、などと同じくらいびっくりの話である。

ダム好きとして迂闊だった。

というわけで、さっそく都心のダムめぐりに行ってきた。
1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
(動画インタビュー)

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あのヶ淵がダム湖だった!

やってきたのは都心も都心、千代田区にある地下鉄の九段下駅。分かりやすく言うと靖国神社や日本武道館の最寄り駅である。
その名の通り坂の下にある駅
その名の通り坂の下にある駅
どう考えてもこんな都心にダムなんてあるわけがないだろう。そう思ったら、とりあえず武道館に向かってみよう。
武道館はすぐ目の前
武道館はすぐ目の前
地下鉄の駅を出て坂を登って行くと、左手には江戸城の濠の一部だった牛ヶ淵が見える。坂を上り切って北の丸公園入口の田安門をくぐると武道館だ。でもちょっと待って!
濠を見ながら坂を上る
濠を見ながら坂を上る
あの門をくぐれば武道館はすぐ
あの門をくぐれば武道館はすぐ

ちょっと、そこダムですよ

はいあなた、いまダムの上を渡った!

田安門をくぐる手前で、牛ヶ淵とその隣の千鳥ヶ淵を隔てる土手を渡る。実はこの牛ヶ淵と千鳥ヶ淵こそが、江戸にやってきた徳川家康が造ったダム湖ということらしい。
この土手がダム?
この土手がダム?
少し放流してる!
少し放流してる!
上流(千鳥ヶ淵)の方が水位が高い!
上流(千鳥ヶ淵)の方が水位が高い!
それまでの江戸は、海に面した埋立て地で真水の確保が難しかった。そこに突然、徳川家康以下の大軍団が住むことになり、何よりも飲み水の確保が最優先になった。
確かに上から見るとダムっぽい
確かに上から見るとダムっぽい
そこで江戸城の周りを流れる小さな川を塞き止めて、今で言うところの上水道専用ダムを造ったのだ。もちろん今となっては上水道用ダムとしての機能はないけど、江戸時代からあるダムの形はほとんど変わらずに残っている。
下流から見ると完全にダムの姿
下流から見ると完全にダムの姿

あの巨匠もダムを描いていた!

なぜ江戸時代ダムの形が分かるのか、と思う人もいるかも知れない。しかしちゃんとした証拠がある。なんと葛飾北斎や歌川広重といった、世界に名だたる浮世絵師がこのダムを描いているのだ。ちょっと画像検索して見てほしい。

(画像検索)葛飾北斎の描いたダム

(画像検索)歌川広重の描いたダム

いや、ダムというよりその脇にある九段坂を描いているのだが、そこに田安門ダム(勝手に名づけた)の今とほとんど変わらぬ姿を見ることができる。二人ともほぼ同じ場所から描いていて、特に広重の方は坂よりダムが中心と言っても過言ではない構図。

浮世絵とか今まであまり興味がなかったけど、もう明日からは好きな画家は?と訊かれたら即答で広重である。
ダムも重文指定してくれないかな
ダムも重文指定してくれないかな
ちなみに、江戸城の周りにはほかにも濠があるけど、「濠」と呼ばれるのが掘り下げた池であるのに対し、「淵」は塞き止めた池のことを言うらしい。このことからもこの2つがダムである(そしてそれ以外はダムではない)ことが分かる。

千鳥ヶ淵を塞き止めている田安門ダム(橋)を見たあと、その足で下流の牛ヶ淵を塞き止めている清水門橋に向かった。
田安門から歩いて5分くらい
田安門から歩いて5分くらい
何も考えなければ江戸城の門に続く橋でしかないのだが
何も考えなければ江戸城の門に続く橋でしかないのだが
門の手前に橋が架かっていて
門の手前に橋が架かっていて
橋の下には牛ヶ淵のあふれた水を流す水路が!
橋の下には牛ヶ淵のあふれた水を流す水路が!
つまりこれは洪水吐だ!
つまりこれは洪水吐だ!

いまの時代でもダムとして通用する

こちらは高さこそそれほどないものの、さらに下流の清水濠との水位差は2~3mあって、いかにもダムといったたたずまい。そして驚いたことに、なんと右岸側に自然越流式の洪水吐があった。

これが江戸時代からのものかどうかは分からないけど、もうこれは完全にダムだ。まさか千代田区役所の目の前にダムがあったとは。
千代田区役所(正面の高層ビル)の目の前がダムだった
千代田区役所(正面の高層ビル)の目の前がダムだった
石垣だしこれはロックフィルダムになるのだろうか
石垣だしこれはロックフィルダムになるのだろうか
最後に、北の丸公園の中を突っ切って、千鳥ヶ淵を塞き止めているもうひとつのダムを観に行った。

途中に千鳥ヶ淵の上を通る首都高がトンネルに入る場所があって、このあたりがいちばん最初に谷間を埋めて造られたダムだったらしい。今はもう周囲の地形と一体化してしまって見分けがつかないけど。
いま立っているあたりが最初に谷を埋めた場所らしい
いま立っているあたりが最初に谷を埋めた場所らしい
その先には千鳥ヶ淵と半蔵濠を分ける土手があるけど、これは明治時代に道路工事で造られたものでダムではない。つまりそれ以前は半蔵濠も千鳥ヶ淵の一部で、田安門橋の反対側で千鳥ヶ淵を塞き止めているのは、半蔵門に渡るための土手である。

これがまあ、見事なダムだった。
こんなに立派なダムちょっとない
こんなに立派なダムちょっとない
高さ30mくらいあるんじゃないか
高さ30mくらいあるんじゃないか
上流側(千鳥ヶ淵)の方が水位がかなり高い
上流側(千鳥ヶ淵)の方が水位がかなり高い
こういう階段歩かせてもらえないだろうか
こういう階段歩かせてもらえないだろうか
半蔵濠(千鳥ヶ淵)とその先の桜田濠の水位差はおよそ12mもあって、半蔵門ダム(勝手に名づけた)の高さは25~30mくらいあるんじゃないかと思う。土を積み上げたアースダムとしてはかなり立派な部類だ。こんなすごいダムが国会議事堂の目と鼻の先にあったなんて!
ダムからは霞ヶ関の官庁街が見える
ダムからは霞ヶ関の官庁街が見える
下流方向には桜田門の警視庁や霞ヶ関の官庁街が見えて、もう今までのダムめぐりの概念が木っ端微塵である。

なんだか新鮮で楽しかったので、またときどき見に来たいと思う。なんと言っても近いし。

思いもよらなかった

ダムだダムだ言ってるけど今となってはお濠の役目しかないのだから機能的にはダムではない。でも、成り立ちや見た目はほぼダムで、こんなものが皇居のまわりにあったのは完全に盲点だった。

仕事続きでダムに行けない日々が続いたら、ちょっと仕事場を抜け出して息抜きにまた来ようと思った。割とマジで。
それにしても日本中どのダムよりも警備が厳しかった
それにしても日本中どのダムよりも警備が厳しかった
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