フェティッシュの火曜日 2012年11月20日
 

大事な部分がない食べ物は悲しいか

こんな写真を最近ネットで立て続けに見た
こんな写真を最近ネットで立て続けに見た
シャリだけでネタの乗っていない寿司がパックされてスーパーで売られていた!  というような写真を最近ネットで立て続けに見た。

わはは、すごいなあと笑うと同時に「寿司ネタがなくても意外に寿司なものだな」という感心のような気持ちがわいた。

大事な部分がなくなったとき、食べ物はどうなるのか。寿司以外にもいろいろと見てみたい。
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。Web制作をしたり小さなバーで主に生ビールを出したりしていたが、流れ流れてニフティ株式会社へ入社。趣味はEDMと先物取引。

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寿司ネタのない、寿司

冒頭で書いたように最近立て続けに見たシャリだけ寿司の写真。近所のスーパーをハシゴしてみたが我が家の近くでは目撃されなかった。

おもしろ写真として流行するくらいだからそんなにあっちこっちで目撃できるようなことではないのだろう。

しかし買えずとも一度写真ではなく生で見てみたいという気持ちがある。ネタの乗っている普通の寿司を買ってネタをはずして再現してみよう。
ケースの派手さとのギャップがショッキング
ケースの派手さとのギャップがショッキング
そうそう、ネットで見たのもこんな感じだった。派手な寿司用のパックに握られたシャリだけが静かに並んでいる。

えっ! と2度見して、おおと見入ってしまうオーラを放っている。ずばっと言ってしまえば、ひどい。

でもこれどうだろう、言葉としてはただ「シャリ」といえばいいのかもしれないが、思ったよりは、これ、「寿司」なんじゃないかと思うのだ。
寿司
寿司
ここは賛否が分かれる、というかあまり共感の得られないところかもしれないので私としては正念場なわけですが、ご飯がにぎってあるのにおにぎりじゃない、だとすれば寿司であると脳がギリギリそう判断したのだ私のなかで。
寿司なんじゃないのこれ
寿司なんじゃないのこれ

寿司だがさみしい

で、食べたらしょうゆをつけた酢飯の味ではあるものの、なんだかやっぱり寿司だった。食べ方が寿司っぽいのでちゃんと寿司を食べている気分になるのかもしれない。

しかし終始さみしい。

そうだ。ネタの乗った寿司とネタの乗っていない寿司の違いは、「寿司」だとか「シャリ」だとかいった呼び方ではなくただただ情緒なのではないか。

楽しければネタの乗った寿司、寂しければネタのない寿司だ。

なんだか突拍子もないことを言い出して恐縮だが、断じて私は不思議ちゃんではなくむしろその対極でもがく人間であることをどうかご理解いただきたい。

この感じを表であらわすとこんな感じだろうか。
!
寿司というメニュー性は「保持」しているものの、ネタがないのは「哀れ」以外のなにものでもない。うむ、分類されたら気分がよくなった。

ほかの食べ物ではどうか

チャートを作ったからには、同じように大事な部分がない状態のほかの食べ物はどうなるかも気になる。

大事なところがなくなっても寿司のようにメニュー性は維持できるのか。そしてやはり寂しくなってしまうのか。

メインパーツとサブパーツを分けられそうな食べ物で片っ端から見てみよう。

大事なところをなくしたご飯もの

まずは、寿司に続きご飯もので検証していこう。
カレー
カレー
カレーである。

もちろん、大事な部分であるカレーは不在だ。

ちょっと寂しいようでもあるが、この情景はカレーをかける前の状態として家庭で見慣れているからかそれほどの悲哀は感じない。むしろ積極的な未来(これからカレーがかかるという)を感じ明るいではないか。

続いてこちらはどうか。
カツ丼
カツ丼
写真には「カツ丼」と書いたが、本当にカツ丼だろうか。

親子丼か、もしかしたら天丼いや海鮮丼かもしれない。あなたの思うがままである。しかし思い描いたところで大事なところはないままだ。

いってしまえばこれはどんぶりによそった白いご飯以外の何者でもない。完全にメニュー性が失われた格好である。

かっこみ飯的なマッチョなイメージすらあるどんぶりものだが、具がないとこの体たらくか。これほどはかないものだとは誰が知っていただろう。

じゃあ、こんなのはどうだろう。
たまごかけご飯
たまごかけご飯
もしかしたら私の実家ルールだろうか、卵かけご飯をやるときはお茶碗に盛ったご飯の真ん中にくぼみをつけるというしきたりがあった。

私にとっては上の写真は卵のない卵かけご飯にしか見えない。

カレー同様、これもこれから卵かけご飯になるのかなという未来性を感じるからか寂しさはないと思う。

ご飯界に住む強固な概念「おにぎり」

と、ここで忘れてはならないのがおにぎりだ。今回取り上げるメニューを探していてはっとおにぎりを思い出し、その凄さに奮えた。

おにぎりには、具が無くてもなおおにぎりでいられる強固な概念があるのだ。

「塩むすび」である。
おにぎり(海苔が足りなくてうつむいているみたいになった)
おにぎり(海苔が足りなくてうつむいているみたいになった)
塩むすびです
塩むすびです
あらかじめ設定された、塩むすびという具無しおむすびの存在。大事な部分である具がないということに一切の後ろめたさがない。これはすごいことなのではないか。

同様にして、中華まんの世界には皮だけの饅頭である花巻がある。具がないという非常事態を「それもあり」という概念がささえているのだ。

パンはどうだ

大事な部分があるパンというと、やはりサンドイッチだろう。サンドイッチ用のパンというのを買ってきた。
サンドイッチ
サンドイッチ
食パンだ。

具のないサンドイッチ、これがまたびっくりするほどただただ、食パンである。サンドイッチ、どこへ行った。

ネタがなくとも寿司でいたい、いさせてくださいとしがみついていたあの頃を思うとどうかというほどサンドイッチはサンドイッチに未練がない。

しかも思えば我が家ではサンドイッチを作るときにサンドイッチ用のパンを買うということはほとんどないのだった。8枚切りの食パンを買う。

家族で食べるくらいであれば耳も落とさないままだ。
うちのサンドイッチ
うちのサンドイッチ
これはパンである。

ピザだがなにも乗っていない

大事なところのないサンドイッチのパンへの回帰ぶりには驚いた。考えてみればあんパンにしろジャムパンにしろ、大事なところがなければ一瞬でパンだ(今になって気づいたが、チョコのないチョココロネを用意すればよかったのか?)。パンってそういうやつなのだ。

では粉ものつながりで、ピザはどうだろう。上に具とチーズをのせて焼くべく売られている生地を買ってきた。
ピザ
ピザ
説明書きには「具に火が通り、チーズに焦げ目が付くまで焼いてください」とだけ書いてあったが、具がないのでどれくらい焼けばいいのか分からない。

この分からなさはなかなかに寂しい。

結局チーズではなく、本体に軽く焼き目がつくまで焼いた。
ピザ
ピザ
この三角っぽい形、どこかで見たことがあると思ったらピザだった。しかし具がない。なにもない。

手に取るとなんだろう、薄いパンだろうかこれは。はっ! またパンだ!

ピタやナン、フォカッチャ、クラッカーとも違う、言うなればパンなのだ。先ほどからパンの回収力の強さがすごい。

いやそうか、私たちがネタのない寿司を「それでもこれは寿司である」と泣きながらいうように、イタリアの方々はこれを悲しい思いでピザだと主張するのかもしれない。
イタリアへの友好の思いをこめてチーズを塗って食べなおした
イタリアへの友好の思いをこめてチーズを塗って食べなおした

麺類は強い

悲しい寿司、悲しいピザと悲しい続きであるが、こういうとき麺は頼もしい。

もりそばを見よ、素うどんを見よ。ラーメンだって具やスープがなくても「ああ、つけ麺の麺なのね」くらいのものである。そうめんなんて具がある方が珍しい。肉体が強靭だ。

そんななかで一番大事部分無いと困る麺というとパスタ類だろうか。

スパゲッティを茹でた。
スパゲッティ
スパゲッティ
スパゲッティであることは確かだがあからさまに具がない。これはショッキングだ。

お弁当のつけあわせやオイル系パスタなど具の少ないパスタは見慣れていたはずだがどうしたことだろう。具まだ? 延びちゃう! このままだと延びちゃうよ!という焦りを感じる。

ピザに続いて期せずしてイタリアをまた泣かせる結果になってしまった。せめて塩を! 急いで塩をそこのイタリアのみなさんに渡してあげて。麺が延びる前に。
延びる前に塩振って食べた(おいしかった)ので安心してください
延びる前に塩振って食べた(おいしかった)ので安心してください

皮類

ここまで炭水化物+具のメニューにおける具の消失について考えてきた。ここでもう少し視野を広げよう。

大事なものと切り離せる食べ物といえば皮で巻く食べ物がある。

たとえば餡を失った餃子はどうなってしまうのか。餃子の皮を茹でた。
餃子
餃子
一見して餃子ではない。せめてワンタンか。それにしても付けあわせの酢醤油が浮いており目を奪う。

味は、誤解を恐れず言うならばうどんだが、限りなく何でもない。感情としても無に近い。よって寂しさもないが、楽しくもない。

これが晩ご飯だったら寝るときにはもう何食べたのだったか忘れているだろう。

皮の世界からもう1品、生春巻きの皮を用意した。
ライスペーパーというやつ
ライスペーパーというやつ
「大人になってから知った食べ物」の筆頭選手であろう生春巻き。透明度が高く、普段具があって食べるときもあまりその存在を意識することがなかった皮だが、これが結構なことになった。
生春巻き
生春巻き
いきものの抜け殻の風情である。

へー生春巻きって生き物だったんだあ。

と、ほんの一瞬ではあるがそう納得してしまった。大事な部分がなくなると生き物っぽくなる食べものがある。大発見だ。

そして驚け、味はうす甘く部門としては完全にスイーツだったのだ。

生春巻きの皮の原材料は米粉。私が買ったものはタピオカでん粉も入っており、確かにタピオカの味わいがあった。

スイーツ類

流れのままスイーツ部門へ切り込もう。

スイーツの世界には大事なところが無くなると困る食べ物もいよいよ多い。まずはどう考えてもあの人だ。
アイスクリーム
アイスクリーム
これをアイスクリームと呼ぶ。今日はそういう日だ。私はたとえ話が苦手だが、これを見て松岡修三さんが思い浮かんだ。アイスのコーンを持って走ってきて言うのだ。

「アイスを感じろ!」

無理だ。肩をゆさぶられても無理だ。食べてみればうす甘くてちゃんとおいしいのだがどうしてもアイスではない。

塩むすびや花巻のように名前がついたことで単体でも生きていけるようになった食べ物がある一方で、名前が付いてもどうしたって単体では生きられない食べ物もあるのだ。コーンよ! あなたと私と松岡と今日は抱き合って泣こう。

気を取り直していこう。女子悲鳴のスイーツ、タルトだ。
タルト
タルト
クリームもフルーツもない。タルトの台。これはさすがにタルトじゃないわ、と思ったら本人としてもそのつもりのようだ。
「クッキー」と名乗っている
「クッキー」と名乗っている
「タルトにするかしないかはあなた次第。タルトにしないんだったら別にわたしクッキーってことで結構なので」ときた。

割り切った態度は嫌いじゃないし、クッキーとして食べてもおいしかった(水分のある具を乗せる前提で作っているからか、少しもふさっとしているのがまたおいしい)。
タルト食べるときもこの部分を楽しみにしてる
タルト食べるときもこの部分を楽しみにしてる
そういえば、アイスクリームのコーンにもクッキー生地でできたワッフルタイプというのがあって単体でもコーンほどの哀愁がないように思う。

クッキーという逃げ道がスイーツの皮にはあった。

どら焼き論争

和菓子からも1品いっておきたいのだが、ここで私のなかで巻き起こった「どら焼き論争」について寄り道して語らせていただいてもいいだろうか。

有名ななぞなぞに「ドラえもん」はどら焼きの皮とあんこ、どっちが好きでしょうか? というがある。
久しぶりに皮も中身もどっちもある食べ物を見る
久しぶりに皮も中身もどっちもある食べ物を見る
答えは「ドラえもん」の主題歌「ドラえもんの歌」の歌詞の一部分を読み替えて導き出すというものなのだが、答えが2通りあるのだ。

・餡餡餡、とっても大好き ドラえもん=餡が好き
・餡餡餡、取っても大好き ドラえもん=皮が好き

結局どっちも好きで、どっちも大事なのである。

大事な部分は果たしてどこか。カレーだって、カレーよりもご飯が大事だ何いってんだという方もいるかもしれず、これは難しい問題なのだ。

和菓子はこの問題で特に悩み、結局、選んだのは最中だ。
最中
最中
最中
最中
自分でやっておいてなんだが、これはちょっと驚いた。歯がスカッと空振りする。

悲しい、じゃなくてびっくりした。しかも最中の皮、今回用意したものがほんわかと苦かったのだ。重ね重ねびっくりだ。

まとめよう

さて、今日用意できたのはこれで全部。深く語りだすと何を言っているのかわからなくなりそうで怖かったので駆け足で紹介した。

これを最初の表にまとめてみよう。
!
物事というものは表にすることで見えやすくなるものだとばかり思っていたが、なんだか今日は余計分からなくなったような気がしなくもない。

しかし思ったよりも大事なものをなくして哀しくなってしまう食べ物は少ないことはちゃんと分かった。タルトやおにぎりのように、寂しさのかけらもない食べ物も見つかった。

よかった、世界は思ったよりも明るいのだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。ちゃんとしたお寿司をどうぞ
ここまでお読みいただきありがとうございました。ちゃんとしたお寿司をどうぞ
シャリなしの具だけでも刺身というより寿司っぽかった
シャリなしの具だけでも刺身というより寿司っぽかった

中途半端な食べ物が好きなのです

シャリの部分だけの寿司が売られている。これを聞いてほんわかと沸いた「でもそれも寿司に見える瞬間あるな」というわくわくした感情でここまで書いてしまった。

結局、今日紹介したような中途半端な食べ物が好きなのだと思う。

なんだか取りとめはなかったかもしれないが、具のないピザや餡のない餃子、具のないタルトが食べられてうれしかったのです。
天ぷらの大事な部分をなくすと、天かす、というのを忘れていた
天ぷらの大事な部分をなくすと、天かす、というのを忘れていた
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