フェティッシュの火曜日 2012年11月20日
 

リカちゃん人形をダンボールで作ると泣けます

リカちゃんセットにカバンもついてきたので、これも使う。ダボちゃんには弁当持って帰らせよう
リカちゃんセットにカバンもついてきたので、これも使う。ダボちゃんには弁当持って帰らせよう

家に持って帰る弁当が悲しい

ついでにかばんもあったのでダボちゃんのにした。中身はなかったので弁当を1つ入れておくと、するとどうだ。今度は盗人の香りがしてきたではないか。

弁当1つ失敬して、家に帰って家族に食べさせるダボちゃん……だれかこの悲しみのインフレを止めてくれ。

もちろんダボちゃんが自分で食べるかもしれない。しかしここまで全体の悲しさが高まってくると、これはもう家族に食べさせる以外の想像がつかないのだ。

そしてその家族はもちろん病気をしている。お父さんの呼び方はもう、「おとっつぁん」だ。
気休めでしかないが、什器を作って工場のリアリティを高める
気休めでしかないが、什器を作って工場のリアリティを高める

わたしは一体なにをしているのだろうか

できた。もうここらで終わりにしないと大変なことになる。

2歳児をよろこばすためのおもちゃ作りのはずが、いつのまにか悲しみのサグラダファミリアを作っていた。

たしかに作品には深みが出てきた。だがはたしてこれは2歳児が愛するそれなのか。

ここまでくれば気休めでしかないが、せめてリカちゃんのカタログのように楽しそうな紹介を添えておきたい。
リカちゃんのカタログはこんなポップな感じ
リカちゃんのカタログはこんなポップな感じ
もう知らん、どうにでもなれ
もう知らん、どうにでもなれ
朝起きると弁当工場があった娘
朝起きると弁当工場があった娘
このよろこびようが逆に悲しい
このよろこびようが逆に悲しい

娘は喜んでくれた

「ダボちゃん、マスクしてる〜」とよろこぶ娘。起きるとそこには弁当工場があったのだ。

悲しさの沼に沈んだダボちゃんの弁当工場であるが、娘はその悲哀に気づかずに精一杯おもしろがってくれた。

そもそも工場という概念がないようで、お弁当屋さんだお弁当屋さんだとしきりに言っている。

父はもう泣いている。何も知らず喜ぶ娘、これ以上の悲しさはないじゃないか。

「お弁当屋さんに松ぼっくりおこうね」

彼女には彼女の世界がある。大人があれこれ用意した物語は一瞬ですてられて、犬と巨大松ぼっくりが什器に乗る新しい物語がはじまった。
什器に犬と松ぼっくりが載り、さあ新たなる物語がはじまった
什器に犬と松ぼっくりが載り、さあ新たなる物語がはじまった

娘よ、ダボよ

いける。二歳児くらいならまだまだダンボールでいける。問題は小学校に入って、他の友達とおもちゃで遊ぶようになったときだろう。

「大北さんの持ってる人形それなあに?」
「大北さんの持ってる人形、なんでリカちゃんの服着られるの?」
「大北さんの持ってる人形、リカちゃんのつもりじゃないの?」
「大北さんの持ってる人形、ダンボールでできてない?」
「大北さんの持ってる人形、だれがつくったの?」
「大北さんのお父さん、何してる人なの?」
「大北さんのお父さんの名前、ネットで検索してもいい?」

娘はいずれ父を捨てる。

中学に入るころには、父のことを毛嫌いしはじめ、ダボちゃんの悲しさを憎むようになるだろう。

風呂を避け、洗濯を分け、家を出る。しかしそこをのりきればもれなくみんな大人になる。ダボちゃんの悲しさもいいなと思えるようになるだろう。それでは聞いてください。中島みゆきで『時代』です。
ダボちゃ〜ん!
ダボちゃ〜ん!

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