じつは皮にこそ栄養がある
断っておくが僕らも記事を書いて公開している以上、できるだけたくさんの人に読んでもらいたいと思っている。これは事実。しかしながら、まるで図ったかのように人の目をするりとすり抜けていく記事というのが存在するのだ。
今回はそういう不遇な記事にスポットをあて、もう一度その「良さ」と「みどころ」を説明していきたい。知らないがために見逃してしまったもったいない記事たち。じつは皮にこそ栄養がある、みたいな話である。
さっそくいってみよう。まずはこの記事から。
ライター玉置さんがアルプホルンという楽器に挑戦した記事である。
珍しい楽器は単純に興味あるし、演奏者の格好も独特でかわいい。要素だけ並べると間違いなく人気記事になる予定だった。
だがしかし。
選挙に死票という言葉がある。票を投じた候補者が落選したときになどに使う言葉だ。
せっかく投票したのに政治に自分の意見が反映されない無力感。記事も同じである。大好きなあの記事がランキング上位に入っていないこともあるだろう、記事を書く側としても爆笑で書いた記事がまったく話題にならなかったりする。それはある種どうしようもないことなのだ。
ただ、確実に言えるのは、あまり読まれていない記事の中にも面白い記事がある、ということである。だからとにかく見てくれ。
たとえばこの記事で玉置さんはなぜか民族衣装を着たまま銀座をぶらついている。
やっほー。
めずらしい楽器の紹介、ということでもしかしたら興味の範囲を狭めてしまったかもしれない、でも玉置さんはそこをちゃんと理解した上で、先んじて半ズボンを履いて町に出たのだ。できればそこ、見てほしかった。
今からでも遅くないので、まだの人は記事を読んでみてください。読まない人は半ズボンで銀座歩いてみてください。
斎藤充博さんが銅像におならをさせて回った記事である。
人は他人には理解されない情熱というか衝動みたいなものをひとつは持っているものである。
斎藤さんの場合、たまたまそれが「銅像におならさせたい」だった、ということだ。
こういう個人の衝動の発露として綴られたような記事も、デイリーポータルZでは選り好みせずに掲載している。
プー、じゃない。
デイリーのライターはまず自分の興味のあることしか記事に書かない。楽しいことを伝えるときに自分が楽しくなければぜったいに伝わらないからだ。それがわかっているので、おのずと自分の興味のあることを追求していくことになる。
その前提を踏まえてこの記事を読み返してみてほしいのです。
編集部古賀も登場した。
どうだろう、内容に共感できるかどうかはともかくとして、なにしろライターがいきいきしていないか。
世の中には銅像におならさせて輝く人もいるのだ。狭い、だが、強い。それを感じるだけでも読んだ意味があるだろう。今からでも遅くないのでぜひ読んでみてください。
写真だけ見てどんな記事だったか思い出せる人が何人いるだろうか。
ライター尾張さんが書いた「マスクで凧揚げ」という記事である。
何をしているのだこの人は。
マスクで凧揚げ。
いま画面の向こうから「なんだそりゃ」という声が聞こえた気がする。
確かに僕だって思う、なんだそりゃ、と。
同じように、記事のタイトルだけ見て中身を読まなかった人がたくさんいたんじゃないか。しかしそういう人にこそ問いたい、次の写真を見ても果たして冷静でいられるだろうか。
小さいマスクが飛ばなくてでかいマスクを作っているのだ。
マスクは単体では飛ばなかった。だから縫いあわせてでかいマスクを作った。
感じるよね、情熱。ふつう単体で飛ばなかったら諦めるところだろう。
言ってしまえばやらなくてもいいことである。それをあえてやる、しかも写真撮って記事書いて人に見せる。情熱なしにできる行為ではない。縫い合わせた巨大なマスクを公園でひきずり走るライターの一生懸命な姿を見て、何も感じないっていうのはウソだ。
しかもでかくしたマスクも飛ばなかったんだぜ。
次もあれこれ思案した挙句読まれなかった記事である。
動物に媚びたのにウケない
動物はかわいい。動画サイトでもただ猫が寝ているだけの動画が20万再生とかになっていたりする。なぜ。
しかし動物がウケる、という法則が確からしいことは確かだ。というわけで世論におもねった記事を書いてみた。
デジカメのペットモードで動物園の動物たちを撮るとペットと判定されていい気分である、という記事である。
しかしライターとして「動物かわいい」だけだとちょっとおもねりすぎだと考えたのか、それともデジカメの機能を使うことでガジェット好きまでも取り込もうと欲張ったのか、いまとなっては真相はなぞだが、とにかくこの記事は読まれなかった。
しかもペットモードはライターを捕捉していた。もうなにがなんだか。
動物にも実はつむじがあった、という発見記事である。
動物のかわいさに加え人に言いたくなる発見である。無敵だろう。意気揚々と公開したのだが、ほとんど読まれまいままトップページから去っていった。
なぜだ。
思うに、ひとひねりが逆効果だったんじゃないだろうか。
しろくま可愛い、それでいいのだ。ペットモードで撮らなくていい。
やぎ可愛い、それでいいのだ。つむじじゃなくて顔見せろ。
しかし本当にそれでいいのか。
確かにかわいい動物はウケる。だがそれは動物に対する評価でありけっして記事に対する賛辞ではないはずだ。
ライターはそれを知っている。常に自分の興味を人に伝えたいと工夫しているのがライターである。だからこの記事でも、動物人気を利用しようとしながらも、つむじについては真剣に調査に取り組んでいるのだ。
その証拠に専門家に聞いているだろう。
ライター地主さんは動物のつむじの謎を解くため、動物園の相談室で専門家に聞いている。結果かわいい動物の写真に専門家のおっさんが混じることになり、動物好きは気に食わないかもしれないが、待ってくれこれがライターとしての情熱である。
けっきょく専門家をしても「つむじなんて気にしたことがない」という回答を得たわけだが、ここで大切なのは結果ではなく過程なのである。これはつむじを求めて旅をしたライターの書く西遊記なのだ。
地主さんは僕の担当ライターなので熱を持って語りすぎたが、彼の情熱のこもったこの記事、今からでも遅くないのでぜひ読んでみてください。
好きなものを推しすぎた
次も読まれなかった原因がなんとなくわかるパターンである。
こちら
ライター小柳さんが憧れのゴリラと手相が似ている有名人を探すという企画である。
ちょっと説明がおかしいように思ったあたなはぜひ記事を読んでみてもらいたい。小柳さんが憧れているのは有名人ではなくあくまでゴリラなのだ。
ゴリラ似という判定基準においての勝ち負け。
ゴリラに似ているか否かの判定に写真の重ねあわせアプリを駆使するなど、好きなこと(ここではゴリラ)には労をいとわない姿勢。その姿勢はすばらしいのだが、いかんせん読者にゴリラ好きがそんなにいない、という事実に気が付かなかった。
加山雄三さんがゴリラに近い、という結果について、小柳さんは嫉妬していた。
記事では実に49人もの力士、それに10人以上の有名人の手形にゴリラ性を見出そうと検証を進めている。途中で写真が暗くなるのだが、たぶんやっているうちに日が暮れたのだろう。
ゴリラには特段興味ががなくて、とタイトルだけ見て記事を読まなかった人、今からでも遅くないので読んでみてほしい。まっすぐな情熱(ゴリラに対する)というものがどういうものなのか、理解してもらえるはずだ。
時代がついて来なかった系
最後に、時代に対して記事が早すぎた、という例を紹介してお別れにしたい。
こちらの記事である。
クールさ、という基準でじゃんけんを戦う企画だ。
うむ、難解。
どうしたんだ君たちは。
古くからある「ジャンケン」にクールさという判断基準を設けることで新しい風を取り入れようとした意欲作である。
激動の時代に生きる我々としては常に新しい風を取り込んでいかないとすぐに遅れをとってしまうだろう。ライターたるものそこに敏感であってしかるべきなのだ。しかし、この記事に関して言えば、取り入れた新しい風が強すぎて時代がついて来られなかったのかもしれない。
だが執筆ライター小野法師丸さんには一点の迷いもない。
カーッ!
誰かが得するとか社会的に意味があるとか人気が出るとか、そういうことを超えて(最後の一つはちょっと気にしているけど)、我々には伝えたいことがあるのだ。それに気づいてしまったからには、記事にせずにはいられなかった。ただそれだけである。
宇宙船デイリーポータルZ号は、ライターたちのそんな熱い想いを乗せて今日も航海を続けています。
デイリーポータルZは来年もしっかりと楽しいことを楽しく伝えていきますので、どうかよろしくおねがいします。