ちしきの金曜日 2013年2月8日
 

旧長崎刑務所のその後のその後

これが完結編です(たぶん)。
これが完結編です(たぶん)。
以前、「衝撃の廃墟/旧長崎刑務所を訪ねる」という記事を書いた(2007年6月)。大変衝撃的な光景だった刑務所跡。その1年半後、廃墟は取り壊され、正門と本館の一部だけを残し広大な空き地となった。その様子を「旧長崎刑務所・その後」として書いた(2008年10月)。

記事の最後で、「このまたさらに数年後、旧長崎刑務所跡はどうなっているだろうか?また数年後に見に来たいと思う。」と結んでいたのだが、気づいたら数年経っていたので見に行って来ました。
長崎より九州のローカルネタを中心にリポートしてます。1971年生まれ。茨城県つくば市出身。2001年より長崎在住。ベルマークを捨てると罵声を浴びせられるという大変厳しい家庭環境で暮らしています。
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取り壊し前。“ザ・スーパー廃墟”とでも言うべき凄まじい光景だった。(2007.5)
取り壊し前。“ザ・スーパー廃墟”とでも言うべき凄まじい光景だった。(2007.5)
よくぞこれを一般公開してくれたものだと感嘆した。
よくぞこれを一般公開してくれたものだと感嘆した。
これが取り壊し直前、一般公開の時で…(2007.5)
これが取り壊し直前、一般公開の時で…(2007.5)
その後こうなって…(2008.10)
その後こうなって…(2008.10)
で、今こう。(2013.2)
で、今こう。(2013.2)

「火の鳥」を読んでるような歴史の移り変わり

あまりにもギャップが激しくて、これにはけっこうびっくりした。

わかりやすいようアングルを揃えた写真でも見てみよう。
外周をぐるっと赤煉瓦の塀で囲っていたのが、 (2007.5)
外周をぐるっと赤煉瓦の塀で囲っていたのが、 (2007.5)
広大な更地となり… (2008.10)
広大な更地となり… (2008.10)
スーパーマーケットと住宅街になった! (2013.2)
スーパーマーケットと住宅街になった! (2013.2)
厳めしい赤煉瓦の塀が… (2007.5)
厳めしい赤煉瓦の塀が… (2007.5)
白い商業施設の壁に! (2013.2)
白い商業施設の壁に! (2013.2)

唯一、保存された正門

まるで映画「猿の惑星」のような、ここが地球だったとは思えないくらいの変貌ぶりだが、唯一、正門だけは残された。

あまり人目につかないスーパーの裏手で、ひっそりとそれは佇んでいた。
唯一残った正門。鉄製の扉はペンキを塗り直してある。(2013.2)
唯一残った正門。鉄製の扉はペンキを塗り直してある。(2013.2)
参考:取り壊し前の正門。(2007.5)
参考:取り壊し前の正門。(2007.5)
説明案内板も設置された。構造維持のため一部補強工事も施されているそうだ。
説明案内板も設置された。構造維持のため一部補強工事も施されているそうだ。
説明板にはこう書かれていた。
旧長崎刑務所正門
この煉瓦造の門は、1907(明治40)年に竣工した旧長崎刑務所の正門です。
旧長崎刑務所は、明治の五大監獄(千葉監獄、金沢監獄、奈良監獄、長崎監獄、鹿児島監獄)の一つとされ、明治政府が治外法権撤廃にあたり、諸外国からの近代的な監獄整備の要求に応え、国家の威信をかけ建造したといわれています。
設計者は旧司法省の技師であった山下啓次郎で、この正門には、開口部に石材と煉瓦を交互に配置し、軒下には小さなアーチが連続するロンバルト帯と呼ばれる装飾をなすなど、意匠的にも優れた構造となっています。
裏側には石のベンチもひとつあり、座って鑑賞できる。
裏側には石のベンチもひとつあり、座って鑑賞できる。

千年後くらいにまた見たい

現在は半分が商業施設、残り半分が住宅地となっていて、続々と家が建っているところだった。と言うのも、この場所は駅やアーケード商店街、市役所などがある中心部まで500mと非常に良い立地なのだ。その上スーパーが目の前にあれば、そりゃ人気の住宅地になるだろう。周辺の道路も拡張工事が行われ、以前とはだいぶ違った雰囲気になっていた。
住宅建設ラッシュだった。
住宅建設ラッシュだった。

こうして特殊な景観が失われ、どこにでもありそうな景色が増えていくことは一方で残念に思うものの、「こんな良い場所だったんだから、まぁ普通こうだよね」という印象の方が大きかった。

次は1000年後くらいにどうなってるか見てみたいものだ。
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