特集 2013年4月25日

ボイストレーニングに行きました

写真がないので全編こんな挿絵でお送りします
写真がないので全編こんな挿絵でお送りします
僕はものすごく声が小さい。コミュニケーションの基本はあいさつであり、あいさつの基本は声であるから、僕はコミュニケーションの基本の基本ができていないということになる。実際声の小ささが原因で会社をクビになったこともある。

前々から問題だと思ってはいた。しかし、そろそろ声を大きくする特訓をしてみよう。というわけでボイストレーニングの体験レッスンに行ってみることにした。今回の記事で、僕は生まれ変わるつもりだ。
1986年埼玉生まれ、埼玉育ち。大学ではコミュニケーション論を学ぶ。しかし社会に出るためのコミュニケーション力は養えず悲しむ。インドに行ったことがある。NHKのドラマに出たことがある(エキストラで)。(動画インタビュー)

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予約する方法が電話しかないので一旦考えなおす

さっそく得意のインターネットでボイストレーニング教室を検索してみる。ボイストレーニングというものから縁遠い生活をしている(多くの人もそうだろう)ので、にわかにボイトレ教室の存在を信じられずにいたのだが、主要な街にはどこにでもあるようだった。

しかし予約する段になって、問題が発生した。

予約には電話が必要なのだが、電話が苦手なのだ。声が小さいのもあるのだが、しゃべることに詰まると、黙ってしまう。僕のように電話ができるだけのボイスがない人は、いったいどうやってボイストレーニングに申しこめばいいのだろう。
いきなりつまづく
いきなりつまづく
電話がすごく便利だということは知っている。話が早く進むのが電話のいいところだ。なぜなら電話は会話するための道具だから。しかし、すごい勢いで物事が決まっていく感じが、怖い。

僕が心のなかで「あっ、ああ~~」と思っているうちに、相手が言ってることで話がどんどん進んでいってしまうことがあって、それがまた怖い。電話の最後で「ちょっと悪いんだけど、今の、全部ナシで!」と言いたくなるときもある。

一旦考えなおすことにした。生まれ変わるのもおあずけだ。その間に髪を切りに行った。電話予約しなかったので1時間待った。これが僕のスタイルだ。

インターネットに感謝

改めてボイストレーニング教室のサイトを見てみると、なんとネットで予約することができるようであった。
これなら得意だ。イケる。秒速で予約した。
ありがとうインターネット ありがとう予約フォーム
ありがとうインターネット ありがとう予約フォーム
結局あとで確認の電話がかかってきたのだが、まあ、受信なら大丈夫だ。

電話での話によると、希望した時間はすべて埋まっていたそうだ。ボイストレーニングってそんなに人気があるのかと失礼なことを思いながら、希望する日に唯一あいていたコマにレッスンを入れてもらうことにした。

練習したい曲のジャンルを聞かれもしたので「特にありません」と答えると、「発声など基礎からトレーニングしたいということですね」と言われた。「発声」! そう、発声のトレーニングがしたいのだ。

インターネットに感謝

電話の最後に「お越しいただく際の持ち物なんですが…」と言われ、えっ、と一瞬ドキッとする。ボイトレに必要なものとかあるのか。丸腰で行く気まんまんだっだ。

続けて「練習に使うお好きな音楽の音源を用意していただけますか。カラオケバージョンが望ましいですが、ボーカルが入っていてもかまいません」と電話の相手は言った。

うん、それなら。と安心したが、自分で選んだ曲で練習するのだろう。まじめに歌わねばならない曲だ。カラオケの選曲なんかより重みのある一曲だ。

練習に使う曲だから難しすぎてもいけない。かといって簡単すぎても面白く無い。それでいて自分が歌っても恥ずかしくない曲は……一体なんでしょうね?僕は色々考えてバンプ・オブ・チキンの「カルマ」にした。業(カルマ)を背負っていこうという決意だ。あなたならなんの曲にするだろうか。
こんなジャケットじゃないと思う
こんなジャケットじゃないと思う
予約するだけで一苦労だというのに、レッスンなんてちゃんと行けるのだろうか。僕はため息をついた。
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生徒の声がでかいことに驚く

渋谷駅を降りて、夜の人混みを歩く。ボイストレーニング教室は駅すぐ近くのビル10階にあった。上るエレベーターは止まってるんじゃないかと思うほど長く感じられた。緊張しているのだ。
緊張しているのだ!
緊張しているのだ!
受付で自分が予約した人物であることを告げると、アンケートを渡され、書きながらオープンスペースで待っているように言われる。

ちょうどレッスンが終わった生徒さんたちが集まりだしていた。10代や20代の若者が楽しそうに話している。すごく賑やか、というかちょっとうるさいくらいだ。声がでかい。これがボイトレの成果なのか。

アンケートに戸惑う

さて、アンケートなのだ。今日は勢いで来たところがあるので、はっきりと理由が答えられない項目もある。例えば体験レッスンを受けようと思った動機についてなのだが、正直に「勢いで……」とも答えられない。

選択肢に「苦手意識をなくしたい」というものがあったので、それにチェックした。一応嘘ではないがちょっと罪悪感がある。
たぶん若者だったと思うが、顔とかはあまり見られなかった
たぶん若者だったと思うが、顔とかはあまり見られなかった
いや、罪悪感なんてもつ必要はないのだ。なぜなら、今日僕はレッスンを体験しにきただけなのだから。今日、僕は「ゲームセンターあらし」ならぬ「無料体験レッスンあらし」なのだ、と自分を鼓舞する。あらしまではしなくても、強気のスタンスでいこう。

一応、他の選択肢にも目を通す。「プロになりたい」というものもある。歌に苦手意識がある人が来る一方で、プロ志向の人も来るところなのだ。僕がうっかりこれにチェックしてしまったら、どうなってしまうんだろう。震える。

トレーナーのフランクさにたじろぐ

アンケートを書き終わると、僕の体験レッスンを担当してくれるナカムラさんがやってきた。ふっくらとした感じの明るい雰囲気の女性で、エスニックな絞り染めのパンツを履いていた。

くねくねした廊下を通って、小さな部屋に案内された。部屋には、ノートPCと電子ピアノが設置されていて、壁には全身が映る大きな鏡がある。これがボイトレに必要な最低限なのだろう。

ナカムラさんは床にべったり座り、アンケートをひととおり確認する。

「浩一くんは部活とかやってたことある?」
「あ、中学生のときは陸上部で、高校は帰宅部でした」
「オッケーオッケー。運動の経験があるとね、上達がはやいんだよ。体の使い方がわかってるから」
!
納得出来ない理屈だが返す言葉はない
いきなりのフランクな感じに怯む。さすがエスニックな絞り染めだ。
それにしても、運動の経験があると歌の上達がはやいというのはどういう理屈だろう。運動してても体の使い方は全然わからなかった僕にも当てはまる理屈なのだろうか。

しょうもないペルソナができる

次にナカムラさんは僕に「やりたい曲は?」とたずねた。僕は持ってきた「カルマ」のことを思い出す。

そうだ、きっとそうだ。それ以外ない。 のだが、とっさに「あ、えー、とくにないです……」というセリフを返してしまった。出すのが恥ずかしくて。ここで堂々と「カルマ」を取り出す勇気は僕にはなかったのだ。

その直後、しまった、と思った。

僕は「歌すごく苦手な人」という非常にしょうもないペルソナ(人格)を、自分自身の内で作り出してしまった。実際はそこまでではない。仮病でお腹痛いって言っただけなのに、お母さんから「病院行こう」と言われた感じになってしまった。
つらい……自分の弱さがつらい……
つらい……自分の弱さがつらい……
本当にどうでもいいペルソナなのですぐに脱ぎ捨ててしまえばよかったのだが「浩一くんは、ふだんカラオケとか行かない?」と聞かれたときには、「行かないですね」と自信たっぷりに答えてしまっていた。

(カラオケなら2日前にも行ったんです!)

内なる声は届かない。「たまに行くこともある」と答えるだけでいろいろ違っただろう。だがもう遅い。ペルソナに従うしかない。遊びで作ったいかだが激流に流されていくような心地になった。
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発声練習で「逆に」褒められる

歌とは何も接点がない生活をしているということになってしまったので、あとはもう指示に身を任せるだけだ。

まずは、鏡に向かってあーあーあーと1音ずつ高い「あー」を出していく。こういうの中学生のとき音楽の授業でやった覚えがある。学校を卒業するときにいろいろな授業を思い出しながら「もうこういうことやらないんだよなぁ」と思った記憶があるが、意外とやることもあるものだ。
トリップというか、変な気持ちになってくる
トリップというか、変な気持ちになってくる
言われたとおりの発声が終わると、ナカムラさんは「何にもクセがなくて逆に練習したら上手になる」と僕をほめた。逆に? 何が逆なのだろう。ふつう、クセはあったほうが練習したらうまくなるのだろうか。

クセがない声というのも「凡庸でつまらない」というふうにも思えてくるのだが、「逆に、って、どういうことですか?」と聞くとケンカを売っているようにも聞こえそうなので、黙っていた。「無料体験レッスンあらし」はどこへ行ったのか。

響きが出てきた、らしい

その後はストレッチや腹式呼吸、ハミング、発声の練習など、ウォーミングアップ的なことをした。鏡に向かってやることで、口が十分に開いていなかったり、上半身がふらついていたりすることがわかる。確かに声を出すというのは体の動作のひとつなのだということに気付く。

それにしても鏡に向かって声を出すというのはおかしな感じがする。頭の中がふわふわして、自分がなくなってくる。

適度な所で聞こえてくる「声に響きが出てきたね」というナカムラさんのおだてが無ければ、現実に帰ってこれないかもしれないところだ。
たしかに響きに変化があるような気もしてくる
たしかに響きに変化があるような気もしてくる

勧誘フェーズに入る

ひと通りのウォーミングアップをした所で、とりあえず体験レッスンは終わりになった。

そこからナカムラさんは入会するかどうかという話をしだした。正確には、初心者はどのプランで始めるのがいいのか、という話をしている。どうしようか。なんだか違う気がしてきている。

少し考えてみると、今日ボイストレーニングの基礎をやってみて、声が出ている自分に気がつく。「『あー』と発声してみて」と言われれば、それなりの「あー」は出る。

声は出るには出るのだ。発声練習だったり決まったセリフなら声を出すことができる。でも、日常会話となると、途端にハードルが高くなる。それは、銃口を人に向け引き金を引いて銃弾が発射させるのと同じ、心理的な難しさだ。それこそが僕の声が小さい理由であった。

こうちゃんと呼ばれ、本当に必要なものを知る

「苦手意識があるという話だけど、今日の感じだとそれがわからなかったなあ」
「ああ、そうですか……」
「こうちゃんは、具体的に何が苦手なの?」

体験レッスンの時間は30分程度。その30分の間に、僕の呼び名は「浩一くん」から「こうちゃん」に変わっていた。ああ、ボイストレーニングじゃなくて、その距離の詰め方をトレーニングをしたい、と思った。そんなこと言い出せないけど。

ありがとう、ボイトレ……
ありがとう、ボイトレ……

どうする声のひびき

ナカムラさんには「今日はちょっと……」と曖昧な形で判断保留の意思を伝え、教室を後にした。

帰り道、自分が変な疲れ方をしていることに気づく。体から声を出すというのはこういうことなのだろう。声は出そうと思えば出せる。そのことに気がつけてよかった。

ところで、レッスンの間に出てきてしまったという「声のひびき」。これ、どうしたらいいのか。あんまり望んでいなかったので「無駄に出てしまったな」と思う。
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