特集 2013年7月24日

墳好きによる墳めぐり

住宅街にぽつんと残る墳
住宅街にぽつんと残る墳
家の最寄り駅近くを歩いていたら、古墳に出くわした。

もう数年住んでいるのに、古墳があったなんて知らなかった。しかもそこにあった看板を見ると、近くにはほかにも古墳があるらしい。

ところで僕はダム好きで全国のダムをめぐっているのだけど、同じように古墳時代には古墳を(いや同じ時代だから「古」のつかない「墳」か)見てまわるのが好きな「墳好き」がいたんじゃないか。

うだるような暑さの夏の午後、そんなことを考えながら近所の古墳をめぐった。
1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
(動画インタビュー)

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1300年前の人のレポートだと思ってください

突然ですが、倭の武蔵国に住む私は墳好きである(いや、倭とか武蔵国とか、当時呼ばれていたかどうかは分からない。何しろ日本書紀より前なのだ)。

墳はいい。言うまでもなく偉い人の墓である。こんな巨大建築物は後にも先にも現れないと思う。偉い人が権威を示すために造る墓より大きなものなんて必要ないだろう。

あ、でもよく水不足で飢饉が発生したり、川が暴れて田が流されるから、谷間を大きな壁で塞いで水を貯められたらいいなと思うことはある。そんなものができたら途方もない大きさだろうなあ。

それはともかく、今回はこの武蔵国の国府、府中に最近できた墳をめぐりたいと思う。
京王線と南武線が交差する分倍河原駅
京王線と南武線が交差する分倍河原駅
ここはちょうど多摩川が大地を削って形成した崖線に沿った地域で、昔から開けているけど坂道が多い。

大きな段差があって川が流れている戦略の要所だ。だから、もしこの国を南北に二分するような事態になったときは、ここで雌雄を決する戦いが行われることになるんじゃないか。
その後この人(新田義貞)がここで戦うのは600年くらい先
その後この人(新田義貞)がここで戦うのは600年くらい先
その崖に沿って少し歩いて行くと、比較的新しい墳が現れる。
6世紀前半くらいに造られたらしい
6世紀前半くらいに造られたらしい
それほど大きくないけど、ほぼ真円に近い美しい墳だ。まだ完成して100年も経ってないんじゃないか。

保守点検に使う通路が設置されているけど、これが猫が歩くような細さ。いつか歩いてみたい。

誰が埋葬されているのか知らないけど、ちょっとお邪魔して上に登ってみると、あたり一面がよく見えた。これはいい墳だ。詳細を資料にまとめて誰でも見られるようにしたいものだ。
ご自由にお取りくださいのチラシがなかった
ご自由にお取りくださいのチラシがなかった
ダムで言うキャットウォークのような通路があった
ダムで言うキャットウォークのような通路があった
本当に住宅街の中にぽつんとある
本当に住宅街の中にぽつんとある
規模はそれほど大きくない。たとえば少し前に畿内に建造された仁徳天皇陵などは途方もない大きさの前方後円墳だという。ただしあちらは天皇陵。それと比べると和同開珎と米1粒ほどの差である。

しかしこの均整の取れた美しい円墳、後々の世までしっかり守らなければならないと思った。
残念ながら後の世ではまわりの住宅に一部削られてしまう
残念ながら後の世ではまわりの住宅に一部削られてしまう
この部分の土地とかどうやって売買されたのか
この部分の土地とかどうやって売買されたのか
現地にあったこの看板でほかにも古墳があることを知った
現地にあったこの看板でほかにも古墳があることを知った
続いて向かうのはそこから少し西へ歩いた場所。先ほどのに比べてもさらに小さな円墳である。
このレポート当時はなかったであろう神社
このレポート当時はなかったであろう神社
その境内を進むと
その境内を進むと
拝殿の裏がこんもりしている
拝殿の裏がこんもりしている
よくこれが古墳だ、って気づいたなあ
よくこれが古墳だ、って気づいたなあ
小さいけれど、ギュッ、と強く握られたような熱量を感じさせる墳。何かしら秘めた力を持っているような気がして、この場所に来ると神が宿ったような神秘的な雰囲気を感じる。社でも建てて祀った方がいいのかも知れない。

その近くにもうひとつ小さな墳がある。
何でもない住宅地の一角がとつぜん祀られている
何でもない住宅地の一角がとつぜん祀られている
ここも徒歩で(この時代徒歩しかないか)すぐ着く。ここも円墳のようだがいかんせん小さすぎる。夏場はまわりの草地と同化してしまい存在が分からなくなるほどだ。

この地も徐々に住民が増えて行くだろう。そんなとき、この墳に気づかない者が家や田を造ろうとして壊したりすることのないよう、しっかりした管理が必要だと思う。
残念ながらもはや残っているのはこれだけである
残念ながらもはや残っているのはこれだけである
続いてもこのあたり一帯の墳群のひとつ。しかしここは大変に美しい。墳めぐりをはじめて以来、100基を超える墳を見てきた私が見ても、大きさはそれほどでもないものの、これほどまでに気品と美しさを兼ね備えた墳は見たことがないと断言できる。おそらく武蔵国いちの美墳であると思う。
しかし2013年現在は完全に手つかずの薮と化していた
しかし2013年現在は完全に手つかずの薮と化していた
手つかずすぎてもっさりの密度がすごい
手つかずすぎてもっさりの密度がすごい
どうだろう。国中の人がこの美墳を知ったら見物に押し寄せて来るのではないか、と期待半分、恐さ半分である。

さて、次は少し離れた場所にある。とは言っても大した距離ではなく、小野妹子が隋に着くよりは早い(当時大流行のたとえ)。

大きさや形はいちばん最初に見た円墳に近い。しかし残念ながら集落のはずれにあって訪れる人もなく、まったく目立たない。
逆に現代では新しい駅の駅前一等地になっていた
逆に現代では新しい駅の駅前一等地になっていた
きれいに整備され、遊歩道も設置されている
きれいに整備され、遊歩道も設置されている
頂上には小さな祠が置かれていた
頂上には小さな祠が置かれていた
というわけで、武蔵国の国府近くにあるいくつかの墳を見てきたけど、次が最後である。やや北に歩くと、この地域でもっとも大きな、もっとも立派な墳が見えてくる。形式は全国的にもほとんど例のない上円下方墳である。
この神社も古墳時代はなかったはず
この神社も古墳時代はなかったはず
彼らはこの場所の重要さが分かっているだろうか
彼らはこの場所の重要さが分かっているだろうか
復元されたばかりとは言え、ほかとは一線を画す迫力と構造
復元されたばかりとは言え、ほかとは一線を画す迫力と構造
円墳以外の構造の古墳を初めて見た
円墳以外の構造の古墳を初めて見た
最近完成したばかりのこの墳、立派な石室も装備し、その中に埋葬されているのはこのあたり一帯でも特に有力な人であるらしい。

それにしてもこれだけ大きな石葺きの上円下方墳は見たことがない。立入禁止で登れないのは残念だけど、これぞ武蔵国が誇る最新型墳である。

今後もこういった新墳がどんどん造られてくれれば墳好き冥利に尽きるというものである。

架空のマニアを創作

近所のちょっとすごい古墳を紹介したい、という地味な内容だったので、古墳時代にいたかも知れない古墳マニアの体(てい)で、残酷な天使の体で、語り口を作ってみた。

しかしさすがに新築で地面掘り返すたびに何かしら遺跡が出てくる歴史の街、こんなところにも古墳が!?という驚きはたくさんあった。自分がいま住んでいる場所に1000年以上前から人の営みがあった、というのは果てしないロマンである。

ただしいちおう断っておくと、本文の墳にまつわるエピソードは基本的にフィクションです。
きっとこういう何でもない小径も数百年単位の歴史があるのだ
きっとこういう何でもない小径も数百年単位の歴史があるのだ
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