フェティッシュの火曜日 2015年3月17日
 

うどんを毎日自宅の機械で作って食べていた地方がある

左がほぼ新品状態で、右が約60年使い続けた家庭用製麺機。
左がほぼ新品状態で、右が約60年使い続けた家庭用製麺機。
うどん、そば、ラーメンなどの麺を作る製麺機という機械がある。現在はそのほとんどが業務用のものだが、昭和のある時期にだけ、家庭用の小型製麺機が作られていた。

それはある特定の地方でのみ普及し、一般家庭の家事としてハンドルをグルグル回しての自家製麺がおこなわれていたのだ。

そんな日本人の99%が知らない家庭用製麺機文化を、深く掘り下げてみた。ザ・自由研究。
趣味は食材採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は製麺機を使った麺作りが趣味。

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製麺機は佐賀で生まれた

家庭用製麺機の歴史を探る前に、まずざっくりと製麺機の歴史をご紹介しよう。

製麺機は佐賀の真崎照郷さんが、綿花から種をとる機械をヒントに、明治16年に開発したといわれている。

いやいや元祖は同じ村出身の蒲原末次郎さんだという説もあるが、佐賀で明治時代に発明されたということは、どうやら間違いないようだ。
製麺機のルーツとなった綿の種取機。あ、もしかして麺と綿(めん)のつながり?
製麺機のルーツとなった綿の種取機。あ、もしかして麺と綿(めん)のつながり?
その後、大正、昭和と時代が進むにつれて、大量生産のために手動から自動に変わったり、ローラーが大型化したりしていくのだが、それとは別の進化として、手回し式の小型家庭用製麺機というタイプが存在した。

家庭用製麺機が生産されたのは、鋳物の街として栄えていた、埼玉県の戸田市や川口市がほとんど。
昭和24年度版真崎製麺機械のパンフレットより。ほぼ同じ構造の製麺機がいまだに現役の製麺所も多い。
昭和24年度版真崎製麺機械のパンフレットより。ほぼ同じ構造の製麺機がいまだに現役の製麺所も多い。

家庭用製麺機の謎を解きたい

個人的な趣味として、この愛すべき家庭用製麺機の同人誌を作るようになると、どうしても気になってくるのが、当時どのように使われていたのかという謎だ。

※家庭用製麺機が気になった方は「趣味の製麺1」「趣味の製麺2」をぜひ。
板裏に昭和2年購入と書かれていた家庭用製麺機。撮影はオカダタカオ先生。
板裏に昭和2年購入と書かれていた家庭用製麺機。撮影はオカダタカオ先生。
私はこれを趣味の調理道具として扱っているが、当時は誰がなんのために使っていたのだろう。私のような趣味人が多かったのだろうか。まさか自家製ラーメンブームがあったとも思えない。

そこで実際に使っていた人の話をツイッターなどで集めてみると、昔おばあちゃんが使っていたとか、そういえば実家にあったとかいう話が予想以上に集まったのだが、なんとその約8割が群馬県南部の高崎市周辺(埼玉北部含む)に集中しており、高崎ではどの家庭にも製麺機があり、今でも販売しているぞという証言まで出てきた。
たぶん昭和30〜40年代くらいの田中式製麺機。今回の記事ではキーとなる製麺機だ。同じくオカダタカオ大先生による撮影。
たぶん昭和30〜40年代くらいの田中式製麺機。今回の記事ではキーとなる製麺機だ。同じくオカダタカオ大先生による撮影。
さらに高崎市歴史民俗資料館の昭和初期に家庭でよく使われていた道具を展示するコーナーに、家庭用製麺機が置かれているらしい。

群馬といえば粉モノ文化の土地だと聞くが、もしや製麺機文化もあったのだろうか。

とにかく家庭用製麺機の歴史を紐解くカギは、高崎市にあるようだということで、さっそくその資料館へといってみることにした。

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