その名も“春蝉”
6月に入ったというのに、網走の最低気温は連日一桁だった。梅雨入り前の爽やかな本州から飛んできたので、乾いた風が骨に染みる。目も乾く。
こんなの初夏じゃない。春を逆戻りして冬だ。本州の感覚では。
本州だといかにもセミが付いていそうな街路樹には一匹も見当たらないが…。
現地に住む友人曰く、「ここ数日が特別寒いだけ」だと言うが、息を白くしながら言われても信用できない。
僕の不安な顔を見たのか「でも、もうセミも鳴いてるし…」と続ける友人。
ほう、セミ。
…セミ!?
ちょっと本気出してる感じの森へ行くと、確かにセミの合唱が響いている。
友人宅の裏手には山が広がっている。まさかと思いつつ耳を澄ますと、確かに調子に乗ってるヒグラシのようなセミの声が響いている。
今まで気づかなかったのが不思議なほどの大合唱だ。本州ですら鳴いてないのに、まだ寒さの残る北海道に先を越されるとは…。
エゾハルゼミの鳴き声。元気なヒグラシといった印象。
ダウン着てセミ捕りなんて初めて!
このセミは「エゾハルゼミ」という寒冷な環境を好む種類のセミで、北海道では例年5月下旬頃から鳴き始めるのだとか。
ちなみに、本州にも近縁のハルゼミというセミがいて、こちらはさらに早い時期に鳴き始める。
せっかくセミがいるのだから、ここでセミ捕りをしない手は無い。きっとセミを捕まえれば寒さも忘れるはず。服装は虫捕り網が似合わない厚着だが、気分だけでも夏を感じようではないか。
セミを食うニジマス
クマが怖いので、沢沿いの開けたポイントに目をつけた。虫捕り網を片手にウロウロしていると、地元の釣り人に出会った。ニジマスを釣りに来たのだという。
エサは何を使うのですがと尋ねると、「セミのルアー」との回答が返ってきた。
うわ、本当にセミ型のルアーだ。翅も脚も再現されててかわいい。
釣り竿を見せてもらうと、確かにセミの形をしたルアーがぶら下がっている。
なんでも、マス類を釣るときは、彼らがその時その場で食べているエサに合わせた疑似餌を使うのが鉄則らしい。この時季は水面に落ちたエゾハルゼミをよく食べているので、セミ型ルアーが効果てきめんなのだとか。
釣具箱の中にはセミルアーがたくさん。よく見るとバッタ型のものもある。
セミルアーでどれくらいの数が釣れるものなのですがと尋ねると、「数え切れないくらい釣れますよ!」とのこと。すごいな。
ニジマスが数え切れないほどいるなら、そのエサのエゾハルゼミはもっともっとたくさんいるはず。よし、捕りまくるぞー。
なぜか足元に落ちてくる
声こそ聴こえるが、なかなか姿を現さないエゾハルゼミ。
どうやら木の高いところにいる上に身体が小さいらしく、肉眼で見つけるのがけっこう難しい。
エゾハルゼミと同じネコヤナギの木によくいたヨツモンヒラタシデムシ。シデムシは一般的に地面に転がる動物の死骸を食べるが、こちらは木の上で虫を捕まえて食べる変わり種。
足元の水たまりにはエゾスジグロシロチョウの群れ。手づかみできるほど近づいても逃げない。
他の昆虫を撮影したりしながら探すうち、目が慣れたのかポツポツと見つけられるようになってきた。
いたー!でも高いところにばっか張り付いてやがる。
お腹が琥珀のように透き通っている。
探し始めて20分くらい経ったか。突然、ずいぶんと低い位置から鳴き声が聞こえてきた。
そっと声の元へ近寄ると、上手いこと網の届く高さにセミがついている。しめた!と網を伸ばした瞬間、セミは鳴き止み羽ばたいた。
しまった!と思った瞬間、セミは僕の足元に墜落した。え、なんで。
お前の方から落ちてきてくれるのか…。
落ちたセミをつまみ上げる。
捕獲完了。網、いらんかったな。
エゾハルゼミ、ゲット!素手で!
捕まえたエゾハルゼミをよく見ると、翅の先が傷んでいる。鳥か何かに襲われたのだろう。
もしかしたら足元に落ちてきたのも、弱ってしまってうまく飛べないせいなのかもしれない。
鳥につつかれたのか、翅に傷が。もしかして弱っていたから落下したのかな?
かわいそうだからと元いた樹に返してやると、凄まじい勢いで飛び去って行った。あれ?やっぱり元気だった?
と、ここでまた一匹手頃な高さで発見! 近寄ると、今度は網を構える間も無く落下。おいおい。
やっぱり網いらんかったな…。
こちらは目立つ傷もなく、どう見ても元気な個体。なのになぜ足元に落ちるのか。
どうも、木から飛び立つ際に「飛び上がる」のが苦手なのかもしれない。高い木から木へと滑空するように飛び移るのが本来の飛び方なのでは。
もしくは鳥などの敵に出会ったら、あえて足元の藪中に落下することで身を隠す作戦なのかもしれない。
よく見るとなんかお腹が大きい。
お前もしかして、その腹が重くて上手く飛べないんじゃないだろうな…。
お腹側はこんな感じ。
オスの脚の付け根にある丸い板が発音器。ちなみに今回、メスは採れず。メスは鳴かないので居場所を突き止めにくいのだ。
セミの顔ってまじまじ見るとカッコいい。そりゃ円谷プロも目をつけるわけだ。
たっぷり写真を撮ってねっとり観察したら放してやる。いじくり回してすまんかった。そしてありがとう!
次は沖縄でふた足早く
そんなこんなで、本州よりも一足早いセミ捕りを北海道で楽しんできた。北の大地は本格的な夏が来るのは遅いのに、セミはこんなに早く出てくるという事実に改めて驚きだ。
だが、上には上があるもので、沖縄では3月頃からもうセミが鳴き始める。来年はひと足と言わずふた足早く、こちらのセミを捕ってみたい。