特集 2015年6月19日

「防火建築帯」に夢中

このなんともかわいいビルたち、実はファイアーウォール。
このなんともかわいいビルたち、実はファイアーウォール。
ぼくはさいきん「防火建築帯」に夢中だ。

身体を張って延焼を食い止めるビル。それが防火建築帯。実は日本中にけっこうある。

今回はとくにかわいい横須賀のものと、発祥の地・鳥取のものをご紹介しよう。

って、出だしのこの文章ですでにすごくマニアックで地味だけど、ちょっと見てみてください。ほんとかわいいんだよ、防火建築帯。
もっぱら工場とか団地とかジャンクションを愛でています。著書に「工場萌え」「団地の見究」「ジャンクション」など。(動画インタビュー

前の記事:つくばはもう未来都市じゃなかった

> 個人サイト 住宅都市整理公団

びっくりでしたよね、あの団地

以前「長さ1km超・日本四大防壁団地」という記事で、ビルを防火壁として機能させる事例を紹介した。
団地がファイアーウォールに! 「長さ1km超・日本四大防壁団地」より。
団地がファイアーウォールに! 「長さ1km超・日本四大防壁団地」より。
実はこのような建築はめずらしくない。いや、ここまででかいのは異例だけど。

建築や都市計画を勉強した方には常識だが、延焼を防ぐためにビルを使っている例は日本にけっこうある。

そのひとつが横須賀にある三笠ビルだ。すごくすてきなのだ。

外観かわいいし、中は不思議だし

これが三笠ビル。屋上横に伸びるルーバーみたいな意匠といい、カラーリングといい、表面の模様といい、あちこちかわいい。
これが三笠ビル。屋上横に伸びるルーバーみたいな意匠といい、カラーリングといい、表面の模様といい、あちこちかわいい。
京急の「横須賀中央」駅からすぐ。繁華街の中心をなす建物だ。長さ170m強、1959年完成の、いわば商店街ビルだ。横須賀に縁がある方なら一度はこの中を歩いたことがあるはず。
横須賀中央駅から向かうと、こういうシリンダー状の構造物がおでむかえ。
横須賀中央駅から向かうと、こういうシリンダー状の構造物がおでむかえ。
道の向かい側から眺めると、こんな。長いビルの両端がこういうふうになってます。かわいい。
道の向かい側から眺めると、こんな。長いビルの両端がこういうふうになってます。かわいい。
で、上の写真でわかると思いますが、これ「ビル」といいつついわゆるアーケードでして、ビルの中を貫く道が歩道なのだ。
歩いて行くと自然とビルの中へ。
歩いて行くと自然とビルの中へ。
ただ、いわゆるアーケードとは違って、天井とかかなりビルの中感ある。
ただ、いわゆるアーケードとは違って、天井とかかなりビルの中感ある。
仕組み的にはアーケードなんだけど、空間的にはビル感ある。みんなふつうに利用してるけど、これかなり不思議な空間だよ。

外観かわいいし、中は不思議だし、みんなしれっと利用してるし、横須賀の底力を見た思いがする。

防火壁ビルは日本にけっこうある

これがどのように「防火壁」なのか。まず背景に「耐火建築促進法」という1952年の法律がある。

さきほど書いたように、三笠ビルは1959年完成。当時はまだまだ木造の建物が多く、それらが火事になればあっというまに延焼してしまう危険性があった。

江戸の火消しは延焼を防ぐためにまわりの建物を壊した。戦時中は「建物疎開」といって延焼しないように道路や空地を広くした。
赤い線で囲った部分が三笠ビル。地図で見るとこのように中に「道路」が走っている。ふしぎ。
そして戦後、コンクリートという「不燃物」でビルという大きな建物を多く建てることができるようになると、それをみっちり建てて、広い道路とセットにして防火壁にしよう、ということになった。

それまで可燃物・燃料であった建築物が、一転して「燃えないもの代表」になったのだ。つくづくコンクリートってすばらしいと思う。コンクリ大好き。
三笠ビルになる前、1956年の様子。広い道路の脇に平行して伸びる細い道の両脇に並ぶ商店街だった(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・コース番号M324写真番号・344/撮影年月日・1956/03/10(昭31)をトリミング、加筆)
三笠ビルになる前、1956年の様子。広い道路の脇に平行して伸びる細い道の両脇に並ぶ商店街だった(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・コース番号M324写真番号・344/撮影年月日・1956/03/10(昭31)をトリミング、加筆)
で、そのひとつが、この三笠ビルというわけだ。耐火建築促進法によって作られたこのような帯状のファイアーウォール建築群のことを「防火建築帯」という。質実剛健、良い名前だ。かっこいい。
三笠ビル完成4年後、1963年の様子。ゆるくカーブした商店街のレイアウトをそのまま継承している点にぐっとくる。道が残っているように見えるが、これは2階部分の謎の通路(後述)。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・整理番号・MKT637/コース番号・C19/写真番号・11/撮影年月日・1963/06/23(昭38)にトリミング、加筆)
三笠ビル完成4年後、1963年の様子。ゆるくカーブした商店街のレイアウトをそのまま継承している点にぐっとくる。道が残っているように見えるが、これは2階部分の謎の通路(後述)。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・整理番号・MKT637/コース番号・C19/写真番号・11/撮影年月日・1963/06/23(昭38)にトリミング、加筆)
三笠ビルがおもしろいのは、建築を不燃に建て替えたのではなく、商店街全体を道を取り込んでビルにした点だ。

で、その「元道路」たるビル内を歩いていって、ぼくは驚くものをみつけた。白髭東アパートとの奇妙な共通点だ。
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ここにも参道が!

ゆるく折れ曲がるビル内道路の頂点にいきなり「豊川稲荷成田不動尊」の案内が。
ゆるく折れ曲がるビル内道路の頂点にいきなり「豊川稲荷成田不動尊」の案内が。
靴修理と元気パンの間に、裏に抜ける通路が出現。
靴修理と元気パンの間に、裏に抜ける通路が出現。
床には墨痕鮮やか「参道」の文字が。出口には「豊川稲荷入口」とある。
床には墨痕鮮やか「参道」の文字が。出口には「豊川稲荷入口」とある。
そこを抜けると急に急な階段が。なにこの急展開。
そこを抜けると急に急な階段が。なにこの急展開。
すこし登って振り返ると、こんな。表の水色と白のかわいいファサードとはまったく違う荒々しい佇まいに興奮。
すこし登って振り返ると、こんな。表の水色と白のかわいいファサードとはまったく違う荒々しい佇まいに興奮。
前出の「長さ1km超・日本四大防壁団地」にも、壁を貫く形で参道が通っていた。あれと同じではないか! 震えた。
白髭東アパートにもこのように参道があった。
白髭東アパートにもこのように参道があった。
ビルで防火壁を作ると、参道に配慮しなければならない事案が発生しがちなものなのか。

と思いながら地図を見ると、そもそもこの三笠ビル内の元の道路は参道のためのものだったのではないかと思える。ゆるく「く」の字型に曲がった道の頂点部分がちょうど参道への分岐点だし。

こういう「法律」「都市計画」「コンクリート」というものと、「参道」というものとのせめぎあいが今も形になって残っているというのが面白いなあ、と思うわけです。うん、おっさんの趣味だよね。わかってる。

やっぱりこの「ビル」おもしろいよ

冷静になって、その裏手の建築を見ると、なんだかすごく複雑なことになっているのに気がつく。
冷静になって、その裏手の建築を見ると、なんだかすごく複雑なことになっているのに気がつく。
で、この裏手を見てあきらかになったのは、これやっぱり「ビル」というか「アーケード」だということだ。

上の写真のように、いろいろな大きさ・種類のビルが一見無秩序に並んでいる。これが表と裏の2列に並んでいて、その間の元道路にビル的な屋根を架けたのだなあ、ということがなんとなくわかる。

この裏手を見たあとだと、表のかわいく「ビル然」に整えた様子がいちだんと目に映えるというものだ。

ちなみに上の写真、三笠ビル向こうに建設中のタワーマンションは以前「マンションポエム」で紹介した物件である。
このマンションポエムのやつね。三笠ビルのすぐ隣なら、そりゃあ「感動の高み」だろうよ!
このマンションポエムのやつね。三笠ビルのすぐ隣なら、そりゃあ「感動の高み」だろうよ!
裏に走っている細い路地はこんな。うん、これは「ビル」って感じじゃない。
裏に走っている細い路地はこんな。うん、これは「ビル」って感じじゃない。
あらためて表側を見てみる。そのコントラストにくらくらする。
あらためて表側を見てみる。そのコントラストにくらくらする。
さて、「ビル」というからには2階があるはずだ。

と思って途中一箇所だけある階段を上ってみたら、そこにはこれまたすごくすてきな風景が広がっていた。
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2階に散髪屋さんがあって、そこへいたる階段をのぼると「アーケード」部分の上に通じる開口部が……!
2階に散髪屋さんがあって、そこへいたる階段をのぼると「アーケード」部分の上に通じる開口部が……!
首を出して覗いてみると、こんな風景が! これはすごい!
首を出して覗いてみると、こんな風景が! これはすごい!
さきの航空写真で道路のように見えていたのはこの部分だったのだ。いわばかつての道は持ち上げられて、いまもここにこうやって存在するというわけだ。

単純な屋根にしなかったのは、このフロアも「商店街」にしたかったからではないか。そんな風に思える風景だった。
もうひとつ上、3階の窓から覗くと、こんな! ふつうの道に見える。
もうひとつ上、3階の窓から覗くと、こんな! ふつうの道に見える。
反対側(北側)を見やると、こんな。
反対側(北側)を見やると、こんな。
階段踊り場にあったこれとかほんとかわいい。
階段踊り場にあったこれとかほんとかわいい。
さて、1959年完成ともなると、使っていくうちに当初のもくろみとは違ってくる部分ができる。それがまたいい。

その代表が、正面入り口にある元・螺旋階段だ。
あらためて、正面。つくづくかわいいデザイン。1階の「宝くじ」の部分に注目。この裏側を見ると……
あらためて、正面。つくづくかわいいデザイン。1階の「宝くじ」の部分に注目。この裏側を見ると……
こんなになってる。見るからに螺旋階段。残念ながら現在は使われていないようだ。
こんなになってる。見るからに螺旋階段。残念ながら現在は使われていないようだ。
2階に上がる階段をこのようにすてきな形にしたのは、やはり上も「商店街」にしたかったからなのではないかと思う。

もっと「壁」感を!

さて、いたるところに見どころがあるこの三笠ビル。せっかくの「壁」なので、もっと「壁」感ある写真を撮りたい。

と思ってがんばったのが下の写真だ。
端から端までを一枚にしました。
端から端までを一枚にしました。
長さ170m強ともなれば、当然正面から全体を眺められはしない。しょうがないので、少しずつ撮った写真を繋げた。

しかしせっかくの苦労も横幅サイズ制限のために上のようにちんまりしたものに。

しょうがないので思い切って90度回転させよう!
今回の記事は、色々書きましたが、実はこの写真を見せたかっただけなのです。
今回の記事は、色々書きましたが、実はこの写真を見せたかっただけなのです。
スマホの方は端末を横にしてご覧ください。パソコンの方は、首をかしげるか、あるいはこちらをどうぞ。

百十数枚撮って繋ぎました

どうでしょうか。自分ではすごく気に入っている写真なんですが。

これを作るのは楽しくもつらい作業だった。それについてちょっとご覧頂きたい。
元の画像データの大きさは横40,000ピクセル、1.8Gを超えました。
元の画像データの大きさは横40,000ピクセル、1.8Gを超えました。
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路駐は敵

向かい側から撮って、数歩行ったらまた撮って、を繰り返した。
向かい側から撮って、数歩行ったらまた撮って、を繰り返した。
それを整えて、繋いでいく。これがつらくて楽しいのだ。
それを整えて、繋いでいく。これがつらくて楽しいのだ。
いちばん難儀したのは停まってるタクシー。こんなふうになっちゃう。見えない。防火建築帯撮影家のことも考えていただきたい。
いちばん難儀したのは停まってるタクシー。こんなふうになっちゃう。見えない。防火建築帯撮影家のことも考えていただきたい。
繋ぐにあたってのコツなど事細かに語りたいところだが、長くなるしだいたいそんな情報需要ないだろうからやめておく。

それより防火建築帯をテーマにするなら触れておかねばならぬ重要なことがある。

防火建築帯の草分け・鳥取

一見、ふつうのアーケード商店街に見えるが、防火建築帯界の草分けだ。
一見、ふつうのアーケード商店街に見えるが、防火建築帯界の草分けだ。
それは鳥取の防火建築帯だ。

前述の「耐火建築促進法」という1952年の法律は、同年4月17日に発生した「鳥取大火」を受けて作られたものなのだ。

市街地のほとんどを焼き尽くし、罹災者2万451人、罹災家屋5,228戸、罹災面積160ヘクタール」という痛ましいこの大火災はその後高度成長に向かって変貌していく日本の都市のありかたに大きな影響を与えた。

白髭東アパートの建設には団地が転倒した映像で衝撃を与えた1964年の新潟地震(ちなみにこの地震は「カラーテレビが普及しはじめた時期でもあり、豊富な記録映像が残った初めての地震としても知られる」とのこと(Wikipedia「新潟地震」より))の経験が活かされているというし、日本の都市とは災害記録装置なのだ。
これがふつうの商店街に見えるのも、もしかしたらこの形式を後の多くの都市が参考にしたからなのではないか。だとしたら、こここそ「ザ・日本の商店街」の始祖である。
これがふつうの商店街に見えるのも、もしかしたらこの形式を後の多くの都市が参考にしたからなのではないか。だとしたら、こここそ「ザ・日本の商店街」の始祖である。
鳥取駅から県庁に至る目抜き通り、若桜街道などが、耐火建築促進法に基づいた日本で最初の防火建築帯だ。同法の内容から、3階建てのコンクリート造のビルが壁となって並んでいる。

しかもなんとこの鳥取大火のわずか9年前の1943年9月には鳥取大震災があり、大打撃を受けたばかりだったという。空襲は受けなかったものの、この2つの大災害のせいで鳥取中心部には古い建物がほとんど残っていない。

近年、建て替えが行われつつあるらしいが、ぼくからすればこれこそが鳥取の最古の遺産であり、これはもう重要文化財だと思う。

もちろん繋げた

で、もちろんこのキュートな防火建築帯も繋げた。
壁を共有してみっちり建ち並ぶ防火建築たち。
壁を共有してみっちり建ち並ぶ防火建築たち。
これなんかいかにも「壁!」って風情でキュート。
これなんかいかにも「壁!」って風情でキュート。
よく見ると要所要所に小粋な意匠が施されていて、当時の復興の意気込みが伝わってくる。
よく見ると要所要所に小粋な意匠が施されていて、当時の復興の意気込みが伝わってくる。
全部繋げたかったのだが、なんせ3km以上の長さがあるので、ハイライトだけお伝えした。いずれも画像クリックで大きなものをご覧いただけます。

ぼくが今回「いいなあ」と思ったのは、「防火」なんていうシリアスでお堅いものも、何十年かたつとこうやってふつうになんかいい感じの商店街風景になっちゃう、ってことだ。

これら防火建築帯の延長に白髭東アパートがあり、今日に至る。そろそろ現代版巨大防火建築帯作ったらいいのに、と思う。がんばって撮って繋げるぜ。

あなたの街にも防火建築帯

今回ご紹介した2例はあくまでごく一部。日本中にけっこうある。

たとえば大館市は大火災の後、防火建築帯をつくって、それがその後の火災で活躍したという。沼津にも有名なものがあるし、横浜にも結構な数の防火建築がある。

これらを見るツアーとか始めたらいいんじゃないだろうか、旅行会社は。かわいいよねえ、防火建築帯。
実は横須賀の取材は法事帰りに行ったので、なんだかちゃんとしたかっこうで撮影してました。義母さんに「この後どこに?」って訊かれて、三笠ビルに、って言ったら「なんで?!」って不思議がられて、えーと、あれは防火帯建築って言いまして…… その…… って説明にちょう困った。ツアーへの道のりは遠い。
実は横須賀の取材は法事帰りに行ったので、なんだかちゃんとしたかっこうで撮影してました。義母さんに「この後どこに?」って訊かれて、三笠ビルに、って言ったら「なんで?!」って不思議がられて、えーと、あれは防火帯建築って言いまして…… その…… って説明にちょう困った。ツアーへの道のりは遠い。

【告知】2015年7月4日・大阪でトークイベントやります

ひさしぶりの大阪でのトークイベントです。タイトル通りテーマは2つ。 ひとつはもはやライフワークになってる「マンションポエム」について。

もうひとつは「ショッピングモール論」! 昨年、東浩紀さんとシリーズでモールをテーマに対談して、その内容を電子書籍にまとめ出版もしたんですが、その後、香港のモールをじっくり見て回ったりして、いろいろと思うところもあるので、それについて語ろうかと思います。

関西のみなさまにお会いできるのを楽しみにしております。ぜひお越しくださいませ。イベントについての詳細は→こちら
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