フェティッシュの火曜日 2015年7月21日
 

江戸時代に名古屋城の天守を持ち上げて石垣を修理したという話

こんな大な天守をどうやって持ち上げたというのだろう
こんな大な天守をどうやって持ち上げたというのだろう
江戸時代初頭、天下を取った徳川家康の命によって、西国に備えた防衛拠点として置かれた名古屋城。20もの大名を動員して築かせた壮大な城郭は、「尾張名古屋は城でもつ」と称されるほどだ。

その名古屋城について調べていたところ、宝暦年間(1751〜1764年)に「天守を引き上げて天守台の積み直しが行われた」とあった。

えぇ? あの巨大な天守を引き上げた? 重機もジャッキもない江戸時代に、一体どうやって? 気になったので、調べてみた。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。
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超巨大な木造建築であった名古屋城天守

現在、名古屋城の天守は昭和34年(1959年)に建てられた鉄骨鉄筋コンクリート造であるが、第二次世界大戦の空襲で焼失するまでは江戸時代からの木造天守が現存していた。

名古屋城の天守は「連結式」という構造を持ち、小天守と大天守が連なっているのが特徴だ。実際に行った方はよく分かると思うが、まず小天守へと入り、塀に囲まれた土橋を通ってようやく大天守に入ることができる。
二階建ての小天守と五階建ての大天守が並んでいる
二階建ての小天守と五階建ての大天守が並んでいる
木造に建て替える計画が進んでいるらしいが(木材を調達できるのだろうか?)、現在のコンクリート天守も築50年以上が経ち、これはこれで既に立派な文化財だと思う
木造に建て替える計画が進んでいるらしいが(木材を調達できるのだろうか?)、現在のコンクリート天守も築50年以上が経ち、これはこれで既に立派な文化財だと思う
地上5階、地下1階の大天守は木造建築として超巨大なものであり、石垣にかかる負担はそれはもう大きなものだろう。

慶長17年(1612年)に築かれてから140年が経った宝暦2年(1752年)には、天守台の石垣に孕みが生じ、天守本体も傾斜していたという。そこで石垣の積み直し工事が行われることとなったのだ。

石垣を修理するには、当然ながら上に乗っている天守が邪魔になる。しかしこの工事では天守を完全に解体するのではなく、天守を持ち上げて隙間を作り、石垣を直したというのだ。

以下、その方法をざっくりとご説明。つたない図で申し訳ありませんが、おつきあい頂ければと思います(縮尺はテキトーで、実際より柱の本数が少ないなど、かなり簡略化しています)。
1.土壁や瓦など重いモノをすべて取っ払い、できるだけ軽量化
1.土壁や瓦など重いモノをすべて取っ払い、できるだけ軽量化
2.木材(緑)や縄(黄)で仕掛けを施し、おもり(赤)を吊る
2.木材(緑)や縄(黄)で仕掛けを施し、おもり(赤)を吊る
3.この仕掛けによって、矢印のような力が働くという
3.この仕掛けによって、矢印のような力が働くという
4.天守の仕掛けから伸ばした縄は、「大五六」という巻き上げ器に続いている
4.天守の仕掛けから伸ばした縄は、「大五六」という巻き上げ器に続いている
5.頑張って巻き上げることで天守が傾くのだ
5.頑張って巻き上げることで天守が傾くのだ
こうして天守の片側を持ち上げ、その部分の石垣を修理したのである。なんてダイナミックな工法だろうか。

天守を持ち上げるアイディアも驚愕ものだが、それを実際に行ったというのだから驚きだ。江戸時代における土木技術の高さは、私の想像以上のものであった。

一方で、本当にこんなことが可能なのかという思いもある。天守を引っ張って傾けるなんて、うまくいくものなのだろうか。

というワケで、ここはひとつ実験してみることにした。
100均の割り箸を使って
100均の割り箸を使って

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