特集 2015年9月11日

実家の場所に成田新幹線が走っていたかも!

この見慣れたなんてことない風景が、もしかしたら全然違ったものになっていたかもしれない!
この見慣れたなんてことない風景が、もしかしたら全然違ったものになっていたかもしれない!
先日、実家に帰って近所を歩いていて、はじめて「おや?」と不思議に思ったことがあった。いままで気がついていなかったのが驚きだ。

で、その謎を調べていたら、めぐりめぐってすごいことが分かりました。
もっぱら工場とか団地とかジャンクションを愛でています。著書に「工場萌え」「団地の見究」「ジャンクション」など。(動画インタビュー

前の記事:電柱が愛おしいのでネックレスにした

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きっかけは40年目にして気がついた謎の鉄橋

不思議に思ったのは、地下鉄東西線のこの鉄橋だ。
この道、小学校の通学路でした。宿題を忘れて泣きながら歩いたことなどもある。
この道、小学校の通学路でした。宿題を忘れて泣きながら歩いたことなどもある。
場所は西船橋駅から徒歩十数分。ぼくの実家から徒歩2、3分だ。ちょう近所。

東西線は地下鉄なのだが、東京から千葉に向かう途中、荒川を超える手前で地上に出て、我が最寄り駅終点西船橋まで高いところを走る。

子供のころにぼくにとって地下鉄とは高架を行くものだった。 そのことについて疑問を持っていなかった。
地図で見ると、ここ。
この道路の上だけ鉄で、その先はコンクリート製なのがわかる。
この道路の上だけ鉄で、その先はコンクリート製なのがわかる。
で、もちろんこの青い高架それ自体にはじめて気がついたわけではない。ぼくは粗忽者だが、そこまで注意散漫ではない。なんせ40年近く見続けてきたのだ。

この青い部分が「鉄でできていること」にはじめて意識が向いたのだ。

それがどうした、って感じかもしれないが、これめずらしいのです(と思う)。

ふつう、こういう特に広くもない道路の上は鉄にはしない。お金かかるし。
ちょっと引いて見ると、こんな。道路に対して斜めに高架が走っている。そして、隣は鉄ではない。
ちょっと引いて見ると、こんな。道路に対して斜めに高架が走っている。そして、隣は鉄ではない。
現に、上の写真でわかるように、一見同じ条件にあるように見える、隣の場合はまっとうにコンクリート製なのだ。

なんでだ。なんでここ、鉄なんだ?

以前からほしかった本を買う口実ができたぞ

そして気がつけば買っていた「東京地下鉄道東西線建設史 (1978年)」。9980円。妻にはないしょで買った。
そして気がつけば買っていた「東京地下鉄道東西線建設史 (1978年)」。9980円。妻にはないしょで買った。
「鉄橋」というと川の上のものを連想すると思う。まさにふつうは河川を渡る橋などにおいて、柱の本数を少なくして、桁は軽くしなくてはならない場合に鉄を使う。
800ページを超える大著。東西線の全てについて記してある。どこを読んでも楽しい。まったく仕事にならない。こまった。
800ページを超える大著。東西線の全てについて記してある。どこを読んでも楽しい。まったく仕事にならない。こまった。
ここらへんは昔田んぼが広がっていて、暗渠になった水路はたくさんあるが、わざわざ鉄橋にしなければならないような流れが今もこの下にあるとは思えない。

なんでだ。なんで鉄なんだ。
「長期借入金」リストなどもあったりする。楽しい。こまった。
「長期借入金」リストなどもあったりする。楽しい。こまった。
全く理解できない「正誤表」とか入ってて、こういうのいいよねえ。
全く理解できない「正誤表」とか入ってて、こういうのいいよねえ。
この本のおもしろさを伝えたくて画像を並べ立てたが、目指すページはすぐに見つかっている。

582ページの「第4編 建築 第3章 変電所、車両工場、詰め所」の項と、633ページの「第6編 電気 第1章 電力設備」だ。
西船橋では、高架の下に変電所をつくった、とある。
西船橋では、高架の下に変電所をつくった、とある。
そして電力を近くを通っている東京電力の鉄塔から引っ張った、とも。
そして電力を近くを通っている東京電力の鉄塔から引っ張った、とも。
つまり、やはり川の跡などではなく、電力設備の一部を地下に通さなくてはならなかったので、へたに柱を立てられなかった。

だから柱と柱の間がちょっと長めにならざるをえなく、鉄製になったというわけだ。
言われてみれば、電気関係で立ち入り禁止の旨の表示が。
言われてみれば、電気関係で立ち入り禁止の旨の表示が。
覗いてみると、地下からダイナミックに伸びるものが。小学生の時、同じように金網越しにのぞき込んだことがあることを思い出した。その向こうに見える階段の上の扉の中が変電設備のようだ。ちなみに同書には「ここは標高低くて、水没したらたいへんなので1.5m高くした」という意味のことが書いてあった。たいへんだなあ。
覗いてみると、地下からダイナミックに伸びるものが。小学生の時、同じように金網越しにのぞき込んだことがあることを思い出した。その向こうに見える階段の上の扉の中が変電設備のようだ。ちなみに同書には「ここは標高低くて、水没したらたいへんなので1.5m高くした」という意味のことが書いてあった。たいへんだなあ。
そして本にある、高架脇の東京電力から電気もらうための施設の位置は、この塀で囲まれた敷地のこと。そうそう! 言われてみれば! ここ!
そして本にある、高架脇の東京電力から電気もらうための施設の位置は、この塀で囲まれた敷地のこと。そうそう! 言われてみれば! ここ!
ここ! 子供のころはここに「ザ・変電所」って感じのかっこいい設備が並んでいたよ。「ジー」って音がしてて、あれなんか好きだった。
ここ! 子供のころはここに「ザ・変電所」って感じのかっこいい設備が並んでいたよ。「ジー」って音がしてて、あれなんか好きだった。
東京電力からの受電施設と高架下の変電所を地下を通して結ばなくてはならないので鉄橋になったわけで、つまり、鉄橋の下を流れていたのは水ではなく、電気だったのだ。
が、上の写真のようにその受電施設は見た目なくなってる。いつのまに。

設備全てが完全に地下化されたのだろうか。最近のことなので1978年発行のこの本にはでていない。誰かご存じの方がいたら教えてください。
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「鉄橋センサー」発動・第2の謎

もうすっかり鉄道好きな方々か、あるいはぼくの実家の近所を知っている人以外には面白くもなんともない内容になっているが、本題はここからです。

この小学校通学路鉄橋がきっかけで、ぼくの「鉄橋センサー」が働きだし、近所にもうひとつ謎の鉄橋があることに気がついた。

40年目にして、まだまだ気がつくことが多い。いったい今までぼくは何を見てきたんだろう。
これまた実家の近所。JR総武線の高架が途中いきなり素材を変える。
これまた実家の近所。JR総武線の高架が途中いきなり素材を変える。
総武線の赤い線を引いた部分の桁が鉄でできてる。それ以外はコンクリート製。左のピンがさっきの小学校通学路の青い鉄橋。すぐ近く。
上の地図の赤い線の部分だけが鉄の桁なのだ。なぜだ。

地図の上の写真を見ると、鉄に切り替わる部分からにょろりと何か出ている。見ると「特高」と書いてあった。電気だ。また電気だ!
見上げると銘板があった。1967年とある。総武線のこのあたりが高架化された最初から鋼製ってことだ。
見上げると銘板があった。1967年とある。総武線のこのあたりが高架化された最初から鋼製ってことだ。
また地下変電所か!

と思ったけどどうも違うようだ(すぐ近くに別に変電所があるし)。

じゃあなぜ鉄なんだろう。
何冊も高価な本を買うわけにはいかないので、土木図書館で国鉄時代の工事資料を探したが、不明。司書の方にきいたら「そこまでマニアックなことは資料として記されないのでは…」と言われた。ですよねー。
何冊も高価な本を買うわけにはいかないので、土木図書館で国鉄時代の工事資料を探したが、不明。司書の方にきいたら「そこまでマニアックなことは資料として記されないのでは…」と言われた。ですよねー。

相撲部屋のそばにも謎の鉄橋があるときいた

結局、いくら調べてもこの第2の総武線の謎は解けなかった。

この時点では、最初の小学校通学路の鉄橋の謎が解明されただけだったので、こんなふうにDPZの記事にするつもりはなかった。

が、3つ目の「謎の鉄橋」を知って、がぜん面白くなってくるのだった。というか、だいじょうぶかないまのところまだこの記事面白いかな。
第3の鉄橋は武蔵野線のこれ。確かに一部だけ鉄橋だ。しかしここから見ると下に川がありそうにも見えるが……
第3の鉄橋は武蔵野線のこれ。確かに一部だけ鉄橋だ。しかしここから見ると下に川がありそうにも見えるが……
以上の話を実家で父親にしたところ「武蔵野線にもそういうのなんかあったぞ」と言われてびっくりした。それが第3の鉄橋。

場所は「高田みづえの相撲部屋のそば」と。
場所はここ。またもや近所。通ってた中学校のそばだ。左は中山競馬場、右の見事な円は行田団地だ。
上の地図だと水路が見えるが、橋の下で暗渠になっている。
上の地図だと水路が見えるが、橋の下で暗渠になっている。
第1のものと同じように、隣にある似た条件のほうはコンクリート。そして正面に見える建物が「松ヶ根部屋」という相撲部屋。
第1のものと同じように、隣にある似た条件のほうはコンクリート。そして正面に見える建物が「松ヶ根部屋」という相撲部屋。
「高田みづえの相撲部屋」というのは「松ヶ根部屋」という相撲部屋のこと。

若島津関と結婚した高田みづえ(って言っても若い方はご存じないか。1985年に芸能界を引退した元アイドルです)がおかみさんをしておられると、地元では話題だった部屋だ。

通りかかったらふんどしがたくさん干してあって、一瞬写真撮ろうかと思ったけど、よく考えたらあれっていわば下着みたいなもので、撮っちゃいけない代表格じゃないか。と気づいてやめた。

それはともかく、さすが父。よくこの鉄橋を知ってたな! 40年気づかなかったぼくとは大違いだ。
ただ、これは「謎」っぽくないかなー。地形のせいっぽいもんなー。
ただ、これは「謎」っぽくないかなー。地形のせいっぽいもんなー。
しかし、前述のように、暗渠だけどここには川が流れている(小さいけど)。

そして地形がガクっと下がるところが鉄橋になることはよくあるらしいので(特に盛り土で支えたりするときは、なるべく軽くしたいのでそうするそうです)、これは「謎」ではないかなー、と思っていた。

東成田駅に行くまでは。
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ところで見事な円形の行田団地

東成田駅の話に行く前に、前出の地図で気になるであろう円形の道路について触れておかねばなるまい。
見事に円。しかし東西にちょっとした「ほころび」があって、それが気になる。
現在円の中は主に「行田団地」と「行田公園」になっているが、ここはもともと「海軍無線電信所船橋送信所」というものだった。

T・斎藤さんが以前書いた「針尾の無線塔がやばすぎる」という記事にもあるが、ここ行田と長崎の針尾送信所は、昔の無線所特有の円形道路が残るすてきな物件なのだ。
以前池島に行った際、針尾送信所跡も見に行った。すごかった。
以前池島に行った際、針尾送信所跡も見に行った。すごかった。
すごすぎて、なんだかちょっと怖かった。
すごすぎて、なんだかちょっと怖かった。
一方、行田のほうは無線塔は残っていない。が、すてきな団地と調節池がある。甲乙付けがたい。どっちもいいぞ。
一方、行田のほうは無線塔は残っていない。が、すてきな団地と調節池がある。甲乙付けがたい。どっちもいいぞ。
あと、給水塔がかわいいです。
あと、給水塔がかわいいです。
子供心に「これふしぎだなー、すてきだなー」って思ってた。
子供心に「これふしぎだなー、すてきだなー」って思ってた。
この行田団地には友人が住んでいたし、円形道路は中学校のマラソンコースだった。今回久しぶりに訪れ、なつかしい気持ちでいっぱいになった。

無線所がどういうものだったのか、などの詳しい話は長くなるので省略(検索するとたくさん情報出てきますし)。

で、気になるのは東西でそれぞれ道路に「ほころび」がある点だ。地図を見るとわかると思う。

西側はさきほどの「謎だか謎じゃないんだかわからない第3の鉄橋」のすぐそば。武蔵野線が円形道路を薄ーく貫いちゃっている部分。

この武蔵野線のせいで円形道路をスムーズに一周することができなくなってしまっている。
この道路が円形道路。左に見えるのが武蔵野線(北から南方向を見ています)。
この道路が円形道路。左に見えるのが武蔵野線(北から南方向を見ています)。
上の写真がその現場だが、円形道路と武蔵野線の両者がせめぎあった結果うまれた薄い三日月状の土地に、その敷地の形に合わせた建物が建っている。JR東日本の寮だ。こういうの良い。好き。

以前三土さんが発表した「地図で見つけたへんなもの」の中に細長い「トレインハウス」があったが(→「駒込トレインハウス」「北千住トレインハウス」)、これも一種のトレインハウスと言ってもいいのではないだろうか。

お国の電波施設も避けざるを得なかったもの

「鉄道高架の話ばかりじゃなんだし」と思って円形道路の話題をはじめたわけだが、もはやどっちにしてもマニアックすぎて意味ないか。でもまあいいや。

で、もうひとつの東の「ほころび」。

こちらは神社だ。
(円周道路に沿って、北から南を見たところ)左(東)に神社があって、そのせいで道路が蛇行しちゃってるのがわかる。
(円周道路に沿って、北から南を見たところ)左(東)に神社があって、そのせいで道路が蛇行しちゃってるのがわかる。
諏訪神社という神社。このとおり、ここだけ円がへこんでる。(この地図も南北逆になってます)
諏訪神社という神社。このとおり、ここだけ円がへこんでる。(この地図も南北逆になってます)
さきほどの武蔵野線による三日月トレインハウスとはちがって、こちらは最初からほころんでいたようだ。

お国がつくる大規模な送信所とはいえ、神社はおいそれと動かせなかったのだろう。防火壁団地・白髭東アパートを貫く参道と同じだ。さすが神社、と言うべきか。
戦中の写真。この時点ですでに神社が存在感を放っている。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・整理番号・8912/コース番号・C1/写真番号・122/撮影年月日・1944/10/22(昭19)をトリミング・加筆)
戦中の写真。この時点ですでに神社が存在感を放っている。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・整理番号・8912/コース番号・C1/写真番号・122/撮影年月日・1944/10/22(昭19)をトリミング・加筆)
上の写真は1944年のもの。このときすでに神社が円に食い込んでいる。

今気がついたが、てっきり無線塔は円周上に配置されてたのかと思いきや、円の外にもてんでばらばらに建っている(小さい矢印の位置に影が落ちている)。あとから増設したのかな。

あと武蔵野線の「第2の鉄橋」の下、今は暗渠になってる流れが谷戸を作っていて、それに沿って田んぼが続いているのがよく分かる。これをみると「やっぱりあれは謎ではなく、正真正銘の『橋』ではないのか」という気がしてくる。

「日本一短い私鉄と駅の廃墟」東成田駅

閑話休題。

なんだかここまで近所に「謎の鉄橋」が存在すると、「河川でも幅の広い道路の上でもないのに鉄橋」という事例は実はたくさんあるんじゃないかという気がしてくる。謎でもなんでもないぞ、と。

しかしそんなことはなかったのだ。やっぱりちゃんと「謎」だった。

それが判明するきっかけは東成田駅だ。
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ご存じ、東成田駅名物・空港第2ビルへ続く、無人で果てしない500mの通路。
ご存じ、東成田駅名物・空港第2ビルへ続く、無人で果てしない500mの通路。
実はぼくは現在あの「東京スポーツ」で写真連載をしている。DPZで取り上げてきたような素っ頓狂な場所にアイドルを連れて行って撮影する、という企画だ。

高架下建築の前でモーニング娘。のみなさんを撮ったり、解体中の国立競技場とか首都圏外郭放水路に連れて行ったりといった、およそアイドルグラビア撮影をそこでやらないだろうふつう、という場所で撮っている。完全にぼくの趣味だ。楽しい。そのうちダムでも撮りたい。

で、上の写真の、東成田駅の名物通路でも撮影をした。ちなみにこのとき撮影したのはこぶしファクトリーの井上玲音さんとアンジュルムの佐々木莉佳子さんだった。
ほとんど利用者がいない。
ほとんど利用者がいない。
以前、西村さんが「成田空港にある日本一短い私鉄と駅の廃墟を見に行く」というタイトルでここのレポートをしている。

詳しくはそちらの記事を読んでほしいのだが、この東成田駅こそ1991年まで「成田空港駅」だったのだ。
今は使われていない隣のホームを見やると、そこには「なりたくうこう」の文字が。
今は使われていない隣のホームを見やると、そこには「なりたくうこう」の文字が。
現在の空港駅が開業するまでは、ここで電車を降りてバスではるばるターミナルまで行かなくてはならなかったのだ。

1991年以降はほとんど利用する人もいない不思議な駅になっている。

……って話を若いアイドルふたりに力説したんだけど「ぽかーん」としてた。そりゃそうだよね。ごめん。

成田新幹線だって!

ともあれ。成田空港の開港は1978年。現在の成田空港駅の開業は1991年。

なぜそんなに時間がかかったのかというと、現成田空港駅は、もともと「成田新幹線」の駅にするつもりだったからという。

成田新幹線だって!
東京駅から成田空港まで、結論から言うとこういうルートで新幹線が走る予定だった。
お恥ずかしながら、成田新幹線についてはほとんど何も知らなかった。

1966年に閣議決定され、当初1976年に開通予定だったそうだ。沿線の用地買収をはじめ、いろいろがんばるも、当時盛りあがっていた空港にまつわる反対運動のあれこれもあり、1983年に凍結。という計画。

成田空港駅だけでなく、東京駅でも新幹線用に予定されていた場所が、その後転用されている。それが京葉線ホームの位置だと言うではないか! びっくり!

そうかー、だからあんなに遠いんだな、京葉線ホーム。なんか途中のコンコースも妙に広々してて、言われてみれば新幹線用っぽく感じる。

などなど、詳しくは例によってWikipedia「成田新幹線」などで。

で、驚いたのはその予定ルートだ。

なんと「別に謎じゃないんじゃないか」なんて言ってた、行田団地そばの第3の鉄橋。あれの下を成田新幹線が通る予定だったのだそうだ。
世が世ならここを新幹線が……!
世が世ならここを新幹線が……!
おそらく堀割のような形で地面を掘り下げ、この高架の下を新幹線が交差する予定だったのだろう。だから柱の間隔をあけねばならず、鉄橋になったのだ。

ちゃんと「謎」だった! しかし新幹線だとは思いもしなかった。

話はふたたび実家付近へ

ここへきて鉄道関係の本を立て続けに買うことに。
ここへきて鉄道関係の本を立て続けに買うことに。
さらにびっくりしたのは、どうやらこの新幹線ルートは実家のすごく近くを通る予定だったらしいということ。

というか、もしかしたらまさに実家の位置だ!

実家近辺の詳細なルートを調べるべく「鉄道ファン2008年 8月号」と「ちばの鉄道一世紀」という本を買った。

鉄道趣味にちゃんとはまれなかったことは、ぼくの長年のコンプレックスだったのだが、ここへきて片足をつっこみかけている。そうか、こうやってはまっていくものなのか。

これらの本によると、東京駅を出た成田新幹線は、越中島まで現在の京葉線と同じルートを走り(というか、新幹線用のルートをその後京葉線にした)、その後地下鉄東西線の南側を並走する予定だったのだという。

東西線の車窓から新幹線が見えたかもしれないなんて、すごい。

それにしてもまたもや東西線だ。話は最初の実家付近に戻っていく。なんという奇縁。

ぼくが一番興奮したのは、西船橋の手前、真間川という川の両岸に新幹線のために用地買収した土地があったという話。

これがまたすごい近所だ。どれぐらい近所かというと、ぼくの初恋の相手がそのすぐそばに住んでいたぐらい近所だ。
南西から東西線と平衡して北上する成田新幹線。そして「用地買収した土地」とは、真間川の南西の黒い線でここだと思うのだ。
現在はマンションが建っている場所で、成田新幹線を思わせるものは何もない。なのになぜここだと思うのか。それはここにかつてエアポートリムジンのバス操車場があったのを記憶しているからだ!
ほぼ同じ範囲の1979年の様子。くだんの敷地に小さく細長いものがたくさん見える。これ、バスだ。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・整理番号・CKT794/コース番号・C10C/写真番号・19/撮影年月日・1979/10/20(昭54)に加筆)
ほぼ同じ範囲の1979年の様子。くだんの敷地に小さく細長いものがたくさん見える。これ、バスだ。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・整理番号・CKT794/コース番号・C10C/写真番号・19/撮影年月日・1979/10/20(昭54)に加筆)
反対運動もあり、遅々として進まない工事。買収した土地をせめて空港関係で活用できないか、ということではなかったか。あくまで推測ですが。

でも状況証拠としてはかなり有力だと思う。

で、だ。仮にこの位置が正しいとして、そして例の行田団地そばの「謎の第3の鉄橋」を通るのだから、この2点を結ぶ線は計画されていたルートに近いのではないか。

実際線を引いてみてびっくり!
なんと! 例の謎の第2の鉄橋と交差するではないか!
どうしてもその理由が分からなかった、くだんの「謎の第2の鉄橋」と交差するのだ!

あれは第3のものと同様、いずれその下を新幹線が行くことを見越して柱間隔を開けておいたのではないか。

銘板にあった1967年は閣議決定の翌年だ。年代的にも一致する。「特高」とあったにょろりとしたものが地中に潜るのも、同じ理由であらかじめ避けておいたのではないか。

あやふやな状況証拠だが、これはもう新幹線計画の名残だ。そう信じたい。そのほうがワクワクするから。

そしてさらにびっくりなのは、上のルートだとまさに実家に新幹線直撃だということだ。建ったのはまだ計画が凍結される前だ。いったいどうするつもりだったのだろう。

それにしても、最初のきっかけになった東西線の鉄橋。あれは新幹線とは関係なかったが、ぐるりと一周して話の舞台はほぼ同じ場所にもどってきた。こういうミラクルが人を鉄道趣味にはまらせるのだな、と思った。

すごい謎は身近にあるものだなー!

ほんとうにびっくりした。この感動伝わったでしょうか。伝わってるといいな。

そして子供のころ自分は何も見てなかったんだな、と思った。大人より子供の方が純真でいろいろなことに気づく、なんて嘘だ。40過ぎてからの方が自由だ。

みんな大人になったら実家の周辺に謎を探して解くといいと思う。
「東京地下鉄道東西線建設史 (1978年)」には当時計画されていた地下鉄網が載ってたりして、すごく楽しい。
「東京地下鉄道東西線建設史 (1978年)」には当時計画されていた地下鉄網が載ってたりして、すごく楽しい。

あ、あと、父親に以上の一連の話を興奮しつつ話したら「そういえば昔、近くの空き地に何かの予定地だって書いてある看板立ってたぞ」って冷静に答えた。なんだよ! はやく教えてよ!

【告知】2015年10月2日・ゲンロンカフェで「空想地図」のイベントやります

東浩紀さんとショッピングモールをテーマに対談を続けているのですが、そのシリーズで今回はゲストにあの「空想地図」の "地理人" こと今和泉隆行さんを迎えてトークイベントを行います。

石川初×今和泉隆行(地理人)×大山顕×東浩紀「ショッピングモールから考える #5 ――空想地図から都市を見る」

詳しくは→こちら

今和泉さんについては以前カルカルでやったイベントの記事をぜひ読んでみてください→「存在しない街の犯罪物語~空想地図がおもしろい~

ぼく自身がすごーく楽しみにしております。みなさん、ぜひお越しください。
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