大人は疲れている
我々は疲れています、と言えない国民だ。奥ゆかしいのだ。疲れても、眠くても我武者羅に働くのである。本当は誰かから「休んでください」と言われたいのだ。
パソコンと毎日にらめっこです!
私も近く本の出版を控え日々執筆に追われている。担当編集は綿密なスケジュールを作ってくれていたが、文豪みたいに「書けない!」とサボり、いよいよ不味い状況になり、死んだ目になってしまった。
現実逃避ですよ!
ということで、作ります!
死んだ目ガネを作る
死んだ目をしていても、周りは必ずしもそれに気がついているわけではない。人の目を見て話しましょう、とよく言われるけれど、人の目の変化なんて分からない。もっと分かりやすく目を死んでいる感じにしなければならない。
大きな枠をメガネサイズに、
切っていきます!
遺影というものがある。死んだ方の写真のことで、黒い額縁に黒と白のリボンがあしらわれている。これを目につけることで、目が死んでいると分かるのだ。つまり、遺影みたいなメガネを作ればいいわけである。
リボンを作ったり、
色を塗ったりする
サラッと書いているが、生まれ持っての不器用を遺憾無く発揮して、完成まで2日を要している。こんなメガネを作る暇があれば、その分、休めば、と思うけれど、これを作っているときは目がイキイキしちゃったのだから、仕方がない。
というわけで、完成です!
完成しました!
死んだ目をしているとアピールできる、「死んだ目ガネ」が完成した。これをつけることで、死んだ目度がアップして、周りから、「休んでください」と言われること間違いなしになるのだ。
お酒を飲んでいても許せる気がする!
目が死んでいる。なんて分かりやすく目が死んでいるのだろう。こんなメガネをかけて会議とかに誰かが来たら、「どうしたんだろ?」と間違いなく思うし、「休んでください」と言いたくなる。
普通にカフェにいるより、
頑張っている感じがする
メガネをつけるだけでこの差。疲れを効率的にアピールできるのだ。さらに「こんな状態でも」みたいな、頑張っている感も増す。人は評価されたい生き物である。評価されるために頑張るのだ。それがこのメガネにより可能になる。
鳩に餌をあげるのが似合う!
遊んでいても許される
このメガネさえつけていれば、疲れを癒しているのね、という感じが出て、許されることもある。遊んでいても、許されるのだ。回復の時間なのね、と思わずにはいられない。
普通に乗っていると腹がたつけど、
このメガネだと大丈夫!
そういうことなのだ。違ったら困るから、「疲れていますか?」と声をかけにくい。ただこのメガネだと、疲れているとわかるので、気を使ってもらえる。確実に目が死んでいるのだ。
私の場合は、パソコンとにらめっこしていたら、だいたい仕事をしているわけでない!
優しさが欲しい
実際問題として、私はすごく元気なのだけれど、優しさが欲しいじゃない。頑張っている感じを出したいじゃない。褒めて欲しいじゃない。そこで作ったのが「死んだ目ガネ」だった。つまり元気でもこれをつければ気遣ってもらえるのだ、きっと。