特集 2016年2月24日

日本一長い私道で石灰石鉱山を目指して3億年さかのぼる

石灰石の鉱山、でかくて寒かった
石灰石の鉱山、でかくて寒かった
「私道」とは、個人が自分の所有地に作った道路のことだ。

ちょっと奥まった場所に家を建てた場合、表の道路から玄関まで数メートル私道を設けることがよくある。

山口県には、約32キロある私道が存在するという。表の道路から玄関まで32キロあるスケールがでかすぎる家。というわけではない。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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宇部といえば?

32キロの私道とは「宇部興産専用道路である。私道としては日本一長い。

この日本一長い私道を見学するために、山口県宇部市にやってきた。山口宇部空港からバスで市内に向かう。

宇部新川駅から宇部興産の本社に向かって歩くと、途中に巨大なオブジェが出現する。
恐竜の足?
恐竜の足?
歩道にそそりたつ骨。彫刻作品だろうか? タイトルは「地球の明日がみえますか」と書いてある。
地球の明日は見えないけれど、後ろの工場の煙突から出てる煙(正しくは水蒸気です)とあいまって世紀末感はある。世紀末からすでに15年以上たってるが。

屋外にパブリックアートとして彫刻作品を置いている町は、あちこちにあるが、その嚆矢となったのは宇部市らしい。

で、そのオブジェの奥に見える工場が、宇部興産の工場である。
デカイ「UBE」の文字
デカイ「UBE」の文字
宇部興産。山口県内では知らないものはいないほどの大企業だ。しかし、本当のところ、ピンとこない人も多いのではないか? かくいうぼくもピンとこない方のひとりである。

正直に告白すると、ぼんやりと「石油化学メーカー?」ぐらいのイメージしかない。

そもそも宇部興産ってどんな企業なのか。それを知るために宇部興産本社ビルに開設されている「UBE-i-Plaza」にやってきた。
宇部本社にある「ユービーイーアイプラザ」
宇部本社にある「ユービーイーアイプラザ」
専用道路について話を聞く前に、宇部興産について知っておいたほうがいいと思うので、宇部興産の方に案内していただいた。
右から宇部興産の河野さん、工藤さん、宇部市役所の古谷さん
右から宇部興産の河野さん、工藤さん、宇部市役所の古谷さん

もともと石炭を採掘していた

宇部興産は、宇部市の沖合にある海底炭田の採炭を行うために1897年(明治30年)に創業した「匿名組合組織沖ノ山炭鉱」がルーツだ。

当時は日露戦争を目前に控え、欧米列強に追いつくための富国強兵策で日本全体の産業が大きく発展していた。

ただ、宇部の炭田から採掘される石炭は、カロリーが低く、工業用としては質があまりよくなかったものの、家庭用練炭などにはちょうどいいということで売れたため、沖ノ山炭鉱に大きな利益をもたらした。
宇部興産創業者の渡邊さん
宇部興産創業者の渡邊さん
しかし、創業者の渡邊裕策はそれで慢心しなかった。

「石炭はいずれ掘り尽くしてしまう、有限の鉱業から無限の工業へ」として、早くから石炭採掘以外の事業にも積極的に取り組んだ。
宇部の炭鉱から撮れた石炭
宇部の炭鉱から撮れた石炭
渡邊は、大正から昭和初期にかけて、鉄工所、セメント工場、窒素工場などの会社を次々に設立させ、それらの事業が、現在の石油化学工業やセメントなどの建設資材、機械などの事業につながっている。

こういった自由な事業拡大が行えたのは、宇部の石炭は質が悪かったため、財閥系が目をつけなかったからというのもあるらしい。

北海道や九州の炭鉱が、石炭に頼りすぎていたため、石油へのエネルギー転換後の時代に対応できず、炭鉱閉山後に寂れてしまったことを考えると、慧眼というほかない。
これが
これが
こうなる
こうなる
戦後は、石炭から石油へとエネルギーが転換するにともない事業は拡大し、いまや山口県のみならず、日本を代表する総合化学メーカーへと発展した。

と、ざっくりと宇部興産の歴史をふりかえってみた。

縁の下の力持ち的な……。

しかしながら、冒頭にもちょっと書いたけれど、宇部興産がなにをしている会社なのかちょっとわかりにくいな……というのは、正直ある。
床材
床材
例えば、上記の床材。多くのコンビニやマンションの床にこれが使われているものの、宇部興産製と書いてないのでわからない。

たしかに目立たないけれど、足元を支える大事な素材であることにはかわりない。
「え、ウィダーinゼリーとシャンプーも作ってるの!?」と思ったけど、包装フィルムを作っているらしい。
「え、ウィダーinゼリーとシャンプーも作ってるの!?」と思ったけど、包装フィルムを作っているらしい。
宇部興産は、食品や日用品のパッケージなど、名前がなかなか出づらいものを作っていることが多い。

たしかにこれだとあまりピンとこない人が多いのも仕方がない。

しかし、その中でも見たことがあるのはこれ。
よく見ると「UBE」と入っている。
よく見ると「UBE」と入っている。
粗品とかでよく貰うラップだ。

目に見える商品はあまりないものの、我々の生活の気づかない場所で宇部興産の商品が使われている。ということはわかった。
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専用道路を走る

宇部興産は、ポリラップだけでなく、美祢市にある石灰石鉱山を利用したセメント事業も忘れてはならない。

そもそも日本最長の私道は、宇部市にある工場と、美祢市にある石灰石鉱山を結ぶための道路なのだ。
アイプラザで一通り見学した後、特別に車を手配してもらい、美祢市の石灰石鉱山まで専用道路で連れて行ってもらえることになった。
宇部市の古谷さんが車を手配してくださった
宇部市の古谷さんが車を手配してくださった
専用道路がスタートする
専用道路がスタートする
宇部興産の本社ビルから車でしばらく行き、ゲートをすぎると専用道路が始まる。
興産大橋、民間企業が自力で掛けた橋としては日本最大の鋼鉄トラス橋
興産大橋、民間企業が自力で掛けた橋としては日本最大の鋼鉄トラス橋
興産大橋は、宇部興産の私道という扱いになるので、基本的には宇部興産のダブルストレーラーなど宇部興産の関連車両以外は走らない。

したがってすれ違うのはダブルストレーラーがほとんどだ。
いすゞのトレーラー
いすゞのトレーラー
専用道路は、工場の構内を走るのと同じになるので、道路交通法などの法律の規制を受けることはない。

したがって、ここを走るダブルストレーラーはナンバープレートがついていない。その代わり、トレーラーを運行している会社がわかるナンバーがついている。

案内してくださった河野さんと工藤さんの話によると、専用道路を走るには、普通の運転免許証とは別に、専用道路を走るためのライセンスが必要という。

もちろん、専用道路にも制限速度や交通規制はあり、スピード違反をすると、管理部門のひとがパトカーみたいな車に乗ってやってきて取り締まりされるらしい。
制限速度の標識などは、一般の道路と同じものを使っている
制限速度の標識などは、一般の道路と同じものを使っている
違反で取り締まりされると、ライセンスに穴があけられ、2つ以上あくとライセンスが停止になる。

ただ、専用道路のライセンスが停止になったからといって、普通の運転免許証が停止になるわけではないので、一般の道で車の運転はできる。

よくみると殺風景な高速道路

殺風景である
殺風景である
専用道路は、見た目はかんぜんに高速道路である。しかし、よーく観察してみると殺風景なことに気付く。

行き先や地名の書いてある看板もないし、道路を照らす照明もない。専用道路は基本的に夜9時半にゲートを閉門してしまうため、夜は真っ暗になるらしい。

また、現在地を示すためのキロポスト代わりに番号が書かれた看板が一定間隔で立っている。
番号と簡単な地名が書かれている
番号と簡単な地名が書かれている
道路の保守や規制などの管理は、普通は役所や警察の仕事だが、この高速道路は私道なので、そういったことも全て宇部興産がやらなければならない。

案内してくれた工藤さんが、管理部門の人から「法面の除草しなければいけないんです」という話をきいたと言っていたが。完全に市役所である。
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ストライキにうんざりして道路を作った

さて、なぜ宇部興産は30キロ以上ある専用の道路を作ったのか?

専用道路は、1968年に建設が開始され、1972年に一部供用が始まり、1977年には興産大橋以外の部分が完成。1982年に橋が完成し全線が開通した。

専用道路での輸送が始まるまでは、国鉄美祢線を使用して24時間体勢で輸送していたものの、当時の国鉄はストライキなどで運行が止まることも多く、自社での輸送力確保のため、当時社長を務めていた中安閑一(なかやすかんいち)が道路を作ることに決定し、建設されたという経緯がある。
昭和の社長って感じがするな
昭和の社長って感じがするな
ちなみに、中安は、宇部の発展のためには、空港とゴルフ場とテレビ局の必要性を説き、宇部空港(現在の山口宇部空港)、ゴルフ場(宇部72カントリークラブ)、テレビ局(テレビ山口)の設置に尽力したが、テレビ局は県庁所在地の山口市に持って行かれてしまった。
ゴルフ場あるんですねー
ゴルフ場あるんですねー
いずれにせよ、宇部興産なくして宇部市や山口県はちょっと成り立たないぐらい重要な会社だな。ということはわかった。

水色のマッドマックス

ダブルストレーラーの整備工場も見せてもらった。
ケンワース社のトラクタ、面構えがマッドマックス
ケンワース社のトラクタ、面構えがマッドマックス
社内では「特大車」とも呼ばれているダブルストレーラーは、牽引するトレーラーヘッドの部分を日本やアメリカなどの自動車メーカーから購入し、後ろにトレーラー部分をドッキングさせて実戦配備するという。

トレーラーは、1日に2人の運転手が同じ1台のトレーラーを交代で使用しており、トレーラーといえど、操作にそれぞれ癖があり個性があるという。

運転席に座らせてもらった。
うはー、見晴らしがいいー
うはー、見晴らしがいいー
普通免許すら持ってないけどなー
普通免許すら持ってないけどなー
うっかりにじみ出るトラック野郎の気概
うっかりにじみ出るトラック野郎の気概
いっけん、水色に統一されたトラックたちだが、近づいてみるとかっこいいステッカーが貼ってあったりして、親しみがわく。このトラックの運転手さん、菅原文太とか好きなんだろうな。
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石灰石鉱山を見せてもらう

さて、専用道路の旅も終わりに近づいてきた。終点の伊佐セメント工場だ。
伊佐セメント工場は山間の町に突然現れる
伊佐セメント工場は山間の町に突然現れる
伊佐セメント工場は、工場だけでなく、石灰石の鉱山でもある。とにかくそのスケールがデカイので見て欲しい。
スケール感が狂うでかさ
スケール感が狂うでかさ
とにかくデカイ。

デカイうえにめちゃめちゃ寒かった。遮るものがないので、風が冷たすぎた。
でかさと寒さがすごい
でかさと寒さがすごい
伊佐鉱区は、1948年、戦後すぐぐらいから掘り始め70年近くでここまで掘り進んだ結果がこれだ。
石灰を運ぶ60トンのダンプトラック
石灰を運ぶ60トンのダンプトラック
ダンプトラック、ミニカーみたいに小さく見えるけど、タイヤはこれぐらいある。
人ぐらいあるタイヤ
人ぐらいあるタイヤ
このタイヤ、デカイのもすごいけれど、硬さもすごい。カッチカチだ。ほんとにゴムかよってぐらいカッチカチやぞ。である。

景色にサイズを比較できるものが少ないので、スケール感が容易にゆがむ。

いちおう、上空からの写真はこちら。
空から眺めても掘ってる場所がよく分かるのがすごい。伊佐鉱区の他に丸山鉱区、雨乞鉱区で採掘がすすんでいるのもよくわかる。
水が出てる
水が出てる
露天掘りをじっくりみてると、水が出ているのが気になった。まんなかに溜まっている水は、雨水や掘っているうちに湧きだしてくる水らしい。

この水はけっこうきれいで、ポンプで汲み上げて車の洗浄に使ったりしているという。

石灰の採掘は、毎日正午に発破を行い、崩した石灰石の塊をトラックで運び、工場の破砕機で細かく砕く。
一次クラッシャー
一次クラッシャー
ある程度細かくなったら、今度は粘土や鉄分、珪石などを加えて乾燥粉砕し、1450℃の高温で焼成する。

その機械がこちら。ロータリーキルン。
全長100メートル以上あるロータリーキルン
全長100メートル以上あるロータリーキルン
この大きな筒みたいなのがグルグル回っており、中が1450℃の高温になっている。すごいことに、これだけ離れてても、もんわりと熱さが伝わってくる。
キルンの下の温度、16℃!
キルンの下の温度、16℃!
取材に行った日は、どうかすると小雪がちらつくほどの天気だったのだが、キルンのまわりだけ小春日和みたいな温度になっていた。

キルンは内側に耐火レンガが敷きつめてあり、基本的に24時間ずーっと動いている。年に2回だけ停止し、人が中に入って耐火レンガの交換など、定期修理をするらしい。
クリンカーを積み込むトラック
クリンカーを積み込むトラック
さて、キルンで焼成された「クリンカー」はダブルストレーラーにどっさり積み込んで、宇部のセメント工場まで運び、最終的に石膏を混ぜて粉砕すればセメントの完成である。
こういうお菓子あるよね
こういうお菓子あるよね
セメントに水などを混ぜて生コンの完成
セメントに水などを混ぜて生コンの完成
伊佐セメント工場は副工場長の桜田さん(左)に案内していただきました
伊佐セメント工場は副工場長の桜田さん(左)に案内していただきました

サンゴが石灰になった

セメント工場の事務所には、伊佐鉱山から発掘された化石が展示してあった。
50万年前にはトラやヒョウも生息していたらしい。ずいぶん暖かかったのかな
50万年前にはトラやヒョウも生息していたらしい。ずいぶん暖かかったのかな
これらの化石は石灰石の採掘をはじめた昔はよく出ていたらしいが、最近はほとんど出ないという。

10万年や50万年ぐらいの地層はもうとっくのむかしに掘り尽くしてしまったのだ。

この辺りの石灰石の地層は、約3億年前のサンゴ礁などが堆積してできたため、炭酸カルシウムの純度が非常に高いという。

ということは、ずんずん掘り進んで今は3億年ぐらい前の地層を掘り起こしてるということになるのだろうか?
古生代の化石
古生代の化石
さっきの露天掘りは3億年前のサンゴ礁の成れの果てということになるし、われわれが住んだり仕事している鉄筋コンクリートの建物は、3億年前のサンゴ礁の成れの果ての成れの果てということだ。ロマンあるよな、と思う。

専用道路のスケールのでかさ

一企業の私道と考えるとやはり30キロというのは長い。車で40分はかかった。

しかし、専用道路の距離の長さだけではなく、専用道路をつかって宇部から伊佐のセメント工場に向かうことで、明治時代の海底炭田からついに3億年前まで到達したということになる。

専用道路の見学で、うっかり地球の歴史をずいーっとふりかえる形になった。

そう考えると、最初に見かけた恐竜の足のオブジェもなんだか意味深なものに思えてくるからおもしろい。
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