ちしきの金曜日 2016年3月18日
 

ソ連時代のガイドブックでロシアに行く

おそロシアではない

ガイドブックを読むと、ソ連ほど治安のよい国はない、と書いてあった。女性が薄着で夜中に歩いても問題ないらしい。よくロシアを「おそロシア」と言ったりするが、全然そんなことはないようだ。この時期だから薄着で歩く必要は全くないけど。
愛の国なのかもしれません
愛の国なのかもしれません
治安のよさはロシアになった今も変わりない。駅に英語がなくて困っていたら、向こうから地図を指して教えてくれる。財布を落としたのだけれど、拾ってくれた。ロシア語のメニューしかなくて困っていたら、根気よく付き合ってくれるなど、全然怖い要素がないのだ。
当時は体重を測ったらしい
当時は体重を測ったらしい
そんなロシアにはソ連時代、路上に体重測りがあったそうだ。公園や広場に体重測定屋がいて、5カペイカで測ってくれるらしい。ロシアに細身の若い人が多かったのは、このように体重を測って、レコーディングダイエットをしていたからではないだろうか。
今は全然いないけど
今は全然いないけど
体重測定屋はどこを探してもいなかった。いなかったと言えば、あの「帽子」もいないのだ。ロシアで帽子と言われると、毛皮のモコモコの大きな帽子を思い浮かべる。私は嬉々として買ったのだけれど、誰もかぶっていないのだ。
帽子はかぶっているけど、この帽子は私以外誰もかぶっていない
帽子はかぶっているけど、この帽子は私以外誰もかぶっていない
おそらく日本で考えれば、「笠」のボジションにあるのだと思う。私が喜んでダンキンドーナツでかぶってコーヒーを飲んでいたら、隣のロシア人カップルは大爆笑だった。日本でも笠をかぶっていたら、笑うだろうからそういうことだと思う。
写ってないけど、向かって右側で大爆笑が起きています!
写ってないけど、向かって右側で大爆笑が起きています!

ロシア語のメニュー

ソ連の公用語は「ロシア語」。それは今も変わらない。ただ100近い言葉があって、場所によってはロシア語すら通じないらしいが、モスクワに限れば、まずロシア語で問題ない。ただロシア語なんて全くわからないのだ。
メニューがロシア語オンリー
メニューがロシア語オンリー
基本的に英語の表記が一切ない。ロシア語だけのメニューから注文しなければならない。しかし、読み方が全く分からない。ファーストフードなのにメニューが手元になく、口に出して注文する必要がある。ロシアで寒さ以外で困ったことは、この注文だった。
お店も雰囲気で探す(スタバ)
お店も雰囲気で探す(スタバ)
マクドナルド
マクドナルド
ガイドブックには「一般人には英語の通用度が低い」とある。現在は、若い人には英語が通じる感じだった。ただ若者以外には英語が通じず、もはや諦めて日本語で話していたけれど、その方が通じていた。会話とは心と心でするものなのだ、きっと。
ソ連時代は通じなかったらしい
ソ連時代は通じなかったらしい

レーニン丘に行く

最後はモスクワが一望できる「レーニン丘」に行く。フランスから遠征したナポレオンはここでモスクワを眺めたそうだ。ただナポレンはその戦争に負け、ロシア側は勝利を記念して「救世主キリスト聖堂」作り、レーニンがそれを爆破してプールを作り、また救世主キリスト聖堂を作った。全てが繋がっている気がする。
ここに行きます!
ここに行きます!
山のないモスクワで一番標高が高い場所だ。メトロの「ウニヴェルシチュート駅」から、モスクワ大学を通り、向かうそうだ。駅に降りると学生っぽい人がたくさん歩いている。ロシアで一番優秀な大学らしい。
ウニヴェルシチュート駅で降りて、
ウニヴェルシチュート駅で降りて、
まずは大学を目指して歩く
まずは大学を目指して歩く
ガイドブックには「ソ連の大学は要人の子弟ならコネで入学できる」と書いてある。ただモスクワ大学だけは例外で、コネが通用せず、本当に賢くないと入学できない。ここを卒業すれば、ソ連社会のエリートが約束されているそうだ。
ソ連時代の「モスクワ大学」
ソ連時代の「モスクワ大学」
現在の「モスクワ大学」
現在の「モスクワ大学」
雪景色という違いはあるが、大学自体はかわらず、スターリン様式の美しい建物のままだった。ソ連社会のエリートは約束されていないけれど、今も賢くないと入学できない大学だ。ここを横切り、レーニン丘を目指す。
歩いて、
歩いて、
到着!
到着!
駅から20分くらいだろうか。レーニン丘に到着した。微妙に遠い気がしたけれど、眼下に広がるモスクワの景色は本当に美しいものだった。中央には「レーニン中央スタジアム」があるが、今は「ルージナヤ・大スポーツアリーナ」と名前が変わってる。レーニンという名前が消えるのがソ連とロシアの大きな違いだ。
そして、リフトがあった!
そして、リフトがあった!
レーニン丘を目指して、ウニヴェルシチュート駅から歩いたけれど、今は「ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅」で降りて、リフトに乗るのが一番楽で早い道のりだったみたいだ。ただソ連のガイドブックを見ると、リフトのことは書いていないし、ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅なんて駅も存在していない。
ソ連時代は「レーニンスキエ・ゴルイ駅」
ソ連時代は「レーニンスキエ・ゴルイ駅」
現在は「ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅」
現在は「ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅」
「ゴルイ」の部分は表記の問題だけれど、前の部分は完全に変わり、「レーニン」の名前が消えている。国が変わるというのはそういうことなのだ。レーニンの名前は無くなるし、リフトはできるし、アクセスが楽になるしなのだ。
冬季はリフトが動かないらしいので、結局、歩いて降りたけど
冬季はリフトが動かないらしいので、結局、歩いて降りたけど
レーニン丘だけは名前が残ってよかったな、と思う。レーニン丘には特に「ここはレーニン丘」みたいな看板がなかったので、名前の確認ができなかったのだ。だから、勝手に今も「レーニン丘」だと思っていた。ただ丘を降りて驚いた。
日本語で「雀が丘」となっている
日本語で「雀が丘」となっている
レーニン丘は現在、「雀が丘」となり、やはりレーニンの名前が消えていた。消えすぎである。もはやレーニンの存在をなかったことにしたいのではないだろうか。ただ、蚤の市などに行くと、レーニンやソ連に関連したものがたくさん売られていた。キャラとしてのレーニンは優秀なのかもしれない。
蚤の市は基本ソ連臭(プーチンもいるけど)
蚤の市は基本ソ連臭(プーチンもいるけど)
今回、ソ連時代のガイドブックで訪れた場所をマッピングした。ソ連時代とロシアになってからの変化がわかると思う。大きな変化は結局はレーニンなのだけれど。

ソ連を歩いた

今は亡き国を歩いてみたくて、ソ連時代のガイドブックを持ってロシアを歩いた。名前が変わっていたりするけれど、全体的にソ連の雰囲気を色濃く残していた気がする。物価も日本より少し安い感じで生活しやすかった。問題は、このソ連時代のガイドブックが2万円もしたこと。一番高い気がした。

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