はっけんの水曜日 2016年10月19日
 

ベトナムの空港にあふれる送迎と家族愛

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空港をよく使う。

ベトナムからの一時帰国、近隣諸国への移動、といったときに。旅を終えてベトナムに戻ると、五年も住んでいるだけあってもはや地元に匹敵するほどの安心感を覚えているのだけど、そのたびに感じていることがあった。

出迎えが多すぎる。
1984年大阪出まれ、2011年からベトナム暮らし。日本から3600km離れた土地で、ダチョウに乗ったり、ドナルドのコスプレをしたり、札束風呂に入ったりしている。
> 個人サイト べとまる

夜の空港はハリウッド・スターの来日ばりの騒ぎっぷり!

日本にいた頃にニュース番組などで、「ハリウッド俳優のトム・クルーズさんが〜」とか、「ヨン様でお馴染みのペ・ヨンジュンさんが〜」とか、海外の有名スターが来日する様子を伝える様子を何度か目にした。そのときには決まって空港を囲むように並ぶ、人・人・人。

自分はこれといって誰かのファンでもなかったので、こんな状況に遭遇することは無いんだろうなーと思っていたら、まさかのベトナムでほぼ降り立つたびに遭遇することになったのです。しかも、囲まれる側で。論より証拠、パノラマで撮った写真を見てほしい。
多くないですか?
多くないですか?
多くないですかこれ!?
多くないですかこれ!?
彼らはハリウッドスターや韓流スターを待っている訳でもなんでもない。これをお読みのみなさま100人中1人も思っていないだろうが、私を待っている訳でももちろんない。東南アジアも半分以上の国へ行ったが、ここまで大勢の人が集まっている国はやはりベトナムだけなのだ。

なぜか。それはこの国が、中国にフランスにアメリカと数々の国に翻弄されてきた歴史がゆえに、ベトナム人が世界各地に散らばっている点が大きいという。また、日本の存在も大きいという話。どういうことなのだろうか、真相を確かめに取材に向かった。

空港施設の発展は国の発展のバロメーター

取材場所は、ホーチミンの空の玄関・タンソンニャット国際空港。現在のターミナルは日本のODAによって2007年に建設された。確か、あまり目立たない場所にベトナム政府からの感謝の言葉が二ヶ国語で書かれてあったはず(撮るの忘れた)。

取材を手伝ってくれる友人と待ち合わせ場所を決めるときに、「じゃあ国内線の駐車場前にあるスターバックスで」と言われた。いや待って、国内線の駐車場ってあのしょっちゅう水たまりのできるカビ臭いとこ?あんなところにスタバができたなんて信じられないんだけど?いやあるからとにかくスタバで、と言われて半信半疑で向かう。到着すると…こりゃ驚いた!
しみったれた駐車場が近代的に〜!
しみったれた駐車場が近代的に〜!
一階にはすごいテナント入ってるし〜!!
一階にはすごいテナント入ってるし〜!!
搭乗時間がすぐ分かる電光掲示板まで出来ちゃった〜!!!
搭乗時間がすぐ分かる電光掲示板まで出来ちゃった〜!!!
なんて集中線を入れてみたところで、分かってる。「いやビフォア知らんし」なんて思われることは分かってる。しかし、以前の国内線は本当にしょっぱいところだったのだ。国内線の施設に金を掛けるということは、出張や旅行での国内移動が増えてきたということで、それは市場の盛り上がりや人々の裕福さのバロメーターにもなる。という理屈はあとになって気づいたけど、このときはただ素直に「ベトナムも着々と発展してるんだなぁ〜」と感じていた。
スタバもちゃんとありました、友人とも無事合流。
スタバもちゃんとありました、友人とも無事合流。
それはさりとて、国内線に用事はない。目的の場所は国際線、3分も歩けば到着する。
移動、申し訳ないが中央の人の歩き方がゾンビっぽい。
移動、申し訳ないが中央の人の歩き方がゾンビっぽい。
到着、申し訳ないが中央の人の歩き方がゾンビっぽい。
到着、申し訳ないが中央の人の歩き方がゾンビっぽい。
さーてと!
いますなぁ〜!人!
いますなぁ〜!人!
看板を持っている人はもちろんホテルやツアー会社の人、問題はそれ以外の人たちだ。
看板を持っている人はもちろんホテルやツアー会社の人、問題はそれ以外の人たちだ。
夜9時、彼らは何をしに来ているのだろうか。聞いてみよう。

右から、研修生、研修生、ひとり飛ばさなくても研修生!

ざっと200人はいそうな人だかりを見回すと、学校ジャージ風の服を着た若者がちらほらと目立つ。まずは彼らに話を聞こう。
シチュエーションは、
シチュエーションは、
実は想像ついちゃうんだけど。
実は想像ついちゃうんだけど。
私 「ちょっといいですか?」
女性「え、はい!」
素朴そうな女の子、マイさん、21歳。
素朴そうな女の子、マイさん、21歳。
私 「今日は空港へ何しに?」
女性「日本へ行きに来ました」

私 「そうなんだ!…研修生?」
女性「そうです!」

思っていた通り、研修生だ。日本のテレビでもしばしば報道されていると思うが、ここ数年間でベトナムから日本へ研修へ行く若者が増えている。簡単に言えば、技術を培うべく日本の企業で数ヶ月から数年間働く制度だ。

私 「場所と期間を聞いてもいい?」
女性「大阪で、三年間行ってきます」

私 「お、俺大阪出身!…というか、ながっ!長いね!」
女性「そうですね」

私 「故郷を離れて三年間って結構な覚悟だと思うけど、今どんな心境?」
女性「ドキドキして、嬉しくもあるんですけど、半分は不安でもあります」
私 「だよね〜、大阪人はたぶん優しいから大丈夫!(無責任)」

男性「おーい、写真撮ろうぜ!」
女性「あっ、ごめんなさい、みんなで記念写真撮らなきゃ!」
私 「あ、ごめんね、行って行って〜」

マイさんが向かった先には同じ服装の若者たち、彼らもまた研修生だろう。しばらく戻らない故郷への別れを惜しんでいるようだった。彼女を含めて総勢28人のベトナム人の若者が大阪と千葉へ行くとのこと。マイさんの日本語の勉強期間は三ヶ月、それを聞く限りは正直苦労が待っているとは感じたが、どうか元気に頑張ってほしい。
マイさんの同級生と家族・親戚にも話を聞いた。
マイさんの同級生と家族・親戚にも話を聞いた。
私  「どこから来たの?」
同級生「クチです!」
私  「三時間くらいか、結構時間掛けて来たんだね」

友人たちとしては、やはりマイさんが三年間外国へ行くことは寂しい。しかし、「彼女が決めたことだから応援しなければならないんだ」と言っていた。

私  「今、facebookとかもあるし、いろいろ話を聞いてあげてね」
同級生「もちろんですよ!」
こちらはお母さん。
こちらはお母さん。
母親「あの子はね、三人姉妹の末っ子なのよ」
私 「外国へ生活に行く子は初めてですか?」
母親「えぇ。でもマイのあとは次女を行かせようと思ってるの」
私 「おー」
母親「将来のチャンスだからねぇ…でも正直言うと、お父さんが昨年亡くなっちゃったから、複雑ではあるんだけど」
私 「親心としては難しいところですね…マイさんにひとつだけ伝えるなら何と言いますか?」
母親「とにかく、正直に、一生懸命やりなさいってところね」
しんみりしてしまった…お礼を言って、場所を変える。
しんみりしてしまった…お礼を言って、場所を変える。
余談だが、これは三年くらい前から街で見かけるバッグ。
余談だが、これは三年くらい前から街で見かけるバッグ。
これが流行した背景はいまだに分かってないし分かる気がしない。
これが流行した背景はいまだに分かってないし分かる気がしない。

日本との付き合いは二代に渡って!

ベンチに座ってくつろいでいた、三世代親子(母、息子、孫)に声を掛ける。
ベンチに座ってくつろいでいた、三世代親子(母、息子、孫)に声を掛ける。
私 「今日は何しに?」
祖母「研修へ行く孫を見送りに!」
私 「おー、国ってもしかして…」
祖母「日本よ!」
私 「ですよね」

祖母「うちの家系はね、日本との付き合いが長いのよ」
私 「というと??」

祖母「子どもが10人いるんだけど、うち6人は日本へ研修に行かせたわ」
私 「10人!…という点も驚きですが、6人も研修に!?」

今でこそベトナムから日本への研修ブームが起きているが、このおばあさんの子どもの世代となるとさらに20〜30年前になる。その頃から6人もとなると、本当に長い付き合いだ。

祖母「それで今は娘と息子がそれぞれ日本に住んでるの」
私 「あ、親戚がいれば安心して行かせやすいですもんね」
祖母「で、今は三人の孫が研修中って訳」
私 「おみそれしました(?)」
外国から戻ってきた人は何かにつけ荷物がデカイ。
外国から戻ってきた人は何かにつけ荷物がデカイ。
私 「どうしてまた、何人も日本へ研修に行かせようと思ったんですか?」
祖母「やっぱり発展した国で経験を積ませたいという理由が一番ね。仕事は大変だと思うけど、日本で高い給与をもらえば将来のためになるし、それが家族全体のためにもなるから」
私 「なるほどですねー」

日本で働いてお金を稼ぎ、故郷に帰って起業するor優良日系企業に就職する、ということは日本への研修(ほかの国でも同様かもしれないが)のその後の成功モデルとして定着している傾向がある。実際に、そんな元研修生や、そうして将来を語る若者を数多く見てきた。

日本で研修生として働けば、確かにベトナム現地の4倍5倍の給与がもらえるかもしれない。ただ、その後に就く仕事が研修で学んだものと大きく違ったり、または単純にお金を稼ぐという目的が最優先となれば、「技術を培う」という研修本来の趣旨から逸脱したものになるんじゃないかと危惧している。

外国人研修制度で無視できない問題のひとつが、研修生が行方をくらまし戻ってこない「失踪」だ。いろんな原因があるだろうが、「技術を培う目的」と「技術を伝える場所」という関係が成り立っていればそれも極力防げられるはず。そう、伝える場所、問題は日本側も大いにはらんでいる。それは、息子さんの方からつついてくれた。

息子「これは日本人が見るのか?なら俺は言いたいことがあるんだ」
私 「は、はい!何でしょう?」
娘さんと目元そっくりだな。
娘さんと目元そっくりだな。
息子「日本の企業に言いたい、研修生にもっと優しくしてほしいんだ」
私 「というと?」
息子「彼らは成人したと言っても社会に出たばかりの子どもだ、それで外国で働くとなるとただでさえ分からないことばかりだろ?だから、分からないことはまず教えてやってくれ。出来ない子を叱ってもただ混乱するだけだから」

ベトナムに住んでいるとどうしても目耳に入ってくる話題、「企業の研修生への当たりが厳しい」。教育上のものならともかくとして、これは生活環境の提供がぞんざいになるという道義に反する問題も含む。兄弟や子どもが10人近くも研修生として日本へ行っていれば、息子さんもいろいろと聞かされる話や思うことも多いのだろう。

そもそも研修制度は日本とベトナムの両国を将来つなぐ人材を育てるためのものであり、「安い労働力」や「出稼ぎの機会」が副産物としてあったとしても、それを提供することを目的としたシステムではない。たぶん綺麗ごとなんだろうけど、綺麗ごとを追わないと目的から逸れていくばかりだ。

企業も研修生も良好な関係を築けているところがほとんどだろうと思うけど、とにかく心配なのだ。国や企業が人を追い込み、追い込まれた人が過ちを犯し、それによって安易にベトナムにネガティブなイメージがつくことも、登場人物全員バカヤローとしか言うほかない。…と、この問題についてはまだまだ書けてしまうので、このへんでやめときます(もう十分書いたけど)。取材取材。

なぜか保険の加入を勧められた

夜景を見てたそがれていた若者たちに取材!
夜景を見てたそがれていた若者たちに取材!
私 「今日は…研修生の見送りかな?」
若者「そうだよ!」
私 「だよね笑」

職場の同僚だった友人の見送りを終えて、談笑中という。この人数は人望があるな〜!

同僚は数ヶ月前に一足先に姉が研修へ行ったようで、以前から日本語を勉強して準備中だったという。そしていざ、仕事を辞めて研修へ。離れることは寂しいが、友達が自分の将来を考えて決意したことなので心から応援したいとのこと。きっと毎晩、空港ではこんな別れがあるんだろうなぁ…。

私 「ちなみに会社ってどこなの?」
若者「第一生命!」
私 「おぉ、デカイじゃないか」
若者「あ、なに、保険に入る?」
私 「(この流れで)入んねーよ笑」
空港内のあちらこちらで撮影している。ベトナム人は写真好きの人が多いので、別れを惜しんでるのか単に撮りたいから撮ったのか分からない。
空港内のあちらこちらで撮影している。ベトナム人は写真好きの人が多いので、別れを惜しんでるのか単に撮りたいから撮ったのか分からない。

出発口(見送りエリア)から到着口(出迎えエリア)へ移動する。

空港へ向かう人の中には日本人らしき人々の姿も。そうか、日本行きだもんな。
空港へ向かう人の中には日本人らしき人々の姿も。そうか、日本行きだもんな。
それにしてもさっきから日本へ行く研修生ばかりだ。と、いうか、これじゃ見送りじゃないか。空港は到着口と出発口のフロアが違う、つまり見送りと出迎えも違うということで、出迎えの人を見に行くべくフロアを変えることにした。
外はあれだけ多いのに中はガランとしている。
外はあれだけ多いのに中はガランとしている。
あれは…?
あれは…?
あぁ!構内がちょっと見えるのか。
あぁ!構内がちょっと見えるのか。
到着口でずっと出待ちしてなくても構内で先回りできるんだ。ただ、出口がひとつの到着口に対して、ここなら待ち人を見落とす自信があるけど。
夜間の清掃員が待機していた、部活の大会で高校生が集まっている状況みたいだ。
夜間の清掃員が待機していた、部活の大会で高校生が集まっている状況みたいだ。

アメリカや韓国へ、行く人、来る人。

写してはないが、6,7人ほどの家族でいたので声を掛けた。
写してはないが、6,7人ほどの家族でいたので声を掛けた。
私 「今日は何しに?」
男性(写真右)「アメリカから帰ってきた姉を迎えに来たんだよ」
私 「おー、向こうに住んでるんですか?」
男性「あぁ、もう8年になる。旦那のアメリカ行きに付いていく形でね」
私 「一時帰国?」
男性「そう、お父さん(写真左)に会いに」

この男性の娘さんも、アメリカへ留学に行って四年、たびたび姉夫婦の世話になっているらしい。なるほど、先の6人の子どもを日本へ研修に行かせたおばあさんと言い、なんだか分かった。ベトナムの家族はひとりが外国との接点を持つと、そこから枝葉のようにつながりが拡がっていく傾向があるんだ。

ビザの条件も、家族や親戚が住んでいると大幅に緩くなると聞いた。それに家族の結びつきも強いので、多少なり遠縁でも世話を焼くことが当たり前。それはなんだか、小説などを通して知る昔ながらの日本と似ている。地方から出て東京のおじさんの世話になる、ベトナムではこれが国内ではなく世界にスケールアップしたという訳か。

なお、ベトナム人が世界各地に散らばっていることはおもにベトナム戦争によるきっかけが大きいのだが、そのあたりは以前書いた「おふくろの味のバックアップをとる」(4ページ目)に詳しく書いたのでぜひお読みください。
こちらの女性はアメリカから帰ってくる母親を迎えに来ていた。
こちらの女性はアメリカから帰ってくる母親を迎えに来ていた。
私 「お母さんはいつぶりの帰国なんですか?」
女性「二年ぶりになるね、向こうにはもう10年以上住んでる」
私 「今回はどれくらいの滞在?」
女性「四ヶ月」
私 「長いですね!」
女性「そうそう簡単に会えないから、娘も二人いるしたくさん話してもらいたいわ」

なお、今日はこの出迎えのためにカインホア省から来たとのこと。なんと、バスで10時間!一時間に着いたばかりで、母親を出迎えたらすぐに戻るらしい。大変だ…大変だけど、そうするくらいのイベントだってことなんだな。
ちなみにその隣では家族がシートを敷いてご飯食べてた。 シートを敷いている人は、だいたい地方から来た人なのです。
ちなみにその隣では家族がシートを敷いてご飯食べてた。 シートを敷いている人は、だいたい地方から来た人なのです。
こちらの女性は「韓国に嫁いだ親戚を待っている」と話してくれた。
こちらの女性は「韓国に嫁いだ親戚を待っている」と話してくれた。

多いときは家族友人が8人も!空港の送迎は昭和の集団就職を思い浮かべる

今回話を聞いた人は、少なくとも3人、多い場合は8人くらいが見送り(出迎え)に来ていた。テレビの昔のニュース映像でしか見たことはないが、日本の戦後まもない頃に集団就職で若者たちが列車に乗り込む風景を思い浮かべる。家族と抱き合って別れを惜しむ姿は、時代も国もスケールも違うが、本質的には同じことだろう。

ふと、自分が大阪から上京した頃を思い出した。ちょうど10年前の3月末だ、新大阪駅の改札で母と別れた日のことは、今でもありありと思い出せる。親孝行でも考えるか、ぼちぼちベトナムに呼びたいもんだ。
取材の締めはバーガーキング。五年前は空港くらいにしか店舗が無かったのでお約束だった、その名残りで今でも毎回食べている(食べさしの写真になってごめんなさい)。
取材の締めはバーガーキング。五年前は空港くらいにしか店舗が無かったのでお約束だった、その名残りで今でも毎回食べている(食べさしの写真になってごめんなさい)。
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