ちしきの金曜日 2016年11月18日
 

チェルノブイリは「ふつう」だった

デイリーポータルZらしくない話をしますよ

入るまではたいへんだったが、一度入ってしまえば、けっこう長い時間滞在できた。うれしい。

いろいろお話もうかがった。

なかでもぼくにとって衝撃的だったのは、ほかならぬぼくの「ソ連への思い込み」だ。

この後デイリーポータルZらしからぬ長い話になるので、興味ない人は読み飛ばしてください。

事故後、当局は事故の原因を「オペレーターの人為的ミス」と断定した。これに関しては各種異議があるとのこと。

それが事実だったかどうかは置いておくとして、ぼくが子どもの頃から無意識に思っていたのは「ダメな社会主義・全体主義が事故の原因だった」というものだ。
デスクの上のなにやら図面にもぐっときた。見ていいんですかこれ。撮っていいんですか。
デスクの上のなにやら図面にもぐっときた。見ていいんですかこれ。撮っていいんですか。
30年前、1986年にぼくは中学2年生だった。もちろん当時事故は大きく報道されて、子供心に「なにかたいへんなことが起こったぞ」と思った。放射能の雨が降る、とか、噂を含めてさまざまなことが言われた。

でもまあ呑気でバカな子どもゆえ、深刻には考えなかった。でも当時の冷戦と核戦争へのぼんやりとした恐怖と諦観、そして「ダメなソ連という社会主義の国」というイメージは確実にあった。だからあんな事故を起こすんだよ、と。後にソ連が崩壊し「やっぱりダメな体制だったんだな」と思った。
この卓の断面といい、全体の湾曲具合といい、ザ・SF って感じがすごい。キュート。キュートだけど、これで原子炉操作してたんだと思うと、だいじょうぶなのか? って思う。事実大丈夫ではなかったわけですが。
この卓の断面といい、全体の湾曲具合といい、ザ・SF って感じがすごい。キュート。キュートだけど、これで原子炉操作してたんだと思うと、だいじょうぶなのか? って思う。事実大丈夫ではなかったわけですが。
質疑応答では「オペレーターに拒否権はなかったのか」というすごくいい質問がなされた。上記のような思い込みがあったので、おかしな命令が上層部から来ても、社会主義体制の元ではノーと言えなかっただろうな、とぼくは予想した。

しかしそれに対する答えは「拒否できた」というものだった。これにけっこう衝撃を受けた。「社会主義では徹底的に個人は抑圧される」というイメージを持っていた自分に、である。(ただし、繰り返される指示には最終的には従わざるを得なかった、とも言っていたので、結局はノーは言えなかったってことか)

続いて、事故の関係者および後の処理にたずさわる人々への偏見というものはないのか、というこれまたよい質問がなされると、それに対しては「え、なんで? 偏見なんてあるわけないじゃん。リスペクトされることはあるだろうけど」という答え。
コントロールルームで最も異彩を放つこのダイヤル。ひとつひとつが制御棒の状態を示していたのだという。
コントロールルームで最も異彩を放つこのダイヤル。ひとつひとつが制御棒の状態を示していたのだという。
これらの回答がどこまで本当かはわからないが、とにかく自分が知らず知らずのうちに「東側諸国」への偏見にまみれていたことを、このコントロールルームで思い知った。

当時をふり返ると、思い出すのは「後ろめたさ」だ。中国残留孤児、社会主義の国々の様子、飢えるアフリカの子どもたち。そういうニュースと教育と、バブルに浮かれる日本の中で「ああいう国に生まれなくてよかった。日本人でよかった」とよく思ったものだ。そして"豊かで自由で安全な国" に生きている自分をちょっと後ろめたく思った。

今思えばなんという思い上がり。
「人間を遥かに超えるものを、なんとか制御しようとするこの風景。向こうに触ることも視ることもできないものがあって、このパネルはそのインターフェース。結果的にそのデザインは祭壇に似てくる」という東さんのコメントに膝を打った。そうだ。これは祭壇だ。神をコントロールしようとして、失敗したのだ。
「人間を遥かに超えるものを、なんとか制御しようとするこの風景。向こうに触ることも視ることもできないものがあって、このパネルはそのインターフェース。結果的にそのデザインは祭壇に似てくる」という東さんのコメントに膝を打った。そうだ。これは祭壇だ。神をコントロールしようとして、失敗したのだ。
今回ウクライナに来て、現場で作業する人を見て思ったのは「どうしてぼくはこの人ではないんだろう」「ぼくはもしかしたらこの人だったかもしれない」という感慨だ。これは傲慢や後ろめたさとは違う。ぼくもちょっとは大人になった。

食堂のおばちゃんを含め、人々を見てチェルノブイリを故郷に生きる可能性のあった自分に、思わず思いを巡らせた。そして、想像の中の自分はけっこうふつうだった。
コントロールルームの後は、地下のポンプ室などものぞかせてもらいました。ここでも大興奮でした。
コントロールルームの後は、地下のポンプ室などものぞかせてもらいました。ここでも大興奮でした。
チェルノブイリに来るまでは、きっと何かが分かるだろうと思っていた。ところが、どんどん分からなくなる。

分からなくなるために来たのだ、と思うことにしよう。

現実は複雑で個別である。

しょうもない感想だが、そういうこと。

「サマショール(自主帰還者)物語」ならず

サマショール(自主帰還者)と呼ばれる、事故後強制退去が行われた町や村に、立ち入り禁止であるにもかかわらず戻って住んでいる方々。そのお家も訪問した。
サマショール(自主帰還者)と呼ばれる、事故後強制退去が行われた町や村に、立ち入り禁止であるにもかかわらず戻って住んでいる方々。そのお家も訪問した。
「よく分からなくなった」のだめ押しは、サマショール(自主帰還者)の方のお話である。そのほとんどが高齢者で、人口は減りつつあるというが、支援活動もありそれなりの人数がゾーン内にあえて住んでいる。上の写真はそのお一人。温かく迎えてくれた。
こういう風景の中に家がありました。
こういう風景の中に家がありました。
自主帰還者へのぼくのイメージは「確固たる意志と行動で、政府がなんと言おうと自分の故郷と暮らしを守る孤高の戦士」といったようなものだった。これもまたぼくの思い込みだった。

実際お会いすると、このおばあさまの自然体っぷりといったらなかった。いわゆる「サマショール物語」になりそうな強い思いやエピソードなどを披露するでもなく、「まあ、原発できる前からここに住んでたし、線量実は高くないし。そりゃ戻ってくるわよねえ、故郷なんだから。それよりお酒飲む?」って感じ。
唐突に振る舞われる自家製のお酒。はじまる宴会。おいしいパン。なんだこれ。
唐突に振る舞われる自家製のお酒。はじまる宴会。おいしいパン。なんだこれ。
すべてがはぐらかされっぱなし。ますます「よくわからなくなった」。ここにもふつうの日常がある。彼女はぼくの母と同い年だった。

また行きたい

ふつうだった、と銘打ったものの、読み返すとやっぱりふつうじゃないよねえ。もうなにもかもがよくわからない。

構造物としての原発と新石棺かっこいいぞ! ってことが伝わればと思います。「かっこいい」って語弊ありますが。

ツアーは来年も行われるようなので、みなさんぜひ。チェルノブイリは絶対行った方がいい。ぼくもまた行きたい。
もうひとつのチェルノブイリ名物は鉄塔。考えてみれば発電所なんだからたくさんあるわけだ。かわいいのがいっぱい。模型とかほしい。
もうひとつのチェルノブイリ名物は鉄塔。考えてみれば発電所なんだからたくさんあるわけだ。かわいいのがいっぱい。模型とかほしい。

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