ちしきの金曜日 2016年12月2日
 

原発事故で廃虚になった街に行った

このように「観光地化している」ということがプリピャチの最大のすごさだと思う。
一時期廃虚によく行ってましたが、そういうときは多くても4、5人での探検だったので、30人以上がとがめられる心配もなく、かなりのレベルの廃虚をわいわいと動き回る風景に「なんだこれ」って思った。新鮮!
一時期廃虚によく行ってましたが、そういうときは多くても4、5人での探検だったので、30人以上がとがめられる心配もなく、かなりのレベルの廃虚をわいわいと動き回る風景に「なんだこれ」って思った。新鮮!
実際、いまや世界中からさまざまなツアーで観光客がチェルノブイリ原発および、このプリピャチを訪れているという。

ツアーの質はそれぞれまちまちで、中にはほんとうにただの物見遊山的なものもあるそうだ。が、今回ぼくが参加したゲンロン プロデュースによるツアーはとてもよかった(ツアーについて詳しくはこちらを)。じっくり考える材料を与えてくれて、かつ放任して物見遊山欲も満たしてくれるバランスが絶妙だ。
工場にあったポスター。こういうのもぐっとくるよねー!
工場にあったポスター。こういうのもぐっとくるよねー!
これには現地でのコーディネートをしてくれたアンドリ・ジャチェンコさん、前回の記事のハイライト、ミラクルを起こした彼のツアーに対する哲学が効いている。

「世界がいかに脆いものであるかを感じてほしい」とジャチェンコさんは言う。押しつけがましいことは一切せず、かといって単に仕事としてこなしているという風でもなく、ぼくらを信頼してくれていた。
このポスターもかわいい。
このポスターもかわいい。

「聖地巡礼」としてのプリピャチ

プリピャチが注目され、観光客が増えたきっかけとして一番影響があったのは2007年にリリースされた2つのゲーム『コール オブ デューティ 4』と『S.T.A.L.K.E.R. Shadow of Chernobyl』だ。大ヒット作なので、知っている方も多いだろう。1ページ目、2ページ目の写真に「ここ見たことある!」と思ったのではないか。
それにしても見てください、このツアーとは思えない放任ぐあい。はぐれるはぐれる。
それにしても見てください、このツアーとは思えない放任ぐあい。はぐれるはぐれる。
今回のツアーに同行した中に、このゲームの熱烈ファンの方が「聖地巡礼」として参加していた。すてきな動機だ。

はじめて来たはずなのに「そこの脇に階段があるはずですよ」って言い当てて、みんな驚いていた。それぐらいこのゲームの再現度はすごい。というか、この方すごい。

ゲーム以外でも最近では2013年の『ダイ・ハード / ラスト・デイ』の舞台になっている。ぼくが惹かれたように「ユートピア跡地」のプリピャチには人をそそるなにかがあるのだ。

線量の実感に「飢えて」いたのかも

ところで前回の記事でも今回の記事でも、ここまでいっさい放射線量の話をしていない。

これはぼくがあえて触れていないのではなく、ほんとうにツアー中まったく気にしていなかったからだ。というか、完全に忘れていた。

参加者の中には計測器を持参して、ずっと記録をとっている方もいらっしゃったが、それもどちらかというと「お、見てみて! ここけっこう線量高いよ!」「どれどれ、あ、ほんとうだ」ぐらいの感じ。実際、行き帰りのフライトでの方がトータルの被曝量が多いぐらいのもので、深刻さはまったくなかった。

これは放任とはいえ「ここから先は立ち入らないでください」という管理はきちっとしていたから。例えば、先ほどのプリピャチの標識があった場所の、道路から外れたところには「赤い森」と呼ばれる、被爆して立ち枯れた木々がひろがっているエリアがあって「舗装されていない土には絶対踏み込まないように」と注意された。
このすてきな標識の周辺、舗装されていないエリアは放射線量的に危険。
このすてきな標識の周辺、舗装されていないエリアは放射線量的に危険。
原発から10km/30kmの「ゾーン」をでるときにはこうやって線量を測らないといけない。
原発から10km/30kmの「ゾーン」をでるときにはこうやって線量を測らないといけない。
かと思えば、一方、こんなことも。
「こっち来てみてごらん」って呼ばれて、
「こっち来てみてごらん」って呼ばれて、
「ほら、これ」って重機の線量がすごい、っていうのを見せられた。
「ほら、これ」って重機の線量がすごい、っていうのを見せられた。
「うわ! ほんとだ!」って計測をはじめる一同。
「うわ! ほんとだ!」って計測をはじめる一同。
どれどれ、ぼくもわたしも、と駆け寄るひとたち。ちょっとおちつけ。
どれどれ、ぼくもわたしも、と駆け寄るひとたち。ちょっとおちつけ。
妙な表現になるが、ぼくは、この悲劇の原因を実感することに、ちょっと飢えていたのかもしれない。それぐらい旅の間の被曝量は気にならなかったのだ。

ところで上の線量が高かった重機。これは「埋葬」と呼ばれる、村や町全体を埋める作業に使われたもの。プリピャチは建物がそのまま残っているが、ほか多くの自治体が被爆した家屋もろとも埋葬された。
キエフ市内にあるチェルノブイリ博物館のエントランスホールから展示室に向かう階段。頭上にあるのは地名の看板。
キエフ市内にあるチェルノブイリ博物館のエントランスホールから展示室に向かう階段。頭上にあるのは地名の看板。
裏から見ると、こんな。これは強制避難の対象となった自治体の名前。「埋葬」されて消滅した村もたくさんある。
裏から見ると、こんな。これは強制避難の対象となった自治体の名前。「埋葬」されて消滅した村もたくさんある。
都市や風景というものに興味があって、それらを撮ることを仕事にしたぼく。そういう自分にとって、この展示は胸に来るものがあった。

あえて正直に言うと、ぼくは人の痛みや不幸を想像することが不得手だ。今回プリピャチに行って分かったのは、そんなぼくでもその人が暮らしていた場所を経験することによって、それが可能になる、ということ。

人の幸不幸は、大きすぎる。生身すぎて口に入れられない。でも、場所に行って、そこに立ち、動き回り、聞いたり嗅いだり触ったりすることでちゃんと想像することができる。場所はフィルターだ。咀嚼できる適切な大きさに調理してくれる。
香港の雨傘革命を見に行ったときも思ったが、写真を撮る人になってよかったなあ、とあらためて思った。写真は、その場所に行かないと撮れないから。「すごいものが撮りたい!」という"不純な"動機がぼくを場所に引っ張り出してくれて、結果として苦手なものをちゃんと受け取ることができるのだ。

今後ともこういう感じでいこう、だいじょうぶだ、とプリピャチで思った。
このチェルノブイリ博物館、すごくおもしろいのですが、これについて書き始めるとそれだけで4ページぐらいになっちゃうので、またいずれ。
このチェルノブイリ博物館、すごくおもしろいのですが、これについて書き始めるとそれだけで4ページぐらいになっちゃうので、またいずれ。

先日の記事で書いた「新石棺」、ついに4号炉を覆ったそうです

チェルノブイリ原発の事務等エントランスにシンボルとしてプロメテウスの像が立っている。人間に火を与えたギリシャ神話の神で、その行為が原子力からエネルギーを取り出すことの比喩になっているわけだ。

未熟で愚かな人間に火を与えてはならないとゼウスは禁じていた。その命令に背いた罪により、プロメテウスはむごたらしい罰を受けることになる。

それでも怒りはおさまらず、ゼウスはプロメテウスの弟であるエピメテウスを罠にかけ、それまで存在しなかったありとあらゆる災厄を人間界にもたらす。それがあの有名な「パンドラの箱」だ。

この逸話と、炉を慌ててふさぎ中身が飛散するのを防いだ「石棺」とは、なんと似ていることか。そして先日「新石棺」が石棺を覆った。

人間は「希望」が逃げていかないようにするのに必死なのだ。
そしてこのプロメテウス像、もともとはプリピャチにあったものだという。
そしてこのプロメテウス像、もともとはプリピャチにあったものだという。

なんか、かっこいいこと書いちゃったな。

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