ちしきの金曜日 2017年1月27日
 

俺の思い出と大阪城公園ガイド

!
実家から徒歩10分の場所に大阪城がある。

大阪有数の観光地だ。城を取り囲む大阪城公園も含めて、静かで、緑や水場が多く、城などの見どころも豊富。10年前頃から外国人観光客が爆発的に増えて、今や大阪の国際的観光スポットの定番となっている。

しかし、私は地元民。昔からよく慣れ親しんだ場所で、遊んだり、部活動で通ったり、高校の試験後に同級生とジュースやお菓子を広げての打ち上げは決まってここだった。今回は、そんな地元民の視点で思い出たっぷりに大阪城を紹介したい。きっと自分の話が多いだろうけど、知られざる見どころも紹介するので楽しみながら読んでほしい。
1984年大阪出まれ、2011年からベトナム暮らし。日本から3600km離れた土地で、ダチョウに乗ったり、ドナルドのコスプレをしたり、札束風呂に入ったりしている。

前の記事:「イヤイヤ習い事エピソード 〜「元気」を死ぬほど書かされる〜」
人気記事:「ベトナムの丸亀製麺はパクチー盛り放題」

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ほぼ初対面の人たちを案内する

テロップなしだと、郷土愛のすごいバンドのアルバムジャケット風。
テロップなしだと、郷土愛のすごいバンドのアルバムジャケット風。
案内と言うからには相手が要るが、まずは人集めが問題だった。ベトナムなら友人がいる、東京でも同じデイリーのライターさんにお願いできる、しかし今回は大阪だ。かつての同級生の連絡先もロクに把握していない。

そんなときにお付き合いのある、面白くて変なことを考えている会社・人間の田辺ひゃくいちさんが、実家からたった50メートルの場所に住んでいることを思い出した。そこに彼の同僚の松尾さん、妹、妹の友達のもつくんの5人で大阪城公園を歩きます(妹は撮影係)。
「今日寒すぎません?」「ですよねー」
「今日寒すぎません?」「ですよねー」
実は全員ほぼ初対面だったが、大寒波のお陰で話題には困らなかった。
あらかじめ地図にまとめてみました、クリックするとタイトルが出ます。

コンプレックスが爆発する運動場

大きな運動場に到着。
大きな運動場に到着。
もつ「ここは?」

私 「ここはですね、『パイオニア』という地元の少年野球チームがよく練習していた運動場(野球場)です」
全員「へー」
全員「へー」
私 「僕全然運動できなかったんで、野球少年はそれだけですごく苦手だったんですよ。近づくだけでコンプレックスで圧死しちゃう、みたいな。それは今でもちょっとあって、すでにこれ以上は踏み入れたくないですね」

もつ「おもいっきりトラウマじゃないですか」

私 「トラウマですよ、今日はそういう話ばかりです」

もつ「え!そういう話ばかりだったんだ」
はい、今日は心の傷を開きに来ました。
はい、今日は心の傷を開きに来ました。

ディジェリドゥが怖すぎて通れなかったトンネル

私 「あと、このそばにある階段の上ですね。高校の定期テストでの打ち上げパーティは大阪城が定番で、お菓子やジュースを集めてよく飲み食いしてたんですよ」

もつ「そういうお決まりの場所、僕もありましたね」
あのへん。
あのへん。
私 「でしょ?で、もう夜も遅いし帰ろうとしたら、すぐ下のトンネルから『ヴォヴォオ〜』ってえっらい重低音が聴こえてきましてね。それ自体も怖いし鳴ってる意味も分からないし、ほんと怖くて、しばらく帰られなかったんですよ。あれはちょっとトラウマだったなー」

もつ「さっきからトラウマばっかりじゃないですか」
このトンネルです。
このトンネルです。
私 「でも、大人になってから外を歩いていたら同じ音が聴こえてきて。何!?って見たら民族音楽風の服装をしたバンドが路上ライブをしていたんですよ。楽器だったんかい!っていう。『ディジェリドゥ』っていう、オーストラリアのアボリジニーが使う管楽器らしいです」
今でもなんとなく怖い、聴けば分かっていただける。

実はアジア最大の軍事工場だった大阪城公園

もつ「今日のこれって、本当にネルソンさんの思い出がベースなんですね」

私 「あ、次に紹介するものはまともです!しかも観光に来た人は十中八九見過ごしてる、マニアックなやつ」
これね。
これね。
もつ「砲兵工廠跡?…って書いてますね」

私 「はい。実は、太平洋戦争のとき、現在の大阪城公園の一部と隣の大阪ビジネスパークを合わせた一帯は、当時のアジアでは最大規模の兵器工場だったんですよ」

全員「へぇ〜!」

私 「それで、終戦の前日の8月14日ですね。米軍からの空襲で徹底的にやられてしまい、終戦時には瓦礫まみれの焼け跡になっちゃったんです。空襲が一日ズレていたら、今では日本有数の工業地帯だったかもしれませんし、だからこそ米軍が急いで叩いたのかもしれません」
まじめな話の方がみんな反応いいな。
まじめな話の方がみんな反応いいな。
戦後の大阪城周辺は興味深い史実が盛りだくさんで、ここと切り離せない存在が「アパッチ族」だ。安易に語ると火中の栗を拾うことになってしまうので、興味を持ったら各自で調べてみてほしい。ここと彼らを題材にした小説や映画もつくられており、その著者である開高健が後年にベトナムに渡ったことは大阪出身ベトナム在住である私の興味を引く。

人が溺れたりピラニアが釣れる外堀

外堀に来た。
外堀に来た。
もつ「掘ですか?」
私 「はい、ここはですね…」
私「実は、」
私「実は、」
私 「人が死んでます」
全員「えーっ!?」

私 「ちょいちょいです」
全員「ちょいちょい!?」
興が乗ってきました。
興が乗ってきました。
私 「確認しているだけでも三度ほど。まぁ、掘って本来は人を溺れさせるためのものですからね。どれだけ柵を立てようが、調子に乗ったり、酔っ払ったり、はたまた自ら望んで…とか、そういう背景があるのでしょう」
という訳で合掌。
という訳で合掌。
私 「そうだ、あとピラニアもいたんですよ」
全員「ピラニア!?」

私 「私が小中学生の頃に釣りブームがあって、本当はダメなんですけど、同級生がよく外堀へ釣りに行ってたんです。目的はブルーギルだったんですが、一度だけ鋭利な歯を持った。どう見てもピラニアが釣れたんだと」

もつ「飼い主が放流したとか?」

私 「たぶん、あとは釣り人の放流も。これ、地元の学術機関でも調査があったので確かみたいです。南米の魚なので越冬できなかったと思うけど、ほかにもアロワナやテナガエビなんてものまでいたとかいなかったとか」
冬場はシーンとしています。
冬場はシーンとしています。
この外堀のカオスな生態系は地元では有名で、「探偵ナイトスクープ」という関西人認知度ほぼ100%のテレビ番組でも取り上げられたほど。それが現在は、水質も含めてかなり改善され、なんと今年開催されるトライアスロン大会のコース(つまり外堀を泳ぐ!)に決まったそうだ。そして、ここでいきなり自慢していい?探偵ナイトスクープに依頼者として出たことあります。自慢おわり。
一時は抹茶色だった掘が、まさかここまで澄むとは…。
一時は抹茶色だった掘が、まさかここまで澄むとは…。
そんな外堀を越えて、内側へ。
そんな外堀を越えて、内側へ。
アリゲーターガーもいたらしい。

水嶋家の最古の思い出の梅林

梅林に着きました。
梅林に着きました。
すでにちょっぴり花も咲いていた。
すでにちょっぴり花も咲いていた。
もつ「ここは何ですか?」
私 「ここはね…」
私 「ここはね…」
私 「水嶋家のホームビデオで最も古い場所です」

全員「おぉ…」
全員「そうですか…」
全員「そうですか…」

就活中によく行ったけどご利益はなかった豊國神社

大阪城敷地内にある神社。
大阪城敷地内にある神社。
私 「豊國神社、豊臣秀吉を祀った神社ですね」
もつ「へー」
中央には豊臣秀吉の銅像が。逆行で黒幕みたいだ。
中央には豊臣秀吉の銅像が。逆行で黒幕みたいだ。
似顔絵が描きやすそうなご尊顔。
似顔絵が描きやすそうなご尊顔。
私 「ここは就職活動のときにたまに行ってました」
もつ「ご利益はあったんですか?」
私 「なかったと思います」
なお、玉垣(石製の柵)に寄進者の名前がある中で…
なお、玉垣(石製の柵)に寄進者の名前がある中で…
「某(それがし)」というものを発見、名乗らないところが男前。
「某(それがし)」というものを発見、名乗らないところが男前。

汗と涙と使用済みコンドームの修道館

神社の社務所っぽいけど道場です。
神社の社務所っぽいけど道場です。
私 「修道館。中学時代は柔道部に所属していたんですが、大会や年明けの朝練はここでやっていたんですよ」
女子新体操部を除くエロ男子の図(たとえ)。
女子新体操部を除くエロ男子の図(たとえ)。
大会の昼休みはいつもこんな感じで弁当を食べていた。
大会の昼休みはいつもこんな感じで弁当を食べていた。
「ではこのへんでトラウマを紹介します」「また」
「ではこのへんでトラウマを紹介します」「また」
ちょうどあのフェンス。
ちょうどあのフェンス。
私 「あそこに引っ掛かってたんですよ」
もつ「何が?」
私 「使用済みのコンドームが」
全員「うわぁ」
前夜に野外プレイでもしてたんですかね。
前夜に野外プレイでもしてたんですかね。
私 「あれは中学一年生のとき、柔道部の大会で先輩を応援しに来た帰りのことでした。ふたつ上の富岡先輩(仮名)がそのコンドームを見つけるや否や、木の枝の先に引っ掛けてみんなを追いかけ回しはじめまして」
張っていた氷で遊ぶ(汚い)。
張っていた氷で遊ぶ(汚い)。
私 「ひとしきり部員を追い回した富岡先輩はポイッと、僕の自転車の前カゴに放り投げたんですよ。当時、コンドームが何か分からなかった僕はなんだこれという状態だったんですが、あまりに周りのみんなが引いているので、『あぁ、これは大変にひどいことをされたんだな』と思ったら、途端に悲しくなって泣き出しちゃって」
ちょうどあの茂みのところです。
ちょうどあの茂みのところです。
私 「慌てた富岡先輩は平謝りしたけど、顧問の耳にも届いちゃって、富岡先輩めちゃくちゃ怒られてました」

富岡先輩は後輩たちに「変態とはこういうことだ」と身体を張って教えてくれた人で、ほかにも格技室(中学校内の道場)に落ちてる陰毛を拾い集めて技術の授業でつくった木箱に入れて更衣室に放置。それを曜日代わりで使用する剣道部の女子に見られて、怒った顧問に木箱を落ち葉といっしょに燃やされる、なんてこともあった。
ここで脈絡はないけど、大阪城が楽しくなる雑学。
ここで脈絡はないけど、大阪城が楽しくなる雑学。
石垣の上にあるこのくぼみは、銃で敵を撃退するための狭間(さま)と呼ばれる銃眼です。
石垣の上にあるこのくぼみは、銃で敵を撃退するための狭間(さま)と呼ばれる銃眼です。

智くんとバドミントンした場所に歴史的発見

天守閣まで到着!
天守閣まで到着!
年季の入ったお立ち台があった。
年季の入ったお立ち台があった。
ここで毎朝、おじいちゃんおばあちゃんたちがお城を見ながらラジオ体操をしている。その人数が尋常ではなく、夏場には500人ほども集まることもあるとか。

私 「あそこの大正ロマンな建物、見えます?」

もつ「大正ロマン?」
あの茶色いの。
あの茶色いの。
私 「あれね、元は旧日本軍(第4師団)の司令部です」

全員「えー!」

私 「1931年に建てられて、戦前戦中には陸軍が使い、戦後にGHQの接収を受けたあと、大阪市警、大阪府警、そして大阪市立博物館と歴史を経て、現在に至ります」

もつ「めちゃくちゃ歴史があるじゃないですか」

私 「そうなんですよ。2001年まで開館していたんだけど、気付いたときにはもう閉館しちゃっていて、すごく残念でした。だけど、隣の場所もおもしろいんですよ」
今ではこうして囲いがされているんだけど…
今ではこうして囲いがされているんだけど…
私 「高ニの頃にここでときどき、同級生の智くんとバドミントンしてたんですよ。秋だったので風が強くて、全然ラリーが続かなかったな…なんでやってたんだろ」

もつ「そこに、今はなんでこんな囲いが?」

私 「そう、そこ!」
これ!
これ!
私 「どうやら豊臣秀吉時代(初代大阪城。その後、徳川家康が盛り土をして再築城の後に落雷で消失、1931年に建てられた三代目が現在の大阪城)の石垣が見つかって、それを掘り出す計画が動いているんですよ」

全然「おぉ〜!」

私 「古い石垣の発見は1984年だったんですけど、今こうして再発掘のために囲いで仕切られてしまっていて、立ち入りできなくなってしまったという訳なんです」
ちなみに旧司令庁舎の囲いに、
ちなみに旧司令庁舎の囲いに、
ヨーロッパ人が描いた大阪夏の陣があって、
ヨーロッパ人が描いた大阪夏の陣があって、
それがすごい西洋風な描写でおもしろかったよ。
それがすごい西洋風な描写でおもしろかったよ。

大阪城(天守閣)が面倒くさくなる角度

もつ「天守閣には何もないんですか?」
私 「あります、あります!」
私 「この角度ですね」
私 「この角度ですね」
全員「角度?」
全員「角度?」
私 「私の母校の小学校では、二年生か三年生のときに大阪城の写生大会があったんです。その大阪城を見る角度がこれ。私、図画工作は得意な方だったんですけど、瓦を一枚ずつ描くのがもう面倒くさくて苦痛で。この角度で大阪城を見ると、今でも嫌気が差します」
パワースポットの真逆ですよ…。
パワースポットの真逆ですよ…。
私 「で、その写生大会での優秀作品は天守閣の特別展示として貼り出され、生徒と家族が招待されるのですが、水嶋家の三人兄妹で私だけ選ばれなかったんです。唯一得意だった図画工作で。あれは、私が人生ではじめて体験した挫折だったかもしれません」

妹 「私、それ、覚えてるわ。お兄ちゃんから『お前は(大阪城のそばを)飛んでる鳥を書いたから選んでもらっただけや!』って言われて悔しかったのを覚えてる」

私 「あぁ。単純に上手かった兄に対して、妹は鳥を描いて子どもらしい夢のある絵だったんですよ。当時単語は分からなかったけど、きっと『あざとい』ってことが言いたかったんだと思う。まぁ、俺は何を言っても負け組やってんから許したってくれ」

妹 「小学生にそんな気遣いできるか」
その面倒くさい石垣の一部には刻印がある。これは築城の際にどの藩から持って来られた石垣なのか示すもの。
その面倒くさい石垣の一部には刻印がある。これは築城の際にどの藩から持って来られた石垣なのか示すもの。

太平洋戦争の銃痕と悲運の淀君

私 「次は結構まじめな場所です」
私 「次は結構まじめな場所です」
石垣の一角が崩れている。
石垣の一角が崩れている。
私 「ここ、崩れてるでしょ?」

もつ「はい、でもどうして??」

私 「空襲の際に米軍が撃った銃痕なんです」

全員「おーー」

私 「でもこれほぼ気づかれてなくて…なぜなら、」
看板を!
看板を!
見せる気がないから!
見せる気がないから!
順路に沿って歩くとまず気づかないよね!
順路に沿って歩くとまず気づかないよね!
私 「少し看板の向きを変えるだけでかなり違うと思うんですけどね、だからこそ隠れスポット化しています」
その脇の石段も、古いものにだけ銃痕が残っている。
その脇の石段も、古いものにだけ銃痕が残っている。
私 「あともうひとつ、スペシャル級があって…」
あの木々の中に隠れるように見える赤い柵…。
あの木々の中に隠れるように見える赤い柵…。
実は、
実は、
豊臣秀吉の側室・淀君の慰霊碑です。
豊臣秀吉の側室・淀君の慰霊碑です。
淀君は、豊臣秀吉の亡きあと息子の秀頼を後継者に立てて政治的実権を握ったとされる人物で、豊臣家が滅亡した大阪・夏の陣で自刃(自殺)したと言われている。

もつ「そんな人物の慰霊碑がなんでこんな隅の方に?」

私 「なぜでしょうね。でも、墓は京都にあるそうです。さっき話した通り、徳川家康の盛り土によって豊臣時代の大阪城は原型を留めていないんですよ。淀君は豊臣家・滅亡の悲運を象徴する人物なので、この慰霊碑の扱いはついそこと重ねて見てしまいますね」
何にせよ、合掌。
何にせよ、合掌。
自刃の地の記念碑はもう少し目立っています。
自刃の地の記念碑はもう少し目立っています。
ちなみに、昼夜問わず徘徊する淀君の幽霊が天守閣の内外で目撃されるという心霊話があるが、もちろん真偽については定かではない。

ホームレス居住区だった青テント跡地

外堀の外へ戻ります。
外堀の外へ戻ります。
この案内もそろそろ終幕へ。
この案内もそろそろ終幕へ。
私 「外堀の外周はジョギングコースとしても人気がありますが、かつては通称・青テント…ホームレスの人たちが暮らす青いビニール製のテントで埋め尽くされていたんです。よく、あちこちで焚き木とかしてましたよ」

青テントの数は2002年がピークで、合計681箇所の青テントが点在していたとのこと。それが段階的に撤去されていって、今ではもはや青い色すら見られなくなった。
まさにこういうところに青テントがあった。 落ち葉でふかふかだし、なんとなく理解はできる。
まさにこういうところに青テントがあった。 落ち葉でふかふかだし、なんとなく理解はできる。
私 「高校生の頃、夜に堀を見ながら友達何人かと話していたら、林の中からヌッとおじさんが出てきてね。『お前ら俺の悪口言うてたやろ』って言うんです。もちろん言ってないというか、そこから人が出てきたことにまずビックリなんですけど、面倒ごとになっても困るので立ち去ろうとしたら友達が『やんのか』なんて煽って」

もつ「修羅場ですね」

私 「それが、煽られたおじさんが『こっちにはこれあんねんぞ』と言って刃物っぽいものを取り出したんですよ!すると、喧嘩腰だった友達も含めて、みんなですみませんすみませんと言いながらゴミまとめて帰ろうとしたら、おじさんに『お前らええやつやなぁ』って逆に褒められて、なんかいろいろと訳分からんかったですわ」

もつ「マジの修羅場じゃないですか」

私 「ね。当時はオヤジ狩りとかが流行っていたから、向こうは酔いが入っていたとしても警戒されていたんだろうなぁと今でこそ思うけど。実際そういうことがあったから、青テントの存在をどうこう言うつもりはないけど、治安は良かったとは言えなかったですね」

在りし日のシャ乱Qもいた「城天」

私 「長くなったけど、これが最後です」
もつ「ついに!」
ここね。
ここね。
もつ「楽器を回収してますね」

私 「ここは原宿にあった歩行者天国…『ホコ天』に対抗する格好で『城天』と呼ばれていて、週末はインディーズバンドがストリートライブをしているという光景がお決まりだったんですよ。というか、今もずっと」

全員「へぇー」

私 「そこからデビューしたバンドでは『シャ乱Q』が有名で、ほかにもポルノグラフティや、もう解散しちゃってるけど我々世代(30代)には懐かしいヒステリックブルーなんかもいたんだそうです」

全員「おぉー」


地元民の大阪城観光ガイド、これにて終わり。もっとあっさりした記事になると思っていたが、歩けば歩くほど想像以上の数の思い出や知識が溢れ出てきてしまった。

世界中から人が集まろうとも、地元は地元。

子どもの頃、大阪城公園は単に、近所のすごく大きな公園だった。それがいつの間にやら、世界各地から人々がやって来る有名観光地になっている。地元では今、旅行者向けに部屋を貸し出す借り主と、民泊を禁止するマンション間でのいざこざも増えているのだとか。

大阪城。まるで、馴染みの友人がいつの間にやら人気者になった感覚だが(そんな友人はいないが)、実際に回ってみると大阪城公園はやっぱり自分が知ってる大阪城公園だった。何年何十年経っても、自分は帰省のたびに散歩をするんだろう。

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私「…最後まで喋りませんでしたねぇ」株式会社人間「…」
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