特集 2017年4月1日
 

木が語る銀行合併史

150歳のわしが見てきた銀行合併史を語るぞ
150歳のわしが見てきた銀行合併史を語るぞ
ごきげんいかがかな? 木じゃ。

わしは、大政奉還の年に芽生え、今年で150歳になった。

今日は、わしが見てきた銀行合併史を皆さんにお話ししようかのう。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。

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三大メガバンク

現在、日本には三井住友銀行、みずほ銀行、三菱東京UFJ銀行の三大メガバンクと呼ばれる巨大銀行が存在しておる。

明治時代に日本初の銀行、第一国立銀行が誕生してから、さまざまな銀行が合併を繰り返し、大きくなってきた。

その合併の歴史を、主に三大メガバンクを構成することになる銀行を中心にふり返ってみようかの。
木じゃ
木じゃ

別子銅山から発達した住友銀行

三井住友銀行の源流のひとつとなる住友銀行は、日本最古の財閥と言われる住友財閥が明治時代に開設した銀行じゃ。
住友財閥は、江戸時代に、伊予国(現在の愛媛県)の新居浜にある別子銅山の開発で大きく成長し、1662年、泉屋両替店という両替店を大坂で開業する。
しかし、この泉屋両替店、1684年、為替を不達するというヘマをやらかし、一度お取り潰しの憂き目にあっておる。その後、再開するものの、明治時代に両替商の業務は終わる。
1895年、別子銅山と大阪の中継地となっていた尾道で開かれた住友家の家族会議「尾道会議」で銀行設立が決議され、住友銀行は発足したのじゃ。

越後屋三井呉服店がルーツ

三井住友銀行の元になった三井銀行は、三越百貨店の元になった越後屋三井呉服店がルーツじゃ。
年2回のツケ払いが主流だった江戸時代、店に陳列されておるものをその場でお金を払って買う「店前現金掛け値なし」の商法で大当たりした越後屋三井呉服店の三井家は莫大な富を築いた。
明治維新後、三井家は日本最初の銀行となる第一国立銀行に出資する。しかし、第一国立銀行の経営から三井家の影響を排除しようとする渋沢栄一の画策により、三井は第一国立銀行の経営からは手を引くことになる。
そのため、三井家は1876年、独自に三井銀行を設立するんじゃ。
この三井銀行は、太平洋戦争中、なんやかんやあって第一国立銀行の後身、第一銀行と合併し、帝国銀行となるんじゃな。
第一銀行は、もともと三井が投資してできた銀行とはいえ、すでに別々の銀行として育ってきたためにそりが合わず、戦後、第一銀行と帝国銀行に分割されてしまうのじゃ。
その後、三井は太陽神戸銀行と合併し、太陽神戸三井銀行、さくら銀行となって、住友と合併し、三井住友銀行となるわけじゃの。
太陽神戸銀行のノベルティじゃ。この頃はまだファンシーじゃが、そのうち不良債権で首が回らなくなるのじゃ
太陽神戸銀行のノベルティじゃ。この頃はまだファンシーじゃが、そのうち不良債権で首が回らなくなるのじゃ
木で表すとこんな感じかのう(クリックするとでかくなるゾイ)
木で表すとこんな感じかのう(クリックするとでかくなるゾイ)

第一銀行から百五十ぐらいまであった国立銀行

明治時代、政府は西欧式の銀行の設立を促進するための法律「国立銀行条例」を制定したのじゃ。その法律に基づいて日本各地に銀行が設立されたのじゃが、設立された順番をそのまま銀行名に付けた銀行が雨後のたけのこみたいに日本各地にできたんじゃ。150ぐらい。今でものこっておる第四銀行(新潟)や七十七銀行(仙台)、十六銀行(岐阜)なんかはその名残じゃ。
ちなみに、長野の八十二銀行銀行は、82番めではなく、六十三銀行と第十九銀行が合併したので足し算して八十二というわけじゃ。
さて、その中でも、いの一番の第一国立銀行は、三井家と小野家が出資してできた銀行じゃ。
戦時中から戦後の一時期、三井銀行と合併して帝国銀行となっておったが、その後別れ、今度は1971年に日本勧業銀行と合併して第一勧銀となったわけじゃな。
帝銀事件は、第一銀行と帝国銀行に別れる年と同じ年に起きたのじゃ
帝銀事件は、第一銀行と帝国銀行に別れる年と同じ年に起きたのじゃ

安田銀行が富士銀行に

富山から江戸に出てきて、一代で財を成した安田善次郎が、1880年、設立が頓挫していた第三銀行の流れを受けて作ったのが合本安田銀行じゃな。
ちなみに、安田善次郎のひ孫がオノ・ヨーコじゃ。それから、鶴見線の安善駅は安田善次郎にちなんで名付けられた駅じゃ。
さて、合本安田銀行は、1923年、めっちゃいっぱいの銀行と合併して安田銀行となって、かなりでかくなったんじゃ。その後、第一勧銀ができるまでは日本最大の銀行なんていわれておった。
戦後、GHQが財閥解体を命令するまえに、安田財閥は自主的に解散しての、銀行も富士銀行と変わったんじゃ。
そして、2002年、第一勧銀と日本興業銀行と合併して、みずほコーポレート銀行、いまのみずほ銀行になったというわけじゃの。
わりと適当じゃぞ(クリックするとでかくなるのじゃ)
わりと適当じゃぞ(クリックするとでかくなるのじゃ)

三菱東京UFJ銀行は適当にざっくりと(もう疲れてきた)

三菱東京UFJ銀行は大まかにわけて、東京銀行、三菱銀行、UFJ銀行が合併してできたわけじゃが、UFJ銀行は、三和銀行と東海銀行が合併してできた銀行じゃ。(信託銀行はめんどくさくなったからカウントしてないぞい)
三菱東京UFJ銀行は細かすぎるからまとめて振り返るぞい
三菱東京UFJ銀行は細かすぎるからまとめて振り返るぞい
まず、東京銀行は、戦後に新しくできた銀行なんじゃが、実は戦前に存在した横浜正金銀行が実質的な前身の銀行じゃ。
横浜正金銀行は、明治時代まだ外国為替の仕組みが整ってない頃に、貿易で日本が不利益を被ることが多々あったので、貿易決済、外国為替専門の半官営の銀行として発足したんじゃ。ちなみに、丸善を創業し、ハヤシライスの考案者とも言われておる早矢仕有的も設立発起人の一人に名を連ねておるぞ。

三菱銀行は、もともと土佐藩(現在の高知県)の藩営事業であった海運業を引き継いだ岩崎弥太郎が築いた三菱財閥の銀行として1919年に開業したものじゃ。
戦後、一時期千代田銀行と名前をかえておったが、1953年に三菱銀行に戻っておる。

UFJ銀行の元になった三和銀行。これは大阪の鴻池銀行、山口銀行、三十四銀行の三つが合併してできたものじゃ。三つの銀行が和する……というわけじゃ。

鴻池銀行は、戦国大名尼子家の家臣、山中鹿介の子孫が、伊丹の鴻池に落ち延びて酒造業を始め、清酒を作ることに成功して莫大な富を得た鴻池財閥が元になっておる。
ちなみに、山口銀行は、山口県や現在の山口銀行とは全く関係ないぞい。
三十四銀行は、大阪船場の繊維商人たちが作った銀行じゃ。この商人の中には、伊藤忠と丸紅の創業者である伊藤忠兵衛も関わっておる。

東海銀行は、愛知銀行、名古屋銀行、伊藤銀行が元になっておる。
伊藤銀行は、織田信長の家臣であった伊藤祐道が始めた呉服店が元になってできた伊藤財閥の銀行じゃ。ちなみにこの呉服店は、江戸にあった松坂屋を買い取り、現在も続く松坂屋の元になった呉服店じゃ。
ややこしすぎるな(クリックすると無駄にでかくなるんじゃのう)
ややこしすぎるな(クリックすると無駄にでかくなるんじゃのう)
以上、三大メガバンク合併の歴史をざっくり振り返ってみたぞ。

上で語った歴史は、木のわしが、葉っぱに樹液を巡らせて一生懸命覚えたものをうろ覚えで語っておるので、細かいところは間違っとるかもしれん。つまり、言ってることが、はからずもウソになっとる可能性もある。が、今日はいいじゃろ。
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