特集 2017年4月3日

大人たちよ、人形は捨てなくてもいい(と専門家が言ってた)

人形の進路相談をするために専門家をたずねた
人形の進路相談をするために専門家をたずねた
「人形との関わりかた」について研究しておられる大学の先生のお話を聞きに行きませんか、という誘いが舞い込んできた。
なんでも「われわれはぬいぐるみを捨てるべきか」というテーマの講義をされることもあるとか。
人形というと、個人的には毛糸で作る機会もあるし買う機会もある。 一般の成人女性と比較すると、人形と関わって生きているほうだとは思う。

特に捨てる気もない場合、この先何十年もこのままなんだとは思うが、これ、いつかは「捨てるべき」か?
うちにいる人形たちの将来を相談させてもらいたい。
島根県生まれ。毛糸を自在に操れる人になりたい。地元に戻ったり上京したりを繰り返してるため、一体どこにいるのか分からないと言われることが多い。プログラマーっぽい仕事が本業。(動画インタビュー

前の記事:ノストラダムスの大予言・翻弄されエピソード

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「人形との関わり方」って?

早稲田大学で、今年学内の面白い講義第1位に選ばれた「人形とホラー」という講義があるらしい。「人形」を通じて「人間」を考察するという流れでおこなわれているようだ。
(関連記事:最強?人形ホラーとしての『アンパンマン』

この人形の講義、大学では一年通しておこなわれているが(前期は学内3位の「人形メディア学概論」で、後期が「人形とホラー」)、
昨年広島の高校でも単発で模擬講義がおこなわれた。それが「われわれはぬいぐるみを捨てるべきか」だ。
人気講義だけあって、いつも座席はみっちり埋まる
人気講義だけあって、いつも座席はみっちり埋まる
講義は数カ月前にデイリーのライター陣で一度見に行かせてもらった。大人の遠足っぽかった
講義は数カ月前にデイリーのライター陣で一度見に行かせてもらった。大人の遠足っぽかった
今回は、じっくりお話を聞かせてもらえるということで、早稲田大学文化構想学部助教(取材当時)の菊地先生の研究室にお邪魔した。
編集部の古賀さんとふたりでお邪魔しまーす
編集部の古賀さんとふたりでお邪魔しまーす
私の場合、人形をすぐに捨てるつもりはないが、

「何十年後に年老いて、自分の身の回りの整理をするような状況になった場合に、捨てるという状況もあるんだろうなぁ。」
「その場合どうやって?」

というかんじ。

一般的にはどういうパターンが多いのだろう。
せっかくなのでドサッと持って来させてもらった。この子たちの将来のことなので、やはり本人たちも同行させなければと。
せっかくなのでドサッと持って来させてもらった。この子たちの将来のことなので、やはり本人たちも同行させなければと。

講義についての話を聞く

まずは「われわれはぬいぐるみを捨てるべきか」の講義についての話を聞いてから、相談に入らせてもらおうか。
講義で使った資料を見つつ、研究室で話を聞く
講義で使った資料を見つつ、研究室で話を聞く
「われわれはぬいぐるみを捨てるべきか」についてまずお聞きしたいんですが、広島の女子高では単発講義だったんですよね?
大学の授業でやってることを高校生用にアレンジしたような感じです。30人受けてくれたんですけど、後日、人形制作をしている学生さんが個人的にわざわざお礼のメールをくれたり、先生がすごく感動してくれて終わったあとに泣いてた方もいて……
ええーー!!
トイストーリーとか、映像見つつなんですけど、映像見て灯りをつけるとすすり泣く声がしたり……
高校生向けにどうアレンジされたんですか?
女子高生だからぬいぐるみにしたってのもあります。女子高生ってカバンにぬいぐるみを付けてる子が多いのが気になってて。
入試で大学に来る子を見てても、やっぱり受験生ってのは願いを持ってる人たちなので、人形持ってる率がより高い……?
いやー、願いって込めますかね? なんとなく付けてるだけの場合もあるんじゃ……
この子のこれはどういう理由で付いてるんだろうな、というのをよく考えます。
昔はあんなに大きいのをつける習慣なかったですよね。
なかった。ガラケーのころストラップは付けてたけど、そんなに理由とか考えてなかった気がする。
大人になるときにお母さん離れをするために毛布とかタオルとか、肌触りのいいものをお母さんの代わりにしたり……というような話があります。「移行対象」と言われるものです。
このグラフが、なにが移行対象になりうるか、という話なんですけど……
「移行対象」となるものの例
「移行対象」となるものの例
生まれてすぐは母親に対して完全に依存した状態だが、母親の感覚を思い出させる移行対象に触れることで不安が解消される……というようなことは誰にでもあるらしい。

年齢によって、心のよりどころとなる対象物が推移していく。
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子どもの場合、移行対象としてぬいぐるみや人形を持ったりするが、同じものを高校生や大人が持ってたとすると印象が変わり、「そんな年にもなって!」みたいなことを言われたりも……?
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最近では「大人が人形持ってると恥ずかしい!」みたいな単純な価値観は消えつつあり、人形のコレクターやカスタマイズ、フィギュアの収集となると、「全然あり」とみなされる場合が多い。
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こんな風に細かく考えてみると、「あり」と「なし」の分類がなんとなくある。
基本的にそういうのをおおっぴらに言いづらい人たちは多いんですけど、ツイッターやインスタで仲間を見つけやすくなった感じはかなりあると思います。
私もリカちゃんとか好きなんですけど、ネットでドールクラスタの人たちが人形を見せ合ってるのを眺めたりはします。自分でアップしたりはしないんですけど。
ドールまでになると趣味性高い感じがする。趣味性高いと許されるみたいな空気ありますね。
ドールショーってイベントが、半年に一回ぐらい大きい展示場であって、そこにはカスタマイズ用のパーツも売ってるんですが、人形同士を交流させて撮影会が行われてて。会ったことない人たち同士が人形片手にやってきて一緒に写真撮ったりとか。
はぁ~! 色んな文化が!
持ち主同士の交流は結構どうでもよくて、「お宅のお子さんは」っていう人形同士の交流になるんですよね。
愛犬家同士っぽいですよね。
そういう文化ができて生きやすくなって、ドールの人たちはもう救われたかなと。じゃあ今度はぬいぐるみかなと。
テディベアぐらいまでいくとオッケーですよね!
あーー、OKですね! やっぱOKかどうかの分類ってありますね。世間に認められてるかどうかってことなんですかね……?
なんとなくの「言いづらさのライン」について、「趣味として認識されてるかどうか」説が出たわけだが、どうだろう。

「言いやすくなった」という風潮がある一方で、「大人になっても持っているだなんて恥ずかしい」という価値観が存在するのも確かだ。
大学生は引っ越してきてる子が多いので、その引っ越しが捨てるタイミングとなる場合が多いです。大学に進学するときに無理して捨てることないよ、と救ってあげたいという思いがあります。
自分の子供に対しても、常識として〇歳ぐらいになったら捨てなきゃ となんとなく思ってました。
子供向けのお話の中にも、プーさん(原作)やトイストーリーには「心のよりどころの移行」の描写がある。菊地先生は講義の中で、これらを使って「ぬいぐるみって捨てないとという価値観の人もいるけど、それは人それぞれ」という説明をするそうだ。
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ものに向けての感情のはなし

講義でこういう話をすると、興味深いエピソードを持った学生さんが続々現れるらしい。

まずは「東京でもらったティッシュを地方で捨てられない」という子について。
あーーー! それなんとなくわかる!!
えっ、えっ!??
生まれ故郷じゃないから!
あーーそういうことか! 意味がわかった。旅先で捨てると「ここの子じゃない」ってなるやつ! わかるわかる。
海外旅行に行ったときに靴を見ると「おまえ……よくぞここまで……」みたいに思うのと似てる!
一緒に行ってるっていう感じがあるんですよね。
そういやこの前、海外旅行で下着捨てるようにしてるって人がいて、下着の立場からしたら「せっかくずっと一緒に生きてきたのに海外で!?」ってなる っていう話をしたところだったんですよ。
一番身近にいたのに!
わははは、そういう感覚はあるある!!
この「ものの生まれ故郷ばなし」だと、なぜかみんなで共感できて盛り上がる。

学生さんのこういうエピソードは、講義が終わったあとに提出するコメントシート書いてもらうことになっている。「誰にも言ったことないんですけど……」という書き出しのものも結構くるらしい。
私の授業で有名になった子で、「ドアノブさん」って子がいるんですけど、ドアノブに挨拶をしてからじゃないと眠れなくなった子で。
へぇぇ~~!
最初の年がドアノブさんで、つぎの年に茶碗の人ってのが出てきて。
ある日茶碗を割っちゃって、割っちゃったことに対して申し訳なく思ってて、ずっと捨てずに置いといて、そこの前を通るたびに会釈をしてる……という。
ええ~~~!
みんなそういうところがちょっとはあるんですかね。
あるみたいですね。
なんか、心理学と近まってるような……
私は全然心理学専門じゃないんですけど、こんなに人の心を垣間見ることになるとはまったく思ってなかったです。
元々は演劇学専門で、もっと「作品の中で人形がどのように扱われているか」というような話を扱うつもりだったんですけど。
早稲田の人形の講義も、心理学ではなく文化構想学部の講義だ。(文化構想学部=既存の枠組みでは学問の対象としてみなされてこなかった「文化」を、複数の学問分野にまたがって論じる学部……とのこと。)

受講者は基本的に、文学部と文化構想学部の生徒だが、たまに連れてこられた他大学の友人がもぐりこんでることがある。
音大の子は楽器のマウスピース(?)に対してそういう感情があるとか、医学部の子は聴診器にそういう感情があったりとか。そういう人がもぐりでたまに現れます。
もぐりの人にも「コメントだけは書け」って言ってるので書いてもらえます。次の週それを読んでも多分その人はいないですけど。
ドアノブさんの場合は、3~400人いる中で、6~7人は「会いたい」「分かる」っていう反応がきました。そして、その翌週にその「分かる」っていうコメントを読むと、お互いに「この教室にいるんだ……!」ってなって、そういう場所になってるのは面白いな、と。
けど会いたいとしても、その人たちが交流するのは難しいですよね。
できないですね。名前は言わないってことになってるので。
けどドアノブさんはその後たずねてきてくれました。君だったのか……! みたいな。
人形みたいに人の形をしていなくても、「なんとなくものに意思を入れて考えてしまう」というのは、多かれ少なかれ誰にでもある感覚なのか。

自分の所持品で一番捨てづらいものってなんだろう? と考えてみると、「20年以上着続けてるヨレヨレになって着心地がいい部屋着」が浮かんだ。中学生のときに買って、何度引っ越してもずっと連れてきたし、「共にすごした感」が無意識にあったのかも?
とは言え、普段わりと雑に扱っている
とは言え、普段わりと雑に扱っている

仲良しだったお買い物クマ

ここで「ちょっと悩み相談いいですか?」と古賀さん。話は古賀さんがハタチのころまでさかのぼる。
ここからは古賀さんの相談タイム
ここからは古賀さんの相談タイム
そのころ古賀さんは、いいことが全然ない時期だった。そんなとき、親戚に「西武百貨店のお買い物クマ」というシロクマのぬいぐるみをもらう。

その「お買い物クマ」と古賀さんはとても仲良くなったらしい。
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そのクマが、家の中であれこれ立ち働くようになる。
(※すべて古賀さんの脳内での出来事です)

勝手にそばを打ったりし、そしてそれをうっかりひっくり返したりしてしまう。
!
へ~~ なるほどなるほど。ってことは、「なんでクマのことを考えちゃうんだろう?」って悩みですか?
そう、なんで考えちゃうのかってのもあるし、せつないじゃないですか! 仲のいい子が失敗してて。しかも、ウソじゃないですか! リアルだったら実際かわいそうですけど。
屋内で、家の中で失敗してるところを想像しちゃうってことですよね? 部屋で勝手にそば打ちしてるっていう。
だいたいなんでそば打ちなのか、ってのも全然わかんないんですけど! ワッショイワッショイ! って。
わははははは
古賀さんは仕事もないし、私生活でも特にいいこともない。クマも昼間家で失敗してる。なので、帰宅するとお互い励まし合うのだ。
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家で励まし合ってても、外出するとまた家でクマが失敗をしてしまう。そんなことが続いた。
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今日の取材がきっかけで「そういやあいつ今どこにいんのかな?」ってなって、捜索してます。
そのクマとはいつまで一緒に住んでたんですか?
結婚するまでだから27ぐらいまで? けどその前に24~5ぐらいのころ就職して生活が安定したら依存が抜けました。
大人になって、30過ぎ、35過ぎて、そういうことを頭で考えるようになったら「疲れてるんだな」と分かるようになったんですけど、当時はせつな過ぎてほんとつらくて。
!
まさか「疲れたり落ち込んだりすると、クマが脳内でそば打ちする」という話が飛び出すとは、さすが古賀さん、リアクションだけじゃなく脳内も躍動感(?)あるなぁ。

これ出されたらものすごい普通の話しか出てこないぞ……。

分類への気づき

つぎは私が話をする番だ。事前に考えてたのが、

「捨てるという状況もいつかくるかも。」
「その場合どうやって?」

という相談。

けどその前に、話してるうちにひとつ気づいたことが。この人たちって、私にとって「ビジネスパートナー」なのでは……?
ビジネスパートナーのみなさん
ビジネスパートナーのみなさん
まず自作のものについては、「記事で何かを説明する役割を果たしてくれる進行役」に過ぎない。
進めてくれる
進めてくれる
あとはいわゆるドールやファービーの場合、同じシリーズのものを集めるような場合は、上記で言ってた「趣味性」が高まる。

棚に並べて置いてあると、性質として「インテリア」に近まる。
雑貨屋の陳列っぽさもある
雑貨屋の陳列っぽさもある
「ビジネス」や「インテリア」だと、心のよりどころ的なものとはまた違ってるような。

いや、けど自宅を見渡すと「棚に置いて飾ってるもの」と「生活空間に居るもの」があって、「生活空間寄り」のものたちを「棚に陳列」するのには抵抗がある。なんとなくの申し訳なさ、というか。
自分と同じ生活空間に普通に住んでるっぽいパターンもある (なんでメルちゃん持ってるのか、とたまに問われるが、ツイッターの「メルちゃんbot」を見てるうちに欲しくなり入手)
自分と同じ生活空間に普通に住んでるっぽいパターンもある (なんでメルちゃん持ってるのか、とたまに問われるが、ツイッターの「メルちゃんbot」を見てるうちに欲しくなり入手)
生活空間に一緒にいると、同居人として一緒に住んでる感覚が芽生え、それによって落ち着く感覚もある。

このように「人形」というジャンルだけでも、自分の中に3パターンもの分類があった。はじめて気づいた。
無意識だったが、このように分けられる
無意識だったが、このように分けられる
「同居人」というパターンを考えると、小さいころの人形遊びの延長にあるような気もしてくる。その頃は、姉妹で人形を交えてよく会合をしたりしてた。話し合いで取り決めをしたり、新人歓迎会をしたり。

ちなみに私の場合、同居人は昔からずっといる訳じゃなく、近年また現れた感じだ。なんだこれ。

このままでいいらしい

各自のエピソードを発表してるうちに、「世の中の人たちって思ってるほどドライじゃないのでは」という話に。

この後、大量のぬいぐるみと一緒に住んでる人の本も見せてもらったが、こういうのって結構何でもありなんだな! と、なにも気にせず突き進んでいいような感覚を覚えた。

古賀さんも「ここまで持っていていいんだよという許しを得た気がした。」という感想を持っていた。
こちらがその「暮らし方」の本
こちらがその「暮らし方」の本
話を聞く前は「いつか捨てるときのことを相談をしたい」と思っていたが、終わるころには「そんなことより、今まで自分は物や妄想とどう付き合ってきたんだっけ……?」と記憶を掘り起こそうとするのに必死で、「捨てる相談」についてはわりとどうでもよくなってた。

学生たちからも、「最初はなんだか楽しそう、恐そう、とだけ思って履修したけど、自分の怪しげな部分と向き合う機会になった。」
という声がたまにあるらしい。

たった2時間の訪問だったのに、普段使わない部分の脳みそを使ったからか、帰るころにはふたりして妙に疲れていた。

今回菊地先生から教わったのは「人形」についてだったが、取材されてるこんな記事も読ませてもらった。「身体論」ってなんだ。もしまた機会があれば話をうかがってみたい。

大学での人形の講義については、今年の秋に書籍も出るそうなので、気になった方はぜひ。
以前記事で酒飲む用に買った哺乳瓶を持たせて、もらいものの乳母車に乗せると、大人が持ってるのアウト感が増す……
以前記事で酒飲む用に買った哺乳瓶を持たせて、もらいものの乳母車に乗せると、大人が持ってるのアウト感が増す……
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