特集 2017年6月20日
 

病院のなかの床屋で髪を切る

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大きな病院には、その中に床屋がある。
あの床屋ってどんな所なのか。入院してなくても行っていいのか。
せっかくなので、今年2度目の長期入院をきっかけに行ってみることにした。
1978年、東京都出身。漂泊の理科教員。名前の漢字は、正しい行いと書いて『正行』なのだが、「不正行為」という語にも名前が含まれてるのに気付いたので、次からそれで説明しようと思う。

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合計31日間にわたる入院

17日間、入院していた。
その前の入院が14日間、今年になってから合わせて1か月も入院している。
毎日病院の窓から見送った夕暮れ
毎日病院の窓から見送った夕暮れ
そもそもの原因は骨折だ。
最初の入院でプレート固定の手術をしたのだが、それがどうやら化膿してしまったようなのだ。
主治医に電話で「傷口から黄色い液が出てきました」と連絡したら、「入院です。今すぐに何も飲まず、何も食べずに来てください」と言われて、即手術になった。
思っていたより良くない状況らしい。
うわっ……私の傷跡、化膿しすぎ……?
うわっ……私の傷跡、化膿しすぎ……?
約2〜3週間の入院になると主治医から聞き、視界がリアルにくらっとした。
最初の入院こそ「これも人生経験!」とポジティブに乗り切れたのだが、すでにその気持ちは使い果たしており、まったく切り替えられない。

病棟に入ると、看護師さんたちは
「あれ、加藤さん、また?」
「加藤さん、おかえりー(笑)」
などと明るく迎えてくれたのだが、やはり気は晴れず、もやに包まれたような気持ちで入院生活が始まった。
手術終わり。抜き取られた化膿の元凶。
手術終わり。抜き取られた化膿の元凶。
この長さを象徴していたのが、「入院しているうちに大相撲が1場所終わった」という事実だった。

僕が全身麻酔から醒めないうちに平成29年の夏場所は初日を迎え、安が勝ち越し、稀勢の里が休場し、退院とともに白鵬は6場所ぶり38回目の優勝を決めた。
僕はその15日間がよどみなく進んで行くのを病室のベッドで見送った。
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と、文章も思わず村上春樹ふうになる、なんとも空虚な日々であった。

心の穴を埋めるべく、かつてない密度で相撲観戦に努め、デーモン小暮も驚くほどに力士の個人データに詳しくなったが、それでも時間はまだ余る。
松葉杖で院内をうろうろし、少しでも時間が使えるものを探し、そして気付いたのが床屋だった。

旧棟の隅にある「理容室」

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あるコミュニティーの中に「専属の床屋がある」、というのは一つの象徴ではないだろうか。

湯治の温泉宿。アメリカの原子力空母。1960年代の炭鉱。

町ではない場所に床屋があるということは、「人々が長期にとどまり生活をする」という機能があることを具現化していると言ってもいいだろう。
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入院している今こそ、堂々と髪を切る権利のあるまたとない機会である。ぼくのためにある場所だと言ってもいだろう。
ちょうど髪もいやな感じにぼさぼさしてたところだった。
真顔ですいません
真顔ですいません
せっかくの入院なんだから、ここで床屋のおじさんに全てを任せ、「兄チャン、どうして入院したんだい」などと聞かれながら角刈りになって帰ってくるのも一興だ。
僕は思い切って床屋の敷居をまたいだ。

スタッフは2人組の女性

床屋にいたのはイメージに反して、2人のやさしそうな女性スタッフだった。室内も明るくて想像とちょっと違う。
ていうかよく考えれば女性の患者さんも多いのだし、下町のおっちゃんがいるわけがない。

基本的にはお任せで、短すぎても大丈夫です。それだけを伝えて、あとは理容師のおばちゃんに任せ、切ってもらいながら聞いてみる。

――この床屋さんって、あれですか、患者さん以外も来るんですか
「そうねえ、医者の先生なんかも来たりしますよ。趣味の話をゆっくりしていく先生なんかもいて……」

――ていうことは、入院していない普通の人も来ていいんですか
「そうですねぇ、うちは別に病院外から来てもらっても大丈夫よ」
入院していなくても
切りに行ってOK
なんと。病院の床屋はべつに病院に関係のない人が行ってもよかったらしい。

「一番近かった」ぐらいの理由でも来てもよかったのだ。(ダメな病院もあるかもしれないが)

美容室っぽいハサミ

おばちゃんのハサミ使いは、床屋というより美容室に近い。短くしていい、って言ったのに、思い切って切らず、すきバサミで丁寧にゆっくりボリュームを減らしていく。
さすが女性の仕事だ……。
あれ、なんかカッパ的な?
あれ、なんかカッパ的な?
と思っていたら、おばちゃんは思い切って側頭部へ大胆にハサミを入れた。
そこは「切るとカッパみたいになるから」と幾多の美容師さんが切らなかった聖域だ。
手のひらに汗がにじみ、にわかに心拍数が上がる。
手術中の心拍モニターが付いていたら、間違いなく「ピーー!」と鳴っていたと思う。

想定外に繁盛している

ここまでカットが進んだあたりで別の女性客がひとり来店して隣の席に座って切りはじめ、さらにもう一人来店して、「いっぱいだから」と断られていた。

――けっこうお客さん来ますね。

「そうですねえ、さっきは空いてたけど午前中は予約でいっぱいだったし、かなりお客さんは来ますねえ」

入院中はみんな娯楽に飢えている。
売店を巡り、図書コーナーを巡り、喫茶店を巡り、誰もがたどり着くのがこの床屋なのだろう。
僕が足を向けたのも必然と言えるかもしれない。
シャンプーおわり。カッパになるのか、ならないのか。
シャンプーおわり。カッパになるのか、ならないのか。
そしてやはり病院の床屋と言えばこれかな、ということも聞いてみた。

――病室に切りに行く、ってこともやるんですか?
「ええ、ありますが、最近はずいぶん減りましたよ。国の方針で、入院期間はできるだけ短くさせる対応が進んでいるみたいなんですよね」

思わず社会問題的な話が聞けた。
もう少し詳しく聞きたかったが、今はインタビューではなくただの客なので、やめておく。
おとなしく鏡と向き合うことに集中した。

そして至福の顔ぞりへ

おばちゃんがシャボンの泡立て器とカミソリを取りだしてきた。
そうだここは美容室ではない。床屋なのだ。
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なつかしい。カミソリで顔を当てるなんて10年ぶりだ。
おばちゃんがタカ、タカ、タカ、とブラシで泡を立て、生温かい泡を顔に塗っていく。
ほほ、鼻すじ、眉の間。
こそばゆいブラシの感覚が駆け抜け、生ぬるさに包まれたあと、ざわめくような剃り音を立ててカミソリが肌をなぞる。気持ちいい。
手首・足首に点滴などの管があれこれ刺さっていることが意識から遠のいていく……。
眉毛までびっちり
眉毛までびっちり
至福の時間はあっというまに過ぎ去ってゆき、僕の頭部はお肌も含めてシャリシャリに仕上がった。

髪型は無事にカッパになることもなく自然に仕上がり、むしろ自然すぎて看護師さんは誰も髪を切ったことに気付かなかった。
僕の入院はこのあと1週間続き、梅雨の足音が聞こえるころに許可が出て、ようやく自宅へ帰ることができた。

しばらく通おうと思います

おばちゃんの抜群の腕前により、メンズエステもかくやというリラクゼーションを院内で得ることができた。
かつては「必要性の産物」ぐらいに見ていた病院の床屋だが、今は180度違って見える。

またこの床屋は、床屋なのに火曜日に営業しているという稀有な存在でもある。
しばらくは病院で火曜日に月一回の検査・リハビリがあるのだが、もちろん合わせて髪も切るつもりだ。
もう一つの院内娯楽はタリーズのアイスだった。
もう一つの院内娯楽はタリーズのアイスだった。
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