特集 2017年10月2日
 

埼玉県出身の素潜り漁師に生き方と潜り方を聞いてきた

露天風呂で遊んでいる訳じゃないですよ。
露天風呂で遊んでいる訳じゃないですよ。
私は埼玉県出身だが、海で魚を捕る漁師になりたいと思ったことが何度かある。でも現実的に考えると、漁師よりもその辺の生き物を捕まえて食べたりするライターがいいかなーと考え、現在に至っている。

私と同じ埼玉県出身で、巡り巡って鳥取県大山町で素潜り漁師になった方がいるというので、その方の仕事場である海で潜り方のコツを聞きつつ、どうやって漁師になったのかという話を伺ってきた。
趣味は食材採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は製麺機を使った麺作りが趣味。

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埼玉県出身の漁師さんに会いに、鳥取県へとやってきた

友人のチャンキー松本さんというアーティスト(切り絵で似顔絵を作ったりする素敵な人)から、鳥取県大山町で素潜り漁師さんと日常をクロスさせながら作品を作るというアートプロジェクトの話を聞いた。

正直、なにをやろうとしているのかさっぱり理解できなかったのだが、なんだかやたらと楽しそうなので、一緒に鳥取まで行って、海に潜ったり、じっくりと話を伺ったりしてきた。
素潜り漁師の中村隆行さん。43歳で漁師歴は16年。
素潜り漁師の中村隆行さん。43歳で漁師歴は16年。
この記事では、埼玉で生まれ育ち、東京に就職し、紆余曲折を経て鳥取で素潜り漁の漁師となった中村隆行さんへのインタビューと、その前日に行われた素潜り体験の様子、そしてチャンキーさんの作品を同時に紹介していく。

以下、本文がインタビュー、写真が素潜り体験レポート。中村さんの過去と現在をパラレルに眺めてもらえればと思う。
中村さんと一緒にアートプロジェクトをおこなっているチャンキー松本さん。
中村さんと一緒にアートプロジェクトをおこなっているチャンキー松本さん。

最初は新宿中村屋で接客業をしていた

――中村さんは埼玉出身ということですが、鳥取で素潜り漁師になるまでの経緯を教えてください。

「まず埼玉県内の高校を卒業後、飲食の接客業がやりたくて、東京の新宿中村屋に就職しました」

――中村さんが中村屋って、親戚かなにかですか?

「よく聞かれますが違います。フロアスタッフやバーテンダーとして勤務してたのですが、3年目くらいからシフト管理など周りをまとめる立ち位置になると、だんだんと自分の数十年先の姿が見え始めてきたんです。それに違和感を感じるようになって、結局4年間勤務して、今までやったことのない仕事をやってみようと退職しました」

――社員として優秀だったからこそ、はっきりとした未来が見えて、それが退屈に映ったんですかね。
中村さんの職場である海で、一緒に素潜り体験をさせてもらった。
中村さんの職場である海で、一緒に素潜り体験をさせてもらった。
「周りの方には本当に良くしてもらっていて、先輩からは新宿中村屋に勤めているからこそ意見も言えるし、意見を聞いてくれる。辞めて外にでた瞬間、その意見は通らなくなるぞとも言われていて、実際に辞めてみて、それは痛い程感じました」

――あー。一種の転職あるあるですね。

「それで自分からなにも行動ができなくなり、実家に引きこもるようになったんです。でもこれじゃいけない。こんな自分を打破したいと、とりあえず伊豆の旅館で住み込みで働きました。フロント業務ではなく、布団の上げ下ろしとかの雑用係です。そこの休憩時間に、歩いて1分のところにあった海へと毎日入るようになりました」
「チャンキーさん、頭が長くないですか?」「髪の毛や」
「チャンキーさん、頭が長くないですか?」「髪の毛や」
――もともと海とか、泳ぐことが好きだったんですか?

「埼玉県民なので、海は18歳まで触れたことがなかったくらい縁遠い存在でした。泳ぎは小さい頃、母親から無理矢理スイミングスクールに入れられていたんですけど、イヤでイヤで。水着を水道で濡らして行ったふりをしたりしてね。プールの塩素の匂いがしないから、すぐばれるんですけど」

――じゃあ、伊豆にいた頃はそんなに泳げなかったんですか。

「水に対する恐怖もあったし、今の玉置さんよりも泳げなかったですよ。それでも、スイミングでは自由時間にプールの底に潜って、じっと這うようにしているのは好きだったかもしれない。今思えばですけどね」

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