特集 2017年11月13日
 

いま私たちがスイートポテトを食べる意義

現代を生きるわれわれはスイートポテトを食べる意味が、本当にないのか?

スイートポテトって、戦時中に芋ばっかり食べさせられてた人たちが芋はもう食べあきたけど、こういうお菓子なら買うぞみたいなことですかね(※ちなみに事実としてはスイートポテト自体は明治時代からあり、作られた理由については現在不明のようです)
うちの父親はそういう理由で芋的なものは食べないね。
芋を劣ったものとして考える部分はイメージとしてある。「イモっぽい」とか。
スイートポテトにすることで良い芋じゃなくても、くそまずい芋でも美味しく食べられる手段だったってことですよね。
くそまずい芋…!
くそまずい芋…!
基本的には「工夫」ですよね。
ごめん「くそまずい芋」がちょっとパワーワードすぎて。
でもさ、そういう意味ではいま芋自体が進化しすぎてるんじゃないかな。焼き芋がかつてなくうまくなってる。
焼き芋が進化して「良いもの」になった結果スイートポテトの良さが陰るようになってきたのか。
だからといって、現代を生きるわれわれはスイートポテトを食べる意味が、本当にないのか?
そう!そこだよね。現代を生きる我々がスイートポテトを食べる意味…それは…。
酸味…?
意外な「味」がきたね。
芋ってさわやかさからは遠いけど……でも酸味を足してさわやかにしたところで、はたしてそこに尊さってあるのかな?
酸味を足す理由としてはやっぱり芋くささからの脱却…なんですかね。
スタイリッシュ要素としての酸味か。
酸味足すとゴリラ感なくなるもんね。
そうか!ゴリラ感か!!こっち(焼き芋)にはゴリラ感ありますもんね!!
焼いただけの芋にある最大の弱点、それは「ゴリラ感」!
焼いただけの芋にある最大の弱点、それは「ゴリラ感」!
そうだよ! 焼き芋はゴリラのお食事感あるんだ…! ゴリラ感の有無だよ!
芋っぽさとはすなわちゴリラ感…!
芋っぽさとはすなわちゴリラ感…!
芋っぽさ=ゴリラ感!!
芋っぽさ=ゴリラ感!!
焼き芋が恥ずかしいっていう「体」ってありますよね、ドラえもんとかサザエさんとか、女性キャラが焼き芋を買うのを恥ずかしがるシーンってある。あれはゴリラ感と…あとはやっぱりおならのイメージなのかな、マンガの表現として。スイートポテトにはおならのイメージないですもんね。
こっち(焼き芋)にはある。
スイートポテトを食べる意義というのが少しずつ3人のなかで浮き出るようになってきた。
以降、まとめていこう。
2017年現在におけるスイートポテトの意義

・ゴリラの食事っぽさを消すことができる
・おならのイメージを消すことができる

スイートポテトは良い場所で売れる

洋菓子店のスイートポテトはケーキに並べるからけっこう高いんですよね。あ、これ400円だ。立派ですよ。芋なのに。
「シェ・リュイ」のスイートポテトは税込み399円。お店のたたずまいもすてきです
「シェ・リュイ」のスイートポテトは税込み399円。お店のたたずまいもすてきです
やっぱり一手間加えて洗練させてってことだよね。
ケーキ屋さんに芋そのまま並べといてもね…。
買ったところで、あのおたく、ゴリラのお客様でもいらっしゃるのかしら? ってなっちゃうからね…。
2017年現在におけるスイートポテトの意義

・芋なのに立派に洋菓子店に並べられる
・ゴリラのお客様を招くわけではないというアピール

我々はゴリラにも人にもなれる

そう思うと、なぜせっかく芋感をそぎおとして洗練させたスイートポテトがまた芋の皮をつけて売られているのかという問題があがりますよね、なぜゴリラ方向に戻ってこようとしているのか。
退化だよね…。
われわれは土から離れては生きられない、みたいなことですかね。
レゲエのスピリットだ。
芋との違いをはっきりさせないといけないとは思うんだよねスイートポテトは。
芋に歩み寄っちゃいけない。
芋が食べたいなら芋を買えばいいわけだからね。
それでもスピリットはレゲエなのでつい芋をリスペクトしてしまう。
焼き芋を愛する私たちはもはやゴリラでいいんですよね。
何を求められているのかって問題なのかな、そして私たちは何を求めているか。
ゴリラなのか、洗練なのか。
芋なのか、菓子なのか。
いや、芋菓子か、スイートポテトに求められるのは。わかんなくなってきたな。
でもなにしろ私たちは今やゴリラにも人にも自由になれるってことですかね。
2017年現在におけるスイートポテトの意義

・ゴリラと人間を自由に行き来するための選択肢のひとつとしての存在

スイートポテトの先にあるなにか

……!もしかして……さらにその向こう側になんかあるんじゃないですか?
芋があって、スイートポテトがあって、その先になにかが。
栗だったら栗があって、くりきんとんがあって、モンブランがある…!
進化系があるのか、なんだろうそれは。
芋のモンブランてたまにあるけどね…。
モンブランに芋が擬態するのは栗へのあこがれだから、芋の純粋な進化ではないよね。
モンブランみたいな、もっと独自なデコラティブな世界がスイートポテトの先にはあるのかな。
うーん……でもケーキにはなるまいみたいなのはちょっとあるんじゃないですかね…芋には。
芋はケーキの世界に出ていっちゃうとそこはもう栗のほうが分がいいから。芋のところに強くアイデンティティを持っておかないと。
芋にアイデンティティを置きつつスイートポテトの先って行けるのかな…。
あ! でもだからさっきのスイートポテトは洋菓子感を強めながら芋に足をくくりつけていたのか。

スイートポテトって芋との距離感がすごい難しい食べ物なんですね。

2017年現在におけるスイートポテトの意義

・スイートポテトのその先を見据えた過渡期としての存在
・ケーキにはなるまいという芋に残された意識
芋との距離感をどうとるか。スイートポテトのスタンスは商品ごとにも違い、我々芋ファンにいろいろな選択肢を提供しているということが分かってきた。

そしてここで芋とスイートポテトの関係性を語るうえで避けてはとおれない話題も出てきた。そう。芋羊羹である。

芋羊羹がサイコパス

芋の文化圏としては、唯一ゴリラっぽくないもの…なのかな…? スイートポテトは。
芋羊羹は? ゴリラ?
あ! そうか、芋羊羹があった! あれはゴリラではないですね。だってあの形!
形をソリッドにするという方向性の芋菓子
形をソリッドにするという方向性の芋菓子
芋羊羹は完全に未来食ですよね。
あんなエッジ立った食べ物ないよ。角が立ったうどんっていうけど、芋羊羹こそ角の立ちはすごい。
積み木ですよね。
サイコパスだよね。物として隙がない。箱にも隙間がない。
あんな未来みたいな形して賞味期限1日とか2日っていうのもすごい。おもいっきり有機物。
生命としての個性を完全に殺した上で、食べると味はすっごい芋じゃないですか。すごいですよね。
スイートポテトのなかでもらぽっぽのやつみたいにかっつり成形されてるソリッドなやつは概念として芋羊羹に近いですよね。形が芋に近い有機的なやつとはもうジャンルが違う感じがする。
芋からゴリラ性をぬいたときにあらわれる無機的な様相、その最たるところが芋羊羹なのだ。
それでは、芋はどこからゴリラではなくなるのか。芋のゴリラ性についてさらに理解を深めたい。

芋はゴリラ感が強いがそのままで超うまい

豚汁のさつまいもはゴリラですよね。
汁ですからね、ゴリラですよね。
芋の天ぷらとか?あれもゴリラだね。
天ぷらってけっこうしゅっとしたおしゃれな食べ物なのに芋の天ぷらだけはゴリラだね。
かぼちゃも若干…でも芋ほどじゃないね。
ざくっざくっざくっつって切ってバーって揚げただけのイメージだからですかね?
かぼちゃは二つの角度から切ってるじゃないですか。そこに知性を感じるんですけど、芋はほんと切っただけだから。
エビもむいただけなのにね。
エビは形がかっこいいからなあ。それにくらべて芋は…。
根っこだからね…。
どうしても「掘ってきました」って感じしちゃうんですよ。
でも掘ってきた中でもさつまいもは独自だよね。だってあとの芋はそんなださくない。
じゃがいももアイダホとか田舎のイメージはあるんだけど、さつまいもほどではないよ。
じゃがいもはポテトチップがおしゃれ。
ゴリラ感ないよね。
じゃかいもは北海道への圧倒的なあこがれがあるから。
そうか、しかし九州だってあこがれの地なのになんでさつまいもはゴリラなのか…。
持って「ヤーッ!」ってやったときに最高に頭が悪いよ、さつまいもは。
ヤーッ!
ヤーッ!
さつまいも持って「ヤーッ!」ってやる機会ありますかね?
ヤーッ!
ヤーッ!
さつまいもは大変においしい芋であり人気もあるはずなのだがどこか抜けたイメージがつきまとう。それが愛しさとも言える食材なのだ。

そしてスイートポテトは悩んでいる

ひとつ思ったんですけど、芋は焼いただけでおいしすぎるんじゃないですか。
食べ物としの完成度が高い。
じゃがバターはどうしてもバターが必要じゃないですか。
サツマイモは焼いただけで十分甘い。そこに対してどうするか、スイートポテトはいよいよ距離感みたいなもので相当悩んでいるはず。
そうだよね、で、いまさらにサツマイモ自体がどんどんおいしくなって近づいてきてるから。昔はスイートポテトにありがたみがあったのかもしれないけど。
昔はあっただろう「くそまずい芋」っていうのが今やないんだもんね。
でも、甘さ控えめみたいな風潮もあるから、スイートポテト側としてはがんがん甘くしていくわけにもいかないんだろうね。
板ばさみなんですね。焼き芋はどんどん甘くおいしくなっていくなる一方、スイートポテトは自然の味を大事に甘さ控えめでという圧もある。
そうかスイートポテトは悩んでいるのか……。
2017年現在におけるスイートポテトの意義

・それはスイートポテト自身もまた迷っているのだ

そして思う、スイートポテトは自由なのだと

最終的にスイートポテトの苦悩に思いをはせて終わったが、冷静になって考えてみれば、食べたスイートポテトはどれもおいしかった。

甘さを押さえ芋の味を活かし、上手に風味をつけてある。焼き芋とは違うお菓子としての良さが最大限に発揮されている。

焼き芋が甘くなり手軽に買えるようになっているのは事実だ。しかし焼き芋は常にゴリラ感と隣合わせである。

一方スイートポテトには自由がある。洗練の方向にもいけるし、ゴリラ感をあえて残しレゲエの世界に生きることもできる。

おそらく焼き芋はさらに進化する(ゴリラのままで)。スイートポテトはそれを横目に自由な姿で生きながらえるのかもしれない。

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