特集 2018年2月7日
 

かつて巣鴨に人形のための病院があった

壊れた人形を抱えた子どもたちが日本各地からやってくる人形病院の謎に迫った
壊れた人形を抱えた子どもたちが日本各地からやってくる人形病院の謎に迫った
「人形病院」という施設を聞いたことがあるだろうか。

文字通り、人形のための病院である。大切にしていた人形やおもちゃが壊れてしまった時、幼心に「怪我しちゃった!」と思った経験は誰にでもあるのではないだろうか。そんな時はだいたい親がどうにかこうにか直してくれたものだが、それを専門に直す、いや治してくれるのが人形病院というわけだ。要は人間の病院と大した違いはない。

そんな耳慣れない病院が、かつて巣鴨にあったのだ。
1992年東京生まれ。普段は商品についてくるオマケとかを考えている会社員。好きな食べ物はちくわです。最近子どもが生まれたので「人間ってすごい」と本気で感じています。

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怪我の人形を救う博愛の精神

きっかけはちょうど一年ほど前に見かけたこのツイートだ。気になって「人形病院」と調べてみるも、WEB上にはこのツイート以上の情報が何も出てこない。そうなると俄然詳細を知りたくなってくるというものだ。OK、グーグル!あとは俺に任せて!

改めてくだんのツイートに付いている画像を見てみると「帝国小学校」という単語があるのが分かる。これを調べてみるとどうやら西山哲治なる人物が人形病院を創ったらしい。しかしそれ以上のことが分からない。
というわけで国立国会図書館にきました
というわけで国立国会図書館にきました
国内のあらゆる出版物が揃う国立国会図書館であれば何か情報があるはずだ。というかここで何も見つけられなければ、残念ながらこの記事はここで終了なのであとは最近生まれた我が子の可愛さを2,000文字くらい語ることになる。

それはそれで悪くないなと思いつつ、「西山哲治」の名前で蔵書を検索するといくつかの著作が引っ掛かった。どの本も出版年が明治から大正にかけてとかなり古い。古すぎて本の状態での閲覧は不可で、画像データでしか見ることができないようだ。おかげで図書館に来たのにずっとパソコンの前に座っていた。家かよ。

なにはともあれ西山哲治自身の著作から人形病院のことが分かってきた。資料としては主に『赤ん坊展覧会 : 附・人形病院』/1913年出版、『私立帝国小学校経営廿五年』/1937年出版の2冊を参照した。

まずこの西山哲治という人物だが、彼は明治〜昭和初期にかけて活躍した教育家である。もともと小学校の教員として働いていたが、明治39年にニューヨークに渡り欧米の教育学に触れ帰国、大正元年には巣鴨に私立帝国小学校および幼稚園を創立し、同校の校長として欧米で学んだ教育を実践した。
人形を診察する西山哲治(『婦人世界 第8巻13号』/1913年発売より)
人形を診察する西山哲治(『婦人世界 第8巻13号』/1913年発売より)
西山が帝国小学校を創った大正期は「大正自由教育運動」と呼ばれるより子どもたちを自由に生き生きと教育していこうという運動が広まり、成城学園や成蹊学園、明星学園など今でも続く学校が生まれた時期でもある。いわゆる大正デモクラシーの教育版だ。

そして西山が欧米で見聞きし、日本で足りていないと感じたものの一つが、人形教育だった。彼は、子どもたちが一緒に遊ぶ人形に対してもっと大切に、より愛を持って接することで、自然と玩具を粗末にしない、他者に愛情を持って接する心が育まれるのだと考え、自身が校長を務める小学校の敷地内に世界で唯一の人形病院を創ったのであった。もちろん西山が校長と同時に院長も兼任した。これが人形病院のあらましだ。

この人形病院はその珍しさから世間でも話題になっていたようで、新聞や主婦向けの雑誌に多く取り上げられている。近郊からの訪問はもちろん、北海道や鹿児島、さらには朝鮮や台湾の子どもたちからも小包で怪我をした人形が送られてきていたようだ。
山手線からも帝国人形病院の看板が見えたらしい(『少女の友』/1917年発売より)
山手線からも帝国人形病院の看板が見えたらしい(『少女の友』/1917年発売より)
また、「人形を愛する心を育もう」というかなりハートフルな理由で創られた人形病院であったが、病院である以上、治療費はきっちり請求していたようである。ただかなり格安だったようで、そこを一つの売りにもしていた。
手術箇所と人形のサイズで価格が決まる。
手術箇所と人形のサイズで価格が決まる。
人形病院はあくまでも「人形を人間として診る」スタンスを徹底しており、『手足の離れたのや首のとれたのは外科、顔の汚くなったのは皮膚科、お腹を押してもオギャァオギャァとなかないのは、あまりにお乳を飲み過ぎてお腹を悪くしたのだからというので、内科とします』という記述もあった。内科の理由に至っては本人も「こじつけだ」と思いつつ考えていることが文章ににじみ出ているが、これも子どもの世界観を壊さないためである。
こちらは人形の病室(『婦人世界 第8巻13号』/1913年発売より)
こちらは人形の病室(『婦人世界 第8巻13号』/1913年発売より)
人形=人間である限り、もちろん救えない命も出てくる。不運にも子ども喧嘩に巻き込まれ大怪我をした人形は直すことができず、院長は『これはどうもお気の毒です。この人形はもう死んでいます。』と死亡宣告をすることもあったようだ。世界観を壊さないがためにケンシロウばりのハードボイルドな宣告となってしまっているがそれを言われた子どもたちは大丈夫だったのだろうか。

死んでしまった人形をそのまま放置するわけにもいかないので、帝国小学校の敷地内には人形塚も併設されていた。病院とお墓が並んでいるという(縁起的にはいささか問題があるが)ハイブリッドな環境がそこにはあったようだ。

人形病院はスーパーになっている

そんな人形病院だが現在はどうなっているのだろうか。

『私立帝国小学校経営廿五年』の中の「本校略沿革史」という章を読むと、1924年に西巣鴨町宮仲2609番地へ人形病院のあった私立帝国小学校および幼稚園が移転、新校舎設立とある。早速1924年頃の地図を調べると「東京府北豊島郡巣鴨町西巣鴨町全図 番地界入」が最も詳しいものであった。
赤枠で囲った部分に注目。
赤枠で囲った部分に注目。
本に記載のあった住所を手掛かりに地図を見ていくと、該当する住所の場所に「帝国小学校」の文字を発見することが出来た。住所もあっているので、ここで間違いないだろう。
先ほどの地図を拡大すると確かに帝国小学校の文字が見える。
先ほどの地図を拡大すると確かに帝国小学校の文字が見える。
次にこれが現在の地図のどこにあたるのかだが、それを探すには当時と現在で変わっていないものの位置から推測するのが一番はやい。当時と現在の地図を見比べると、まず鉄道のルートが完全に一致するのでこれをガイドにするともう大体どの辺りか分かってくる。
線路の位置と巣鴨小学校の位置を手掛かりに場所を探る。
線路の位置と巣鴨小学校の位置を手掛かりに場所を探る。
さらに帝国小学校の近くで共通点を探してみると、新旧どちらの地図にも「巣鴨小学校」の名前が確認できる。この巣鴨小学校は当時から場所を変えていないので、つまりはそのすぐ近くの帝国小学校の場所も導くことができる。

こうして特定した場所に実際に行ってみると、
ピーコックストア上池袋店になっていました!
ピーコックストア上池袋店になっていました!
現在その場所はスーパーとスポーツジムの複合施設になっていた。周辺も歩き回ってみたのだが、特に当時の名残や人形病院を感じさせるものには出会えなかった。

明確な閉校の年は分からなかったが、帝国小学校はおそらく大正の終わりか昭和の初期頃までに、西山哲治から別の人に校長の役職が引き継がれることなくその歴史を閉じてしまったようだ。同時に人形病院も姿を消してしまったので、それから90年以上も経過している現在、何の痕跡も残されていないのは当たり前なのかもしれない。

名残は全く残っていなくとも想いは馳せることができるので、ピーコックストアで一番人形っぽい商品を買ってみた。
「昔、ここで仲間たちが治療されていたんだ…!」
「昔、ここで仲間たちが治療されていたんだ…!」
すれ違う皆さんには不審な目で見られたが、かつてここに人形の病院があり、人形を大切にする優しい心が育まれていたことを私は忘れない。

人形の名前で一番人気なのは「花子さん」

人形病院に関する調査は以上だが、西山哲治の著書の中にあった人形に関するアンケートが面白かったので最後にいくつか紹介したい。アンケートは帝国小学校の女子生徒30名に質問したものだ。

また今回、当時の人形について知見を深めるため、横浜にある「横浜人形の家」という人形の博物館にも足を運んだ。本に載っているアンケートだけでは退屈な画像が続くため、横浜人形の家に展示されている当時の人形の画像も一緒にどうぞ。

まず、人形の素材について。
土で作られたものという回答がほとんどを占める
土で作られたものという回答がほとんどを占める

土製ということで、当時の人形はおそらく日本人形であれば市松人形、西洋人形であればビスクドールと呼ばれる種類が主流であったと思われる。
一般的な市松人形。夜中に目があったらチビる怖さだ。
一般的な市松人形。夜中に目があったらチビる怖さだ。
次に人形の名前だ。
人形の名前は「花子さん」が10名と圧倒的に多く、きよ子・君子・綾子・百合子・ふみ子と純和風な名前が続く。
人形の名前は「花子さん」が10名と圧倒的に多く、きよ子・君子・綾子・百合子・ふみ子と純和風な名前が続く。
全ての名前に「子」がついているあたりが時代を感じさせる。それとなぜ花子だけさん付けなのだろう。先輩の設定なのか。
こちらは2度焼きして作るビスクドール。こっちも日本人形とは違う怖さがある。
こちらは2度焼きして作るビスクドール。こっちも日本人形とは違う怖さがある。
そして人形との関係性に話題は移る。
「西洋人形にはパンをあげる」と回答した3人は設定にうるさいのだろう。大きくなったら鍋奉行になるタイプだ。
「西洋人形にはパンをあげる」と回答した3人は設定にうるさいのだろう。大きくなったら鍋奉行になるタイプだ。
「首がとびます」からの「頭の毛が抜けます」、リストラされたサラリーマン感がすごい。
「首がとびます」からの「頭の毛が抜けます」、リストラされたサラリーマン感がすごい。
関西ではまんまるな目が、関東では切れ長の目が好まれたらしい。この人形は関西ウケが良い子。
関西ではまんまるな目が、関東では切れ長の目が好まれたらしい。この人形は関西ウケが良い子。
さらに段々と哲学的な質問に。
院長が必死で人形には命がある設定を守っているのに「生きていません」と答える生徒の無慈悲さよ。
院長が必死で人形には命がある設定を守っているのに「生きていません」と答える生徒の無慈悲さよ。
「死にません」と「死にます」のどちらが現実的なのか、考えれば考えるほど分からなくなる。ああ、これは哲学だ。
「死にません」と「死にます」のどちらが現実的なのか、考えれば考えるほど分からなくなる。ああ、これは哲学だ。
最後に哲学とかどうでもよくなる顔の人形で頭をリセットしましょう。
最後に哲学とかどうでもよくなる顔の人形で頭をリセットしましょう。
これらのアンケートからも西山哲治がいかに人形を使った教育に熱心だったかが分かる。人形病院は西山哲治という男の情熱と理念の集大成だったのだ。

ピーコックストア上池袋店の場所がかつて小学校で、そこに人形のための病院があったことを知っている人はきっと1,000人に1人もいないだろう。それを知って何のためになるのかと言われると、確かに何かに役立つことはないかもしれない。しかしそういう知識があるかないかで人生の楽しさが変わってくるはずだ。これからもどんどんご近所に眠る歴史の地層を発掘していきたい。
横浜人形の家にはこけしも並んでいた。そういえばこけしも人形だったな。
横浜人形の家にはこけしも並んでいた。そういえばこけしも人形だったな。
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