特集 2018年3月13日

人形の町で雛人形がブンブン回る

一体どういうことなんだろう。狂乱のパーティーが繰り広げられている
一体どういうことなんだろう。狂乱のパーティーが繰り広げられている
使い終わった雛人形のリサイクルで雛飾り以外の展示をする福よせ雛というムーブメントがあるそうだ。ここ愛知県にある人形の町吉浜でも福よせ雛の展示が行われた。

もちろんインターネットメディアであるデイリーポータルZ読者の方は新しいiPhoneの噂の方が興味があるかもしれない。

しかし吉浜では雛人形がブンブンと回っていたのだ。これだけ情報が行き届き、均質化していく現代日本でもまだおかしなことが起こっている。私達はまずそれを伝えなければならない。新しいiPhoneの噂はページの最後にて!
動画を作ったり明日のアーというコントの舞台をしたりもします。プープーテレビにも登場。2006年より参加。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

これが人形の町吉浜の雛めぐり。「ことしも面白いらしい」漠然としたいいコピーだ
これが人形の町吉浜の雛めぐり。「ことしも面白いらしい」漠然としたいいコピーだ

人形の町、吉浜

かつてカーネーションで作られた柳生十兵衛の菊人形を取材したことがある。

作ったおじいさんは愛知県の吉浜で人形の修行をしたのだと言っていた。もともと細工人形作りが盛んで、菊人形では日本一の町だという。

いわば日本人形のメッカ。いずれ行ってみたいものだと思っていたが吉浜駅を降り立つとそこには人形小路という人形観光ルートがあるのみだった。人形しかない町だ。これだ、聖地。

『なぜ鳥居さん(86)はカーネーションで柳生十兵衛を作ったのか』
駅前のギフトショップではベンチに雛人形が置かれていた。ここではカーネルサンダースやマクドナルドのドナルドと同じ扱いなのかもしれない
駅前のギフトショップではベンチに雛人形が置かれていた。ここではカーネルサンダースやマクドナルドのドナルドと同じ扱いなのかもしれない
郵便局にも雛人形が展示されている。びっしりとはりめぐらされた雛人形は魔除けやグリーンカーテンといったものを想起させる
郵便局にも雛人形が展示されている。びっしりとはりめぐらされた雛人形は魔除けやグリーンカーテンといったものを想起させる
町の電気屋にも雛人形が飾ってある。
町の電気屋にも雛人形が飾ってある。
一番館。九番館まである。中は人形が展示されている。奥はこの町最大のビル、人形の吉浜。犯罪小説を書くならここに町の首領がいる設定だろう
一番館。九番館まである。中は人形が展示されている。奥はこの町最大のビル、人形の吉浜。犯罪小説を書くならここに町の首領がいる設定だろう
もうひとつの名物、鬼瓦。小学生が作った鬼瓦。なんて渋い町なんだ……
もうひとつの名物、鬼瓦。小学生が作った鬼瓦。なんて渋い町なんだ……
そして小学校低学年が書いた菊人形俳句がびっしり。これは勝てない! サッカー王国ブラジルがペレを生んだように、菊人形王国吉浜では英才教育が行われている!
そして小学校低学年が書いた菊人形俳句がびっしり。これは勝てない! サッカー王国ブラジルがペレを生んだように、菊人形王国吉浜では英才教育が行われている!
唐突に飾られている雛人形。このあたりで見すぎて雛人形の価値が下落していることに気づく
唐突に飾られている雛人形。このあたりで見すぎて雛人形の価値が下落していることに気づく

硬派な旅

風がよく吹いていたので人形小路壱番館の前にかざられた雛人形がよく動いている。寂しさがすごい。

平日の昼に来たので壱番館から八番館までどの館にも人がいなかった。ここに東京からわざわざ来る人はいないのだろう。せめて丁寧にお伝えしなければならないと気を引き締めた。

中に入ると真田丸の吉浜細工人形の展示である。菊人形から菊を抜いたようなものだ。

そうかこれを見るんだ。菊人形を取材したとき、花のきれいさと歴史の名場面のプレミアム感を混同した楽しみ方なのかなと一応の納得をして帰った。今回はそこから花を抜くのである。

なんてこった。そりゃもう歴史人形でしかない。なんでこんな天ぷらを塩で食べるようなことをしてるのであろう。なんて硬派な展示物だ。

それぞれに笑顔をうかべた真田軍団を見てこれはすごいぞと思った。おばあちゃんたちは菊人形の菊の方を楽しんでるのだと思っていた。だとしたらこれはどの層が喜んでいるのだろうか。
中に入ると真田丸の展示があった。デジタルでものづくりをする時代に完全アナログでやるためこういう味わいが出てしまう
中に入ると真田丸の展示があった。デジタルでものづくりをする時代に完全アナログでやるためこういう味わいが出てしまう
奥には赤備えの鎧がかざられているのだなと思ってよく見たら
奥には赤備えの鎧がかざられているのだなと思ってよく見たら
赤備えの真っ赤なお面でなく、真っ赤な顔面であった。なんてこった。これでは赤い人だ!
赤備えの真っ赤なお面でなく、真っ赤な顔面であった。なんてこった。これでは赤い人だ!

名古屋発の雛人形文化、福よせ雛

つづいて壱番館にあるもう一つの展示が福よせ雛である。

この福よせ雛というのは捨てられていく雛人形を展示しようという名古屋市の主婦たちが始めたプロジェクトらしい。それに賛同した町がいくつかあり、あちこちで行われている。

コンセプトとしては役目を終えた雛人形たちが自由な第二の人生を送る、というものらしい。一体どういうことなのだろう。

こちらをご覧いただきたい。たとえばそれは雛人形で遊園地の展示を作るようなものであるようだ。
そしてこれが福よせ雛。なんだこれは…雛人形たちが雛飾りをやめて遊園地に行っている!
そしてこれが福よせ雛。なんだこれは…雛人形たちが雛飾りをやめて遊園地に行っている!
雛人形の二次創作といってもいいのだろうか。キャラクターを借りた新たな設定である
雛人形の二次創作といってもいいのだろうか。キャラクターを借りた新たな設定である
メリーゴーランド。本当はこう使いたかったのだという人形の声が聞こえるようだ。
メリーゴーランド。本当はこう使いたかったのだという人形の声が聞こえるようだ。
スイッチを押すと動くそうだ。そんなことしていいのだろうか
スイッチを押すと動くそうだ。そんなことしていいのだろうか
ブンブンに雛人形がブン回った。どういうことなんだろう…
ブンブンに雛人形がブン回った。どういうことなんだろう…
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人は人形を回す。ミニ四駆のモーターなどを使って

ウッと息を飲む。雛人形が遊園地にみっしりといる。派手にやりやがったな!という思いだ。雛飾りというのは形の決まった行事であるが、フリーダム爆発させてきた。ニューオーリンズでジャズが生まれたときもこんな感じだったのではないか。

スイッチがあったので押してみるとメリーゴーランドやブランコが回転しはじめた。これはえらいことになってきた。

そういえば自分もミニ四駆のモーターを使って雛人形の首をまわしていた。まさか人生で二回も雛人形が回る記事を書くとは。あれもかっぱ橋道具街で売られていた使い古しの雛人形を使っていたのだ。

人は何かに疲れてくると、使い古しの雛人形をブンブン回すものだ。それは自分の退職後の第二の人生を雛人形に投影したおじいちゃんおばあちゃんも同じなのではないか。

わかる。わかるよ、おれは。この遠い愛知県の地で人形を回されたあとに得られた感覚はまさかの共感であった。
かつて雛人形を回したことがあった。シンパシーを感じる
視点を人形側に落とすと悪夢的な状況である。全編通してどのファン層を刺激しているのかというのは謎が残る
視点を人形側に落とすと悪夢的な状況である。全編通してどのファン層を刺激しているのかというのは謎が残る
人形小路二番館。これが9番まであるのか……なんて街だ
人形小路二番館。これが9番まであるのか……なんて街だ
ゴジラ対ウルトラマンの展示である。二つめでまさかの特撮ものとは…
ゴジラ対ウルトラマンの展示である。二つめでまさかの特撮ものとは…
「果たして勝敗はウルトラマンは無事だったか」というが、ウルトラマンとゴジラが戦うことはなさそうだ。製作会社がちがう。
「果たして勝敗はウルトラマンは無事だったか」というが、ウルトラマンとゴジラが戦うことはなさそうだ。製作会社がちがう。
ウルトラマンがブツブツのゴジラ的な表面をしている。これは吉浜の細工人形が貝などを貼り付けて細工していたことに由来してるのだろう。しかしキャラクターを大きく変えてしまった
ウルトラマンがブツブツのゴジラ的な表面をしている。これは吉浜の細工人形が貝などを貼り付けて細工していたことに由来してるのだろう。しかしキャラクターを大きく変えてしまった
ソフトビニールの人形がレトロな造型の玩具として人気を博すが、こちらはバリバリの現行である。おじいちゃんおばあちゃんあたりが作ってると思われる
ソフトビニールの人形がレトロな造型の玩具として人気を博すが、こちらはバリバリの現行である。おじいちゃんおばあちゃんあたりが作ってると思われる
こちらは子供菊人形制作工房。人形の館が「1~9」まであるのに対しここは「B」アルファベットまであるのか…
こちらは子供菊人形制作工房。人形の館が「1~9」まであるのに対しここは「B」アルファベットまであるのか…
吉浜の小学生は菊人形作ってるようだ。これはものすごい英才教育だ
吉浜の小学生は菊人形作ってるようだ。これはものすごい英才教育だ
ここで展示されているのは冬季オリンピックの福よせ雛。また派手にやりやがったなという思いだ。やってることとしてはかかしコンテストに近いのかもしれない
ここで展示されているのは冬季オリンピックの福よせ雛。また派手にやりやがったなという思いだ。やってることとしてはかかしコンテストに近いのかもしれない
しかし使うのは雛人形という縛りがあるためどうしても(なんだこれは!)という感覚がある
しかし使うのは雛人形という縛りがあるためどうしても(なんだこれは!)という感覚がある
来たな、これは。金メダルだろう。間違いない。(適当)
来たな、これは。金メダルだろう。間違いない。(適当)
しばらくこの写真を眺めていると心がもやもやするのでコーラを飲んでスカッとしたくなる
しばらくこの写真を眺めていると心がもやもやするのでコーラを飲んでスカッとしたくなる
おばちゃんたちの手芸力が発揮された防寒具など。AIに仕事を奪われた私達がやることはこういう市井のクリエイティブだという気がしてならない
おばちゃんたちの手芸力が発揮された防寒具など。AIに仕事を奪われた私達がやることはこういう市井のクリエイティブだという気がしてならない
貝をはりつけて細工をするのが細工人形だそうだ。いびつながらかわいい
貝をはりつけて細工をするのが細工人形だそうだ。いびつながらかわいい

観光スポット人形小路にB級グルメとりめし

ここ吉浜自体はけっして大きくない町だが、ここにも近年B級グルメとしてアピールするような名物"とりめし"というものがあるようだ。

元々養鶏が盛んだったので鶏を使った料理だという。人形を見てB級グルメを食べて、規模は小さいが観光ルートがここに存在する。

今回は魚松というお店でとりめしを買った。持ち帰りで410円。外で食べてみたら帰りにもう一個買って帰るほどうまかった。
魚松さんでとりめしを買う。雛人形を飾り付けるのはここにお嫁に来たときからやっているという。
魚松さんでとりめしを買う。雛人形を飾り付けるのはここにお嫁に来たときからやっているという。
魚松のとりめし。とりめしの案内サイトによると魚松は地元の味だというが…
魚松のとりめし。とりめしの案内サイトによると魚松は地元の味だというが…
この肉とめし感がすごい。野菜はごぼう2切れのみ。油揚げも肉と甘辛く炊かれているようだが、ほぼ鶏肉とめし
この肉とめし感がすごい。野菜はごぼう2切れのみ。油揚げも肉と甘辛く炊かれているようだが、ほぼ鶏肉とめし
永遠に肉とめし。この充実感といったらないな
永遠に肉とめし。この充実感といったらないな

とりめしの「肉とめし」感すごい

このとりめし、甘辛く炊かれた肉とめしなのだ。すき焼きから肉じゃがへと受け継がれていく和食の肉料理のど定番、あの甘辛味の肉である。

使ってるのは鶏肉であるはずなのだが、あまりのおなじみの味つけに何度も牛肉かと思った。とにかく舌に馴染んでいる。なんの奇抜さもないが、ただひたすらにあの肉とめしなのである。

ファミコンのゲームで主人公の好物を「にくとめし」と設定する。そうすると毎回うまそうになって良いというのをマンガで見たことがある。あれがそのままとりめしにも当てはまる。

旅先で人形見てわっせわっせと肉とめしをかっこむのである。人形だけを見たり純粋な肉とめしを食べたり、よけいな部分を削ぎ落とした根幹の部分だけの旅である。
無我夢中を表現した一枚。だいたいこんな感じである
無我夢中を表現した一枚。だいたいこんな感じである
強風が吹く中、肉と飯をかっこむ。観光客はいない
強風が吹く中、肉と飯をかっこむ。観光客はいない

とりめしは炊き込みご飯パターンもある

このとりめしあんまりにも気に入ったものだから他のも買ってみたくなり別の店でも買った。

しかしどうやらそちらは鶏肉を使った炊き込みご飯というべきものであり、栄養バランスとしては優れているが肉とめし感は少なかった。こういうものだという形は統一されてないようだ。

その後も人形細工と雛人形を見る旅がつづく。
大河ドラマで有名な二人。決して似てないが、似てたとしてどうなんだと私達に問いかけてくるような気がしてならない。そうだ、似なくていい。オリジナルでいい。
大河ドラマで有名な二人。決して似てないが、似てたとしてどうなんだと私達に問いかけてくるような気がしてならない。そうだ、似なくていい。オリジナルでいい。
細工人形でモリゾウとキッコロ。毎年何かが作られてるのがすごい。現行の文化なのだ
細工人形でモリゾウとキッコロ。毎年何かが作られてるのがすごい。現行の文化なのだ
唐突に倉庫があるのだがこれも人形小路6番館である
唐突に倉庫があるのだがこれも人形小路6番館である
こちら名古屋コーチンの吉浜細工人形。愛知県ファン失禁もののコラボである
こちら名古屋コーチンの吉浜細工人形。愛知県ファン失禁もののコラボである
いつかこの人形を思い出して泣いてしまうかもしれない(いつ人)
いつかこの人形を思い出して泣いてしまうかもしれない(いつ人)

吉浜の人形は大正から昭和初期

その後も寺や倉庫などで人形の展示がつづく。吉浜の細工人形の歴史について書かれた文章を読んでいた。

1875年に加藤佐七というおじいさんがこの場所で珍しい人形を作ったのが細工人形の始まり。

その後明治期に入り菊人形ブーム。吉浜で人形を作ってた人が各地で菊師として活躍。吉浜でも大正から昭和初期にかけてお寺の御開帳という形で展示していた。

つまりこれは大正くらいに盛り上がった人形なのだ。これが現代に残っている。VRでポルノを見てる時代に貝殻で細工をしたウルトラマンである。違和感をかんじるのも仕方ないが、ここにはそれが残っているのである。
最終地点は「雛たちの鬼づくり講座」である。一見わけがわからないが、よく考えてもわけがわからない。つまりこの中には最高が待っている
最終地点は「雛たちの鬼づくり講座」である。一見わけがわからないが、よく考えてもわけがわからない。つまりこの中には最高が待っている

最後は鬼瓦を作る雛人形で大団円

最終地点の展示はたくさんの雛人形たちが鬼瓦を作る「雛たちの鬼づくり講座」であった。一見かわいらしいが、やってることは怖そうだ。椎名林檎のアルバムタイトルのようなものなのかもしれない。

そうして入ってみると、中央に恐ろしい鬼瓦が鎮座した雛人形の鬼づくり講座がそこにはあった。

この場所ではなにかのタガが外れている。雛人形と鬼瓦、ふたつの名物が結びついた瞬間に強力な魔力をもったなにかを召喚してしまったのではないか。

菊人形、雛人形と来て鬼瓦。どこまでもなやつだぜ、ととりあえずは一回舌をペロリとしておこう。
雛たちの鬼づくり講座……どういうことなんだこれは
雛たちの鬼づくり講座……どういうことなんだこれは
雛たちが鬼瓦を作っている
雛たちが鬼瓦を作っている
各テーブルで鬼瓦をワイワイ作っている
各テーブルで鬼瓦をワイワイ作っている
鬼瓦をパブリックビューイングしながら鬼瓦を作る雛人形たち。どういう世界観なんだ
鬼瓦をパブリックビューイングしながら鬼瓦を作る雛人形たち。どういう世界観なんだ
これが雛たちの鬼づくり講座か……まったくえらいことになってきたぜ
これが雛たちの鬼づくり講座か……まったくえらいことになってきたぜ

そうして人形小路二番館でカップルが抱き合っていた

帰り道、人形小路の二番館の前のベンチで高校生のカップルが抱き合っていた。

数年前までこの二人は人形小路B館である子供菊人形制作工房で菊人形を作っていたのだろう。他の子どもたちと同じように、菊人形に関する俳句をひねりだしては壱番館に飾られていたことだろう。そして今はゴジラとウルトラマンが展示されている二番館の前で二人は抱き合っている。

この町の中心にあるのは人形の吉浜という大きなビルである。他にはビルらしきものはない。中をのぞくと「五月人形をお探しですか」と声をかけられた。前の駐車場に車が止まってお腹の大きな奥さんと若い旦那さんが降りてきた。彼らは五月人形をお探しなんだろう。人形細工は大正期のお楽しみであったが、今でも人形を作って売るという商売がしっかり残っている。

どこの町にも歴史があって事情があってリアルがあるのだなと思う。この町で生まれたなら二番館の前のベンチでの初恋を願ったことだろう。決して雛たちの鬼づくり講座の前ではない。あそこは目の前にあるとりめし人形に見られている気がして恥ずかしいのだ。

こうしたささやかな旅を今後もしていきたい。そして新しいiPhoneはそろそろ出ると思う。
この街にこれ以上高い建物はない。人形の吉浜である
この街にこれ以上高い建物はない。人形の吉浜である
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