とくべつ企画「あなたの知らない世界」 2018年3月25日
 

ブラック企業で「赤毛連盟」みたいなことになったあとすぐやめたはなし

18年前に2週間でやめた会社を見た瞬間のアゴ
18年前に2週間でやめた会社を見た瞬間のアゴ
ブラック企業という言葉が、反社会勢力的な意味合いではなくコンプライアンスがやばい会社に使われるようになったのはいつごろからだろう。

よく耳にするようになってひさしく、渦中にいたらさぞしんどかろう…といつも思っていた。

ある日はっとした。そういえば、私が18年前にほんの少し勤めたあの会社…。あれも、もしかしてブラック企業だったんじゃないか!?

そうだ思い出した、そんな会社でわたし、なんか「赤毛連盟」みたいなことになってたんだ!


※この記事はとくべつ企画「あなたの知らない世界」のうちの1本です。
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。Web制作をしたり小さなバーで主に生ビールを出したりしていたが、流れ流れてデイリーポータルZの編集部員に。趣味はEDMとFX。

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> 個人サイト まばたきをする体 Twitter @eatmorecakes

いつ帰れるかわからず休日も前日までわからない

当時私は短大卒業してすぐの20歳、学校を卒業したが就職はせず祖父母宅に居候しながら、無職がひまだということに気づき驚いていた。

それでなにも考えず、未経験でもフルタイムで働かせてくれるところをと情報誌で探してある会社に入った。履歴書を持って面接にいったら「元気いいし明日から来て」といわれた。

入社前の説明では

・週休1日〜2日のシフト勤務
・定時は8:30〜18:00

ということだったのだが入ってみたら言ってることは間違っていないものの、

・週休1〜2日だがシフトが出るのが前日
・勤務時間は8:30〜終わるまで(残業があって長い)

という、これはやられましたな…的な内容であった。

日々何時に帰れるかわからず、前日まで休日が不明という会社だった。
これを機会に18年ぶりにその会社へ行ってみた。びびってめちゃめちゃにぼやかしました
これを機会に18年ぶりにその会社へ行ってみた。びびってめちゃめちゃにぼやかしました

2週間でやめたら3万円くれた

私は2週間で音をあげた。

いや、音を上げるまで根をつめなかった。

休みの日がいつになるか分からない人生っていやだな〜、くらいの甘く軽い気持ちで辞めたのだった。

タイトルにブラック企業という言葉が入っているだけに大変な目、嫌な目にあったのだろうと読んでくださっている方には肩すかしかもしれない。すみません。

記事はここから先もなにかものすごくひどい目にあった話は出てこない。

やばい会社にぼんやりしたやつが入って速攻やめたエピソードである。
会社のとなりにあった公園は現存していたが遊具が新しくなっていた
会社のとなりにあった公園は現存していたが遊具が新しくなっていた
ちかくにあっていつも行列していたイタリアンのレストラン、その後ものすごく有名になってテレビなどに取材されまくっていたがここも現存
ちかくにあっていつも行列していたイタリアンのレストラン、その後ものすごく有名になってテレビなどに取材されまくっていたがここも現存
2週間通って、やめたときにもらった給料は3万円だった。

6連勤した覚えがあるのでおそらく10日間以上は働いたはずだ。新人で使えないやつとはいえ日給3000円以下である。

8時半出勤で終わるのはおおむね22時前後だったので時給にするとアルバイトとしての最低賃金のメーターはぶっちぎっているのだが、そもそもこの会社、入社時の条件がこうだったのだ。

・入社から1か月間はアルバイト勤務
・期間内は日給5000円固定で残業代なし
・1か月間勤務しない場合は無給

2週間で辞めた私は本来は無給というルールだ。

辞めたいと伝えたとき、1か月働いていないので給料は払わない、うちの会社には弁護士がいるから法廷で争うなどということは考えないほうがいいとおどかされたが、なんだかんだで後日少しだが出すから取りにおいでといわれて茶封筒に入った3万円を受け取った。

優しいのか怖いのかわからない。
社屋は移転していたがビルにはロゴが残っててうひゃーとなった(写真はそのときみあげた空)
社屋は移転していたがビルにはロゴが残っててうひゃーとなった(写真はそのときみあげた空)

大判の印画紙を自転車で配達するという仕事

さて、肝心の仕事がなになのかがだいぶ後回しになったが、会社は大判の印画紙の印刷所だった。

印画紙というのは写真を焼き付ける紙のことで、大きな写真を出力する仕事というイメージか。

会社は東京の繁華街の裏にあって、お客は近隣の広告制作会社が多かったように記憶している。

数名の社員が、電話をとった案件をオペレーションから配達まで担当するというシステムだ。

未経験の新人はとりあえず当分は配達だけをやることになっていた。地図を持たされ会社の自転車であちこちにでかい紙を届けるのが仕事だ。

のだが、私は数名いた新人のうち配達部隊からはずされひとり受付に配属された。ほかの新人が人当たりのいい男性やスポーツ経験のある女性だったので自転車での配達に一番向いていないと判断されたのだろう。

受付はデータを持ち込みするお客さんや印刷を待つお客さんの対応が仕事だった。

これがなんとひまだったのである。

受付にはほとんどお客が来ることはなかった。
移転先の営業所も行ってみた。絶賛営業中であった
移転先の営業所も行ってみた。絶賛営業中であった

赤毛連盟か

あまりにもひまで、私はこの間にPhotoshopとIllustratorの基礎の基礎を習得した。

どういうことか、ちょっと説明が長くなってしまうのだが、この会社は実質「課長」と呼ばれる社長の息子が取り仕切っていた。

ほとんど引退状態の社長が受付の采配をまかされており、私はこの社長に勤務中古いMacをいじることを許可してもらったのだ。

MacにはPhotoshopとIllustratorの4.0が入っていて、PCラックには分厚い教則本もあった。

8時半に出社すると帰って良しと言われるのはおおむね22時すぎだったので朝から晩までずっと教則本のあたまから書いてある通りにPhotoshopとIllustratorを練習したのだった。

ほとんど、シャーロック・ホームズの「赤毛連盟(※)」なのである。

※登場人物が雇われ先で百科事典を書き写すだけの仕事をするくだりがある。

めちゃめちゃに上達したわけではないが、時給250円くらいもらいながらずっとソフトの演習をしていたのだ。

おもわぬラッキーだが、当時の私としては微妙な思いをしていた覚えもある。

同期はあわただしく自転車で配達に回り、印画紙出力のオペレーションもすこしずつ教えてもらっているようだったのだ。これはまずい、完全に置いて行かれたと焦っていた。
初日に先輩と新人数名で昼ご飯に行ってナポリタンを食べた店は別の店になっていた
初日に先輩と新人数名で昼ご飯に行ってナポリタンを食べた店は別の店になっていた
メニューを書いたら店が特定できるくらい驚くほど独自なタイプの料理を食べさせる店になっていた「ラーメン団子」くらい変わったメニュー、なので写真は普通の喫茶店のナポリタンを載せておきます
メニューを書いたら店が特定できるくらい驚くほど独自なタイプの料理を食べさせる店になっていた「ラーメン団子」くらい変わったメニュー、なので写真は普通の喫茶店のナポリタンを載せておきます

残業代は長く勤めても結局出ない

アルバイト期間も終えぬ間に辞めた私だったが、もし1か月間勤めあげた場合その先はどうなるかというと、こんな感じだ。

・続いて3か月の社員試用期間に入る
・日給から月給にかわる(金額は忘れてしまった)
・定時は8:30〜18:00
・残業代は出ない

そして

・4か月以降は契約社員として残業代が出るようになる
・が、そうするとよほど仕事のできる人でない限り定時に帰されるようになる

結局残業代が出ないのがこの会社のからくりである。
載せる写真がないのでナポリタンを引きでもどうぞ
載せる写真がないのでナポリタンを引きでもどうぞ

みんないい人

求人は常に出していて、入退社の人の流れは速いようだった。

そんななかそこそこ長期間この会社で働いているっぽい先輩社員が男女あわせて5〜6人くらいいただろうか。

彼らは当時20歳の私には年上に見えたが、だいたい20代前半くらいだったんじゃないか。と思うとどっちみちあまり長く務めるような人は少なかったのかもしれない。
勤めていて嫌味な人やめんどくさい人はいなかった。

みんないい人だった。
昼どきに行ったので誰かが昼ご飯を食べに出てくるのではとびびったが、お互いに顔をまったく覚えていないやつだなこれ
昼どきに行ったので誰かが昼ご飯を食べに出てくるのではとびびったが、お互いに顔をまったく覚えていないやつだなこれ

若いころ仕事ナメてた人あるある

ブラック企業でやむを得ず働き続けなくちゃいけなかったり、精神的に逃げ出せない状態になってしんどい思いをしている、していた方というのはすごくたくさんいると思う。

いっぽう、ご紹介したようなわりとすぐ辞める人の多い通過タイプのブラック企業も、とくに20年くらい前でコンプライアンス意識もいまより薄かったころは多かった。これくらいの時期にぼんやりした頭で仕事を見つけた人にとってはあるあるのエピソードだったかもしれない。

そういえば、デイリーポータルZ編集部の橋田さんは以前電卓の飛び込み営業をしていたそうだ(橋田さんはハッキリした頭で仕事を選んでいたと思います!)。そっちの話もやばそうだ。
帰りにiPhoneにいかがだったか聞かれた
帰りにiPhoneにいかがだったか聞かれた

思い出はフィクションのようだ

先日、20年前につきあっていた人を新宿で見かけた。

あっと思ったあとどうしたかというと、柱にかくれて少し見た。

「動いてる…」「生きていたのか…」「う、動いてる…」

頭の中では彼の存在はフィクションのようになっていたのだ。現実に生きているという実感がなくなっていた。

ほんのすこし働いたこの会社もそうだ。移転済みとはいえ社名のロゴは残っていて、移転先の事務所は同じ名前で稼働していた。私が辞めたあとの18年もずっと営業し続けていた。

誰にとっても世界は自分を中心にまわるものだ。私の世界は私を中心に回りすぎていて見えなかったが、思い出のなかのそれぞれの人々の世界もその人を中心に回っているのだ。

今回はそれをしみじみ感じた。回ってんな〜! と思った。
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