特集 2018年9月12日
 

25年前に住んでいた家賃3万円の風呂なしアパート再訪記

家賃3万円の風呂なしアパート
家賃3万円の風呂なしアパート
岐阜県美濃市で高校までの18年間を過ごし、大学進学を機に長野県松本市に移住。1年留年したので、松本には5年間住んだ。

大学卒業後は就職先も決まらぬまま、消去法で上京。中央線の武蔵境(住所としては武蔵野市境)に新居を見つけた。東京に友達は一人もいない。

初めて交際した女性と同様、この街には様々な感慨がある。そんな23歳の頃の感慨をあらためて全身で浴びようという、ほとんどの人にとってはどうでもいい極私的な記事です。
ライター。たき火。俳句。酒。『酔って記憶をなくします』『ますます酔って記憶をなくします』発売中。デイリー道場担当です。押忍!

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風呂なし4畳半で、25年前の家賃は3万円

上京者が初めて住む街にはひとつの法則があると思う。それは、東京に乗り込むためのアクセス線上にある場所を選ぶというものだ。

松本だと中央本線から中央線を経て新宿に着く。その線上以外の地理はわからない。さらに、払えそうな家賃の物件ということで新宿から電車で20分ほどの武蔵境に落ち着いた。

曇り空の下、久しぶりに訪れた武蔵境はびっくりするほど変貌していた。
こんなお洒落な駅ビルではなかった
こんなお洒落な駅ビルではなかった
25年前は電車が地面を走っており、駅の両脇には「開かずの踏切」があった。しかし、2009年に高架化が完了し、南北の行き来がスムーズになる。
右が新宿方面、左が八王子方面
右が新宿方面、左が八王子方面
駅前の風景も一変していた。
ロイヤルホストができている…
ロイヤルホストができている…
何度往復したかわからない北口の象徴、「すきっぷ通り」は健在だった。
右大臣、左大臣といった風情の両コンビニはニューカマー
右大臣、左大臣といった風情の両コンビニはニューカマー
しかし、小さな個人商店が立ち並んでいた通りはチェーン店だらけだ。店のおばちゃんから「茄子のお兄ちゃん」と呼ばれるほど、茄子の天ぷらをよく買っていた八百屋を探すも見つからない。
確か、この辺だったはずだが
確か、この辺だったはずだが
商店街を抜けてさらに進むと大きなスーパーができていた。
多摩エリアを中心に展開するチェーンのようだ
多摩エリアを中心に展開するチェーンのようだ
2018年、茄子の天ぷらはここで買える。
茄子天はちくわ天より安いのか
茄子天はちくわ天より安いのか
心のつぶやきが5・7・5の俳句調になったところで、再び歩き出す。目指しているのは、当時住んでいた安アパート。
取り壊されていませんように…
取り壊されていませんように…
あった
あった
ネットで調べると、なんと1972年築。風呂なし4畳半で、25年前の家賃は3万円だった。しかし、現在は2万9000円に下がっている。さすがに、2018年の武蔵境で風呂なしは厳しいのか。

僕が借りたのは3階で、2階には田原さんという上品な老婦人が一人で住んでいた。挨拶を交わすうちに仲良くなり、日曜日になると部屋に招かれて夕食をご馳走になった。僕と田原さん、そしてフランス人形もリビングの椅子に座って食卓を見つめていた。

お元気だったら25年ぶりにご挨拶したい。そこへ、隣の家に住んでいるという女性が通りかかる。

「昔、ここに住んでいた者なんですが、田原さんというご婦人にすごくよくしてもらって」

「ああ、田原さんなら5年ぐらい前に亡くなったのよ。面倒見がいい方で、いろんな人を部屋に招いてご馳走していたみたい」
あの部屋でしょ? 伊勢丹に長くお勤めされた方でね
あの部屋でしょ? 伊勢丹に長くお勤めされた方でね
そうだ、アパレルのデザイナーだったという話を聞いた気がする。部屋にはトルソーもあった。当時から20年も生きたのだから大往生だろう。

そして、ご馳走していたのは僕だけじゃなかったことがわかり、少しショックだった。

週休3日で残りの時間は俳句を作るという人生プラン

23歳の僕は俳句に夢中で、週休3日ぐらいの仕事に就いて残りの時間はせっせと俳句を作る生活をしたいという、今の自分が聞いたら必死で止めるであろう人生プランを持っていた。
ボロボロになるまで読み込んだ歳時記
ボロボロになるまで読み込んだ歳時記
そこで選んだのが塾講師という仕事。多摩エリアにいくつかの教室を展開する中規模塾で、中学生相手に数学を教えていた。結果的には、この仕事が面白くなり(かつ、俳句に身が入らなくなり)、フルタイムで働くことにした。
今は40歳手前であろう加藤くんと百々くん
今は40歳手前であろう加藤くんと百々くん
試験日の早朝は勝手に教室を開けて補習などをしていたので、生徒の成績はぐんぐん上がった。塾講師としては4年間働き、その後、出版業界に転職する。
辞める時にもらった手紙や写真は大切に保存してある
辞める時にもらった手紙や写真は大切に保存してある
もっとも、今でも俳句は好きなので、コンビニでお茶を買う際は、つい「お〜いお茶」に手が伸びる。
老若男女の自信作をチェック
老若男女の自信作をチェック
懐かしい街を歩くうちに、あの頃のことを徐々に思い出してきた。部屋に風呂がないので、当然、銭湯に通うことになる。塾の仕事が終わって帰宅するのは0時前。駆け込みでお湯に浸かる日々だった。

ところが、閉店ギリギリの最寄りの銭湯に駆け込んた日のこと。番台のおばちゃんに「まだ大丈夫ですか?」と聞くと、「いいよ」と言われたので勇んで湯船に向かうも、浴槽のお湯を抜こうしているご主人が一言、「もう終わりだから」。

「おばちゃんが『いいよ』って言ってました」と抗議したが受け入れられず、軽い罵り合いになった。それを機に行きづらくなり、線路の向こう側の遠い銭湯に通う羽目になったんだ。
こちらが遠い方の銭湯「境南浴場」
こちらが遠い方の銭湯「境南浴場」
住んでいたアパートを過ぎると玉川上水に当たる。そこには、国木田独歩の文学碑が立っていた。この辺りの風景は変わらない。
石碑には代表作『武蔵野』の一節が刻まれている
石碑には代表作『武蔵野』の一節が刻まれている
独歩の名が付いた橋もあった
独歩の名が付いた橋もあった
境浄水場も以前のまま
境浄水場も以前のまま
余談だが、武蔵野市は水道事業を東京都水道局に委託せず、独自の市営水道を運営しているため、この浄水場の水が武蔵野市民に供給されることはない。

そういえば、田原さんは植物の鉢をたくさん育てており、肥料を買いに行くのに付き合ったこともある。「ありがとうね。これ、重いから私じゃ持てないのよ」と言っていた。
バスに乗って行った記憶があるから、ここじゃないな
バスに乗って行った記憶があるから、ここじゃないな
なお、武蔵境周辺には大学のキャンパスもいくつかある。
亜細亜大学もそのひとつ
亜細亜大学もそのひとつ

通っていた最寄りの銭湯は駐輪場になっていた

北口周辺をぐるりと回って南口に出た。こちら側はイトーヨーカドーが圧倒的な存在感を放っている。
1979年の西館に続き、2000年には東館もオープン
1979年の西館に続き、2000年には東館もオープン
そうこうするうちに日が沈む。晩ご飯を食べよう。店は決めている。当時住んでいたアパートのすぐ近くにあった「むさしや」という食堂だ。
雨も降ってきた
雨も降ってきた
先ほど歩いた道を再びたどる。
営業していた
営業していた
ママに事情を説明したところ、「あら、そうなの」と快く迎え入れてくれた。「チェーン店がずいぶん増えましたね」と水を向けると、「駅前の方は家賃が上がっちゃってね。魚屋さんも八百屋さんも、みーんなやめちゃった」とため息をつく。
オープンは1970年という老舗
オープンは1970年という老舗
静かに頷きながら、500円のラーメンを注文した。ラーメンを作っている間も、ママは「みーんなやめちゃった」と何度も言っていた。
ラーメン登場
ラーメン登場
感慨という出汁が効いているのか、これがやたらと美味しい。「ママ、めっちゃ美味しいよ」と言うと初めて笑ってくれた。
一人で取材に来ているため、自撮りはタイマーで
一人で取材に来ているため、自撮りはタイマーで
ラーメンを食べながら、ママの話を聞く。

「30年ぐらい前に主人が亡くなって以降は一人でやってるの。息子も継ぐ気はないらしいから、私の代でおしまいね」

この近くにあった銭湯のことを尋ねると、廃業して今は駐輪場になっているそうだ。「ごちそうさま。また来ますよ」と言って店を出た。
帰りに見に行ったら本当に駐輪場になっていた
帰りに見に行ったら本当に駐輪場になっていた
駅からは結構離れているが、遠方から自転車に乗ってくる人も多いのだろう。

仕事帰りに最寄駅の飲み屋に寄る人が少ない

さて、ラストは当時通っていた(今では考えられないが)唯一の飲み屋である。
北口からすぐの「穴熊」
北口からすぐの「穴熊」
店に入ると、マスターと常連客が談笑していた。
滋賀県出身のマスター
滋賀県出身のマスター
マスターに25年前の店名は尋ねると「ANANDAですね」。そうだ。店を引き継いで「穴熊」がオープンしたのは2003年。それでも15年だから、現在の武蔵境では古参の部類に入るのかもしれない。
まずはホッピーでひと息
まずはホッピーでひと息
「確かに、チェーン店だらけになっちゃいましたね。10年ぐらい前まではサンバカーニバルとかも盛り上がっていたんですが、チェーン店はそういうイベントに参加しないから、いろんなお祭りがなくなっちゃいました」

個人店の減少は家賃の高騰にも原因がある。マスターいわく、「駅前の地下1階の物件がなかなか埋まらなくて、家賃を聞いたら120万円だって。そりゃ、無理ですよ」。

お客さんも言う。

「仕事帰りに最寄駅の飲み屋に寄る人が少ないみたい。みんな小さい子どもがいる世代だから、まっすぐ家路につきたいんでしょう」
当時はこんな風景を見ながら一人で飲んでいた
当時はこんな風景を見ながら一人で飲んでいた
雨が止む気配はない。ホッピーの中をお代わりした。

今と比較してどちらが幸せかと問われてもわからない

食堂のママは23歳の時、仕事の関係で高田馬場に住んでいたという。「穴熊」のマスターは23歳の時、お隣の東小金井にある友人の社宅に居候していたそうだ。

23歳。思えば遠くに来たものだ。当時は鬱屈した日々を送っている気がしていたが、今と比較してどちらが幸せかと問われてもよくわからない。

いずれにせよ、「むさしや」と「穴熊」が残っているうちは、まだまだ感慨に浸る余地はある。曇りのち雨、武蔵境はそんな街でした。

成らぬ句の吹かれどころや秋の風 たきび
消防士のヘルメットに市章が描かれた武蔵野市の消火栓マンホール
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