私は女子小学生のころ、ぬいぐるみのようなものを、一切買わなかった。
ファンシー文房具がどんどこ売れ出した80年代、私はわざと可愛いものを避けていた。缶ペンケースも、黒くてシャープなデザインの、男子に人気だった「BOXY」を使用。
周りには「……なんかこいつ変」と思われていたんだと思う。やんわりといじめられていた。
当時、女子間には誕生日にサンリオ製品を贈り合うという習慣があったのだが(今もあるのかもしれないが)……私は一度も貰ったことがなかった。
ちょうど、誕生日が学校の創立記念日で休日だったので、有り難かった。誕生会も開かなかったし、呼ばれても行かなかった。親もファンシーなプレゼントはくれなかった。現金を渡されて「これで本買え」と言われたりした。
でも本当は欲しかったのだ。カラフルな、キティちゃんの布バッグや、髪飾り、おさいふ、ぬいぐるみ。
「けっ、そんな女子供の欲しがるものなんか欲しがったらカッコ悪いっ」「それに、背が高くてブスで暗い私には、ああいうの似合わないっ、頭にリボン付けてる美少女のナオミちゃんとか、ああいうコにしか似合わないんだっ」「私は女の子の仲間には入れないんだ……」と思い込んでいた。
孤高なハードボイルドな女子小学生のつもりだったのだ、たぶん。
しかし反動というのはすごい。
年齢を重ね、少女から遠のいていくにつれ、素直に「かわいい」ものが好きになった。『いちご新聞』(サンリオの雑誌)の購読をはじめたのは、20歳を過ぎてから。雑誌に載っているかわいいものを切り抜いて、スクラップブックにしていた次期もある。ぶ厚いファイルがみっしり5冊分くらいある。
だから「かわいい」に対して異常な執着がある。中途半端なぬるい「かわいい」ものには「ダセえんだよコラア! もっと真面目に真剣に、ハードコア〜にかわいくなくっちゃ意味がないんじゃあああああああ!」と腹を立てたりするしまつ。
しかし「かわいい」ものを掘り下げていくと、一周まわって「こわい」になってしまったりもする。だから、自分でも「かわいい」がもう良く分からない。
かわいいって何だろう?
かわいいが分からないけど、「とにかく、すごい」と思う、作家さんはいる。
私の大好きなヌイグルミ系造型アーティスト・ミヤタケイコさんだ。
私は自分で絵を描いたりモノを作ったりすることは出来ないのだが……今回ミヤタさんの個展で、ワークショップがあるというので、思いきって参加してみた。 |