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コネタ252
 
収入あり!?研ぎ師看板の謎を終え
JR秋葉原駅のホームにある看板。

私事で恐縮だが、遂に通帳残高が1万円を切った。筆者は現在失業保険で生活しているのだが、今月はうっかり申請し忘れてしまったため失業保険の給付はない。家にある売れそうなものはあらかた売り尽くしてしまったし、一体どうすれば良いのだろうか。
そんな折り、右の看板を秋葉原駅で見かけ、そこに書かれていた「習い始めより収入あり」というコピーが目に留まった。
……しかしこの看板、 見れば見るほど胡散臭さを感じさせる。が、見学に行くだけなら問題はなかろう。淡い期待と漠然とした不安を抱えたまま、筆者は浅草橋へと足を運んでみることにした。

(text by 宮崎 晋平


あった! 民家じゃなくて良かった!!

ビルの入り口にセロテープで貼られた表札。

このドアの向こうに、一体なにがあるのか。

不安が募る「研ぎ師養成塾」

ということで、上の看板の写真をよくみて頂くと分かると思うんですが、なんだかちょっと怪しい空気が漂ってます。 「習い始めより収入あり」だったり、「女性起業家に最適」だったり。
そもそも、研ぎ師を養成する、っていうコンセプト自体よく分からないし、この看板をみて「もしや新手のマルチ商法!?」なんて考えがアタマをよぎったのは、僕だけではないはず。
そこで、見学に行く前に電話でアポイントをとることにしました。

電話に出たのは初老と思われる男性の声。当サイトの説明、及び取材したい旨を告げてもなかなか要領を得ず、5分程話した後に「なんだかわかんないけどとりあえず来てください」と、 頼りのない答えが返ってきた。
この頼りのない答えに、「民家の二階とかでやってる、小学生の時に通っていた習字教室(先生がおばあさんで筆を持つ手がいつも震えていた)みたいな感じだったらどうしよう!? しかももしその家に変な匂いが充満していたら!?(人の家に行った時に、なんかものすごく変な匂いがすることってたまにあるよね)」と、 はじめに抱いていた不安とは別の意味で不安になりつつ、浅草橋へと向かう。

浅草橋駅東口を出て、そのまま通りに沿って進むと看板が見えてきた。どうやら民家で教えているわけではなさそうだ。
ここでちょっとホッとするのもつかの間、雑居ビルの入り口にセロテープで貼られた表札に、またも不安を覚える。
ビルの一室である塾の入り口に貼られた表札も同様で、不安を一層濃いものにさせる。それぞれに書かれている名前が微妙に異なるところなど、いよいよ全くもってよく分からなくなってきました。

まあ、いつまでも不安がっていても仕方がないので、意を決してドアを開けてみることに。

すると、なんとそこには……!?

講師の藤阿彌さんとその生徒さん。
江戸時代から伝わる「桶研ぎ」という手法を披露してくださる氏。この手法は、今ではほとんど見られないそうです。
研ぎ途中の包丁。こうやって刃が生き返っていくのです。
見事な手さばきで、写真には写らない美しさがある。まるでブルーハーツみたいだ。まあブレてるだけなんだけどね。
チェーン展開する「研ぎ陣」の暖簾。現在は50店舗ほどあるそうです。
塾内に貼ってあった「名言三句」。普通にイイ言葉だね。

扉はいつでもはやく開けよう

ドアを開けると、そこには包丁を研ぐ若者と、それをみながらアドバイスをする初老の男性がいた。

そう、この「藤阿彌研磨技術専門技塾(名刺に書かれたので、恐らくこれが正式名称。以降「技塾」と表記)」は、マルチでもなんでもなく、家庭用の刃物約400種類、包丁から枝切りバサミ、果 ては爪切り(!)までをも全て研げるようになってはじめて卒業できる、極めて本格的な研ぎ師の養成所だったのでした。

なんだかもったいぶった書き方をして申し訳ないのですが(ごめんなさい)、ドアを開けるまでは不安でも開けてしまえばどうってことないっていうのは、なにか行動を起こすまでは躊躇したりしてても、実際に行動に移せば大抵はどうにかなるってことを暗示している気がして、なんかこう、胸の奥からグッとこみあげてくるものがある(ないよ)。

そんなことはさておき、このアドバイスをする男性は、藤阿彌功将氏(74歳)。この塾の代表であり、フランチャイズ展開をする研ぎ屋さん「研ぎ陣」を運営。また、某新聞の主宰するカルチャースクールで講師を務めるなど、バイタリティ溢れる人物で、江戸時代より連綿と続く「藤阿彌神古流」という刀師の19代目だったそう(刀師とは刀を専門に扱う研ぎ師のことで、現在は息子さんが20代目として活躍しているそうです)。

7歳頃から先祖代々に伝わる技術を教え込まれたというその腕は本当に見事なもので、筆者のうちにあったなまくら包丁を新品同様かと見まごうほど綺麗に磨き上げるほどの確かな腕前。
なんでも、「生徒を中途半端なまま社会に出してしまったら社会に対する冒涜になる」という信念に基づいて指導しているため、ここの生徒は卒業までの約300時間で、みんなこれくらいの腕前になっているとのこと。

包丁を通してみる日本

氏は、時折冗談を交えながら、もの凄い早口で色々なお話を聞かせてくれた。それをそのまま掲載すると膨大な量 になってしまうので、ここではその要約を掲載することにしよう(見学大歓迎とのことなので、興味がある方は直接うかがってみてください)。

繊細な造りの日本料理を思い浮かべてもらえば分かるように、その料理をつくるための日本の刃物は欧米などとは違って非常に奥が深いものらしく、一朝一夕では到底研ぎの技術は身に付かないのだそうだ。

包丁を学ぶことによって、 その根底にある日本独自の繊細な感覚がうっすらと浮かび上がってくる。その精神を学び、誠実な仕事をする研ぎ師として社会に出て活躍してもらうのが、なによりも嬉しい。日本料理と欧米の料理を比較しながら、氏はそんなことをおっしゃっていた。

「産業もなにもかも、今まではめちゃくちゃなことをやってきた。これからはそれを是正する時期でしょう。そういう時代に、私で最後になる江戸の手研ぎを、少しでも多く残すことによって、世の中に貢献したいと思うんです」

また、きちんと手入れの行き届いた包丁を使えば使うほど、料理に「切れ味」がついて余計に美味しくなるらしく、高級料亭などの料理が美味しいのはその「切れ味」のおかげなのだそうだ(……この件に関しては、筆者はなにも言わないでおこう)。

ところで、あの看板にあった「習い始めから収入あり」がどういうことなのかについて、まだ訊いていないことに気付いた。その、気になる収入の仕組みについて尋ねてみた。

「習い始めより収入あり」の仕組み


研ぎ陣のチラシより抜粋した料金表。包丁・ハサミなどの料金設定が書かれている。

いきなり料金表をみせられても読者の皆さんは戸惑うだろうと思うが、なんと、件の収入にこの料金表が関係しているというのだ。

というのもこの技塾、練習用には使い古された刃物が必要になるのだが、いかんせんそれが不足している。というのも、生徒が自宅から持ち寄ったとしても数に限りがあるし、刃物は一度綺麗に研ぎあげてしまえばそれ以上研ぐことはできない。

そこで、 ここでは生徒が自ら営業をして、いろんなところから刃物を集めてくることが推奨される。その生徒が集めてきた刃物の代金は、記載されているものから砥石代(100円程度)を差し引いた分がそのまま生徒の取り分になるという仕組みで、 中には3ヶ月で92万円も稼ぎ出した人もいるという。
……が、 包丁の一番安いものを持ち込んだとして、収入になるのは900円程度。砥石代のみしか取らないのは良心的だとは思うが、92万円稼ぐにはなんと1000本以上の包丁を持ち込まなければならない。
確かに「習い始めより収入あり」には違いないが、やはりそう簡単にはいかないものだ。

しかし、生徒だけではなく、一般の人でも事前に話をして、初期費用としてチラシに押すゴム印代として3,500円程度さえ支払えば、上記と同じ条件で収入が得られるという。 完全出来高制の営業職に近いともいえるだろう。

と、ここで、残高1万円弱の筆者は名案を思いついた。この原稿の中で読者の方の包丁を募集するのだ。もちろん料金は上の表の通 りに頂くことにする。そうすれば、筆者はほとんどなにもせずに、楽々とこの窮地を乗り越えられるのだ!! なんて素晴らしい名案なんだろう。
さあみんな、人助けだと思って早く料金と一緒に君の家にある包丁を送ってくれたまえ。 モタモタするな! 俺の通帳残高がゼロになる前に送るんだ!! 急げ、俺が飢え死にする前に!!!!

と、せっかく名案を思いついたのに、WEBマスターにこっぴどく叱られてしまった。なので地道に日払いのバイトでもしようと思うので、包丁は送らなくて結構です。お騒がせしました。
でも、研ぎ陣の腕は確かなので、 もし切れ味の悪くなった包丁やハサミなどがあったら、一度持ち込んでみると良いと思います。
僕も実際に持ち込んでみたら、新品同様に生まれ変わった包丁を手にした時、不思議と道具をもっと大切にしようという気になりまました。これからはきちんと手入れをして、大事に道具を使っていこう、そんな風に思いました。使い捨てるんじゃなくてね。


藤阿彌研磨技術専門技塾
  (研ぎ陣東京総本店)
  東京都台東区浅草橋2-29-15-3F
  Tel:03-3865-2431

 

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