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コネタ


コネタ340
 
浮かれ電飾を鑑賞する

↑ケース12 バルコニー重視タイプの正統派
↑ケース13 よく見るとお隣さんもバルコニアン

バルコニー重視タイプ

植え込みやツリータイプと浮かれコンセプトを全く異とするのがこのバルコニー重視タイプである。2階バルコニーの腰壁外面を重点的に浮かれイルミネートするこのタイプには特徴がふたつある。

ひとつはツリーや星やサンタさんなどをモチーフとした中型から大型のワンポイント電飾が施される点である。ケース12はツリーを中心に左にベル、右に星が設置されている。バルコニー重視タイプの典型と言っていいだろう。

ケース13では手すりの上にトナカイとちょっとした小動物が立ち、ご近所を睥睨している。

ふたつめの特徴は、バルコニー以外の部分をあまりイルミネートしない点である。グランドレベルの植え込みやツリーには興味なし。もっぱらバルコニーで勝負。それがバルコニアン・スタイル


当然視線のレベルより上に電飾があるので、住宅のすぐそばに立ってしまうと見えづらいが、やや離れた位置から見ると浮かれている様が見事に際立っている。これは浮かれ電飾の成熟期にあって、メインストリームである植え込みタイプやツリータイプとの差別化を図った結果と思われる。

遠くを目指す視点は浮かれ電飾界のイノベーターとも言えるだろう。浮かれ電飾の今後を占うバルコニー重視タイプ。ブレークスルーとなるか、楽しみである。うそです。




↑ケース14 不揃いな乗っけ方は意図的なものと思いたい

小物使いタイプ

いわゆる「着まわし術」で活躍する「小物づかい」の思想は浮かれ電飾界にも息づいている。ボトム(植え込み)とトップス(バルコニー)の組み合わせでは差別化できなくなってしまったあなた。ちょっとした小物をアレンジするだけであら不思議。いつもの着まわしに新鮮さが加わります。

ケース14などは基本形である植え込みへの浮かれ電飾に小物をプラスすることで、植え込み部分にはそれほど力を入れることなく、一段上の浮かれを演出している。いつもの通勤スタイルで金曜の夜にも対応、といったところだろうか。


↑ケース15 ストーリー性があるようでない

ケース15は小物が補佐的なワンポイントであることからはなれ、独自のステージを与えられている例である。植え込みやツリーなど他の浮かれ要素とのバランスが重要であり、素人にはお勧めできない。


↑ケース16 豪華競演のはずが駄作の映画、みたいな感じか

小物使いが少々行き過ぎてしまった例がケース16だろう。2階にはお月様、植え込みに雪だるま、窓際には縄伝いに侵入を試みるサンタさん、と見所満載ではあるが、視線が分散してしまい、全体の調和という点でも疑問が残る。

特大ヒスイの指輪に大粒パールのネックレス、エメラルドのブレスレットに蝶々の形をしたペンダントをした親戚のおばちゃんみたいな感じだ。こういう手合いからは、お見合いを勧められないように注意したい。

 

↑ケース17 ていうか、サンタ多すぎ

サンタさんタイプ

クリスマスの真打登場。サンタさんである。

よく考えると浮かれ電飾のモチーフとしてサンタさん、というのはどうなのだろうか。24日夜にお越しいただくにあたって、その本人をかたどったイルミネーションを設置、というのはいささか失礼には当たらないだろうか。

そんなぼくの戸惑いを、はるか斜め上方向に上回る形で展開されていた浮かれサンタを見ていこう。

まずはケース17。プレゼントを届けるため屋内に侵入を試みるサンタさんたち。2箇所に進入経路を分散展開しての作戦展開。必死である。ロープを伝ってのアクションは煙突のない日本の家屋ならでは。サンタ業務の苦労がしのばれる。ていうか、サンタ多すぎ。


↑ケース18 追い込まれるまで何もしないタイプか

ケース18のサンタさんは侵入をあきらめたのか、ハンモックでお休み。ダメなら他の家行けよ。


↑ケース19 その遠くを見つめる瞳には何が

ケース19は苦労の末侵入に成功し、バルコニーにたたずみ、町並みを見下ろすサンタさん。早くつきすぎて子供がまだ起きていたので時間を稼ぎつつ一服しているのか、配り終えてトナカイを待っているのか。哀愁漂う姿に彼の業務の孤独さと過酷さがジワリ。


↑ケース20 軟禁サンタ

一方、ケース20の彼は、なんかバルコニーに閉じ込められてしまって困惑の体。


↑ケース21 潜水夫か宇宙人か

そしてケース21の彼がとったやり方は、他人の家をたずねるやり方としては正統派。玄関からの訪問である。往年のサンタさんのプレゼント配布スタイルとしては型破りだが、防犯意識の強い昨今、玄関から正式に訪問するというのは正解だろう。まさにコロンブスの卵。

ただ、なんか赤く光る線状のイルミネーションがサンタさんまでつながっているのが気になる。潜水夫のようだ。君は本当にサンタさんか?

 

分類不可能

今回浮かれ電飾を鑑賞して回っている中でもっとも不可解だったのがこれ。もはや分類不可能。とにかく浮かれたいという衝動に突き動かされた末の造形、といった感じである。

モチーフやテーマなど必要ない。12月がやってきて、そこに浮かれマテリアルがある。そしてうちには、庭がある。

浮かれ電飾を分類することの限界を突きつけられた思いがした。うそですけど。

このような浮かれっぷりをどう位置づけていくのかに、浮かれ電飾評論の今後がかかっているといえるだろう。

 

浮かれ電飾の金字塔

さて、ながながとレポートしてきた浮かれ電飾だが、最後に紹介したいのは今舞浜でもっとも浮かれた作品だ。


もはや電飾が施された家というより、電飾そのもの

おそらくここまで電飾を揃えるのにかかった年数は1年や2年ではないだろう。最初は植え込みから始まって、徐々に追加していった結果がこのボリュームなのではないか。

つまり、この浮かれっぷりはその歴史の重みでもある。歴史は重ければよいのではないなあ、と実感させられた夜であった。

浮かれ電飾の今後と課題

今回舞浜をめぐってみて気がついた点は、個々のマテリアルに対する浮かれテクの差別化と効率化の手法が先行し、メッセージ性のある浮かれ電飾がなかったことだ。この点が今後の課題だと提起させていただきたい。勝手に。

そもそも浮かれ電飾にメッセージ性など必要なのか、というご意見もおありだろうが、差別化と歴史を重ねた結果の行き着く先が舞浜のようなものであるとしたら、それは大量消費・飽食社会の未来図そのものではないだろうか。われわれはもっと違った浮かれ手法を開拓する必要があるのではないだろうか。

たとえば上は国立にある浮かれ電飾である。甲州街道に発する「LOVE」の文字。永遠のテーマだ。

甲州街道で「LOVE」って、違う意味じゃないのか、というのはあるけど。


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