「濡れ手で粟」――骨を折らないで利益を得ることのたとえ(広辞苑・第五版より)
私もそんな人生を歩んでいきたいので、濡れ手で粟をペッティングしてみました。
「濡れー手でー粟をー、ペーッティング―♪」(「枯れ木に花をさかせましょう」のフレーズでどうぞ)
(text by 田中あずさ)
乾いた素手でペッティング
粟の触感は冷たくてプチプチしている。米よりも粒が丸く、豆よりもはるかに小さい。ビーズクッションの中身のようだ。
まずは乾いた素手で粟をペッティングしながら、濡れ手ペッティングへの想いを馳せる。
粟、気持ちいい〜〜。
濡れ手でペッティング!
いざ、手をぬらして粟をペッティング!さっきはサラサラして気持ちがよかったのに、ちょっと不快感が・・・。
「濡れ手で粟」の伝説が今ここに
手を広げると、乾いた手とはくらべものにならないくらい、みっしり粟がついてる〜!思った以上に楽しいし、感動だ。震える手から粟がパラパラと落ちる。
「濡れ手で粟」は、本当に思った以上の“心の利益”を私にもたらしてくれましたよ!
ってまとめ方がオヤジだな。
おまけ
「濡れ手できび」
粟とよく似た「きび」であるが、粟の代わりにはならないということをここではっきりさせておきたい。
きびは粟より少しだけ粒が大きいので、粟のようにたくさんの利益をもたらすことができないのだ。
やっぱ、濡れ手には粟よね〜。
「濡れ手でごま」
黒いツブツブが手にみっしりついている様子を見たかったので。
「濡れ手で五穀米
なんか縁起がよさそうだから。でもあまりくっつかなかった。
まとめと考察