命あるもの特有の表現現象・感情。生命のうちでもかなり進化の度合いが高いものにしかないと言ってもいいかもしれない。
その原則とは関係なく、びっくりしている無機物がある。命宿らずとも勝手に驚いているモノたち。
難しいことを言っているように感じるのは、これから言おうとしてることがあまりにもくだらないことだということに対しての反動でもあります。
言ってることがわかりにくいので、さっさと記事本体に入りたいと思います。
(text by 小野 法師丸)
またおかしなことを言い始めたなあと自分でも感じる今回の試み。このまま自分だけ突っ走ってしまうのはよくないので、理解してもらえるようにがんばってみたい。
まずはこの写真、消火器の持ち手の部分だ。
あくまで普通に消火器なのだが、じっと見ていると何か言いたそうに見えてはこないだろうか。どうだろう、こういうときは勝手にセリフをつけてしまうとわかりやすいかもしれない。
目が慣れてきただろうか。見る者がそういう見方になると、どんどんしゃべり出す無機物たち。今まで黙っていた彼らだったが、耳をすますとこんなに感情豊かだったのだ。
上級モードになると、これだけ単純なものでもしゃべっているように見えてくる。まだそう見えてきていない方もいらっしゃるかと思うのだが、なんとかがんばってついてきてほしい。
●アクションによって豊かになる驚き
普段は黙っているばかりの無機物たち。用途によって可動部分があるものも多いのだが、その部分を動かすことで表情が見えてくるケースもある。
「今日おまえを粗大ゴミに出す」と言われた冷蔵庫、という感じだろうか。それは確かにあごがはずれるくらいの驚きだと思う。
フタのように開閉できる部分は表情が出てきやすいみたいだ。
それは驚くよな、と勝手に共感。寒い北の国ではお湯をあたためるのも大変だと思う。頭がふっとんでいる感じの驚きようも、決して大げさではないだろう。
ついにやってしまった感じもあるタンス。いつも実直に衣類をしまっている彼だが、本来なら飲めない酒を飲まなくちゃやっていられないこともあるだろう。
で、飲みすぎて「どばー」。驚くのはこっちだ、という例だ。
●意外と表情豊かなハウスたち
ここまでは屋内にあるものばかりを見てきたが、もう少し大きなスケールで驚いている無機物もある。その代表例は家だ
これなどはかなりきれいに驚いている例だ。左右の目の大きさの違い、口の開き具合、屋根が髪の毛に見えるのも全体的な顔っぽさにつながっている。
大げさに驚いたり小さく舌打ちをしたりする家たち。家の性格が見えてくるような気もしてくる。きかんしゃトーマスのようにくっきりした顔が書いていなくとも、そう思えばそう見えてくる。
慣れてくるとほとんどの家は驚いて見えるようになってくる。ただ、人の家を路上でじっと見つめているのは、事情を知らない他人からすると軽く不審にも見えるので、驚いている家の鑑賞には注意したい。
●どうでもいいことへの想像力
小学生のころ、担任の先生に「人間にとって想像力というはとても大事なものなんだよ」と教わった覚えがある。僕はその教えを守って、こんな大人になってしまった。
消火器や人の家に勝手にセリフをつけてる大人。多分僕は先生が言ったことをどこかで誤解しているように思う。
改めて振り返ってみても、今回発揮した想像力はそんなに大事だとは思えない。先生に教わった意味での想像力の大切さについてはこれからは考えていきたいと思う。