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コネタ


コネタ745
 
実家の押入れにあった昔の恥ずかしい服

お盆なので実家に帰った。実家に帰るとだいたい 「押入れあさり」 をやる。

なぜかというと、他に何もすることがないからだ。久々の実家、冷蔵庫の中身チェックや前回帰省時から増えている調度品なんかを見回した後は・・・

もう何もすることがない。
今回は押入れで見つけた、ちょっと恥ずかしい 「実家にとってあった服クロニクル」 です。ご自分の実家の押入れを思い起こしながらお読みください。

乙幡 啓子

とは言うものの、全ての服を実家が保管しているわけではない。DCブランド (この言葉ももはや恥ずかしい) のは自分が上京する際に持って出ているし、何回かの大掃除のたびに段階的に捨てられてもいたようだ。


そしていく度かの選定を経て残ったもの・ケース2つ分。

どれを残すかはもちろん母の裁量にゆだねられていた。なので、これらの服はほぼ 「母セレクション」 と言うべきものである。自分の選択眼が100%責任を負うものではない。


小中学生コレクション・DCブランドへの憧れも持ちつつ

自分の小学校高学年から中学生くらいまでの服が多い。ということは年代にして1980年〜1985年、あの80年代の高まりとともに思春期に入ってしまった。もうちょっと年齢が行っていれば、ボディコン黎明期に間に合っていただろう。

「ワイズ」 や 「コム・デ・ギャルソン」 などのDCブランドの影響かどうかは知らないが、自分も総じてモノトーンで決めているようだ。

80年〜85年の出来事:
山口百恵引退(80年)  「オレたちひょうきん族」 スタート(81年)
「笑っていいとも」 スタート(82年) YMO「散開」(83年)
「ドラゴンボール」 連載開始(84年) 「夕やけニャンニャン」 スタート(85年)


微妙な色のジャンバースカート。これは何となく、着てウキウキした覚えはあるんだが・・・
もうほとんど思い出せないこの服。やはりジャンスカ。
ひらすら地味な色合い。ちなみにここにあげたものはDCブランドのものはひとつもない。
覚えはあるが、着た実感はない。これをはいて放課後のドッジボールに燃えていたんだろうか。
いかにも母がとっておきそうな 「いい子服」。
母いわく 「胸ポケットにオツって書いてあるね」。はいはい。
小学校の卒業式で1回だけ着たのだ。
今回唯一の、母の手作り服。着た覚え全くナシ。

ここまでのラインナップ。「なんかおとなしめの服が多いね」 と、一緒に押入れをほっくり返していた母に言うと 「おまえに子供ができたらあげようと思って」。

あー、そうですか。いやー、なんだかねー。


高校生コレクション・DCブランド買いあさり開花期

といってもこの1着だけしか残ってないんだが、残ったのがこれかい!という感想はある。

このころちょっとがんばって 「BIGI」 「メルローズ」 など買っていた (ただし安いトレーナーのみ)。女子高の制服がセーラーで、「上着を着るときはエリを必ず出すこと」 という ひょっとこな校則があったため、無理やりトレーナーの首からエリをはみ出させて歩いていた (出していないと体育教師にどつかれる)。

86年〜88年の出来事:
美味しんぼ「究極」が流行語に(86年) 光GENJI 「STAR LIGHT」(87年)
浅香唯「C Girl」(88年)


「MICHIKO LONDON」 全盛期のブルゾン。
なんとなく恥ずかしくてほとんど着ていってない。

どんなブランドのトレーナーを着てくるか、どんな独自性を出してくるか、というのが、女子高での関心事のひとつだった。勢いあまった結果がこれだ。他にも、なぜか「メンズ」メルローズでスニーカー買ったり、子供服の「Miki House」でトートバッグ買ったりしていた。ああ恥ずかしい世代です。

ちょっと着てみて終わろう。皆さんもぜひ一度実家の押入れあさってみよう。ひょっとこなセレクションが発掘されるかもしれません。


腰のクビレとかの意識なし。

今ならありか?なしか?

 

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