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コネタ


コネタ773
 
いばらきウロウロ歩き
高萩スタンプを集めよう

御無沙汰しております。
夏休み、しばらく実家に帰っておりました。

いつもなら友だちと飲み会とか、親きょうだいと飲み会とか、海で飲み会とか、とにかく飲んで飲んで飲まれて飲んでるわけですが、今年は体調を崩し、お酒を飲める状態ではありませんでした。
お酒が飲めないぶん、ヒマです。
ヒマだけどすることない。
だからそこいらを散歩して、近代建築とか見てきました。

(text by 神田ぱん

結城紬の町・結城

増田書店にはかつて蓄音器部があったらしい

 

軒の頬杖がおしゃれな石造りの蔵

結城紬はお姉さんが織ってた

結城(ゆうき)は茨城の西端にある。福島に近い日立市で育った私には、まるで未知の土地。「古い街並みがあるらしい」という情報しかないけど、とりあえず市役所付近まで行ってみたら、「郷土館」という紬の資料館があった。

 郷土館:結城市浦町116
  0296-32-2121

商人宿の風情な石崎旅館

郷土館は「小倉商店」という会社のショールームで、1Fには紬を織る機や古い取引伝票などが展示されている。
「2階もどうぞ」と言われて上がってみたら、若いお姉さんたちが地機で紬を織っていた。撮影こそ禁止だが、お姉さんが紬の説明をしてくれる。無料なのに親切!
結城紬は日本三大紬のひとつだから、最低1着100万円ぐらいして、銀座のママとか玄人好みな超高級着物の印象がある。でも織り子さんはごく普通のお嬢さんたちで、ちょっと親しみが持てた。

雷文に竪琴の意匠がイカす増田書店

紬の問屋街「縞屋」(紬はむかし縞模様ばかりだった)には明治〜戦前とおぼしき建物が点在し、ちゃんと説明板なども出てるのだが、観光客の姿はあまりない。
近所のお菓子屋さんによれば、50号バイパス沿いにいろんな店(マクドナルドやダイソー)が出来てから、ここいらの店もバイパス方面に移転し、今は寂れ気味なのだそうだ。
まー確かに建築好きでもなければ、行っても何やっていいかわからないかもしれないが、蔵造りと擬洋風建築が揃ってるのにもったいないなあと思う。

でもそんなのヨソ者だから言えることで、住んでる人にとってはダイソーの方が安くて便利で良い。

今は書店ではなく骨董品店(?)らしい
角のアールが可愛い渡辺菓子店

佐竹様の城下町・常陸太田

蔵造りの建物が何気なく存在している

 

明治37年建築の太田一高旧講堂

意外に不人気な水戸黄門

常陸太田市は茨城北東部に位置していて、茨城県民だとたいてい「西山荘があるところ」という認識だろう。
西山荘は、水戸黄門こと徳川光圀の隠居所。でも郷土博物館にはなぜか秋田竿灯の写真が飾ってある。館内にいたおじさまによれば「太田は佐竹様の町なんだ。徳川はあとから来たから関係ないの。だいたい徳川なんてねー」以下、ちょっとここに書けない悪口大会になったので驚いた。

長山商店のホーロー看板。可愛い!

秋田へ移封になって400年以上経ってるのに、これほど慕われてるなんて、佐竹氏はよほど良い殿様だったんだな。

城下町感がもっとも出てるのは、急坂の上にある「鯨が丘」地区だ。
元は海産物の問屋街という鯨が丘には、明治建築と思われる蔵造りの建物が多く、かつて茨城県北の商業中心地だった常陸太田のなごりが残っている。
ところがここも、あんまり知られていない。
市内在住の友だちすら「えーそんなとこあるんだ?」と言うほど、知られていない。
うーん……郷土資料館だけじゃ観光客は呼べないかー。ヨネビシ醤油は工場見学などもできるので、みなさんも機会があればぜひ行ってみて下さい。

鯨が丘の西側の「十王坂」
東側の「板谷坂」では流し素麺をしたらしい

産業都市・高萩

南銀座商店街の素ん晴らしいゲート

 

レンガ造り(?)のゲーセン

昭和の商店街が息を潜める

日立市よりさらに北の高萩市。
結城や太田についてはある程度、本などで情報を仕入れて行ったが、高萩のことは何にも載ってない。でも高萩も元は炭坑町、絶対なんかあるはず。
でも駅を出て途方に暮れた。うーん…どっちに行けばいいのか? 案内地図を見たら西側に市役所があり、「本町」という地名がある。市役所はお城の跡に建てることが多いし、「本町」は古くからの中心地だったりするので、そっちの方に歩いてみた。
すると、果たせるかな「南銀座商店街」というゲートがあった!

木枠の窓とステンドグラスが謎めく

昭和後期モノだろうか、素晴らしいゲートだ。すぐ横に、不思議な煉瓦造りのつぶれたゲーセンがある。古煉瓦が貼ってあって窓枠は木製、微妙な出来のステンドグラス。
南銀座商店街の側道には、これまたよさげな銭湯があったが、すでに営業していない。
営業してないお店が多いのは残念だけど、「昭和」を味わって懐かしい気分になる。
それから近所の「まひまひ」というお店でおいしいカレーを食べた。ママさんによれば、大手企業だった日本加工紙が3年前に倒産して以来、この周辺も寂れてしまったという。炭坑→産業都市になった町は、本当に今つらい。
日立から電車で来た、と言ったらママさんが「電車で!? わざわざ!?」とたいそう驚き、コーヒーをサービスしてくれた。嬉しい。

ひなびた湯治場みたいな菊の湯温泉
昭和初期建築とおぼしき理髪店

かつては鉱山町・日立

道路建設による護岸工事で砂浜が消えた海

 

本山地区にある旧共楽館は大正6年建築

海は消えて行った

私が生まれ育った日立市は日立製作所の企業城下町。日製は、もともと「日立鉱山」(現JOMOステーションのジャパンエナジー)という銅鉱山の会社から派生した。
日鉱はいろいろユニークな経営をしていて、私の亡父が子供の頃、従業員は飲酒を禁じられていたそうだ。父たちは、親に命じられて酒を買いに行き、水枕に入れてもらってこっそり持ち帰っていたという。
その日鉱の福利厚生施設だった「共楽館」という芝居小屋が、鉱山のあった本山地区には残っている。昭和30年代まで映画や歌舞伎が上映されていたが、閉山したあとは武道館になった。

駅前(海岸口)にある「常磐館」はもう営業していない

でも鉱山が開発される前まで(って明治後期とかだけど)、日立は別荘地だったそうだ。
海と山が接近してて、避暑に向いていたのだろう。
今でも建物だけはある「常磐館」という旅館は、別荘地時代の地図に載っていた。
一度この常磐館に泊まったことがあるが、張り出した廊下の眼前に太平洋が広がる素晴らしい眺めで、やってないのはいかにも惜しいと思っていた。

ところが今年行ってみたら、駅前の坂を下ってすぐの海岸は道路工事で海などまったく見えなくなっていた。
国道6号線の慢性的混雑解消、公共事業による経済効果。
利便、利便、利便か。
ヨソ者になってしまった私に口を出す権利はないけど、あまりに悲しい眺めだった。

以前は海岸口からすぐ海が見えたが…
マンションの如き道路工事で海は見えない

日立の名産はサクラダコ

海が消えてかなりショックを受け呆然と駅前を歩いていたら、ショッピングモールのおまつりでサクラダコのスープカレーを無料配布していた。
日立は漁港があるので、新鮮な魚が安い。
みんないろいろと工夫してるんだよなあ。たまに来て「寂しい」などとぬかす自分が、身勝手で恥ずかしくなる。酒が飲めないからって八つ当たりはよくない。
日立は魚がおいしいです。きれいな海岸もまだ北東部には残ってます。みなさん、ぜひ日立に遊びに来て下さい!

サクラダコカレー1000人分を無料配布

 

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